20 再ラブコメの定番と建前と本音

 


 食堂はエリンが行ったことのある昼間の光景と違った。お酒を飲む客も多いからガヤガヤと盛り上がっている。商人や騎士が多いようだ。


 二人は端の二人掛けの席に通されて、リュドヴィックは座った後もちらちらと周りを見ている。


「リュドは何を飲む?あ、ここのハーブ焼き美味しいんだよね」


 エリンが持つメニューが書かれた紙を、リュドヴィックは覗き込んだ。


「ここは勝手に食事は出てこないわ。好きな物を注文をする。私が人気メニューをいくつか頼むから他に気になるのがあればリュドも頼めばいいわ。お酒は飲む?」


「ワインを頼む」


 ほどなくしてワインと食事が並べられた。

 ここの人気メニューだという串焼きの魚などリュドヴィックは食べたことがない。


「串を手に持って、それで歯でグイッといくの」


 エリンが魚に噛み付くと、リュドヴィックも真似してかぶりついた。香ばしい皮がパリッと音を立てると、中からふわふわの身がこぼれてくる。


「うまい」


「気に入ったなら今度家でも出すわ。ルロワの魚は美味しいわよ」


 彼が島に来てからの食事はルロワ家で考えられる限りお上品なものにしていた。

 だからルロワの飲食店にも行ったことはない。こんな風に平民に混じっての食事は初めてに違いなかった。

 リュドヴィックがソワソワと嬉しそうにしているのを見ると、ルロワの飲食店にも連れていってあげようとエリンは決めた。


「これは意外とワインとも合う」


「これも美味しいから食べてみて」


「うん」


 リュドヴィックはどの料理も興味津々といった様子でエリンに勧められるがまま平らげていく。見ていて気持ちのいい食べっぷりだ。


(やっぱりリュドは素直で何でも受け入れることができる)


 気づけばワインを二本は開けているし、気になったメニューを次から次へと頼むので節約家としては止めたくもなったが、あまりにも楽しそうなリュドヴィックを見ると「いくらでも食べて」と言いたくなる。


「まあ祝杯と、初めての食堂記念だね」


 エリンが呟くと、リュドヴィックが三本目のワインを注文しているところだった。注文するのも楽しいらしい。


「……お酒飲みすぎじゃない?」


 十八から飲酒は認められているけれど、もう三本目なのだ。エリンも二杯分ほどはもらったが、ほとんどリュドヴィックが一人で飲んでいる。


「いつもは好きなだけ飲めなかったからな。頼めば頼む分だけ飲めるというのは嬉しい」


「頼めば頼むぶんだけお金はかかりますからね」


 エリンはさすがに注意をすることにした。


「それにしてもお酒強いんだね」


 目の前でグラスを傾けているリュドヴィックは顔色も変わらない。酔っ払ってふにゃふにゃになるんじゃないかとエリンは予想していた、意外だ。


「酒や毒の耐性はそれなりにある」


「ふうん」


 だけど酔っているからなのか、ただ浮かれているのか。リュドヴィックはいつもより饒舌で声も弾んでいる。


「サイラスが元気でよかった」


「リュドの言う通り真面目な人だったわね」


「未だに僕に忠誠を誓ってくれているとは思わなかった。明日エルヴィスとイーデンに会えるのも楽しみだ。元気にしているといいんだが」


「返事では元気そうだったんでしょう」


「治療が終わり環境も変わったばかりで忙しいと言っていた」


「二人はどんな人なの?」


 その質問待ってましたと言わんばかりにリュドヴィックはニコニコしながら語り始めた。やはり少しは酔っているのだろう、ここまでご機嫌なのは初めてだ。


「エルヴィスは僕の一番近しい友だ。シャリーと僕と三人は幼い頃から一緒にいて兄弟のようなものだ。僕が王になり、シャリーが王妃、そしてエルヴィスが宰相になってこの国をよりよくしようと決めていた」


「それは……すごい立派な夢を持つ子供たちね」


「そうなるために生まれてきたからな。努力するのは大変だったが、彼らが同じく努力する姿に励まされたものだよ」


 エリンは三人の絆を感じて……その気持ちをグラスに残ったワインで一気に流し込んだ。


「エルヴィスがどうしているか心配していたんだ。無事に公爵家を継げるならよかった。エルヴィスならレオナーのことも支えてくれるだろう」


 王位継承権を持つ弟のことを思い出しリュドヴィックの笑顔が切ないものに変わったから「じゃあもう一人のイーデンは?」とエリンは質問した。


「イーデンは、サイラスとはまた違った真面目な男だ。生徒会長で教師、人を導くことができる熱い男だ」


「明日の二人との面会が楽しみね」


 リュドヴィックは機嫌よくワインを注ごうとして空になっていることに気づき、店員を呼び止める。


「それで最後だからね。我が家はお金ありませんので」





 ・・



「おい、大丈夫か」


「ふぁい、ふぁいふぉうふ」


 明日は大事な交渉があるというのに、機嫌よく四本ワインを空けてしまった。リュドヴィックにとっては水と変わりないけれどエリンは四杯で酔っぱらってしまった。リュドヴィックはエリンは酒に強いと勝手に思い込んでいたから、ふにゃふにゃエリンは意外だった。


「まったく……」


 小さな悪態をつきリュドヴィックはエリンの手を引いてやりながら宿まで歩いていく。夜も深くなってきたが、街並みは変わらず明るい。涼しい風が火照った頬を撫でていく。


「僕がいなくなっても王都は明るい」


 王子がいなくなる。それは国が揺らぐような大きなことだ。

 でも、変わりなく。誰も王子がここにいるとは気づかずに、人も時も流れていく。


「はあきもちひひー」


 感傷に浸っていたリュドヴィックを気を抜けた声が壊していく。

 気付けばルロワ島に渡ってからは気が重くなる暇もなかった。


「おおっとっと〜」


 よろめいたエリンがリュドヴィックの腕をぎゅっと掴む。そのままリュドヴィックに体重をかけてずりずりと歩いていく。


「ほらしっかり歩け」


「んー」


 ぴったりとくっついた身体は柔らかく落ち着かない。リュドヴィックは歩みを早めて荷物をひきずるようにエリンを誘導し、二人の部屋に入っていった。


「あーベッドだー」


 部屋に入るなりベッドを見つけてエリンは嬉しそうな声を出す。


「君は本当に眠ることが好きだな」


 リュドヴィックは嫌味を言って小さく笑ったが、エリンはリュドヴィックの腕をしっかりつかんだままベッドに飛び込んだ。


「おい――うわっ」


 エリンの身体が先にベッドに仰向けに着地して、その上になだれ込むようにリュドヴィックがかぶさった。


「おい!」


 リュドヴィックは慌てて体勢を起こそうとするが、エリンは右腕を離さない。なんとか左腕で身体を持ち上げ顔を起こすと……至近距離にエリンの顔がある。完全に、押し倒してキスする数秒前の姿勢である。

 エリンの瞳はワインのせいで濡れていて、リュドヴィックをゆらりと見つめている。


「エリン」


 リュドヴィックはどうしていいかわからず、エリンの名前を呼んでみた。


 こんな時に思ってしまうのも癪だが――可愛い。仕方ない。ワインのせいだ。

 リュドヴィックの気も大きくなっているし、頬が赤く潤んだ瞳の女――いや妻なのだ――が、自分のほんのすぐ下にいるのだから。心臓が音を立てるのも仕方ない。リュドヴィックは心拍数があがった言い訳を並べた。

 妻だから……いいのでは?――いや、さすがにこの状況では「ナシ」だろう。何を考えているんだ。


 頭の中はバタバタと大忙しのリュドヴィックの動揺をよそに、エリンは右腕を離したかと思うと、両腕でリュドヴィックの身体を捕らえてそのまま引き寄せて……リュドヴィックは思いっきり抱きしめられる形になった。


「エ、エリン!?」


 エリンの腕がリュドヴィックの首にしっかりからみついている。リュドヴィックの顔はエリンの肩に押し付けられていて彼女の表情は見えない。


 まさか、そういうことなのだろうか。だから、あえて宿を一部屋にして……!?酔っ払ったという言い訳で僕と――!?


 そんな風にぐるぐると頭の中で考え続けるのは、何も考えてないければ彼女の柔らかさに意識が向いてしまうからだ。

 自分の身体にぴったりとエリンの胸はくっついているし、顔はすぐ隣にあってリュドヴィックの首筋には熱い息がかかる。そして首に腕が絡まって……う、ううわわわわわ。


(いや、でも僕は王になる男だったんだ。男として期待にこたえるしかない)


「エリン」


 リュドヴィックは学園にいた頃のプリンスボイスを出してみた。返事はない。


「エリン、腕をゆるめてくれる?顔を見せて」


 優しい声を出してみるけれど、エリンの腕は全くゆるまらない。いや、それどころか苦しいくらいぎゅうぎゅうゴリゴリと締まっていく。この女、島育ち、ルロワの女である。力が本当に強い。


「恥ずかしがっているのか……いでででで」


「大好きだよ」


 腕の力からは信じられないほど耳元で甘い声が聞こえて、今度こそリュドヴィックは大声で叫びそうになった。


「大好きだよマシュー、よしよし」


「……まあそんなことだろうと思ったよ」


 腕がゆるんだかと思うとエリンはむにゃむにゃ言いながらリュドヴィックの頭をぐりぐりと撫でている。撫でるというより押しつぶしているが。


「へへ」


 照れていた自分が馬鹿らしくなってきたリュドヴィックはもうされるがままで抵抗しなかった。


「首を絞められないだけマシだからな」


 半分寝ぼけているエリンにそんな建前など届かないのだが。


 自分がいなくなっても変わらない王都の夜、今はこの体温から離れたくないのが本音だった。


(酒が入っているから瞼が重い。それに今日はドラゴンに乗って二時間も空にいたんだ。

 だから……もうベッドから立ち上がる元気がないんだ)


 リュドヴィックは言い訳を増やしながら、エリンに頭を撫でられるまま瞼を閉じた。



 ――翌日待ち受けていることなど知らず。

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