かけっこ

小狸

短編

 徒競走では、いつも最下位だった。


 一生懸命がむしゃらに走って、それなりに進んでいるのに、周りの皆はぼくよりも先に行っている。


 走り方を先生に教えてもらっても駄目なのだ。


 いざ笛のが鳴り、いっせーので走り出すと、必ずぼくは、置いて行かれる。


 待ってくれ、と思う。


 思うだけで、言いはしない。


 走り出している人に何を言ったところで、大概通じはしない。風を切っていて聞こえ辛いということもあるのだろう。


 それに、ぼくが何を言ったところで――例えばその場で癇癪かんしゃくを起こしたところで、誰も待ってはくれないだろう。


 それだけは分かる。


 だから、遠くなってゆく皆を見ながら、ぼくは走る。


 足を、前に、出す。


 もう一方の、足を出す。


 ふと、思う。


 それだけの動作なのに、どうしてここまで差が付くのだろう。


 体格差だろうか。


 学習能力の差だろうか。


 経験の差だろうか。


 分からない。


 分からないけれど、手を伸ばす。


 その行為は、走ることとは関係ない、無意味である。


 待って――と言おうとして、せた。


 ダッシュが難しくなったので、ぺースを落とした。

 

 呼吸を落ち着かせて、走りを再開させる頃には、皆は遥か遠くに行ってしまっている。


 ゴールテープは、どこにあるのだろう。


 先を見ても、白くぼやけているだけで、何も見えない。


 気付けばぼくは、独りぼっちになっていた。


 また独りだと思った。


 走るのをやめようか、と。


 そんな考えが、頭を過った。


 どうせ誰も見ていない。


 どうせ誰も自分のことなど気にしていない。


 一位も二位も三位も決まっている。


 ぼくは、その序列の中にすら入ることができない。



 良いじゃないか――やめても。


 そう思うと、足取りが徐々に重くなっていった。


 人々は口々に、そして無責任に言う。


「がんばれ」


「がんばれ」


「がんばれ」


「がんばれ」


「がんばれ」


「がんばれ」


「がんばれ」


「がんばれ」


「がんばれ」


「がんばれ」


「がんばれ」


「がんばれ」


「がんばれ」


 そんな言葉たちが、背中に刺さった。


 散々がんばっているじゃないか。


 皆と同じように、皆に並ぶように、皆を壊さないように、努めているじゃないか。


 これ以上何をがんばれというのか。


 ぼくがやっていることは、「がんば」るに、含まれないのか?

 

 心が壊れても、身体が壊れても、がんばれ?


 それがこの世の中の、正解なのか。


 模範解答こたえなのか。


 だったら、それなら。


 そんな世界なら。


 ああ、もう。

 

 良いかな。


 ここで、終わりで良いかな。


 そんな風に思って、ぼくは、立ち止まった。


 右の足を前に出すのを、やめ――。




「がんばったね」




 ――


 


 無理な体勢を取ったので、身体から嫌な音がした。


 幻聴かもしれない。


 今だって、ぼくの背中からは、雨の日の田んぼのかえるのように「がんばれ」の輪唱が聞こえてくる。


 でも。


 それでも。


 ぼくを見ていてくれる人は、いる。


 応援してくれる人は、いるんだ。


 それなら。


 まだ、がんばれる。


 ぼくは、終わりの見えないトラックを、再び走り出した。


 醜く、生き汚く、泥臭く、汗臭くて。


 そんな自分でも、良いのなら。


 もう少しだけ走ろうと、ぼくは思った。




(了)

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かけっこ 小狸 @segen_gen

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