第2話

 二月一五日。夕方。自宅リビング。

 俺がローテーブルに置いたチョコをつまんだりしつつソファに寝転がっている所に、冬奈が自分の家に帰ってきたみたいな顔でやって来た。


「ど、どうしたの広夜くん! なんかふにゃっふにゃのくてんくてんになってる! ……あ。このチョコお酒入ってるやつだ。これで酔っちゃったのかな……? え、このチョコ、どうしたの?」


「んあー? ばれんたいん、で」


「えっ!? だ、誰にもらったの!?」


「だれ……? しらん……。なんか、うちのがっこうの……」


「知らない人からのチョコなんか貰わないでよ! しかもそんな無防備に食べて、酔っぱらって! えっ、よっぽどの美人さんからもらったとか!? ちょっとひろくん、寝そうになってないで答えてよぉおお!!」


 そんな事を言われたって、気分はなんだかふわふわしているし、とても眠い。めちゃくちゃねむい。返事をするのもおっくうだ。

 答えろと言われても、誰からのチョコかなんて本当に知らないし。正確には、全員誰かまでは把握できていない、だけど。

 さっき食べたのは、中学の時にうちの父に世話になったという数名の連名で『碧人あおと先生に渡してくれ』と託されたチョコだ。

 元生徒から父に対する人望がすごい、というわけではなく、なにやらこういうイベント時に父にお供え物をするとご利益があるとかで。


 なんだお供え物って。なんだご利益って。神様でもあるまいに。

 託され時に戸惑っていたら『碧人先生はガチでご利益あるから。特に恋愛成就。うちらこれでこのバレンタインに勝負かけるんで』なんて言われて俺まで拝まれたが……。

 我が父ながら謎すぎる。


 ただ、実際その渡してきたグループの中でチラチラとお互いを意識している感じの視線を送り合ってる人たちがいたので、父へのチョコを選んだり買いに行ったりで行動を共にしているうちに距離が縮まったりはあったっぽい。

 あれがご利益といえばご利益なのかも?

 父自身に訊いたら『ああ、うちの中学で流行っているおまじないみたいなものだよ。よくわからないけど、“碧人先生にお供え物したから大丈夫”って思えて、一歩踏み出すきっかけになっているなら嬉しいな』と笑っていた。勇気を出して告白なりする人が増えれば、結ばれる縁も確実に増えるだろう。それがご利益があったという実績になって……みたいな感じかな。


 そんなこんなでこの時期生徒たちから大量のお供え物チョコを貰う父は、例年通りお返しのためのチェックだけした後は『食べ切れないから、広夜も好きに食べな。誰かお友だちに分けても良いよ』と言ってくれた。

 託された時から高そうで美味そうだなと目をつけていたのを、早速つまんでいるというわけだ。


 全員誰かまでは把握できていないがみんな同じ学校の生徒たちのようだったし、うち1人は俺と同じクラスのそれなりに話す男子生徒だし(お返しはまとめて彼に託せば良いそうだ)、手作りではない事は確認したし、無防備と怒られるほどではない、はず。

 いや、父宛ということで大人向けの酒入チョコだったらしいことと、自分がここまで酒の類に弱かったのは想定外だったのだけれども。


 なんて、つらつらと考えていると。


「どうしよう、どうしよう……。ひろくん、もしやチョコくれた子とお付き合いとかしちゃうのかな……? そんなのやだよぅ……」


 ああ、ゆなちゃん(小さい頃の俺は『はひふへほ』が苦手で、冬奈のことを【ゆなちゃん】と呼んでいた。その癖で、冬奈が幼い言動をとっているとつい【ゆなちゃん】とか【ゆな】とか呼びたくなる)が泣きそうだ。いや、もしかすると泣いているような声で、何かぶつぶつ言っている。


「どした、ゆな」


 眠りに落ちそうな意識を無理矢理に引き上げて、瞼をかっぴらいて、なんとか尋ねた。

 すると俺の愛しのかわいい幼なじみである冬奈は、案の定涙をそのでっかい瞳にいっぱいに貯めていて、ずいと俺に迫る。


「どうもこうも! う、ううー! ぽっと出のライバルに負けるなんてやだよぉ! ひろくんって、どういう人が好きなタイプなの!? 美人系とか!?」


「んあー? いや、おれは、かわいいかんじのこが、すき」


 なんか思ったより元気だな。これは放っておいて良いかもしれん。っつーか眠い。

 そんな気持ちで、かなりおざなりに答えた。


「好き!? 今の、実際好きな人がいる言い方じゃなかった!? 誰!? ま、ままままさか、このチョコをくれたのが、正にひろくんの好みのかわいい子だったりするの!? ひろくんの中で、かわいいっていうのは具体的にどういうあれなの!?」


 冬奈がなんだかまだわーわー騒いでいるが、いい加減眠気が限界だ。

 問われた事も、断片的にしか脳みそに入って来ない。


 かわいい?

 かわいいっていえばそりゃ、冬奈の事だよ。

 実際に好きな人? ああいるよ。冬奈だよ。


 くるくる変わる表情も、ちょっとポンコツ気味なところも、小さな頃から冬奈のうっかりをなにかとフォローしている俺に素直に懐いているところも、なにもかもかわいい。

 見た目もえらくかわいく育ったものだ。

 身長は女子の平均くらいのようなのだが、とても細身なために華奢な印象が強い。

 ふわふわの栗色の髪は本人的には広がりやすくて嫌なんだそうだが、見た目も手触りもやわらかくて冬奈によく似合っている。

 顔立ちだって、俺は世界一と思っているが、客観的な評価としても学年で1、2を争う美少女。


 うん。かわいい=冬奈。冬奈は、世界一かわいい。俺にとっては。


 でもこれは、酔いと眠気でグラグラする意識の中でも、というか、自分があんまりまともな状態じゃない自覚があるからこそ、こんな場面で言うことではないとわかる。

 告白するなら、ちゃんとしたい。


「ねえ、広夜くん、かわいいってなに!?」


 だからなんだか必死な様子の彼女に重ねて問われた時、それ以外の何かを言わねば、という意識しかなくて。


 冬奈に対する告白以外なら、何でもいい。

 で、かわいいってなんだ。

 ああそうだ、母はいつもああ言っているな。


「かわいい、はー……、つんでれ?」


 むにゃむにゃと、なんだかテキトーな事を、言ったのか言わなかったのか。

 どこからが夢で何が現かもわからない状態の俺は、どうやらすこんと寝落ちてしまったらしい。


「つまり、ツンデレになったら、広夜くんは私のことを、意識してくれる……? 私にできるかなぁ……。ううん、やるのよ冬奈! ひろくんが私じゃない誰かとお付き合いするなんて、絶対に嫌だもの! よし、わかった。ひろくん、私、ツンデレ極めるね!」


 この日のことは、冬奈がうちに来てちょっと話をしたような記憶はあるのだが、とにかく眠かったから、自分が何を訊かれ何を言ったのか、

 なんか冬奈の声が元気になっていて良かったな、と思ったのはおぼろげに覚えていなくもないんだけど。


 変なこと言ってなきゃ良いな……。

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