波止場条約

広川アサ

第一話 彩とりどり

最初は分からなかった。

人はどうして嗤うのか。

どうして傷つけるのか。

どうして悪者を作るのか。

どうして蹂躙に気づかないのか。


どうして私はいじめられるのか。



その答えは特に何かしらの理屈があった訳でもない。運命的で、ドラマチックな由縁によるものでもない。

ただ周りから見て私が「変」だったからだそうだ。

いじめがいつから始まったのかは分からない。私の何がそうさせたのかも全く分からない。気がついたら、何故か周りが全員遠くにいただけだった。

私は空気だったし、その辺の埃だった。いつの間にかそれが当たり前になっていて、日常になっていった。みんな遠くで私を可哀想だと言った。

私は自分自身が傷ついているか否かが分からなかった。

身体が痛い。時間が怖い。それすら処か他人事のようだった。私は思考を空中に彷徨わせて、終わりを待つだけだった。


「変」というものが一体何を基準にして言われるのか、分からない。

だから、何でいじめられているのかなんて、分かるはずもない。私には、彼女たちの言う「変」がどんなものか、分からない。

とはいえ、分からないからと言って、なにもせずにいることはできなかった。

流行りの服、みんな持っているようなカワイイ小物。好きでもないのに必死に集めた。

身の程知らずだと言われ、そうして身につけた物は全てボロ雑巾に変わってしまった。

そんなことは所詮過ぎ去った過去だ。それでも、私の中には永遠に残り続ける記憶。どこに行っても、どうせ繰り返されるのかもしれない。また、同じように。



雪は薄暗い部屋でベッドに腰掛けていた。

別段何かをするわけでもなく、陰った壁を眺めているだけだ。

過去がどうしようもなく思い出されるとき、雪はいつもぼんやりとして、世界から一人だけ切り離されたように感じる。

高校生になるこの春。彼女は薄いカーテンを引いて、電気もつけずに、ただ、窓の外からやってくるそよ風に身をさらしていた。

雪の存在を肯定するように、風が彼女の長い黒髪を撫でる。

しかし、そんな世界の優しさすらどうでも良くなるくらいに、黒くざらついた感情が燻っている。

「……やめよう、もう。」

脳みその中の電源が切られ、雪はそのままベッドに倒れこんだ。

天井に映った光が、カーテンが揺れるのにあわせて行ったり来たりしている。

雪は、ずっとこうやっていたいなあ、とまどろみに身を委ねる。

高校生になることは、嬉しいことなのかも知れない。何故なら、私はもう彼女たちに会わなくて済むから。

しかし、どうだろう。私は周りから見て変ではないだろうか?自然に振る舞えているだろうか?

考えれば考えるほど、たまらなく怖くなってくる。

仮に今、自然に振る舞えていたとして、新しい環境で同じようにできるとは限らない。雪はいじめられることよりも、人から見ておかしいと思われることが怖くなっていた。

入学式は、もう目と鼻の先にある。雪はなるべくその事を考えてはいけないような気がして、布団に顔をうずめた。




親には、入学式は一人で行くと伝えておいた。

親はそれで了承してくれた。高校生になっても親が入学式に行くなんて……とのことだった。

開会式の15分前、9時15分を針が指していることを確認して、更科高校の体育館に足を踏み入れる。受付を通り、会場に入ると、すでに何人かの生徒が座っていて、着なれない制服の中で身を固めていた。

私はなるべく音を立てないように1年5組の9席に腰掛けた。辺りは粛々とした雰囲気で、物音一つすら許されないような感じだ。

じっと座って待っていると、自分の髪型や顔が変でないか、気になってくる。

雪は前の方の座席なので、全体の様子は分からなかったが、徐々に人が集まってきていることはなんとなく察せられた。

しばらくして、進行の先生がマイクの前に立った。ようやく入学式が始まるようだ。


「1年5組の担任になりました、宮原といいます。これからよろしくお願いします……!」

入学式が終わると、1年5組の教室に連れてこられた。席に着いた私たち生徒に、柔和な顔つきの女性の先生が挨拶をした。

拍手などはなく、全員黙って頭だけを下げる。周りに倣って雪もそうする。

「え~、まずはせっかくの機会だし、自己紹介をしましょうか!」

自己紹介、という言葉にクラスは若干ざわついた。その様子に先生は少しほっとしたようで、さっきよりも柔らかな声色で「じゃあ、名前と出身の中学校と趣味を言いましょう!」と言った。

雪は趣味を何と言うべきか分からなかったが、音楽を聴くことが好きなので、それを言うことにした。

音楽は関心を持たれやすい分野だし、これなら「変」ではないだろう。 

自己紹介が始まったが、他の人の話をまともに聞いている余裕はない。雪は何度も内容を心の中で繰り返す。心臓がざわつき、じっとしていられない。彼女は汗ばんだ手を組み直しながら、「9席の人」と呼ばれるのを待った。


「じゃあ、次は9席の人かな? 小倉さん、どうぞ~」

雪は早く終わらせたかった。すっと立ち上がると、教壇に上がって周りを見渡した。

緊張はするが、所詮全員同じ気持ちでいるのだ。そして私の話など聞いていない。

「東ヶ浦中学校出身の、小倉雪です。趣味は音楽を聴くことです。よろしくお願いします」

予想通り、上の空な拍手がパラパラと聞こえる。雪は拍手を聞き流しながら席に戻った。

まだ心臓はドクドクとはやっている。

次の人が来ても、その次の人が来ても、内容が全く頭に入ってこなかった。

しかしその時。

見覚えのあるシルエットが壇上に上がった。

雪の心臓は、突然、さっきよりも激しく波打ちはじめ、息は苦しくなってくる。唇から血の気が引いていくのが分かった。

茶色いストレートの髪を後ろでくくったその女子は、かつて雪の心を何度も何度も切り刻んだ、「彼女たち」の主犯格に酷似していた。

垂れ下がった目とは裏腹に、短くつり上がった濃い眉。ただそこにいるだけで大いに存在感を放ち、複数の人間を従えていた支配者。それが今、ここに居るなんて。

雪はその口が自分と同じ、「東ヶ浦中学校」と言うのではないか、と目をそらせなかった。しかし、

「墨田中学校出身、上谷明日華です」

雪とは全く違う中学名を言った。

容貌は確かに、あのいじめの主犯格と一致するのだ。

雪は心が追いつかなかった。

こんなこともあるのか?

いや、実は嘘を言っているんじゃないか?

ぐるぐると考えているうちに、次の人に移ってしまっていた。

 

帰り道、雪の脳内には明日華の影がちらついていた。

本当に他人の空似だったとして、これからどうやって接すればいいのか分からない。

彼女に罪はないが、仮に関わるとしてどうにも上手く笑えない気がする。まずまともに話すことなんてできるだろうか?

「はぁ……」

これからのことを考えると更に億劫な気持ちになってきた。

あの上谷明日華が、華やかな雰囲気を放つ女子達の輪の中心で笑う様子が思い浮かぶ。廊下でも一番中心にいて、マフィアのように練り歩くのだろう。

最悪だ。また「変」だと忌み嫌われて、いじめられるのだろうか。

「なぁなぁ」

ため息をつくや否や、不意に誰かが雪の肩口をつついた。ついビクッと驚きつつも振り返ってみる。

「は、はい……?」

するとそこには、あの「上谷明日華」がいた。

さぁっと身体が冷たくなる。寒くないはずなのに、背中が凍りつくように熱を失っていき、足が震えはじめる。

「え……えと」

あーあ、目をつけられてしまった、と何処かで終わりを悟った自分がいた。

ところが、

「あのさ、一緒に帰ってもいいかな……?」

一緒、頭が真っ白になる。発せられた言葉が理解できなかった。

「友達いなくてさ、何て言うか……あ、急にごめんな! 嫌だったら別によくて、えと」

これが、上谷明日華なのか?

思っていたよりもずっと感じが良く、いじめをするタイプには思えない話し方だ。見た目と態度の差異に雪は戸惑う。

「あ……いや、驚いただけです、あの、嫌とかではなくて」

さっきまで嫌がっていたのが嘘のようにそう答えていた。

「あ、じゃあ一緒に帰ろ……!」

明日華は安堵したようにはにかんだ。雪はそんな彼女を信じられない気持ちで見ていた。

顔こそ似ているが、振る舞いがあの支配者とは全く違う。やっぱり本当に二人は別人なのか…

二人で並んで歩きだした時、明日華はふと思い立ったように言った。

「あ、あとお互いよく知らない部分だらけだし、ちょっと公園にでも寄って話さない? や、よかったらでいいんだけど……」

雪はもう恐怖はなかった。自分もそうしたいと伝えると、明日華はあの陰湿な笑みではなく、太陽のようにからっとした笑顔をした。

まさか、上谷明日華と帰路を共にすることになるとは。

 

しばらくして、つつじ公園に着いた。道中はお互いの名前、好きなものや、家族について語り合った。

公園は丘の上にあって、町を眺望できる東屋が休憩場所だ。

二人はその東屋のベンチに腰を下ろした。ほんのりと色づいた空が町を優しく包みこむ。

「いやぁ、疲れたなあ」

明日華はうーんっ、と伸びをした。

春の柔らかな風が吹いてきた。初対面のはずなのに、不思議と落ち着いてしまう空気があった。

「付き合わせてごめんなー、この後何か予定ある?」

私は、首を横に振った。

「予定はないし、誘ってくれてちょっと嬉しかった。……予想外でびっくりしたけど」

明日華は「そっかそっか」とカラカラ笑う。

「てかさ、雪ちゃんはどこ中出身だっけ?」

胸の奥がチリッと痛む。

「……私は東ヶ浦だよ」

明日華はへぇーっ! とのけ反った。

「東ヶ浦って、荒れてるらしいじゃん、え、実際そうだったの……?」

明日華は雪がいじめられていたことを知らない。しかし、触れづらい話題であることに変わりはない。雪は明日華の目を見ることができなかった。

「……うん、荒れてたんだと思う。知らないけど」

そっかぁ、と明日華は視線を落とす。

あまり踏み込んで欲しくない話題であるにも関わらず、明日華は続ける。

「いじめとかもあったの?」

「さあ。多分あったんじゃないかな」

ため息が出そうになるのをぐっと堪える。感情を殺すのはお手のものだ。雪は静かに次の言葉を待った。

「結局、そうなんだ」

え、と明日華の方を見ると、暗く光を失った瞳が前方をじっと見つめていた。ちょうど、雪が過去を思い出す時と同じように。

「結局、どこにいってもあるのか、そういうこと」

それから、彼女は一つ息をついて言った。

「私ね、いじめられてたんだ。昔」


明日華は絵が大好きな少女だった。白い画用紙の上は自由な世界で、彼女が何を書こうが、ありのままに受け止めてくれた。

明日華の絵は決して上手くはなかった。しかし、彼女にとって絵を描くことが一つの居場所だったことは間違いない。

小学生五年生になった頃、明日華は友達を作れずにいた。というよりも、作らずにいた。何故なら、明日華にとって、クラスメイトと関わるよりも、絵の世界に没頭することの方が楽しかったからだ。彼女は自ら話すことはせずに、話しかけられたら話すといった具合で、クラスメイトとは壁があった。

そんな明日華の態度を「傲慢だ」と思う者もいた。それが、彼女をいじめた主犯格の女の子だった。

初めは陰口を言われる程度だった。

「なんだよ、あいつ。私らが話しかけるまで話さないとか、お嬢様気取りかよ」

「てか、ああいう協調性がなくて、好き勝手やってるやつに何で話しかけなきゃなんねぇんだよ」

どうやら、担任の先生から、明日華と仲良くしてやってくれ、と言われていたようで、その子は人一倍責任感が強い子だったので、先生の言葉は絶対だと思い込んでいたらしい。

せっかく話しかけても、感謝すら見せずに絵を描き続ける明日華は、確かに「傲慢」に映っていたかもしれない。

しかし、明日華はそんなことは知らず、クラスメイトに話しかけられたい訳でもなかったため、感謝などするはずもない。

陰口の次は、蹴る殴るなどの暴力だった。

「おい、人が話しかけてやってるんだ。ちょっとは感謝しろよ、カス」

初めは椅子の脚を蹴られる程度だったが、いつからか身体への暴力に転じていた。

明日華の方も苛立っていた。一体何を感謝しなければいけないのだろうか。勝手にイライラして、何がしたいんだろう、この人達は。

しかし、やはり1対5では気を強く保つことはできなくなっていった。

初めは反抗的なことを思っていた明日華だったが、いじめが激化するにつれ、きっと自分が悪かったのだ、と諦めにも似た自責の念にかられるようになった。

弱った明日華をみても、主犯格は当然の報いだと思い、明日華を悪人扱いし、苦痛を与え続けた。

「見ろよ、こいつ何か、書いてんぞ」

ある日、いつものように絵を描いていると、知らない男子がやってきて、明日華の絵を指差した。

「うわっ、なんだこれ! キモっ!」

男子3人は明日華の絵を見ると、後方に飛び退き、キモいキモいと笑っていた。 

明日華は呆然とした。絵を描くことは彼女にとっては、身体の一部のようなものだった。確かに上手くないが、そんな風に馬鹿にされる筋合いもない、と次第に明日華の中には、ふつふつと怒りがこみ上げてきた。

ただの怒りではない。黒々として、どこか悲痛な怒りだった。

それは一瞬のことだ。明日華の右手は自然と固く握られていた。身体が席を立ったかと思うと、拳が空を切って一人の顔をへこませた。

「う、うわぁあああっ」

その男子の顔は赤く腫れ、口を切ったのか、血が垂れていた。

明日華は自身に驚くと同時に、妙に冷静だった。

教室は静まり返り、殴られた男子の情けないしゃくり声のみが響いている。そんな中、明日華は一人、いつもの女子の方を振り返り、そして歩いていく。

彼女たちは、ひっ、と後ずさりする。明日華はポケットに片手を突っ込み、主犯格の女子に顔だけを近づけた。

「かかって来いよ。お前らも」

明日華自身ですら聞いたことのない、低く、どす黒い声が漏れた。



雪は固唾を飲んで、明日華の話に聞き入っていた。

「そっからいじめはなかったよ。みんなビビって私に近づかなかった。見た目も変えたしね。髪ボサボサさせて、ビクビクしてるからいじめられてたところもあると思うな」

夕日はさっきよりも傾き、雪たちを鮮やかに照らしていた。

明日華にそんな過去があったなんて、知らなかった。雪は、明日華の横顔を見上げる。そして、何も言えなかった。

「わたしさ、今回のクラスにも溶け込めそうにないんだよね。だから……よかったら、これからもよろしく」

こちらを向いた彼女の瞳は、世界のどんなものよりも美しかった。



私は小倉雪。現在高校二年生だ。

今日は親友の明日華と一緒に買い物に出かけている。

「雪はやっぱり『紫式部』買うん?」

「うーん、そうだなぁ……式部もいいけど、やっぱり『夕陽』が気に入ったかな」

「いいねぇ……! いやぁでも、ここやっぱり都会なだけあって、品数多いなぁ……決めらんないわ」

贅沢な悩みだね、それ、と私は笑う。明日華は、穴が空いてしまうくらい、コンテの箱をじっと見つめている。

私たちは文房具店に来ていた。私は万年筆のインクを、明日華はアクリル画に使うコンテを、それぞれ選んでいる。

私は、小説を書くことは「変」なことだと思っていた。でも、やっぱり「変」なんて分からない。逆も然りで、「普通」なんて分からない。私はもしかしたら、「変」なままなのかもしれない。

でも、それが何だというのだろう。私は私で、それ以外の何者でもない。変人だろうが構わない。だってそれが私だから。そう思わせてくれたのは──

「おーい、早くしないと置いてくぞー」

私は思わずくすっと笑う。


これからは、私を私でいさせてくれる場所を探したいから。


「まってよ! すぐ行くから!」

私は、『夕陽』をしっかりと握りしめ、明日華の方へと走りだした。

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