姫騎士令嬢ヴィオレッタ物語 恋する吸血鬼は傘を差す

由岐

第1章 繰り返す夢の先

第1話 あるはずのない出来事

「死ぬが良い、勇者ァッ!!」

「……っ、勇者様!」


 私は普段は前に出る事なく、サポートに徹するのだけれど……勇者様がほんの一瞬の隙を突かれた瞬間、咄嗟に脚が動き出した。

 そのまま飛び出した私は、敵と対峙している剣士──美しい黒髪の勇者様を庇うように抱き締め、背中に深い傷を負った。


「ど、どうして……君が、僕なんかを庇って……!」


 いきなり私が飛び出してきた事実に驚愕し、大きく目を見開き、顔色を真っ青にした勇者様。

 彼の深い真紅の瞳は、私の姿を捉えながらも、その綺麗な眼が涙の膜に覆われて潤んでいくのが分かる。


 それは、あまりにも現実感のある夢で。

 背中に受けた剣の冷たい金属の感覚と、その後に襲い来る焼けるような痛みに、ぐっと奥歯を噛み締めずにはいられない。

 一気に冷や汗が吹き出してきて、流れ出す血で濡れていく法衣が、じっとりと肌に張り付いていくのが感じられた。


 この場には私と勇者様と、私を斬った敵しか居ない。

 勇者様はこれまでの連戦のせいでボロボロで、私にももう、彼を治すだけの魔力も残っていなかった。

 だから私が、彼を庇って盾になるしかなかった。


 私はきっと、このまま失血死するだろう。

 ならばせめて……彼の瞳に映る最期の姿は、少しでも綺麗なままでいたかった。

 夢の中の私は、どんどん零れ落ちていく命の感覚に恐怖しながらも、無理矢理に笑みを作ってみせる。


「貴方は……この世界の、希望そのものです……。だから、貴方は……生きなくては、なりません……」

「僕だけが生き残っても、何の意味も無い……! 僕のせいで君が死ぬだなんて……駄目だ、死ぬなっ……! 死ぬなよ、──!」


 目の前が霞んでいき、立っている事すらもままならなくなった私の身体を、勇者様が支えてくれる。

 ほとんど視界が見えなくなっていく中で、私の頬に温かな雫が落ちるのを感じた。……彼が、私の為に泣いてくれているのだろう。

 それが嬉しくもあり、彼を残して逝ってしまう辛さもあり……複雑だった。

 私がずっとひた隠しにしてきたこの気持ちは、もしかしたら一方通行のものではなかったのかもしれないと、思わず勘違いしてしまいそうで……。


「ごめん、なさい……。私、貴方にずっと……言えなかったことが、あるんです……」


 これが最期になるのだから、この後で無様に生き恥を晒す心配も無い。

 だからもう、彼に全て打ち明けてしまおうと思えた。


「わたし……あなたの、ことが……ずっと、ずっと……



 すき、でした……」


 叶わない恋なのだからと、これまで隠し続けてきた本心。

 せめて貴方の力になれればと、私に出来る全ての魔法を、全ての魔力を、この命すらも使い果たして……!


 今は既に遠くに聞こえる、彼の必死な声。

 何かを伝えようとしてくれているのに、もう何も聞き取れない事を申し訳無く感じながら、私は彼が握ってくれていた手を小さく握り返し──


 彼が魔王の支配から世界を救ってくれる事を信じて、ゆっくりと目蓋を閉じた。




 *




「……っ、はぁっ……はぁっ……」


 私はガバッとベッドから飛び起きると、自分が全身汗だくになって眠っていた事を嫌でも実感する。


「また、あの夢……」


 顔に張り付いた自身の金髪を払いながら、未だに痛みの感覚の残る背中が気になり、自室にある姿見越しに背後を確認した。

 寝巻きは特に乱れた様子も無く、当然ながら剣で斬られたような痕跡も無い。

 それでも妙に生々しい痛みを伴ったあの悪夢が、もう何度も繰り返されているとなると……精神的に参ってくる。


「あれは、ただの夢のはず……。だって私、あんな風に人を庇って斬られた覚えなんてないんだもの」


 ……そのはず、なのだ。

 だというのに、奇妙な事に、私の背中には大きな傷跡のような痣がある。

 寝巻きのボタンを外して、鏡越しに背中を確認する。するとやはり、子供の頃から消えない謎の痣が、確かにそこに存在していた。

 その痣は白い背中を縦に斬り裂くような形をしており、まさしく夢の中で斬られたのと同じ箇所をなぞるようだった。


「……せっかくのパーティーの当日に、こんな悪夢で叩き起こされるなんて最悪すぎるわ。早めにお風呂に行って、ドレスを受け取りに行かないと」


 私はそのまま寝巻きを脱ぎ、私服に着替えてから洗濯物を籠に入れ、自室を後にした。


 今日はアカデミーの卒業生が参加する、卒業式前の最後のパーティーが行われるめでたい日。

 全寮制のアカデミーに通う私は、女子寮の寮母さんに洗濯籠を預けた後、また後で追加の洗濯物を持って来る事を伝えてから、足早にお風呂場へ向かった。




 アカデミーの女子生徒が共同で使うお風呂場には、私以外の生徒の姿もちらほらあった。

 脱衣所で服を脱ぎ、パーティーという事もあって、普段より念入りに身体を洗っていく。


 入学した当初は、私の背中の痣に注がれる視線も多かった。けれども卒業となる五年生となった今となっては、新入生以外に痣を気にする生徒は少なくなったように思う。

 とは言っても、この痣を見慣れているのは女子生徒だけなので、今日パーティーに着ていくドレスは、背中が隠れるデザインを用意してもらった。

 背中が目立たないように髪を伸ばしはしたけれど、パーティーにはダンスもあるので、踊っている最中に見えたせいで周りを驚かせたくはなかったからだ。

 今年で十九歳になった身としては、もう少し大人っぽい露出のあるドレスを着たくもあったのだけれど……。こればかりは仕方が無いと、諦めざるを得ないだろう。



 お風呂で身体をさっぱりとさせた後は、また新しい服に着替えて洗濯物を預け、お義父様が用意して下さったドレスを受け取りに、女子寮の集配所へと向かった。

 アカデミーは秋に新年度が始まり、卒業式は夏前に行われる。なので、今年の春休みに帰省した際、城の侍女達が張り切って寸法を測り、私のドレスを仕立ててくれたのだ。


 部屋に戻って完成したドレスを見てみると、その出来栄えに思わず「うわ、すっごい……!」と呟いてしまった程だった。

 私の色素の薄い金髪に合うような、グリーンの上品なデザインのドレス。城の皆は私の痣の事を知っているので、しっかりと背中が隠れるように配慮してくれていた。

 その分、女性らしさを演出する為に胸元はデコルテを大胆に出し、胸の谷間も下品にならない程度に殿方に見せ付けるのだと──このドレス作りを仕切っていた侍女のイルザが、物凄い熱意でそう力説していたのをよく覚えている。

 このドレスは、スカート部分のフリルが足元に向かっていくにつれて少しずつ濃い緑色に移り変わり、綺麗なグラデーションになっていた。

 ドレスを身体に合わせながら姿見の前で見てみると、フリルが動きに合わせてふわふわと揺れて、何だか自分がお姫様になったような気分になる。


「ふふっ。こういうのは私の柄じゃないけれど、たまには悪くないかもしれないわね」


 身分としては確かに貴族ではあるものの、私は今のお義父様に養子に迎えて頂いただけの、元平民に過ぎない。

 根っこの部分ではどう足掻いても庶民感覚が抜けないし、もう一人の恩人であるこの国の皇子──フォルクハルト殿下に恩を返す為、令嬢となった身ではあれど、少しでも彼の役に立てればと剣の道を選んだ。

 幼い頃から剣と魔法に親しんだ生活を送るようにしていたせいで、他の家のご令嬢とはあまり趣味が合わないのがアレなのだけれど……。まあ、私の最優先事項は殿下に関しての事全般なので、自分が強くなる以外の事は後回しにしてきてしまった学生生活だったりする。

 しかし、それももうじき終わりを迎える。

 間近に控えた卒業式の日にフォルク殿下が勇者に選ばれたら、私は彼の騎士として、共に魔王討伐に旅立つのだ。

 ……私のこれまでの人生の全ては、その日の為に費やされてきたのだから。


「……殿下の華々しい門出の為にも、今夜のパーティーで恥をかかせる訳にはいかないわ。緊張してステップを間違えたりしないように、しっかりと落ち着いて殿下とのダンスに臨まないと……!」




 *




 女子寮は夜からの卒業パーティーに向けて、友人同士で髪の毛をセットし合ったり、メイクに使う化粧品についてギリギリまで議論を交わし合ったりと、ドレスアップの準備に大忙しだった。

 私も仲の良い子達と部屋に集合して、互いに手伝いながら賑やかに身支度を整えた。


「ヴィオレッタさん、そのドレスとってもよくお似合いです!」

「そうそう! ヴィーの金髪に緑のドレスが映えて、紫色の瞳も相まって、まるで葡萄の妖精みたいで可愛いわ!」

「ありがとう、二人共。貴女達も、今日はいつにも増して可愛くて綺麗だよ!」

「えへへ〜、知ってるー!」

「ありがとうございますっ!」


 それぞれ褒め合いながら上機嫌で部屋を出て、私達は今夜のパーティー会場となる講堂を目指していく。

 卒業パーティーに参加出来るのは、今年度の卒業生とその家族。それからダンスもあるので、そのパートナーとして誘った相手だ。

 私の義理の父であるアーデン伯も、既に会場に到着している頃だろう。

 会場が近付くにつれて、パートナーと待ち合わせをしているであろう生徒達が増えてきた。男子達もジャケットを羽織り、ネクタイを締め、バッチリと髪も整えている。

 すると、友人達が声をひそめながら、私に耳打ちしてきた。


「ねえヴィー、あんた本当に殿下と踊るの……?」

「ええ、それは当然でしょう? 殿下の方から私を誘って下さったんですもの」

「それってやっぱり、フォルクハルト殿下がヴィオレッタさんの事をお好きだから……なんでしょうか……!?」

「……それは無いわ。あくまでも私とフォルク殿下はただの幼馴染で、他のご令嬢達を避ける為の手段に過ぎないわよ」


 ……そう。殿下は私を救ってくれた恩人で、小さい頃から何かと親切にして下さる兄のようなお方。

 そんな優しい彼を、好きにならない訳が無いけれど……。

 それでも殿下には、聖女様に認められた勇者となって、魔王を倒すという夢がある。そんな大きな目標を掲げた彼にとって、私なんて護るべき国民の一人に過ぎないのだ。


「ただの幼馴染ねぇ〜……?」

「ヴィオレッタさんはいつもそう言ってますけど、やっぱり今夜は何かあるんじゃないですか……?」

「な、何かって何……?」

「そりゃあ決まってるじゃない! 告白よ、コクハク!」

「こ、告白ぅ……!?」


 無い無い、絶対無い!


「……た、確かに私はフォルク殿下の事が……その、好き……だけどさ……」

「ほら、やっぱりそうなんでしょ!?」

「で、でもね! 殿下はそんなそぶり全然無いし、だいたい私なんて平民出身の成り上がりお嬢様なんだよ!? いくら殿下が第二皇子だからって、私なんかを恋人に選ぶなんてあり得ないじゃない!」

「え〜!? 絶対そんな事無いって!」

「そうですよぉ! こんな事言ったら後が怖いですけど、クラスの嫌味なお嬢様達より、ヴィオレッタさんの方が何倍も品行方正で、あの凛々しい殿下の隣が似合うナンバーワンのお嬢様だと思ってますから……!」

「いやいや、いくら何でも褒め過ぎですって……!」


 と、周囲の喧騒に紛れながらそんな事を言い合っていると……。


「あっ、ごめーん! あたしのパートナー見付けたから、合流してくるね!」

「あ……わたしのパートナーさんも居ました! すみません、ヴィオレッタさん。また後で会場でお喋りしましょうね!」

「ええ、また後で」


 人混みの中からそれぞれのパートナーを見付けた二人に置いていかれ、私は急に独りぼっちになってしまった。

 けれども、ふと視界に入った黒に目を奪われた。


「フォルク殿下……」

「ああ、ヴィオ……! 流石にこの時間帯になると、この辺りも凄い人混みだな。鮮やかなグリーンのドレスが視界に入ったものだから、思わず目を奪われたら……君を見付けたんだ」


 彼の艶やかな黒髪は、今日の為だけに仕立てられた黒いジャケットにも呑まれない美しさで、普段は下ろされている前髪は、パーティー向けに上げてヘアアレンジされていた。


「そのドレス、君の髪色によく映えているよ。上手く合流出来て良かったが……例えどれだけ混雑していても、こんなに綺麗になったヴィオを、この僕が見逃すはずがなかったね」


 殿下の切長の紅い瞳に見詰められて、お世辞だと頭では理解していても、自然と顔が熱を持ってしまうのが分かる。

 きっと今頃、私の頬は彼の眼の色にも負けないぐらい、林檎のように赤く染まってしまっているだろう。

 私は一つ深呼吸をしてから、ドクドクと騒がしい心臓の音を感じながら、彼の眼を見つめ返した。


「フォルク殿下も、今夜はまた違った雰囲気で……その、一段とお麗しいです」

「ありがとう。これなら僕も、君の隣に並んでも恥ずかしくないかな?」

「で、殿下がお召しになるのでしたら、例えどのような衣装でも恥ずかしくなどありません! 仮に見知らぬ異国の装束であったとしても、殿下なら完璧に着こなせるはずですから!」

「ははっ、褒め殺しが凄いな。君にそこまで言ってもらえると、僕もようやく自信を持てるよ。……さあ、ヴィオ。お手をどうぞ?」

「……はい、殿下」


 そうして私は彼に差し出された手を取って、二人でパーティー会場へと向かった。


 こうして殿下とパーティーに出るのは、数年振りだ。

 確か前回は、アカデミー入学前……フォルク殿下の誕生日パーティーの時だった。

 あの時には、殿下の弟君に初めてお会いして……ううん、今は目の前の卒業パーティーのダンスの方に集中しないといけないわ!

 殿下のパートナーにしてもらったんだもの。私がステップを間違えたりしたら、愛しの殿下に恥をかかせてしまう事になる……!


 今夜はダンスホールとなる講堂には、最初の曲が始まるのを今か今かと待ち構えているペアで溢れ返っていた。

 そこへ足を踏み入れた途端、女子達の誰もがフォルク殿下に視線を奪われていた。私はそのまま殿下にエスコートされ、生徒達は海が割れるように私達に道を開け、フロアの中央へと導かれる。

 これぞ皇族のロイヤルパワーと言うべきか。本当に私のような元平民が、こんなに素敵な男性のパートナーになって良かったのかしら……?


「さあヴィオ、最初の曲が始まるよ。余計な事は考えないで、純粋にダンスを楽しもう」

「そ、そうは言っても……さっきから周囲の視線が気になって、それどころではないのですが……!」

「それじゃあ……」


 と、殿下が私の耳元でそっと囁いた。


「今は、僕の事だけを考えて。周りの事も、今は全てを忘れて……僕だけを見ていれば良い」

「は……はいっ!」


 そんな事を言われてしまえば、単純すぎる私の頭は、すぐさまフォルク殿下の事だけでいっぱいになってしまう。

 私をよく知る幼馴染である優しい彼の事だから、こうすれば私が上手く踊れるようになると分かっているのだ。


 今夜はただ、私は殿下と踊る。


 それだけで思考を全て満たして、彼の吸い込まれそうな深い真紅の瞳を真近で見詰め……音楽が始まった。



 私は決意を新たにしながらパーティーに臨み、連日友人達に付き合ってもらったダンスの特訓の成果を披露する。

 結果として私はどうにか上手く踊る事が出来て、殿下と楽しい一時を過ごす事が出来たのだった。

 老齢であるバルドールお義父様は「若者だけで楽しんできなさい」とダンスには参加せず、私達二人が踊る様子を見ており、後で挨拶に行ったら笑顔で褒めて下さった。

 私とお義父様は、親子というより祖父と孫ぐらいの年齢差なので、孫の晴れ姿を見て喜んでいるような心境なのかもしれない。



 ……そして私の予想通り、パーティーの後でフォルク殿下に告白されるなんて事は無かった!


 私の友人達はそれを聞いてとても残念そうにしていたものの、殿下が私なんかを好きになったその日には、きっと世界が終わるに違いないだろう。

 今はただ、殿下と過ごしたこの夜の思い出を、大切に胸に仕舞うのだった。

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