静かなる報復

マツゴロウ

第1話

昭和から平成に移り変わる時代。

一人のカメラマンが裏組織の抗争に巻き込まれ、組織に戦いを挑んで行く………


…静かなる報復


夕暮れの日高山脈


十勝の秋の日没は早い

10月の中旬を過ぎると四時には太陽も日高山脈の向こうに沈む準備を始める。

広大な畑も収穫が終わり、金色に輝くカラマツの防風林に囲まれた畑の中に

動く影はない。

その畑にランクルを乗り入れ、脇に三脚を立てカメラを構えているのは吉村 巧42歳

地元のフリーカメラマンだ。

普段はクライアントの依頼を受けあらゆる被写体の撮影をするのだが、

例年、この時期は依頼も少ないので、趣味の風景撮影に没等する日が多い。

この場所を選んだのは、丘陵地帯を掘り下げた高速道路が走り、

その脇に保守道路兼農道をクネクネと曲がりながら1キロメートルほど進むと

一般人が立ち入らない畑に出る。

そこは日高山脈に向けて人工物は防風林だけだからだ。


数年前に高速道路公団からの依頼の撮影でこの場所を知った。


更に保守道路から急勾配の坂を3mほど登ると畑があり、更に20メートルも進むと

高速道路を走る車の音もほとんど聞こえないこの場所が気に入っていた。

以来この季節になるとここを拠点にした写真を撮ってきた。


電話一本でクライアントの依頼に応えて仕事に追われる日々の息抜きなのである。


この数年、電話事情も変化がありポケットベルから肩に下げるショルダー型の移動電話が出回り始めた。

巧はまだ高価で手が出ないので相変わらずポケベルを使っているが、

休日は電源を入れない様にしている。


狙う風景の瞬間迄は少し間があるので、ランクルのシートを傾けタバコに火をつけ、

膝丈のカーキ色のコートの襟を立てた。

寒さに慣れないこの季節の風はしみる。

深く吸い込んだ煙を大きく吐き出すし、頭をあげ筋状の雲が朱色に染まり始めた山並みに目をやる。

そろそろかな…と体を起こし、タバコの火を灰皿に押し付けランクルから

足を下ろしかけた時、急に背後にエンジン音が響いた。


エンジン音はすぐ下の農道兼高速道路管理道から聞こえてきた。

1台…2台…3台…大排気量の唸るような重低音に続き、乾いたジーゼル音。

更に音だけ勇ましい改造マフラーの安っぽい車が続く…

保守道路から3メートルほど高く更に畑に20メートル程入った場所なので

巧のいる場所から車はみえない。

地主の了解を得ていない不法侵入に少し動揺しながら車を降り、

カメラに手を載せた。

秋起こしの終わった畑は編上げブーツのくるぶしまで埋まる。

カメラに向かったのは撮影の為…という体裁…言い訳の為だ。


高級車の重たいドアの開閉音に重なるように忙しくドアの音と人の声。

三脚の一本をまたぎ、体を夕陽に向け、顔だけを見えない道路下に向け、神経を集中する。


声を張り上げた怒鳴り声と怯えたが涙声が響く…

何か殺気立った空気に巧の体は固まったまま動けない。

体の自由が解けたのは涙声が、悲鳴の様な叫び声に変わった瞬間だった。

三脚の背後に飛び跳ねる様にぬかるんだ畑に体を張り付けた。


巧は高校を出た後、自衛隊に入隊し33歳、一曹で退職した。

その訓練の経験と 習慣が体を動かしたのだ。

道路下の怒号と悲鳴は治まる様子はない。


巧は手足を使って秋起こしの終わった畑の畝に腹ばいになり、

匍匐前進でランクルの下にスルスルと潜り込む。


暴力団の揉め事…?!

関わりたくないが、何が起きてるのか………悲鳴の主のことが気にかかる。


緊張感は緩んでいた筋肉と神経を引き締め、先ほどまでのノンビリと景色を眺めていた巧から、吉村一曹の目に変っていた。

顔に土を塗り 被っていたハンチングの鍔を後ろに回し、周囲の地形を観察する。

ランクルの下から這い出ると、少し下りの傾斜の先の枯れ草が切れている箇所を

目指し匍匐前進を始めた。距離は20メートル……

サラリーマン自衛官を自負し、有事の際は一番先に逃げ出しそう…

と友人から揶揄されながらも、長年の訓練は頭の先から足先まで染み付いていた。

野戦訓練とは全く違う緊張感、そして充足感が湧き出るのを感じながら、

自分を中心に半径100メートル周辺の地形を俯瞰するイメージを頭の中で描く。

道路が見下ろせる位置まで進み、少し薄暗くなってきた畑脇の枯れ草の切れ目から少しずつ視線を上げ車の配置や人の気配を感じその俯瞰図に配置する。


先頭の車は黒塗りのベンツ。大阪ナンバーだ。

運転席のドアが開いている。重いドアが閉まった音からすると

最低でも2人車に乗っていた様だ。

その後ろにリアゲートが上がった白のワゴン車で横浜ナンバー。

社名はないが、かなり使い込まれたエンジンはガラガラとうるさい音を立てている。

3台目は白のクラウンは年式はかなり古い。ベンツと同じ大阪ナンバー。

トランクに腰をかけ、使いパシリ風の2人は凄惨な現場に慣れないていない様で

落ち着かない目で成り行きを見ている。

原色の安っぽいスゥエットが夕陽の中で燻んで見える。

車高を落とし、若者の改造車らしくシンだけを抜いたマフラーが

威勢のいい音をたてている。


ワゴン車の右後輪のところに紺色のWのスーツを着た男と白のパーカーを着た男が

後ろ手に縛られ、エビゾって横たわっていた。

パーカーの男が悲鳴の主だろうか?

目も顔も腫れ上がり口から溢れる血で咳き込んでいる。

Wのスーツの男もやはり口から血を流していた。

その2人を囲む様に黒いスーツ姿の3人が拳銃をチラつかせながら低い声や金切り声で脅しているようだが、ワゴン車とクラウンのエンジン音で聞こえない。

巧に背を向けた黒服の一人が苛立つ様に拘束された男達に銃口に向け水平に腕を振った。

車の騒音にパスパスと篭った音が混じる…同時にそれまで聞こえていた呻き声が止まった。

パーカーの男は顔を撃たれ、もたれ掛かっていたワゴン車のボディに

血飛沫を残して地面に横たわり、スーツの男は胸を打たれ頭を前に垂れ下げ動かない。

撃った銃は分からないがサイレンサー付きの様だ。


この発砲には他の黒服の二人も驚いた様で駆け寄り撃った男の腕を引き後ろに下がらせ、言

嗜めるが撃った男は興奮した身振りで更に撃とうとするが腕を取られて進めない。

撃った黒服は手を振り払うと呆然と立ち竦む若い二人の方に向かい何か怒鳴る。

怒鳴られ慌てた2人は、何をどうしていいのか分からずオロオロと右往左往する。

撃った男は気が短い様で、何かを聴き出すつもりが撃ってしまった事に

苛立つ様にタバコとライターを取り出し火をつけるが手の震えが止まらず

ライターに火がつかない。

スエットの一人が駆け寄りすかさずライターに火をつけ炎を手で隠す様に差し出すが

払いのけタバコを捨てた。


他の黒服は撃たれた2人を確認しながら撃った男の方を見て首を横に振った。


こんなに簡単に発砲する連中に見つかったらこちらも危ない。

しかし、ここを出るための坂の下にはクラウンがあるので突破はできない。

ランクルで畑の反対方向に逃げても、この畑の周辺は窪地があり

ランクルでも越えられない。


車を置いて逃げても車から身元がバレるのは時間の問題だ。

この場から逃げる道筋を考えながらも、巧の中で別の衝動が湧き上がる。


黒のスーツのうちの1人がスエットの2人に2台の車を交互に指差して

『うるさいから止めろ』と怒鳴ったがイントネーションが少し違い

日本人では無い様だ。

更に身振りで穴を掘る仕草に続けて人差し指と中指を立てた。

2人は飛び上がる様に反応し、クラウンとワゴン車に走り寄りエンジンを切った。

辺りには静寂が戻ったがワゴン車の脇の2人から流れる血が日暮れの中で、どす黒く広がる…


エンジンを停めたスエットの2人はクラウンの後ろに回りトランクを開け、中からスコップを二本取り出した。

指2本はスコップ、二本❗️の合図の様だ。

男達を埋めるつもりなのか…?!

もう2人の黒服の男は既に懐中電灯を手にベンツの先を歩いている。

その先は下り勾配になった高速道路の管理道路なので、収穫の終わったこの場所には近隣の農業車両も立ち入らない時期でもある。

高速道路の関係者でも一年に数度しか入らないこの場所に埋められたら……

ましては収穫の終わったこの時期…よほどのことがない限り見つかることはないだろう。

先を行く2人にスコップを肩に担いだスゥエットの2人が小走りで後を追う。

懐中電灯の灯りがその先で踊る…


2人を指示した1人が少し落ち着いたのかタバコを咥え火をつけ、くわえタバコのまま独特のガニ股歩きで人を殺した動揺を隠す様にノンビリと続くが、肩の力は無い…


そのタバコの火が下り坂に消え、前にも増した静寂の中、wのスーツの男が

身をよじり『うう…』と唸った。

まだ生きている……巧は少し迷ったが思い切った様に行動に出た。

身をかがめ、斜面を滑り降りクラウンの陰に身を隠し、様子を見る…

車の影になりながらワゴン車の側に倒れる男に近づいた。

前屈みの頭を少し上向きにすると口に溢れる血にむせて

弱々しく咳き込んだ。

巧はクラウンの陰から四つん這いになりその男に近づき、頭を横に向けた。

更に血が溢れ頭を支える手に滴る。

もうダメと分かっているが、『しっかりしろ』と耳元で声をかける。

男は腫れた瞼を薄く開け、口の中の血を舌で押し出し何かを言おうとしている。

『奴らに騙された…』

何?…言葉にならない呻き声に耳を寄せるがそれ以上は聞き取れない。

巧の着ていたコートの胸ポケットから取り出したポケットナイフで

後ろ手に縛られた結束バンドを切ってやると男は腕をユックリ前に回しスーツの左胸に差し入れかけた。

ここに何が?と重ねる様に手を入れると、二つ折りの財布があつた。

それを取り出し、これか?と聞くと微かに頷いた。

二つ折りの財布を開けると、パスケース透明な定期入れに、向かい合わせで二枚の写真があった。

顔立ちの整った30代の妻と子供そしてこの男の三人の写真、そしてもう一枚は笑顔で微笑む子供。

財布を手に握らせると、やっとの様に持ち上げ頬に当てると肺の中の溢れる血を口から溢れさせながら何か言うが聴き取れない。

腫れ上がった目から溢れる涙は血だらけの顔を更に汚す。

谷村の支える手に男の体から力が抜けるのを感じ、命の火が消えた事を知りそっと地面に下ろした。


坂の下100メートルほど先に数本の懐中電灯の灯りが蠢くが、まだ戻る気配はない。

ワゴン車の開けられたリアゲートの中を見ると、目隠し用なのかブルーシートの下からアルミ製の大型スーツケースが数個と、平たいアタッシュケースが見える。

上半身を荷台に伸ばし、アタッシュケースの一つを引き寄せ、両側のラッチを

素早く左右に押すとフタが持ち上がった。

それを持ち上げ開くとラバーの型枠にスッポリ収まった拳銃がワゴン車の弱いルームライトに照らされた。


コルト ディフェンダー 9mm口径

弾倉を抜くと8発、弾倉の丸い穴で分かった。

以前、雑誌で見たことがある軍用のコルト1911の小型タイプで女性でも扱える…がキャッチフレーズのスリムなフォルムが美しい…

その下側には五本の弾倉とサイレンサーがまるで幾何学模様の様に整然と収まっていた。


銃の取引…縺れ⁉️

逃げる方法を考えながら、一方で…生きる為に戦う道も模索していた巧には心強い味方ができた…


所詮、相手は素人。人数のハンデも銃の扱い方や戦い方も知る巧の方に分がある。

しかし、それもこの銃が確実に使えるのが前提。

銃とサイレンサーを型枠から取り出すと、サイレンサーを銃口のネジに差し込み回して締める。

続けて安全装置を確認し、手慣れた動作で弾倉を差し込み上部の遊底を引き、弾を薬室に送る。

小型拳銃にサイレンサーをつけるとバランスが悪い。

巧は着ていたジャケットのポケットから手のひら側にゴム引きされた軍手を取り出しつける。

両手で握り構えるが銃口がサイレンサーの重みで下がる。

懐中電灯のちらつく反対の闇に向かって試し撃ちしてみた。

銃口から小さな火花を発し本来の30%程度の低い音も高速道路の音に吸い込まれた。

巧は昔の訓練通り両手でしっかり握りもう一度構えると今度は安定した。


坂の下の方から懐中電灯の明かりと声が近ずく…

慌ててケースから予備の弾倉をわしづかみして左のポケットに押し込むと

アルミケースを元の位置に戻し、クラウンの後ろに片膝で身を隠し坂の方を伺う。


スエットの二人とあのタラタラと歩く黒服の男が見えた。

坂の下にも灯りがあるので、2人を運ぶ為に戻って来たのだろう。

若手の二人はパーカーの男にフードを被せると、俯けにしたまま後ろ手に縛られた腕を掴み

ズルズルと引きずって行く。

もう一人のスーツの男はベンツに乗りヘットライトを点けた。

その白いヘッドライトの筋が死体を引きずる姿をまるで舞台照明の様に照らし出し、

タラタラと歩く黒服の男は懐中電灯を手に若い二人の後ろについて歩いていく。

ヘッドライトも一段下がったその先には届かない。

もう一度戻ってくるまでに作戦を考えなければならない。


懐中電灯の灯りが合流するのを見届け、もう一度ワゴン車に戻り

車内を検索すると。

大型のスーツケースは20キロ以上の重さがあり、鍵がかけられていた。

他のアタッシュケースを開けると同じ様に4丁の銃が入っていた。

少し大きめなアタッシュケースには同じくラバーの型枠に収まった

イングラムというマシンガンがあった。それと弾倉が5本とサイレンサー。

イングラムは型は小さいが40発連射ができる

イングラム本体より長いラバー巻きのサイレンサーに圧倒される。


こんな物まで持って武装している事には驚かされるが、組織の実態を知るより今はこの場を乗り切ることが先決だ。

イングラムにサイレンサーを銃口に装着して拳銃と同じく一発撃つと拳銃よりも反動も音もしない。


スリングで首から斜めに掛け背中に回す。

単射、フルオートと切り替えられるので単射にし、セイフティーをかけているが薬室には弾が込められ安全装置を外せばすぐ撃てる。


この様な状況では取り回しのきく拳銃の方が有利なので、主体はコルトに決めた。

頭の中の俯瞰図で、坂を見渡せるクラウンの後ろを選び、配置につき呼吸を整える。

10分程して坂の下から声が近ずく。先ほどと違う黒服の男を先頭にスエットの2人が戻ってきた。

その男はワゴンの脇に倒れる男に腕に手を掛け、引きずろうとすると片腕だけが持ち上がり、結束バンドが切れている事に気付いた。

黒服は立ち上がり胸に手を入れ銃を取り出し辺り忙しく顔を左右に振り見回す。


両手で持つ構えは腰は引けてる。

後ろをついてきた2人は一緒にキョロキョロと見回すが、何が起きてるのかの状況も分かってはいない様だ。


巧はクラウンのトランクに腕を乗せ既に銃口は黒服の胸に狙いを定めていた。

8メートルもない距離では外す筈もない。

冷静な表情で男の銃が胸の高さまで上がる前に銃口から2度、火が走った。

サイレンサーの篭った音は下を走る車の音に消され、どこから撃たれたのも分からぬまま、食い込んだ弾丸の勢いで、飛ばされるように倒れた。


少し離れたスエットの2人にも続けて引き金を引くと全弾が吸い込まれ、

撃ちつくし遊底が下がったまま止まった。

顔を重なる様にこちらを見ていた2人は声を出す間も無く恐怖の目を残したまま崩れる様に地面に重なった。

左ポケットから予備弾倉を取り出し素早く交換すると下がっていた遊底を引き弾を送り空の弾倉を右の胸ポケットにねじ込みながら、再度銃を構え、

倒した3人を伺う…スエットの2人の腹や胸から血が広がるのを見て、中腰でクラウンの脇を出て最初の男の銃(トカレフ)を拾いポケットに入れた。

坂の下の懐中電灯は動かないのでこちらの異変には気がついてはいない様だ。

拳銃の安全装置をかけ、腰にさすと今度は引き込み式の肩当を引き出したイングラムの安全装置は掛けたままだ。


ランクルのある畑に駆け上がり、ランクルの脇を抜け、畑の先に懐中電灯の灯りがチラチラ見える方に走る。

指は引き金から外して暴発を防いでいる。

収穫を終え湿った畑の畝に足を取られながら姿勢を低くし40〜50メートル進んで管理道路の上で身を伏せた。

匍匐しながら道路を見下ろせる位置まで進む。

下の方から3人の戻りが遅いことに苛立ちの声が聞こえる。

2人が懐中電灯を手に動き出すのが下を通る高速の照明で動きはある程度見える。

巧の前を通り過ぎ、歩きながら『%¥「@d&』と日本語では無い言葉で声をかけるが、返事はない…

巧の前を10メートルほど進んでベンツのヘッドライトの光が届く辺りまで進んだ所で異様な気配を感じ、2人は顔を見合わせ左の3メートル程の高さの切り込みの崖と、右の金網のフェンス側に分かれた。

男達はベンツの光の死角に入ったまま中腰になり拳銃を構える。

フエンス側の男は握った拳銃(トカレフ)左手の持ち替え、汗ばんだ手のひらを何度もズボンに擦り付けている。

左の2人を射殺した男も拳銃(トカレフ)を構えるが左手の懐中電灯の光軸は震えて踊っている。

中腰になり進みかけるが、立ち上がるとヘッドライトの光の中に入るので前には進めない。

不安と苛立ちで少し弱気な声をかけるが、その声は高速道路を走るタイヤの音に消された。

巧も車の音に合わせてイングラムの安全装置をゆっくり外した。

巧は草の陰から見下ろす形の伏せ撃ちで足を開き、体を安定させた。

むき出しの地面の冷たさが腹に沁みてくる。

黒服の男たちはそれぞれ道路の端にしゃがみながら迷っていてすんなり前に進む気は無い様だ。

左の男が右の男に身振りを混ぜ小声で『khnbgdihsjfhdj&#』どうやら中国語の様で、身振りからすると…『このまま前から行け。俺は畑を回って後ろに出る』と言っている様だ。

男は少し後退りしながら切り込みの崖を少しずつ這い上がり、巧が潜む切り込みの数メートル先の崖を半分ほど登り体の向きを変えた時、既に狙いを定めていた巧のイングラムが拳銃より静かな音を発し男の額に黒いシミの様な穴が開いた。


銃によって音も反動も違うが、サイレンサーの重みが幸いして2連射の反動は拳銃より安定していた。撃たれて崖から転げ落ちた男の手から拳銃が離れ宙に舞う。

右手の男はそれに驚き、尻餅をついて後ずさりをしたが、高速道路を仕切る金網で下がれない…。


恐怖の眼差しが倒れた男に釘付になり、こちらを見ていない。

銃口の狙いを変えた時、やっとこちらに目線を向けた。

金網によしかかるが、ズルズルと尻餅をつくと前に投げ出し両足の間に失禁のシミが広がる。

余りの怯え方に巧が引き金を引く事に躊躇していると、男は震える片手で銃を持ち上げようとしたが引き金の指に力が入り、狙いを定まらないまま地面に火花を散らした。

力の入っていない手は反動を受け止められなく、親指をねじる様に跳ねあがり、地面に落ちた。反動の逃げ場を無くした遊底も空薬莢を噛んだまま戻らない。

反射的に撃ち返したイングラムの9mm弾3発は全て男の胸に吸い込まれ、血しぶきの埃を立て、大きく見開いた目を前に向けたまま、フエンスに崩れ落ち首をうな垂れた。


巧は銃を構えたまま周囲の様子を伺い耳をすます。

斜面を離れ二人を確認するが既に息はしてない。

斜面を降り、地面に落ちたそれぞれの拳銃を拾い懐中電灯を消す。


薬莢を噛んで下がったままの遊底を引いて薬莢をはじき出し、安全装置を掛けポケットに入れた。

先に連れていかれたパーカーの男も気になるが既に埋められた様で姿は見えない。

それよりも上の車に戻りもう一度確認しなければ安心できない。


坂道の上のベンツの灯りを避け、崖を登り、畑を通りランクルの方から戻る。

最初に倒した三人の姿を草陰から確認し、周囲を見渡すが変化はない様だ。

イングラムを首から下げ、コルトデフェンダーを手に腰を低くして近寄る。


ベンツの灯りを消しエンジンを停め、懐中電灯を点け車の中を探る。

ベンツのトランクを開けると細長い黒いケースが二段に重ねられその上にズックの袋が載せられていた。

その奥にビニールに包まれた四角い紙包みが20個、綺麗に並べられている。

ビニールの袋の重さは1キロ前後、十時に透明なテープが巻かれかなり厳重だ。

テレビや映画で見る薬物なのかもしれない。


細長い黒いケースを取り出しフタを開けるとAK47の短銃身タイプと予備弾倉が隙間を埋める様に並べられてる。

他をケースを開けると、こちらは米軍仕様のM4自動小銃。

ズックの袋にはMP5と言う短銃身のサブマシンガンが入っていた。

どれも短銃身の取り廻しが良く、近接戦に向いている。

他にそれぞれの予備弾倉と弾箱、合わせると2千発は有る。

小さな弾箱には手榴弾が8個…まるで売り歩くセールスマンのサンプルの様だ。


ワゴン車に戻り積荷を見て更に驚いた。

ビニールシートを剥がすと鍵のかかった大きなアルミケースが5個そのうちの一つの鍵をサイレンサー付きの拳銃で吹き飛ばし、蓋を開けると…中身は現金だった。

重さからすると数億…それが5ケース、と言うことは…武器類よりもこちらの方が驚きだ。


その時、微かに『…誰か…助けて…』と呻き声が耳の入った。慌ててワゴン車の床に身を伏せデフェンダーを構えた。『…ううう……』とその声はワゴン車のすぐ脇から聞こえる…

そっと車内から覗くとスェット姿の若い男がうつ伏せの状態で地面に両手の爪を立て、前に進もうとしていた。

巧は車内から抜けるとスエットの男に近づき肩に手をかけ体を起こした。

弾は脇腹と右肩に当たった様で大量の赤いシミがピンクのスエットに広がっていた。

呻き声を上げる若い男に『今、助ける…』とその場しのぎの声をかけながら『お前達は何者だ…どこから来た…』と聞くと、『関西¥#^_^%@#¥…東京……で……』と言った途端、急に激しい呼吸の胸の動きが止まり…事切れた…。

よく聞き取れなかったがやはり裏の世界の揉め事の様だ。

巧にはその世界とは縁もなく組の名前や地域のことを言われてもサッパリ理解できない。

巧はもう一人の若い男を確認すると、こちらは顔と胸に弾を受けことキレている。

念を入れ最初の黒服の男も確認するが前を広げたスーツの下のワイシャツの全面が真っ赤で呼吸はしていない。


巧は予想はしていたが改めてことの大きさに少し身震いしながら自分を落ち着かせた。

改めてワゴン車に戻りブルーシートをめくると他にも四角いアルミケースが2つ。中には拳銃が4挺と実弾の箱。(9ミリワルサー)銃や覚せい剤の取引のもつれか裏切り…そのどちらでも良いが…早い事、ここを離れないとならない。


かなりの重武装した大きな組織には違いない…

ここまで来たからには逃げられない、と腹を決めると少し落ち着いた。

この所、好きで始めたカメラマンだが、クライアントのご機嫌とりにも嫌気がさしていたし、平々凡々の生活にも飽き始めていた。

この積荷が更に気持ちが高ぶらせ、もつとこの緊張感を楽しみたい…。そしてこの悪の組織に正義⁉︎の鉄槌を…

法律では殺人…犯の身ではあるがそれを正義‼︎とに置き換え、この殺戮を正当化しようとしているのも事実…


畑に上がる坂の前のクラウンをベンツの横に動かし、ランクルを坂の下まで動かしワゴン車の後ろに付け、荷台の現金の入ったアルミケースや拳銃のケースを移し替える。

現金の入ったアルミケースは一つ20キロは有りそうだ。

白のワゴンの積荷だけでも150キロは有り、ランクルの荷台が下がる。

更にベンツのトランクからもM4ライフルとAK47の入った長いケースと弾箱も移し替え、弾箱の一つに奪った拳銃3丁(トカレフ)も放り込み蓋をする。

薬物らしきビニール袋をどうするか悩むが、これを持ち去った方が同業者に目が向くかもしれないと判断、一緒に積み込んだ。


ランクルの後部の窓には黒いフイルムが貼られ目隠しとなり、外からは見えないが、更にワゴン車のシートをかけ目隠しにする。

300キロを超えた積荷で更に沈んだタイヤは湿った道路に深く溝を掘っていた。


積み終わった所で、最初の男の元に行き、手から滑り落ちた二つ折りの財布を拾い上げ、ランクルのシートの置いた。

免許証によると男の名前は太田薫、写真の裏に書かれた妻の名は祐実、娘は茜、四歳。妻や子供を残す太田の無念さ、その帰りを待つ家族を思うと…辛い…。

自分が手にかけた他の4人と埋められた1人も含めも皆、同じだろうが最期の声を聞いた事に思い入れが入る。

手を合わせ、この財布を届けよう!と決めた。

そして現金の一部を渡そうと考える。

他の死体にも手を合わせると、触れた部分を車の窓拭きで丹念に拭き取った。

その布に血まみれの財布と手袋を包み助手席の足元に置くとランクルのエンジンをかけた。


この時間、この付近に人は立ち入らないだろうが、念のためランクルのライトはつけず、窓から顔を出し、道路を確認しながらユックリ走らせる。

何時もは10分程度の道のりを30分かけて、幹線道路にたどり着く。

両脇からの車の無いことを確認して道路に出るがこのまま、帯広方面に向かうとタイヤに食い込んだ泥で方角が分かるので反対方面に走る。5〜6キロ遠回りではあるが、付近で車を見られたくない。

幸い国道までの道筋ですれ違う車は無かった。国道に入る手前で数台の車の列の最後尾に潜り込む。

後方の車は離れているのでこの車の車種は判別できないだろう。

しかし、この先にはNシステムがあり記録されるので国道を離れ更に裏道に入る。

それは隣町への裏道でも有り、7時を回ったこの時間はベットタウンでもあるM町からの通勤の車が切れないが、特別な走りをしなければ目立つことはない。


1時間ほど前の殺戮と積荷に興奮する気持ちを抑え、スコールの様に降り出した雨の中を自宅に向かうが、当分の持久戦や対策を練る必要も考え、途中のスーパーにハンドルを向けた。

掛けたシートをめくり積荷を確認するが、荷崩れの心配はない様だ。

後部座席に貼られた黒いシールで中は見えないが、念を入れかぶせ直して店に入る。


取り敢えず水、2リットルを10本、インスタントラーメン、パン、チョコレートなど保存の効く物を片っ端からカゴに放り込みレジに向かう。

会計で一万を越える支払いを済ませカートに積み込んで車に戻る。


雨は一層強くなり、波打つ駐車場の舗装に水溜りができ行き交う車が跳ね上げる。

それを見ながら、車に乗り込み一帯を見回し大きな水溜りに目を付けた。

車をユックリ走らせながら水溜りを通過する。一回り、ふた回りと繰り返しタイヤの泥を落とした。その動作を繰り返し、再び一般道に戻り自宅に向かう。

轍の水溜りが跳ね上がり、車の下の泥を洗い流してくれる。いつもは厄介な雨もこんな時は助かる。


巧の自宅は市内の中心から少し外れた閑静な住宅街にある。

古くからの住宅が多く、借宅が多い地域で人の出入りも少なく隣人に興味を持つ人も少ないので、些少の行動の変化に気づく人もいない。

潰れそうな車庫付きの平屋の自宅に戻り、バックで車庫に半分だけ入れると、それとなく周囲の家を見渡す。

窓の灯りや外に人の気配が無いのを確かめると車を降り、自宅の玄関を開けた。

灯りをつけないまま、車に戻り、テールゲイトを開けかぶせたシートを半分めくり手前の短銃身の入ったケースを両手に下げ車庫の横の出口から家に入る。

玄関に敷かれたコンクリートに靴を二、三度強く足踏みして泥を落とすとそのまま茶の間に入り奥の寝室に向かう。この際、多少の汚れには目を瞑る事にした。粗末なパイプベットと壁の間に隠すように置くと、車に戻り残りの銃のケースを運び入れた。後は現金の入ったアルミケースだ。

重たいケースの運び出しに息が切れ、何度も膝に手を置き荒い息を整える。

顎を伝い流れる汗が現役を退いて鍛えた体の衰えを訴えている。

通る車や人に注意しながらの作業に30分は掛かった。

最後にスーパーで買った商品の段ボールを茶の間に運び入れ、懐中電灯で車の周辺を見て回る。

雨のおかげでタイヤの泥はかなり落ちているが、先ほどの畑や道路にタイヤの跡が残っている可能性がある。


車を奥まで下げ鍵をかけ、車庫の棚にあった釣竿のリールを外し、リールの釣り糸を車庫の入り口の高さ40センチほどの高さに張った。

車庫の入り口の柱を一回りさせるとリールを玄関まで伸ばしドアの隙間を通して玄関の靴箱の上の花瓶に巻きつけた。途中の出張った釘にも載せて有るので垂れ下がらない。

花など差した事などないが、これで糸が引っ張られると花瓶が落ちる。これで侵入防止の罠が出来た。


靴を脱ぎ寝室の弾箱の中からコルトデュフェンダーを取り出した。

弾倉の弾を確認して腰に差し、コートもポケッから空の弾倉を取り弾箱の実弾を詰めアルミケースの中に戻し蓋を閉じた。

茶の間に戻り照明を弱くしてソファに腰掛けると、急に緊張感が溶け、睡魔が瞼を落とす…


締め付けられる様な息苦しさにハッと目が覚め身体を跳ね上げ辺りを見回す…

腰に差したコルトが転げ落ちたのを見てこれまでの事が蘇る。

どの位寝たのか…慌てて時計を見上げる…3時過ぎ…

少なくても4〜5時間は寝ていたことになる。

急に立ち上がったのと、筋肉のこわばりで身体中が痛い。

何も口にしないまま眠った喉が悲鳴をあげていた。


段ボールからペットボトルを取り出しキャップを緩め喉を鳴らし一気に半分ほど飲むと記憶が少しづつ戻ってきた。

フーッと息を吐き出し、床に落ちたコルトを拾い安全装置を確認し、弾倉を抜いて確かめると腰に戻した。

奥のベッドの方に目をやりながらこれからの行動をシュミレートをする。


先ずはこのケース類の保管方法を考える。このままでは安心して出歩けない。

玄関先に有った職業別電話帳を持ってくると貸しロッカーのページを開く。

使うことのなかった電話帳はカサカサと乾いた音を立てる。


市内の貸しロッカーは5軒。そのページにペンを挟み閉じた。今度は現金だ。

拳銃で撃ち壊したアルミケースを開け、他のアルミケースも工具箱からバールを持ってきてこじ開け其々1千万単位の束を1つ取り出し並べる。

帯封を切り、100万単位の束の中からランダムに5枚づつ抜き出し、

透かしやホログラムを調べる。さらにナンバーも見るが連番で本物らしい…が、番号が手配されてると、すぐバレてしまうので確証が持てるまでは使えない。


今、手持ちの金は退職金の一部と預金が合わせて400万円くらい有るので暫くはこれで凌ぐしかない。アルミケースの蓋を閉じ、ガムテープで十時に巻いて閉じた。


朝になると起こす行動を考える。先ずは取引先から受けている仕事のキャンセルだ。

今月の仕事に大きなものは無いので支障は無いだろう更に健康を理由に当分休むことを伝える。


次は貸しロッカーを決める。それとニュースをチェックする事。

7人もの射殺死体が見つかれば、全国ニュースとなりキャスターが殺到するはずだ。


取り敢えず腹ごしらえ、段ボールからラーメンを取り出し鍋に入れた。

その間にも昨日の現場に見逃した事が無いかを思い返す。タイヤ痕…そうだ、タイヤを取り替えよう。

朝一でスタンドでタイヤを購入する事にする。湯気の上がるラーメンを丼に移し啜るとまた眠気が差してきた。

朝一の行動まで後3時間は有る。体力の充実も大事だ。ベッドから目覚ましを持ってきて7時にセットしてソファに横になるとあっという間に眠りに落ちた。



目覚ましの甲高い音に飛び起きた。

今度は慌てる事なくユックリ身体を起こし腰の銃に手を掛ける。

段ボールからチョコレートを出し乱暴に包装紙を破り、板チョコを口に咥えながらテレビをつけ、忙しくチャンネルを変えニュースを漁る。

どこも、緊迫した表情は無く、笑顔で秋の風物詩を流している。

まだ半日しか経っていない。公になるにはまだ余裕はあるはずだ。


洗面台で身支度すると家の戸締りを確かめ、車庫に張った釣り糸も回収して戻した。

このまま留守にするのは不安だが、解消するためにも早く行動しなければ…

8時を回り取引先に電話を掛けその旨を伝えるが、幾らでも代わりが居るこの業界、電話での機械的なやりとりでことは済んだ。


次はタイヤだ。

電話帳の貸しロッカーのページを破りポケットにねじ込み車庫を出る。

9時を回り銀行に寄ると当座の資金の為100万円を下ろす。


いつものガソリンスタンドは朝一にタイヤを買う客とあって愛想はいい。

替える理由を、音がうるさいので静かなタイヤに変えると伝えパターンは『店長の目に任せる』と笑うと『分りました』と笑った。

ついでに洗車を頼む。特に腹回りなども!と注文を付けた。そして交換したばかりの溝の深いタイヤの処分も頼みタクシーを呼ぶ。

タイヤの買取はしていないと言いながらも引き取ったタイヤは中古業者に売られ、スタッフの懐に入るだろうが、それはどうでもいい事だ。

買取りとなれば、身分証の提示などで面倒だから都合がいい。


タクシーに乗り破ったページの広告の写真と規模の大きそうな所の住所を告げた。

そこは交通量が多い住宅街の一角にあった。

貨物のコンテナが20個程を二列に向かい合わせに並べられ、入り口付近には監視カメラが設置されていた。

周囲は簡単な金網のフエンスで無防備に見えるが、交通量多く人目につきやすいが、内向きに向けられたコンテナの入り口は通りからは目に付かないので都合がいい。

タクシーを降り、受付に行き契約内容や防犯システムを聞いた。

時間の無駄を省く為にすぐさま契約書類に撮影機材と書き込み一年分の料金を支払い、カードキーを渡され並んだコンテナの中程に案内された。

出し入れするドアの前に車が入れられるのは都合がいい。

コンテナにはエアコンも付いていて湿気の心配もない。

鍵はカードと暗証番号の二重式。

係員は携帯電話で話しをしながら『試しに開けてください』と言われドアを開けると【ピーピー】と事務所の方から警報音がなり事務所の壁の赤い回転灯が回り出したがすぐ止まった。

事務所脇にある受付機に一度カードを通さないと暗証番号を押してもドアは開かない。また無理に開けても回るそうで、その時は警備会社に通報が行く事になる。

試験ですと警備会社に連絡して、防犯対策を実証して見せたのだ。

係員は暗証番号の手引書を手渡すと事務所に戻っていった。

その手引き従い暗証番号を打ち込み、タクシーを拾って貸しロッカーを後にした。

スタンドではタイヤ交換と洗車が済み裏に停められていた。

支払いを済ませ家に戻ると貸しロッカーに運ぶ準備に入る。

ここには何一つ残さないようにしなければならない。

こじ開けた現金のケースを武器のケース、それに当分使わないカメラ機材を積み込み貸しコンテナに向かう。

落ち着いた態度で受付機にカードを通し自分のコンテナに向かう。

カードと暗証番号を打つと手早く荷物をコンテナに収め、カモフラージュのカメラ機材も運び入れた。これで心配の種が一つは解消した。



気になるのは現場の事。

迂闊に現場に戻ってやぶ蛇…という事もある。

しばらくは傍観するしかない苛立ちを、次の行動のシュミレーションで紛らわす。

それはどうやってあの財布を家族に渡すか…だ。金の一部でも渡したいが、その時は死を伝えなければならない。

事が公になるのを待って、免許証の住所を訪ね様子を見ようと思う。


事件から2日目、事件を伝えるニュースは流れない。耐えられない焦りと苛立ちで落ち着かない。どうにか現場付近に行く方法を探さねば、と考えているうちに、あの道を通って熊追の町を通り然別湖に向かうバスがある事を思い出した。早速バス時間を調べたが、向かう前に準備が必要だ。


ランクルで大型家電店に行き、小型ハンディカメラを買った。

高速撮影ができ、ハイエンドタイプでテレビで再生が出来る。

次は庶民的衣料の安売り店に向かい、地味な灰色系のジャケットとハンチングを買うと家に戻り着替えて駅の駐車場に入れ、バスの時刻表をみる。

熊追に向かうローカルバスに乗って様子を見ることにしたのだ。

13時発 熊追町経由然別湖行き。熊追までの料金を支払いバスに乗ると既に5人の客が散らばる様に座っている。

見回して少し席の高い最後尾の右側にハンチングを被り、手には大きなバッグを抱えて乗り込む。そのバッグの上にマフラーを被せたカメラを忍ばせる。

程なくあの現場に入る。カメラの電源を入れ高速撮影を始めた時、現場付近にハザードランプを点けた大型トラックが目に入った。

その荷台には車が2台…ブルーシートが掛けられている。

その前と後ろには、サングラスの男が立ち、バスの方を見ている。

慌ててハンチングを目深に被り視線を外し、外にむけたカメラを回し続ける。

緩いカーブを曲がり切って見えなくなるまでの数十秒を記録したカメラを膝の上に置き、再生する。

高速カメラの映像が僅か10秒の時間を2分に引き伸ばされ記録されていたが、モニターの小さな画面ではよく見えない。

はやる気持ちを抑えカメラをバックに収めた。

直接見た情景を思い起こし、彼らはの何をしていたのか…その意味を考える。

ニュースにもなっていない以上、彼らは警察関係者ではない。

トラックの荷台にシートの下にはあの三台の車が載せられていたのか。七人もの死体はどうなったのか?


そんな事を考えていると急に眠気が差し、意識が飛んだ。

落ち着いて眠ることが出来ず、疲れているのは事実だ。

突然、バスがガクンと止まった勢いで膝のバックがずり落ち、目が覚めた。

反射的に椅子から立ち上がりキョロキョロ辺りを見回すが、何が起きたのか理解出来ていない。

寝不足の疲れか⁉️頭の中に鉛を流した様なドンヨリ感が渦巻く…

急に立ち上がったのを運転手がミラー越しに『大丈夫ですか?』とマイクの声でやっと我に帰る。

一時停止の停車だった様だ。前方に座る客も怪訝そうにこちらに振り返っている。

『エエ、すいません大丈夫です。』と答え、落ちたバックを拾い上げ椅子に戻った。前方に座る客も元の姿勢に戻り、静かにバスが動き出した。


疲れと緊張がピークに達している事を改めて実感したが、この先の動きを決める為には、現状を把握しておかないと…

熊追の道の駅でバスを降りた巧はトイレを済ますと、軽食コーナーでコーヒーを頼み、カメラを取り出しモニターを確認する。

画面が小さいのでよく分からないので家でテレビに繋いで見なければ。

高速撮影のスロー画像はその数秒間…10秒にも満たない時間を確実に記録していた。

最初に見えたサングラスの男は右手を懐に忍ばせ、肩は緊張感を漂わせている。

何かあれば、すぐ動く…訓練を受けた気迫を感じる。恐らく犯罪の痕跡を消す組織のクリーニング部隊だろう。

点滅するハザードランプをつけたトレーラーの荷台に乗った車が二台。運転台に座る男も緊張した表情でこちらを見ている。

被せられた下から覗く黒い車のタイヤホイールにはベンツのマーク。

後ろのもう一台の幅広の磨り減ったタイヤにも見覚えがある。

トレーラーの後ろにも作業着姿の男が三人居たが、慌ててシートを持って走り出すところがスローモーションで流れる。

走るその先には白いワゴン車、あの10数億の金と銃が積まれ、巧が〇〇の死を目の当たりにして五人を手に掛けるキッカケを作った車が高速道路に沿った管理道路の奥に見えた。

運転席に一人、その周りにも四人。スーツや作業着を着てるが、体から殺気が漂っている。

冷めてしまったコーヒーを口に含みながら、その数十秒の映像を何度も見返し頭の中に記憶する。


バスを降りて約1時間、然別湖を折り返したバスが戻ってきた。

そのバス乗ると今度は左側の中ほどに席を取る。

帰りの乗客は三人、何も年寄りばかりでそれに溶け込む服装を選んだのは正解だった。来た時と同様にバックを抱えその上にカメラを載せる。

揺れるバスのリズムに睡魔が襲うが、現場に近ずくとそれも消え、ビデオカメラを回しコートで隠した。

その現場を見渡せるところまで来たが既に先ほどの車の影はない。

ぞれでも慎重に背中を丸め前を向いたまま気配を隠す。通過後、カメラを止めバスの先を見た。

山道を抜けたその先の畑の脇に白い乗用車が止まって居た。

気になりもう一度カメラを回しコートをかけ、背中を丸め頭を下げると年寄りが寝ている風にしか見えない。

バスは収穫の終わった田園地帯を抜け、幹線道路に入った。

巧は頭を下げたままカメラの操作をして走るバスの中で画像を再生して見た。

現場周辺の画像にはいつものローカルの山道が写っている。

ただ、白い乗用車の運転手の他にスモークフイルムの陰に2人の男の影があった。

どうやら彼らはこのまま監視を続けるようだ。

特定される自分の車を使わなかったのは正解だったが油断できない相手であるのは間違いない。


家に戻りこれからの動きを考える。

あの男達の行動を見ると、あの現場のクリーニングは済んで、何一つ事件が公になる証拠は残っていないのだろう。

でなければ、あの周辺に居残るわけがない。それは自分にとっても都合がいいのは確かだ。

先ずは連中の正体を知る事が先だ。


その為に免許証の主、太田 薫の家族から聞き出すのが手っ取り早い。

その為の手順や方法を考えることにして、もう一度、ビデオカメラをテレビに繋ぎ最初からの画像を確認することにした。

何か手掛かりになる物が写っているかもしれないからだ。

トレーラーのナンバーは大阪と名古屋…確実に写っている人数は12人。

どの男もサングラスを掛け異様な雰囲気が伝わる。

うちの一人は迷彩服を着ていて、肩にかけたバックの形はベンツにあった袋と同じと言うことは中にはMP–5の可能性が高い。

近ずく者は容赦無い、と言う殺気を漂わせている。

戻りの映像は何もないだろう…と何気なく見ていたが気になるシーンが有り巻き戻すと、周辺の藪の中に三人の男の姿が映って居た。その潜む姿は自衛隊当時の訓練を思い起こさせるに十分な装備をして居た。

被った帽子にネット、そこに枯れ草が植えられ、迷彩服にドーラン。来る時にトラックの周辺に居た男もいる。皆、肩からバックを背負っているようだ。

左側の斜面に三人と言うことは右側にも同じ様に三人位はいたとしたら、

最低でも17人前後がいた事になる。相当な力を持った組織を相手を相手にしているのは確かだ。

それにしても、バスの車高が高くて分かったが、普通車の目線では分からないだろう。

キョロキョロ見回して居たら疑われたかもしれない。

戻り道で見かけた車の他にも監視の目があったかもしれない。

これ以上、危険を犯しても得る者はない、当分はこの近辺には近づかない方がいい。


あれこれ考えるが資金的にも限度がある。その為にも10億の現金が問題ないかの検証も必要だ。

確認の為、金融機関に持ち込むわけにもいかない…

手っ取り早いのは市内に流通させてもニュースになったりしなければ問題ない事になる。

でも、自分で使うにしても大金を使えば色んな方面に痕跡が残るし、警察が動き出すと面倒だ。

少額で広域に広く使われると謎の武装集団でも追跡できないだろうと考え紙幣をばら撒く場所を関西と、横浜ナンバーを頼りに関東に決めた。


それと同時に手に入れた武器類に関わる情報を欲しい。

関西は特に拳銃に関しての事件の多い場所でもあるので何らかの拳銃の履歴が表沙汰になるかもしれない。


巧はランクルで貸しコンテナに向かうと、トカレフ2丁と現金を1千万円、覚醒剤1キロの包みが収まる大きさのカメラのアルミケースに入れ積み込んだ。

拳銃は太田薫の殺害に使われた銃とフエンスの前の男の銃。

自宅へ戻ると車庫にランクルを入れサランラップと工具を持って乗り込み後部座席の背もたれを倒した。座面の裏のボードを外し中のクッション材の一部を取り出しその中へ拳銃と覚せい剤を収めボードを戻した。

覚醒剤は更にラップをグルグル巻きにして収めた。

拳銃もどこかで放置するとなにかの情報が得られるかも知れない。


カメラ機材も目隠しで載せる。万が一の検問対策でもある。


翌日になってもニュースにも変化は無いが気になるニュースが一つ、あの現場付近の農作業に出た人が転落事故で死亡…と言うニュースだ。

乗って居たトラクターが数キロ離れた沢に転落して下敷きになり首の骨が折れ死亡した……

所有する農地から離れた場所なので発見が2日遅れた…との記事。

事故とあるが、現場付近で通り掛かって出くわし、抹殺された…のかも知れない。


あの組織のクリーニング部隊の仕業…とも考えられる。


確証は無いが、急がないといつ自分の周りにたどり着くか分からない。

電話で小樽から舞鶴のフエリーに予約を入れ早朝、ランクルを小樽に向け走らせた。

途中で銀行に寄り、口座に残る預金400万円のうち300万を下ろして当面の資金とする事にした。


午後の出航で舞鶴に着くのは翌々日の早朝になる。

秋の日本海は少し波が高いが、揺れを緩和するスタビライザーで揺れは少ない。

思ったより乗客も多いのは京都方面が紅葉シーズン迎えているせいもある。


船内では追加料金を支払い個室を借りた。

連日の目まぐるしさや緊張を解すには寝るのが一番だが、頭の中をこれまでの出来事を考えると寝付けない。


気がついたら朝から食事らしいものは口にしていない。

レストランへ向かい暫く食べた事のいない牛ステーキにライス大盛りを注文。

スローなジャズのリズムに合わせるように揺れる船の動きは、気持ちを和ませる…時間をかけて食べ終えるとコーヒーが出てきた。

マンデリンの深い苦味とアッサリとした酸味が、口の中の脂を拭い去ってくれる。

この数日、インスタント類で済ましてた体にエネルギーが行き渡るのを感じながらデッキで一服、部屋に戻りベットに倒れこむ様に横になると、

電源が落とした映画館の様に目の前が真っ暗になりカラカラと最後のシーンが脳裏から消えていく…


《 ボー》っと鳴る汽笛に目が覚めた。

今どこにいるのか…いま何時なのかも理解できない…

慌てて飛び起き腕時計を見ると5時過ぎ丸い窓から赤い空が見える。

夕方⁇朝⁇…慌てて起き上がり窓の外を見る…長い防波堤に赤い灯台…

どうやら港に入る…と言うことは舞鶴…1日半…30時間寝ていたことになる❗️

慌てて身支度…と思っても、乗った時から荷物も服装もそのまま…なので慌てることなない。

到着までまだ1時間はある。車の下船にも時間がかかるので個室に備え付きのシャワーを軽く浴び、着替えを済ませロビーにむかう。

ロビーでは車両と共に乗った人の受付が始まり、その列に並ぶ。

自分はどうやら最後尾の様だ。

エレベーターで車両デッキに降りランクルのシートに着くと、気が引き締まる。

さあ、これからが正念場、全ての成否が此の旅にかかっている。


舞鶴は二度目だが差して記憶なない。先ずは拠点にする京都に向かうことにする。


…京都…


京都を選んだ理由は特にないが、外部からの出入りも多く、写真家と言うモッテコイの職業も周りから違和感はない。

舞鶴を出て3時間、迷うことなく京都の街に着くと、帯広を出るとき予約を入れた名神高速インター近くのホテルに向かう。

京都の街中にも大阪神戸に向かうにも便利がいい。

チェックインを済ませ7日分のの前払いを済ませると、駐車場は立体の五階建て。

その一階にあり出入りがしやすい。

駐車場に入れた車からカメラバックや三脚を降ろし、いかにも撮影旅行風を醸し出し、荷物を部屋に運び込むとフロントに鍵を預け、寺町付近の古着屋を周り数軒の店から少し古びたジャンパーと運動靴、二つ折りのサイフ、野球帽、それにセカンドバックを二組ずつ、更にサラリーマン風のスーツにワイシャツ、目立たないネクタイ…それを入れるリュックを買い、背負ってホテルに戻った。


種まき…


フロントに並んでいた大阪の観光案内のパンフレットを手にホテルのレストランに入り地図を広げ歓楽街の位置を頭に刻み込む。

落ち着いた雰囲気のレストランの食事に胃袋が全てを吸収していくのが分かる。


部屋に戻り、翌日の準備をしながら綺麗に整えられたベットに腰掛けるとまた眠気が襲ってきた…


気がつくとカーテンの隙間から日がさして朝であることがわかる。

着替えないままの姿で10時間以上寝ていた様だ…


敵地偵察


ホテルの朝食を食べ変装用の衣類の入ったリュックを背負い、今夜は戻らないとフロントに伝え駐車場の車の後部座席に乗り込む。

工具を使い後部座席の背中の板を外し百万円の束を二つとトカレフ、薬物の包みをリュックに詰め背板を戻した。

リュックから取り出した目立たないサラリーマン風に着替え、JRに乗り大阪に向かった。

午前の繁華街着くと数カ所を周り雰囲気を確かめる。

道頓堀付近にはまだ昼前なのに大阪らしい派手な服装の人と観光客の波が続く。

計画の実行は夜…少し緊張が漂う肩の力を抜き一軒のお好み焼きの店に入り大阪を味わう。

しかし本場の味を楽しむには気持ちが入らない。

そこで時間潰しに目についたサウナの看板に飛び込んだ。

昼前のサウナは数人しか入っておらずノンビリとしている。

汗を流し水風呂に入りることを繰り返す中、サウナの中で少し離れた席に座る一人の老人がポタポタと床に滴らせながら独り言の様に呟いた…

『ホンマに…この頃の街は……』

その言葉に振り向くと、前屈みに腰掛けたままこちら向き、『そう思いまへんか…』と大阪弁のイントネーションが向けられた。


『ええ…マア…』と曖昧な返事を返すと、また下を向き独り言を続けた。

この地で親しく話をして印象を残してはいけない。

そう思いつつ、続ける老人の言葉に耳だけ集中するとどうやら裏社会の不条理な動きに対しての不満の様だった…


裏の世界については今度の件に少しは繋がる…

何か情報があれば…と思い切って独り言に言葉を被せてみた…

『そうですね〜世も末ですね〜』

すると老人は身を起こしタオルで流れる汗を拭きながらこちらに体を向け

『そう思うやろ…ホンマにアカンアカン』

更に続けて『昔の任侠はもうあらへん』と言うと少し離れた席の同年代の老人が

『それを言っちゃ怖いで…』とたしなめるが言葉は続く…

『アンさんは大阪ではない様だから〇〇街には近寄らないほうがええで…』

とのアドバイス。どうやら長年この付近を治めていた団体に対し関東の新興勢力が入り込み勢力を伸ばし不穏な空気が漂い荒れている様だ。道頓堀から少し離れた裏町がその最前線らしい。


いい情報が手に入った。

クールダウンを済ませその街にタクシーで向かう。

運転手に地名を告げると怪訝そうにミラー越しに目を向けた。

『不動産の調査で行きたいけど歩きは物騒なので…』

と少し困った様な笑みを運転手に向けると少し安心した様に口元が緩み『あそこでは昼間でも客は拾いたくない』と明るい声が返ってきた、

程なくその街の入り口付近に着いたので『ゆっくり周辺を流してください…』と五千円札を運転席を仕切るボードの下から差し出すと、更に笑顔を見せ『分かりました』と張り切った様に

『ここは関西の〇〇組ここから先は関東の〇〇会』と、その地域を仕切る団体名を語り出した。

なるほど…と頷きながら観光マップに赤線を引きながら見回す。

『何度も回ると目につくので目立たない様に走って下さい』と注文をつけると、『分かってますよ…』と、貰ったチップの効果は大きい。


ひと通り回って周辺の防犯カメラの位置も確認し、マップにチェックを入れ大阪の中心街の戻ることを運転手に伝え、礼を言いタクシーを降りた。


夜になるまで映画館で時間を潰すが何を観たのか記憶がない。

外に出るとサラリーマンの退社時間でスーツ姿の人と、観光客で溢れている。

その中に混じってアーケード街に入り、リサイクル品を売る露店でサングラスを買いバックに入れる。


…餌巻き…


喫茶店に入り軽い夕食を済ませ、歩きながら荒れた(対立の街)に向かう。

8時をすぎた街は一般の酔客に混じり、その緩衝地帯を挟んで派手な服装の若手や黒いWのスーツが互いを牽制するように対峙している。


たくみは通りを行き交う酔客の合間を縫って看板を見る様なそぶりで監視カメラの位置を確認、カメラの盲点となりそうなところを探す。

やがて少し賑やかな表通りから外れた路地の入り口に背中合わせに2台のカメラがやや下向きに設置されている場所があった………つまり真下は盲点となっている。

その入り口付近にはそのことを知ってかスエットを着た男たちがイカつい顔で通りを覗くようにたむろしている。

その奥は少し裏ぶれた昔ながらの細い小路の飲食店街に繋がる。

通路はいてメートルほどあり、湿った空気が漂い地元の顔見知り以外は入らないだろう。

3人の男の脇を少し酔った風に足をふらつかせながらすり抜けるが気にも留めない。

その飲食店の真ん中ほどにある共同トイレに入ると指先に絆創膏を巻きリュックから目立たない色のジャンパーとヨレヨレのGパンに着替えハンチングを被るとショルダーバッグを取り出し、例のトカレフ(実弾は6発入っている)と1キロの覚醒剤の包み、現金百万円をタオルで丁寧に拭き押し込んだ。


背中にリュックを背負いショルダーバッグを首にかけトイレを出ると酔客の様にフラフラと通りを歩き表通りに向かう。入り口付近のスエットの3人組が外の通りに目を向けている脇を通り、

『ふ〜っ』と大きなため息を吐きながら入り口付近にしゃがみこんだ。

こちらをみている3人の気配を感じながら首にかけたショルダーバッグを外し、傍に置きながらリュックからウイスキーの小瓶を出しラッパ飲みする。

そして急に立ち上がり、通りを歩く人混みの中に知人を見つけたように『オーイ』と大きな声を発しながら手を上げヨロヨロと走り出した。


リュックは肩にかけているがショルダーバッグはその場に残したまま…

路地入口の3人は呆気に取られた様に走り去る姿と置き去られたショルダーバッグを交互に目る。

そして3人の男たちは今までダラダラとしていた動きとは想像もつかない速さでショルダーバッグを手にすると脱兎の様な速さで路地奥にかけていく…

置き引きや引ったくりが生業のような連中が、置き忘れを見逃すはずがない。

巧は五メートルほど走り、振り返ると伸びた手がショルダーバッグを、掴み丁度路地に消える瞬間だった………ほんの数秒の出来事…


あえて追うことをしないでそのまま表通りを歩きながら3人組はどう動くか?を考えながら次の行動を考える。


次は尼崎方面に電車で向かう。

途中、公園のトイレで違うジャンパーに着替え古びた財布に20万ほど入れると胸ポケットに入れた。


夜の11時を過ぎた尼崎のドヤ街…露端で酒盛りをする労務者風の脇を歩きながら

明るい灯りのついた公衆電話に入る。

華やかな衣装を纏った女性の出会いサイトのチラシが足元に散らばるが、それらに目を向けることなく硬貨を入れ電話をかける。

硬貨が落ち受話器から天気予報が流れる…その声を聞きながら誰かと話をする風をしていると

酒盛りの数人が見かけない奴…と目が向けている。


それを無視しながら胸からサイフを取り出し中の札を取り出し、元に戻す。

それを電話の上に置き電話ボックスの中でしゃがみ込みしばらく天気予報の繰り返しを聞きながら電話のふりを続ける。


受話器を戻し、また冴えない年寄り風の足取りでその場を後にする。

彼らが置かれた財布に気がつくか、または違う誰かがそれを手にして届けられれば紙幣は調べられる。

万が一使われても偽札や事故紙幣となればニュースとなり公になるだろう…


緊張の張り詰めたまま大阪駅に戻りでサラリーマン風に着替えると遠くでパトカーのサイレンが鳴り響いているのを聞きながら

ビジネスホテルに入った。時間は12時を回っている。


フロントで『外が賑やかだね…』と言うと、

『何か発砲事件の様ですよ』と顔を顰めて見せた。

少し期待感と不安が頭をよぎり、急いで部屋に入るとテレビをつける。

その目と耳に先ほどの危ない地域の名前と数十台のパトカーの赤灯が回った画面が飛び込んできた。


テロップには『繁華街で薬物常用者が発砲、数名が撃たれた…』


どうやらもう事件となった様だ。


(事件の経緯)

ショルダーバッグを奪った3人は路地奥を抜け3百メートルほど離れた河川敷でショルダーバッグを開けると街灯の灯りにビニールに包まれた紙包と拳銃、そして現金が目に入った。

三人は『お…スゲ〜』と驚きの声を上げた。

リーダー格のよしおが拳銃を取り出し灯りにかざし弾倉を抜いて実弾が入っているのを確認すると『本物だ〜』と震える声を出した。

弾倉を戻し拳銃を脇に抱えると帯封の付いた札束を取り出し、『百万だぞ〜』とたけしとさだおの目の前を見せびらかす様にチラつかせた。

たけしとさだおは足をばたつかせ揉み手をして分前をねだるが、Aはそのままスエットのポケットに押し込み紙包を取り出した。

包みの匂いを嗅ぎ、『ナイフをよこせ』と言うとたけしは慌ててポケットを探り安い折畳ナイフを渡した。

よしおはたけしに紙包を持たせ刃を起こすとそっとナイフを紙包に刺し、それを抜くと刃に白い粉がついていた。

ギラギラとした目を見開き、よしおはその刃の匂いを嗅ぐと舌先で刃をなぞる様に舐めた。

見開かれていたその目が細くなり、口元も緩みニヤニヤしながら『上もんじゃ〜』

と、たけしとさだおに顎で促すと二人は紙包の上に溢れた粉を指で舐め顔を見合わせ声を上げた笑った。薬物の半常習者でもある三人には紙包の中身がすぐわかった様だ。

金の無い三人には滅多に手に入らない上物らしい。

よしおは更に覚醒剤を指に付けると鼻の中に指を入れ、回すように刷り込んだ。

よしおはポケットから現金の束から取り出し数枚をBとCに渡し覚醒剤をビニール袋に戻し拳銃と札束と共にショルダーバックに戻した。


3人は浮かれた笑い声を響かせながら賑やかな繁華街に戻ると一軒のファミレスに入り一番奥に陣取った。

店内の天井にはガラスのシャンデリアが輝き、中央の衝立が目線を遮り、隣の席や店内は見えない。

座席はその衝立に沿って両側に8席ずつ並び、3人は座れる革張りのベンチシートで背もたれは少し高め、隣席からは頭しか見えない。

同伴の待ち合わせやアフターと言われる待ち合わせの客が大半でケバケバしい匂いと作り笑いの金切り声が充満している。


3人はここに来るまでの間、紙包に指を入れ鼻に擦り込んだり舐めているので見た目には酔っている様に見える。

少し呂律の回らない口調で横柄にウエイターにビールを頼むと通路側に座るさだおに付き合いのある女を呼び出す様に言いつける。

さだおは少し口を尖らせ不満そうな顔で立ち上がると店の入り口付近の公衆電話のダイアルを回し頭をペコペコ下げ会話が終わるとこちらに戻ってきた。

少し不機嫌そうな顔つきで『今、来るそうです』というと席にどかっと座った。

よしおは薬物のせいで不満そうな言葉や態度は気にならない様。

バックの中の拳銃と札束を上からさすりながらにゃにゃと歪めた口元から『そうか…来るか…』と頷く。

テーブルに注文したビールが届くとさだおがグラスに注ぐ。よしおはそれを飲むとグラスを乱暴に置く。

サダオはビールをAのグラスと自分達のグラスにも注ぐ…

程なく、いかにもホステスという派手な身なりのD子がAの横の席に着いた。

Aの威勢はいい。幸子を引き寄せ脇の置いたショルダーバッグを開け中を見せる。

札がびっしり並ぶのを観てD子が『キャ〜』と満面の笑みを浮かべその札に手を伸ばす。

Aはそれを払いのけD子の胸に札束から十数枚の札を押し込む。貰ったD子はその札を取り出し枚数を数えながらAにしな垂れる様に抱き付きビールをグラスに注いだ。

一方、BとCはD子が札を数える姿を見て自分たちの倍以上の金額に不満が募る。

Aと女を横目にお互いを突っつきながら口を尖らせる。

Bが体をAに向け、両手でテーブルをドンと叩きながら

『もっと俺たちにもよこしてもいいだろ』


Aは女の肩に手を回し少し虚な目線を二人に向け『文句があるのか』凄んだ。


二人は収まりきれない様で『女より少ないのは…』とCが立ち上がり言いかけた…

しかし、バックから抜かれた拳銃を見て大きく口を開けたまま動きが止まった…アアア…震える声を絞りながら『こんなとこで撃てるのか…』と言った途端Aの指に力が入りCに向け銃口が火を吹いた。

弾は腹部当たりCの体は吹き飛び激しく背後の壁に叩きつけられた。

弾は貫通してシートの背もたれに血飛沫と共に食い込む。

突然の事にBは驚き、ばね仕掛けの人形の様に席を立ち上がった。

それを見たAは反動で反り上がった拳銃を持ち直しBの顔に向け撃った。

壁に叩きつけられたCがBの方に倒れ込み2人が重なる様にテーブルと椅子の間に崩れ落ちた。

頭を撃たれたCは既に動かない…

腹を撃たれたBは床で呻き声を上げているが、怒りの収まらないAはその顔に向け3発目を放った。


店内は突然の銃声に奥の席に目をやり、少しの沈黙の後、パニックになった客と店員が悲鳴を上げながら出口に殺到した。

人々が入り口のガラスドアにぶつかり折り重なる様に倒れ込む。

しかし重たいガラスドアは引き戸のため開かない。

数人の男が倒れた人の上を踏みつけながらガラスドアに突進する。

ガラスドアは大きな音を立てて砕け、数人が勢い余って転げ落ち、金切り声を上げながら走り出した。

外を通る人には賑やかな街頭音楽と喧騒で中の騒動が伝わっていない様で、割れたガラスドアから走り出した人とその下を這って店を出てくる人に驚きながらも店内を覗き込む。

Aは流れる出る血を眺めながら薄ら笑いを浮かべ女に回した手で引き寄せる。

女は理解できないまま硬直して動けないでいたが、引き寄せられ事で恐怖が蘇った様で大きな悲鳴を上げ手を振り払い

立ち上がるが足元に拡がった血糊に足を滑らせ座席の横に転んだ。

Aは逃げようとした女にもその怒りの矛先を向け4発目を放ち、女も恐怖の目を見開いたまま頭を撃たれ崩れ落ちた。


入り口は転倒して怪我をした人や恐怖で泣き叫ぶ女の声で騒然としている。

通りの人も銃声に驚き悲鳴を上げながら走り出す。

その光景を振り返りながら『うるせ〜』と言いながらその混乱した人混みに向け5発目を撃ったが天井のシャンデリアに当たりガラスが人々の上に降り注いだ。

逃げ惑う人は更に悲鳴をあげ、頭を抱え床に伏せ、這いつくばりながら前に進もうとする人の足に捕まる。

掴まれた方は振り解こうと蹴るとその足が顔面に当たり、鼻血を吹き出し手で顔を覆って悶絶している。正に修羅場、地獄絵図である。


Aは座り直すと拳銃を持ったまま鼻歌を歌っているがことの成り行きを少しは理解できたのか震える手でグラスを口に運ぶが口の周りから溢れダラダラと顎を伝い衣服に染みが広がる。


外では悲鳴や怒声が飛び交う中パトカーのサイレンが近づいてきた。

それを聞いたAは少しの間をおいて立ち上がり、拳銃とショルダーバッグを手に出口に向かった。

パトカーのサイレンが店の前で停まった。

パトカーの回転灯が辺りのガラス窓がミラーボールの様に反射する。

パトカーから3名の警官が腰の拳銃に手を当て留金を外し入り口を囲んだ。

警官の一人が入り口に這う客に向け『大丈夫ですか』と声をかけた時、店の奥からフラフラと入り口に向かってAが近づいた。

そして足元で疼くまる客を足で蹴りながら壊れた自動ドアの前にAに立った。

握られた拳銃を見た警官は拳銃ホルダーから拳銃を抜いて構える。

両手でしっかり握られた銃口はAの胸元に向けられ『銃を捨てろ』と、語気を上げるとAは鬼の様形相で目尻をあげ、『うるせんだよ〜』と弱々しく声を出し、ダラリと下がった手に握られた拳銃を力なく持ち上げ引き金を引いた。

弾は敷き詰められた敷石に当たり火花を上げ、停められたパトカーのフロントガラスに蜘蛛の巣模様が走る。

それに反応した3人の警察官が更に腰を下げAに向け一斉に発砲…弾は三発共辺り胸と腰に当たりAは弾かれた様に吹き飛んだ。肩を突き抜けた一発は店の反対側の窓ガラスが粉々になり派手な音を立て崩れて辺りに広がる…

Aは即死の様だった………



…これが事件のあらましだ。


この件が暫く社会を賑わせ現金や拳銃そして薬物の入手経路がマスコミに流れるだろ。

更には尼崎の電話ボックスに置いた財布の現金が騒ぎになるか…

そして北海道でのことに関わる反応が裏の社会で起きるのか…それを待つことにする。


テレビから犯人の素性を暴こうとする、目撃者やその道の有識者、専門家の意見などを聞きながら眠りに落ちた…


目が覚めるともう8時を回っていた。

ホテルレストランで軽い朝食を食べ新聞を読みテレビの音声に耳を傾けるが目新しい情報は聞こえない。

ホテルを出てJRで京都のホテルに戻る。


預けた車に乗ると中を確認するが変化はない。

後部座席に乗り込みまた後部シートの裏を外し拳銃と残りの現金をショルダーバッグに詰め、そのまま京都駅に向かい横浜に向かう。

新幹線に乗るのは久しぶりだ。

しかもグリーン車に乗るのは初めてである。

一般席に比べる、ゆったりとしたシートの体を沈めると自分が特別な存在であるかの様な錯覚に陥る。

確かに今の自分は人を殺し、更に数人が命を落とす原因をばら撒いた張本人でもある。

違う意味で特別な人種なのかも知れない。

車内は秋の行楽に向かう人帰る人の笑顔が溢れ平和な日常がそこにあるが…

もうそんな世界には戻れない気がしている。


殺された太田の住んでいた横浜の知識は全く無い。

横浜に着くとまずホテルを決め、部屋の鍵を受け取るとフロントで近くの本屋を聞き、横浜の市内地図を買い免許証の住所を確認する

その住所はどうやら郊外の山沿いに広がる新興住宅地の様で、郊外をつなぐ私鉄の駅前には大型スーパーや、飲食店が並び、その周辺を囲むように拡がっている団地の一つのようだ。


細かい住所を見ると団地の中心部の公園脇に面した幅広い通りの一軒らしい。


翌日、ホテル前でタクシーを拾い大まかな住所を告げると運転手は道順を考える様に小さく頷きながら『ハイ』と答えた走り出した。

無論距離から言えば近場を走るより実入が大きい上客。

上機嫌な運転手はあれこれ世間話をして来るが差し障りのない返事をしていると会話も途切れた。30分も走った頃、運転手が振り返り〇〇町のどちらに向かいますか?と聞いてきた。

この地域は新興住宅団地の中でも高級住宅の様で庭もあり車庫を備えた家が建ち並ぶ。

巧は地図を広げながら『住宅調査なので周辺をゆっくり回って欲しい』と言うと

『分かりました』とその地域を回り出した。

頭の中にはその周辺の俯瞰図が焼きついている。

その目当ての太田の家と思われる住所の少し手前に公園がある。

その駐車場に黒塗りのクラウンが停まっていた。

前席に座る男の目線は横を向いている。

その目線の先は太田の家の方…

太田家の前に赤いワーゲンが停っていて、その脇に5歳くらいの女の子と

家の入り口に30前後の女が買い物袋を下げ、入るところだった。


太田の家の方に目を向けないまま通過して運転手に近くのコンビニに寄る様頼んだ。

メーターを待ち時間にしてコンビニに寄り、冷たい飲み物を2本買うとその一本とチップと言って千円札を数枚、運転手に渡し不動産調査を名目にこの周辺の話を聞き出す。

チップのせいか更に口の軽くなった運転手によるとこの周辺は『穏やかで事件や不穏な噂も聞かない』そうだ。

更に『自分も住むならここがいい』『でも高いので手が出ない』と自嘲の笑顔を見せた。

なるほど❗️と頷きながら公園脇に停まっていた黒塗りのクラウンの事を考える。

もしかすると見張られている…かもしれない。

あの帯広の事件を揉み消してしまう組織を思うとそのくらいの事はやるだろう。

だとした迂闊に近づくのは危険だなので少し様子を見てからにする事にした。

どちらにしても太田の家族とあの組織の動きを知りたい。


団地の中の通りを思い浮かべる。

太田の家の向かいの広い公園のすぐ横にマンションがあった。

マンションは七階建てで各階に10室ほどの部屋があり、全てが公園側に大きな窓がある。

その一室を借りると太田の家の監視が出来そうだ。


タクシーに乗った横浜駅まで戻る事を伝え走らせる。

そのマンションを通過する時、管理会社の名前の確認を忘れない。


駅前のホテルに戻りタウンページを開き目当ての不動産管理会社を調べ、マンションの空室を聞き、翌日の12時に現地での待ち合わせを予約する。

その足で京浜線で上野に向かう。目的は残りの現金の散布…

夜になるのを待ち行動を起こす事にして早い夕食を済ませ リサイクルショップ数軒で財布を3つとコンビニで白い封筒を買い、喫茶店で体を休ませる。

少し暗くなってきた上野公園はホームレスが寝る場所に戻り、そこかしこに夕食の宴が繰り広げられ始めた。

大阪ほどの賑わいは無く、粛々と生活が営まれている様だ。

監視カメラは駅周辺にはあるが公園の中には無い。

駅のトイレでまた裏ブレたジャンパーに着替え、買ってきた財布と白い封筒に残りの現金を適当に分けて入れ、更に拳銃の入ったショルダーバッグにも現金の封筒を入れた。


その段ボールハウスの周辺を回りながら間隔をあけ財布と封筒、ショルダーバッグを茂みに投げ込む。


目的を果たした上野にはもう用がないので横浜のホテルに戻り翌日の予定を立てる。

拾った人が猫ババして使っても警察に届けても綺麗に拭いてあるのでこちらに繋がる事はない。


翌日秋葉原の電気店を数軒周り監視用具を買う。

双眼鏡、三脚、高倍率のレンズ付きのビデオカメラ。

少し嵩張る荷物を抱えホテルのもう一泊の予約を入れ運び込む。


コンビニの軽い夕食を済ませテレビのスイッチを入れると昨日の乱射事件の続報が特番で流れていた。

どうやらあのトカレフには前歴があり数年前、関西での抗争で関西系の組幹部が射殺された事件に関わった様だ。しかも犯人はまだ捕まっていない。

という事は今回の帯広の事件は関東系なのか………そんな推理を他所に(拳銃、薬物のの入手経路は依然分からない…)とレポーターが早口で捲し立てる。

それもそうだ…彼らがそれらを手に入れてほんの1時間余りの出来事…

しかもチンピラ風情が簡単に手に入れられる代物では無い。

巻き添えになったD子には申し訳ないが全員死亡で何の情報もないまま、3人の仲間割れ程度にしか見られてない。

いずれ巻き添えになったD子の素性を調べて償いはするつもりだ。


このまま収束に向かうのはいいが大阪の釜ヶ崎での現金については何の反応もない。

ならば…現金についてはどこからも届けが無いクリーン紙幣という事になる。

などと甘いことを考えるが…まだ安心はできない。


翌日、団地周辺の最寄駅の喫茶店に出向くと不動産屋の担当者が待っていた。

早速、不動産屋の車で目当てのマンションに向かう。

西向きのマンションは全て1LDK、どの部屋からも〇〇の家が見える。

距離は100メートルくらい…

空き部屋は6階の道路に面した角部屋が空いていた。

西側と北側に窓があり玄関のすぐ右にシャワールームとトイレ。

反対側に3畳ほどの寝室、

さらに入ると左側に台所には備え付けのガスコンロ。

リビングは約8畳ほど。

ワックスのかけられたフロアは窓の外の光を反射して光沢を放つ。

何気ない顔で大きな窓に向かいガラス戸を開け、

ベランダに出て周りを見回し、それとなく公園の駐車場を見ると黒塗りのクラウンが停まっていた場所に黒のワゴン車が停まっている。

同じ車では目に付くので車を変えたのかもしれない。部屋の中に戻り窓を閉めながら

『見晴らしもいいし静かで部屋の大きさもいい』と、言うと不動産屋の担当は愛想よく仮契約を迫った。

それを受け取り『ここに決めます』と書類に目を通しながら署名捺印する。

免許証を見せ、住所の欄には京都のホテルの住所を書き込む。


決まると話は早い。一方的にゴミ出しのルールや駐車場の説明を捲し立てる。

それを聴き流しながら管理費と家賃と駐車場代の内の30万円を支払い鍵を受け取る。面倒な口座手続きを省くため半年分を払い込む約束にした。

不動産屋の車で駅まで送ってもらい、郊外線に乗り横浜駅近くのホテルに戻ると秋葉原で買った双眼鏡やビデオカメラなどをタクシーに乗せマンションに運び込んだ。


部屋にはまだカーテンも無いので明るいうちは窓には近づか無い。

明日にで必要なものを買いに行くことにしてここに来る途中で買ったパンと牛乳で夕食にした。


暗くなるにはまだ時間がある。散歩がてら周辺を歩いてみる事にして変装用のジャンパーを着て通りに出た。

広い通りとは言え、団地の中を巡り外には繋がらない道路は思ったより交通量は少ない。

公園の中ほどを散歩する風で停まっているワゴン車の背後に回る。

窓は黒いフイルムが貼られ中の様子は分からないが、ナンバーは例の事件と同じ横浜ナンバーと分かる。

必要以上に印象に残さないために早々に離れ遠くを迂回してマンションに戻る途中、ワゴン車の横に先日のクラウンが停まった。

慌ててマンションに戻りエレベーターで部屋に向かい、ベランダのガラス戸を少し開け、這いつくばるように公園の駐車場を見ると、Wのスーツ姿の男がクラウンに乗り込むところだった。

矢張りあの組織の見張りの様で食事の差し入れか交代するところだったのかもしれない。

双眼鏡でもう少しはっきり見たいところだが、今日のところはやめておく。


夜になりそっと屈んでベランダに出て双眼鏡を覗く。

視界に公園の街灯の下を歩く人が目に入ってきた。

少し横に振り公園の駐車場を見るとクラウンは消えていたが黒のワゴン車が停まったままだ。

太田の家を見ると閉められたカーテンから灯りが漏れそこかしこの平穏な家庭と何ら変わらないのだが、


タクシーを呼び横浜駅に向かう。夜半の最終新幹線で京都のホテルに向かう。

早朝のロビーにチェックアウトを告げカメラなどの機材を車に積み込みホテルを後にするが、横浜〇〇の家の周辺を帯広ナンバーでは目立つのでインターチェンジ近くの貸し駐車場を借りて車を置く事にした。

この車のナンバーも変える必要がある。

電話帳でレンタカーの会社を探し、ひと月の契約をしてランクルに戻りカメラ機材を積み込み東名高速を横浜に向かう。

レンタカーの返却は横浜の系列店にしてある。

ラジオで大阪の事件の続報を聴くが身元が分かった程度で進展はない様だ。

尼崎や上野で蒔いた現金などはニュースにもなっていない。


午後に横浜に入る。

マンションに向かう前にホームセンターに寄りカーテンや簡単な調理用具、寝袋とエアーマットレス、そして手軽な食品を買いマンションに入る。

荷物の積み下ろしにエレベーターとは言え、鈍ってしまった体には3度の往復は流石に疲れる…


厚手のカーテンを取り付け、カメラなどの設置が終わっると夜の九時を回っていた。

灯りを消し、カーテンを少し開け、窓から少し離れた所に立てた三脚のビデオカメラの電源を入れるとモニターに少し荒い映像が浮かんできた。

200メートルほど離れた太田の家がベランダの柵越しに映る。

しかし、モニターの明かりが顔に反映して外からはまる見えの上、長時間立ったままでビデオカメラのモニターを見るのは疲れる。

外から目立たない様にするためテレビモニターとビデオを買う事にした。


翌日、サングラスをかけ車で駅前に向かう。

公園の駐車場には昨日と同じ車が停まっているが気に留める様子を見せないでその前を通り過ぎる。


電気屋の向かい14型のテレビとビデオレコーダー、120分のビデオテープ、接続コード、ついでに電気ポットも買い、住所を告げ冷蔵庫の配達を頼みマンションに戻る。

マンションの戻りカメラにビデオとテレビを繋ぎ電源を入れると、床に置いたテレビに表通りの映像が映る。

座ったまま手を伸ばし三脚に載ったカメラを〇〇の家に向けピントを固定する。

まだ明るいのでベランダには近づけないので広げたエアーマットに座り電気ポットで沸かしたお湯をカップラーメンに注ぎ昼飯とした。

〇〇の家のカーテンは開いているが白いレースのカーテンで中は見えない。

赤いワーゲンは停まったままだ。

時々カメラを振り公園の駐車場に向けるが黒のワゴンにも動きはない。

3時を過ぎた頃、〇〇の家に動きがあった。

ドアが開き赤いジャージにエプロンをした女が出てきた。

間も無く家の前に幼稚園バスが停まり、女の子が跳ねる様に母親に駆け寄る。

それを両手を広げ迎え入れると、幼稚園バスに頭を下げる。

女の子は手を振っている。

バスが去ると2人は手を繋ぎ家の中に消えるとすぐ公園の駐車場にカメラを向ける。

案の定、運転席の男は乗り出す様に太田の家を見ている。

後部のスライドドアも少し開き1人がのぞいている。

少なくても3人は乗っているようだ。

今日はそれ以降何の動きもないまま夜が明けた。


巧はこのモニター見ながら一日を過ごしたが、このままここから映像を見ているだけでは何ら進展はない。せめて〇〇の家の中の音声が聞けたら…と考え集音マイクを買うことにした。


翌日、昼前に冷蔵庫が届いた。

配達時間に合わせビデオカメラを片付けて置いた。

冷蔵庫の空き箱をベランダに運び、室内側の面をカッターで切り中に入れる様にした。


昼を過ぎ頃、〇〇の家にカメラを向けたままビデオに120分テープ入れ3倍モードにセット。これで6時間は記録できる。

テープが切れるまでには戻りたいが道の混雑状況では遅くなるかもしれない。

それを承知でレンタカーに乗り東京の秋葉原に向かう。

庶民的な製品からハイスペックのプロ用まで何でも揃うのが秋葉原である。

更にこの界隈では使う目的や動機など意に止めないのがルールだ。


立ち並ぶ電気関連の店には専門分野に長けた店が多い。

マイクで言えば一万円位の盗聴マイクから百万円クラスの業務用マイクまで揃えた専門店のうちの一軒に入る。

店員を呼び止め高性能集音マイク、離れた室内の音を聴きたいと伝えると少し高いが…と言って奥の棚から黒い箱に入った商品を持ってきた。


箱を開き、30センチほどの長さで三脚固定用のマウントがついている。

収音範囲は200メートル、向けられた対象物はもちろん、ガラスに向ければガラスの微妙な振動を捉え中の会話が分かるそうだ。

200メートルなら範囲内だ。

向ける標的に合わせるため、先端と後部には突起があり、銃の様にそれを一直線に合わせるそうだ。

音声端子をビデオカメラに繋ぐと映像と音声が同時録音出来る。

その場でマイク用三脚も一緒に30万を支払う。

店員の話し通り少し高いが希望通りの商品が手に入った。



家に戻り早速マイクを取り出し三脚につけ細く明けた窓の隙間に向ける。

イヤホンを耳に入れると空に向けられたマイクからは殆ど音がしないが少し下げ、公園に向けると子どもたちの声が耳に飛び込んできた。

少し横に振ると散歩する犬の息遣いや、会話がハッキリ聞こえる。

口元が緩み『これは凄い』と声を上げた。


夜になり明かりを消し窓を開けるとそっとベランダに置かれた冷蔵庫の箱に三脚につけた集音マイクを持って入る。

段ボールの角にマイクの高さに合わせ、立5センチ、横40センチほどのスリットを入れた。

その穴に向け、外に飛び出さない様にマイクの位置を調整し、後ろから覗くとマイクと太田の家が一直線になっている。

音声端子のコードを繋いで箱を出て、這う様に部屋に戻りコードをビデオカメラに繋ぎ、電源を入れると暗い室内のモニターの薄暗い画面に

カーテンの隙間から漏れる灯りが見える。

ガラス越し賑やかなテレビの音も聞こえる。

子ども向けのアニメに混じって子供の笑う声が聞こえる。

マイクがピッタリあった様だ。


もう一度、ベランダの箱に入り今度は公園の駐車場のワゴン車に向ける。

ワゴン車のガラスからラジオの音に混じり低いイビキが聞こえる。

会話が聞こえると何か情報を得られるかも知れない。

今夜はこのままワゴン車に向けたままにして、ビデオを録画にセットして寝袋に入り横になった。


朝、モニターから聞こえる男たちの声で目が覚めた。

カーテンから漏れる明るい日差しで目が痛い。遅くまでモニターとの睨めっこが響いている様だ。


『あ〜体が痛い』『腹も減った』『小便したい』

など不平や不満の声を制する様に『そろそろだぞ』…と引き締める声が聞こえた。


ビデオは6時間の記録を終え停まっている。

朝飯はパンとコーヒーと思いポットで湯を沸かす。


パンを咥えモニターを覗き込むと太田の家の玄関が開き母と子が出てきた。

白いスカートに薄いブルーのトレーナーを着た母親の周りを笑いながらゲルグル走り回っている。

程なく幼稚園バスが家の前に停まり女の子は母親に手を振ると乗った。

母親はバスが角を曲がって見えなくなるまで手を振って見送ると、踵を返して家の中に消えた。

集音マイクのイヤホンを耳にさすと男たちの『いい女だなあ〜』『勿体無い』など若い男たちには妄想の対象であり、垂涎の的だろう。『太田の奴、こんないい女残してどこにトンズラしてやがる…』


と言うことは取引の金を持ったまま行方が分からない…と言うことか‼︎

持ち逃げした太田が家族に連絡して来るのをまっているということか。

おかげで少し状況が見えてきた。

窓を開けて段ボールに潜り込むとマイクの向きを太田の家に向ける。

開けられた窓に白いカーテンが揺れ、茶の間の家具の配置が垣間見える。


掃除機のモーター音にイヤホンが悲鳴をあげる…慌ててボリュームを下げ、モニターのスピーカーに切り替え、パンとコーヒーの朝食を済ませた。


程なく掃除機の音が止まり静かになった。

5分ほどしてモニターからボソボソと女の声が聞こえてきた。

誰かと電話で会話をしている様だ。

静かな声がやがて語気が上がり甲高い声に変わった。

その声は涙声ながら強い語気で電話で何かを訴えている様だ。

慌ててモニターのボリュームを上げ耳を澄ます…

時々、太田の名前が聞こえ、『出張ってどこにいつまでなんですか?』『連絡も取れないなんておかしいでしょう』と更に語気を荒げ問い詰め出した。

『いいです、電話では埒が明かないのでそちらに行きます』

と、乱暴に受話器を置くとバタバタと家の中を走り回る音が聞こえる。


やっと動きが出た事に巧は素早く動き、ビデオカメラを録画にして部屋を出て駐車場に向かう。

変装用の着替えの入ったバックにインスタントカメラを入れ、それを抱えている。

駐車場は太田の家の反対側の東側にあるの駐車場の入り口まで進め赤いワーゲンの動きは見えるが公園の駐車場は見えない。

5分ほどして太田の家のドアが開き薄いグレーのスーツを着た女が車に乗り込んだ。

きっと公園のワゴン車も動くと思うので目立つワゴン車を追う方事にする。

少し荒っぽく駐車場を出たワーゲンを見て少し前に出ると、黒のワゴンがその後に続いた。

少し間を置き、数台の商用車を挟んで後に続く…

レンタカーも白いバンなので周りに溶け込んでいる。

幹線道路を横浜の中心街を抜け高速道路に入る。東京方面に向かう様だ。

少し背の高い黒のワゴンに張り付いて離れない。

無論、間に数台の車を挟んでのこと。その前方に赤いワーゲンがチラチラ見える。


高速を30分ほど走り〇〇インターで降りると〇〇駅近くに着いた。

赤いワーゲンが駅前の20階建てのビルの有料駐車場のゲートに入る。

黒のワゴンは反対側の契約駐車場に入った。

2台ほど後ろに付いてゲートに入り、駐車場管理人からチケットを受け取る。

ワーゲンは奥のスロープを上りって行く。

駐車場は螺旋状に上がって、通路の両脇に停めるタイプなのでどこに停めても見つけられる。

赤いワーゲンは3階の真ん中辺りに停められていた。

祐実は車の中で思い詰めた表情で前を見ている。

その前を通り過ぎ、4階まで上がり車を停め、素早く階段を降り3階フロアーの入り口で様子を伺う。

出入りの車のエンジン音に混じりローヒールの靴音が近づいてくる。

フロアーに続く階段のすぐ脇にエレベーターがあるのだ。

鉢合わせは不味い。

入り口に背を向けタバコを取り出し火をつけた。

幸いエレベーターの前で足音が止まりこちらには来ない様だ。

グーンとエレベーターが近づき、ポ〜んと鳴りドアの開く音がした。

と、同時に女が小さな悲鳴をあげた。ドヤドヤと数人の乱暴な足音が響き、『何ですか…』と、

少し怯えた女の声が聞こえた。

『奥さん、困るんですよ、会社に来られたら…

大人しく帰って旦那の帰りを待った方が身の為だよ。』と関西訛りの混じった中年の低い声が聞こえる。

更に祐実の動きを阻止する様に数名の男たちが取り囲み、エレベーターの方に進めない。

その集団は一様に黒っぽいWのスーツを纏い、目つきや体から発する威嚇のオーラが、祐実の足をジリジリと後ろに下がり

駐車場の入る赤いワーゲンを見張っていた様で会社に入るのを阻止するために来たのだろう。


巧はこの階にいては危ないと感じ、3階の入り口から見えない位置まで上がり、耳を澄ます。

男の『可愛いお嬢ちゃんも居るんだし…ネ…』と少し薄笑いの声をかけると『ふふふ…』と数人の含み笑いが聞こえる。

『主人の所在を知りたいだけです、連絡したいだけなんです…それだけでも教えてください』必死の声を絞り出すが、『そのうち連絡も来るからさっさと家に帰りな‼️』

と言いながら女を押した様で乱れたヒールの音が響く。

『何するんですか…警察に言いますよ』と声を張り上げると、『そんな事すると旦那が怒るよ〜しかもあんたの娘、犯罪者の娘になるよ〜それでもいいの〜❓』

と、少しねちっこい言葉に凄みを入れて迫ってきた様で、

『エッ』と怪訝な素ぶりで眉に皺を寄せ、『近寄らないで…主人はそんな犯罪に関わっているんですか⁉️』と詰問するが…

『それは本人から連絡きたら聞けばいい…サァさっさと帰りなさい。』

『このことを誰かに喋るとその人にも何が起きるか分からないよ〜』

と、少し柔らかい口調が返って不気味で…

女のヒールが後退りの音を出す。そして少しの間を置き

『何か連絡あったら教えてください…』と声を落として車に向かった。


娘に危害を加えられても困るとの思いが過ったのだろう。


ワーゲンの重いドアの閉まる音とキキキとタイヤの擦れる音がフロアに拡がると中年の男が『家に戻るか見てこい』と、言うと『ハイ』の返事と数人が階段を下に走る。


女はおそらく家に戻るだろうと考え、この者たちの正体を探るため残る事に決めた。

階段室の窓から下を見ると契約駐車場の方に数人が向かって走っている。

いずれもお決まりのスエットやジャージ姿だ。

やがてエレベーターがポーンと鳴りドアが開き一人の足音が滑り込みドアが閉まった。

急いで階段を掛け降り一階に着くと黒いWのスーツの男が階段室の前を横切った。

階段室を出て他に降りた人がいないか周辺を見回すが誰も居ない。

間違いない…季節を問わず黒のWのスーツはこの世界の連中の定番、制服みたいなものだ。

この男だ‼️と感じて少し離れて後に続く。

ビルの入り口にはガードマンが立ち、この男に軽く会釈した。

フロアーの正面にはカウンターがあり、そこに座る受付の二人も立ち上がり

頭を下げた。それなりの会社なのか…単なる顔見知りなのだろか…


Wの男はフローを進み5台ほど並ぶエレベーターの前に立つ。

脇のフロア案内図には各階に20社くらいが入っている様だ。

これでは階が分かっても企業名を調べるのは容易ではない。

その後に2人のサラリーマンが話をしながら立つ。

一緒に乗りたいが顔を見られたら面倒だ。すこし離れた位置から様子を見る。

行先階だけでも分かれば…

10台あるエレベーターはひっきりなしに上へ下へとランプの点滅が続く。

そのエレベーターの前に三人が加わり、いいタイミング…その人の塊に混じって乗り込むと一番奥の壁際の角に立つ。20人以上は乗れそうに広い。

Wのスーツの男は動き出すとドアの前に仁王立ちになった。

巧は最後に乗り込んだので誰が何階を押したか分からない。

7階、10階、12階、18階とボタンが押されたエレベーターは

思ったより早い速度で、しかも静かに昇っていく。

7階で連れに挨拶をしながら一人が立ちはだかる男の脇を抜け降りたのだが…

もしこの男が18階なら困るので最上階を押し一歩下がるが、10階に着くとWのスーツの男が降りてしまった。

できれば次の階で降りて階段を使い、どの事務所に入るのかを確認したい…と気持ちが焦る…

その時、12階でスピードをダウンして止まる気配。しめた‼️

チャンスはまだある。開いたドアから4人ほどが乗り込んできた。

巧は最後の人が乗り込んだ瞬間、手を伸ばし閉まりかけたドアを止めホールに出た。そして見回して階段を探す。

左右に階段のマークがあるので右を選び走る。階段を数段跳びで駆け下り10階のフロアに出たがすでに人影はなく静まり返っている。


案内板にフロアを挟んで両側に10数社の名前が連なる…

反対側の階段まで社名を見ながら歩き見るが、特にこれという社名がない。

各フロアには監視カメラがエレベーターのドアに向け設置されている。

これは監視カメラというよりエレベーターの混雑を把握するためのものだるう。


1つ下のフロアからエレベーターに乗り一階に降り、監視カメラの位置を見て歩く。

入り口に向けてサービスカウンターの後ろに一台、エレベーターホールを左右から二台、ホール端から中央に向けて二台、全部で五台。

会社案内図を見て10階の社名をインスタントカメラで写し、出てきたフイルムをポケットに入れた。この場面も記録されているだろうが、さして問題は無いだろう。


車の戻り、契約駐車場を見て気がついた。

駐車場のスペースに社名が書いてあるかもと期待したがナンバーが書かれているのみで社名は無い。

書かれたナンバーもインスタントカメラに収める。

マンションに戻り窓から見るとワーゲンが家の前に戻っていたが公園の前には監視の車が居なかった。

会社に押しかけたことで監視の必要が無くなったのかもしれない。


祐実は家に戻り、呆然とソファーに蹲っていた。

太田は結婚当初から家を空ける事が多く、長い時は半月ほど家に戻らない事もあり、今回も同様なのだが、定期的に必ず電話が有った。

それが〇日間も連絡が来ないのは初めてでありゆみの不安が募るのも無理はなかった。

しかし、祐実にはもう一つの思いがあった。

結婚依頼この8年、一日として家族としての安らぎが無かった。

月々の生活には不安が無かったが、自称総合商社の海外担当と言っていたが、太田は英語は話せなく、海外出張と言いながら海外からの土産一つ、持ち帰ったこともなかった。

それだけで無い…この数年、家に帰ってきても会話がほとんどなく、

子供の幼稚園の行事にも参加する事も無かっただけで無く、祐実の実家に帰る事も許されず、連絡を取ることも太田の前でないと許されなかったのだ。そんな生活に嫌気がさし、離婚を考えていた矢先の失踪だった。




不在の間の四時間のビデオを早送りで再生していると気になるシーンがあり止めてみた。太田の家の前に作業車が停まっている。

そのシーンを巻き戻しスロー再生してみる。

赤いワーゲンが出て30分位した頃、作業車が停り、前後に交通誘導員を配置すると、〇〇電気と書かれた作業車がアームを伸ばし、二人の作業員がヘッドホンをかけ、

何やら配線の作業をしているが電気線ではなく電話線に繋がる配線に何かを繋いでいる様だ。

周囲からは単なる電気工事にしか見えないだろう。


すると運転席にいた一人が周辺を伺いながら太田の家の玄関の前に立ち、何かを手に持ち手慣れた手つきで鍵穴を探ると僅か20秒ほどで鍵が開きスルリと家の中に消えた。

残念ながら集音マイクのポイントからは逸れていて電柱の作業員の会話は聴き取れないが、家の中の動きが聞こえる。カーテンが少し開き、受話器を取ると『聞こえるか』という声と同時に外の男が家に向かい指を丸めOKのサインを送った。

ガチャンと受話器を置くとアーアーと声を出す。

それにもOKのサインを出す。

家の中から靴を履く音が聞こえそっと開けたドアから男が出てきて、入る時と同じ様に鍵を閉めると車に戻った。


どうやら電話の盗聴だけでなく家の中全体を盗聴するつもりらしい。

かなり本格的な諜報作業に帯広での一件を思い出す。

交通誘導員の周辺を見回す目配りや動きは、明らかに普通の作業員とは違う。

あの時の用意周到な作業もこの様に行われ、この様な事に慣れたメンバーが関わったに違いない。

作業車を停めてわずか30分と言う早業だ。


家の中の音を直接聴くには配線を引かなければならないがその様子がない。

であれば電波で飛ばす盗聴機を電柱の電話線ボックスに取付けたのかも知れない。


ビデオにはその後、何事もない子供の声と団欒が記録されていた。


思い立って駐車場の車に乗り、駅前の家電店に向かいあらゆる周波数をキャッチできるワイドラジオを買うと部屋に戻り周波数ダイアルを慎重に回す。


自衛隊に所属していた頃、無線の関する講義の中で周波数についての項目があり、盗聴器の周波数は主にVHFは124MHz〜154MHz UHF は339MHz〜429MHzであった。

ビデオカメラに繋いだ集音マイクの音を聴きながら同じ音を探す…

いろんな音声や音楽が聞こえてくるが音が同期しない慎重に少しずつ指を動かし音を探ること1時間…………指が悲鳴をあげ出し諦めかけていた時だった。

ワイドラジオとビデオモニターの音声がステレオの様に両耳に聞こえた。

VHFの145HHz辺りだ。

公園の駐車場に車がないので、間違いなく太田の家の周辺でこの電波を受けているはずだ。

これではせっかく監視が解けて近づきやすくなったのに迂闊に連絡が取れない。



…古巣…


翌日、朝イチで羽田から帯広に向かうチケットを取り横浜を出た。

帯広に戻るのは保管している武器や10億の現金の確認と戸籍の移転、免許証や車が帯広ナンバーでは目立ちすぎるので東京か関西に住所を移して地元ナンバーを得る必要がある。


帯広に着くとレンタル倉庫に向かい、使うにはまだ不安があるが現金1千万円と武器類のケースから手榴弾を二つ取り出し例の薬物の包みも一つ、カメラバックに詰め込んだ。

いずれはこれらを拠点となる所に運ばなければならないだろう。

今回の運び出しは少ないが、航空機の場合、荷物の検査があるのでJRを使って戻るつもりだ。

地元の新聞販売店に寄り、不在の間の新聞を買い自宅の戻り、事件事故のニュースに目を通すが、例の農夫の転落事故についての続報はなかった。

それが不気味であるが少し安堵のため息が漏れ、肩の力が抜ける…


気を取り直し、持ち帰る着替えや日用品を準備し、貸し倉庫から持ってきたカメラバックに収め、ベットの陰に隠すと市役所に向かい転出の届けを済ませた。

いずれはこの家も明け渡す事になるが、まだ暫くは使い道がある。


帯広の仕事関連の知人に連絡を入れてみた。

巧が失踪したとか死んだ…との噂が広まっていた様で驚かれたが体調が良くないので暖かい所でボチボチ仕事しながら療養していると伝えると『いい身分だなぁ〜』と半分嫌味が混じった言葉が返ってきた。

この地ではそれ程の活躍も知名度もない…

この写真業界から姿を消しても、それすら話題にもならないだろう。

でも、表沙汰になっていないが他人の命を奪い、今また犯罪に手を染めようとしている身…他人の口に載らない方が都合がいい。


丸一日帯広の空気を吸うとこれまでの緊張がほぐれ、無性に郷土料理のジンギスカンが食べたくなり、駅から少し離れた焼肉屋、南大門の暖簾をくぐった。

この店は今時珍しい炭焼きで換気扇では吐き出せない煙は小上がりの脇の扇風機で吹き飛ばすのでいつも煙が店内を覆っている。

帯広に住んでいても多くの友人との来る雰囲気で、一人で来る店ではないが今回はしばらく戻れないので一人でジンギスカンを満喫した。


翌日、帯広駅から特急で東京に向かう。

先年、開通した青函トンネルを通って行くので乗り換えがないだけ楽になった。

約半日の車内で今後の動きを考える……手榴弾と薬物もその一つだ。


…一撃…


横浜のマンションに戻り買ってきた新聞に目を通すと、『上野公園で銃声…』の通報があり警察が調べたが不明…との短い記事があった。

拾った誰かが誤射したのか…?でも現金の話題は出ないので届けられていない様だ。


太田の家を見るが赤いワーゲンは停まったままだ。

車で太田の家近く1キロ範囲を車で回るが黒のワゴン車もクラウンも見当たらない。

もしかしたらこのマンションに部屋を借りヘッドホンを耳に当ててるかもしれない。

そうなると早い所手を打たないとゆみが次の行動を起こしかねないのでこちらから行動を起こすことにした。


翌日、早朝、先ずは車で東京方面に向かい築地の市場商店街というアーケード街に行き商店脇に積まれた段ボール類の中からあまり大きくない40センチ程のものとそれが収まりそうな少し大きな段ボールを一つ。それと果物などを包むための梱包材を手に入れた。

その足で松竹撮影所付近を周り古着屋でカツラを買う。


それをマンションに持ち帰り、手袋をつけ薬物の上に手榴弾を2つ載せ、ガムテープで止めた。

それぞれの安全ピンに2メートル程の細い針金をつなぎ段ボールに入れる。

揺れても動かない程度に梱包材を被せると段ボールに小さな穴を開け2本の針金を通して外に出し、フタを厳重にガムテープで止めて周囲をタオルで丹念に拭き上げた。


この全てに自分につながるものはない。

段ボールにも品種とサイズのハンコがおされているだけなので何処の店から出たのも分からないだろう。


翌日、梱包され段ボールを少し大きな段ボールに詰めリュックに詰め込んで背負うと車を東京の例のオフィスビルから1キロ程離れた駐車場に停め、歩いて〇〇ビルに向かう。

時間は午後の2時、昼時を過ぎ少し落ち着いたオフィスビルにリュックを背負い中に入る。

少しボサボサ髪のカツラを被り黒縁の眼鏡をかけたスーツ姿は冴えないサラリーマンとしか見えない。

少し辛いが階段で10階まで上りリュックを降ろし階段室で五分ほど息を整えた。

靴底はラバー引きで足音はしない。

10階ともなれば階段を使う人の気配はない。

その時、急にオフィスの一室のドアが開く音がして足音と話し声がエレベーターに向かう。

このフロアで働く人に違いない。

やがて【シュー】とドアが開き、人の声がエレベーターの中にフェードアウトした。


深呼吸をし、フロアを覗くが人の動きはなく静かだ。

階段に腰掛けリュックの中から段ボールを取り出し中のガムテープで梱包された箱を取り出し、一回り大きな空き箱はリュックに戻した。

監視カメラで見てビルに入った時と出た時の荷物が変化していたら疑われるからだ。


もう一度深呼吸をしてフロアに進み箱を下に置いて箱から飛び出した2本の針金を思いっきり引っ張った。

ピンが抜けた反応を確かめ、滑らせる様にフロアの中心に向け滑らせた。

監視カメラからは見えない位置だ。

手榴弾の信管はだいたい5秒位…

2個入れたのはどちらかが不発でも確実に爆発させるためだ。


その5秒で何階まで降りられるかが勝負だ。

9階…8階…まで降りた時、上から【ドン】という音が響き、

吸い上げられる空気と同時に衝撃波が階段室に伝わる。

そして間髪を入れず非常ベルが全館に鳴り響いた。


爆発で段ボール箱に入っていた薬物は一瞬で舞い上がり、それが爆発の炎で粉塵爆発を起こし、その白煙を追う様に炎がフロアの半分ほどにひろがった。

そしてその後、火薬の匂いにまじり、何やら甘い芳香剤の様な香りが漂った。

炎は一瞬に消えたが、煙と炎に反応して火災報知器がなり、スプリンクラーから水が滝のように噴き出した。

舞っていた粉末はスプリンクラーの水煙に洗い流され、香りと一緒に、床を白く覆い流れてる。


巧は爆発に一瞬、脚を止めかけたが更に階段を走り降り5階まで来た時、ざわめきが各フロアから非常口になだれ込んで来た。

そして天井の方を見ながら『何の音?火事?地震?』など訝しげに話し合っている。

そんなざわめきの人波に混じり一階のロビーに出た。


耳が痛くなるほどの非常ベルの音に、追われる様に入り口に人々が向かうが、それ程の緊迫感がない。少し人並みに遅れながら振り返ると10階からの避難者が一階にたどり着いた。

粉塵爆発の粉の混じったスプリンクラーのシャワーを被りずぶ濡れできている服も髪も少し白っぽい水滴を滴らせながらも足元がおぼつかない。

薬物の影響なのか床にバタバタと倒れ、警備員が走り寄り声をかけるが呂律がまわらないものもいる。

警備員が訳のわからないまま走り回り、トランシーバーで何かを叫んでいる。

また、振動で止まったエレベーターのドアの周辺に数人が集まり開けようとしていた。


ビルから慌てて出てくる人の波は外まで続き溢れている。

少し離れてから振り返ると10階辺りの換気口から薄い白い煙がたなびいていた。

遠くから消防車のサイレンがけたたましく聞こえて来るのを聞きながら車に戻り横浜のマンションに戻った。


テレビをつけると事件現場の映像が流れリポーターが状況を伝えるが詳しい発表がない様で見たままの事と、避難した人の言葉を繰り返す。


…組織の正体…


相手の素性を掴むことが活動拠点をこちらに移すに大事な条件でもある。


翌日、朝の出勤時間で混み合うのを見計らい区役所に向かい転入届を出し、書類を持って免許センターで免許証も住所変更を済ませた。

これで何かと動きやすくなる。

今日のうちにランクルを運んできてナンバーも横浜に変えることにする。

マンションに帰る途中で新聞を買い部屋に戻った。

昨日の爆発事件の詳細な発表があった様で段ボール箱、手榴弾、覚醒剤の文字が

見出しを飾る。

10階フロアからの避難者たちは、舞い上がった粉末を吸い、軽い薬物中毒の様で病院に搬送されたが全員回復した様だ。


それに関連して10階にあった事務所が関東〇〇会の関連企業であり、海外製品の輸入販売を生業とする〇〇商事という名前が出てきた。


しかも10階フロアを複数の関連会社で全部借り切っているらしい。

そのうちの一つが太田の勤務先なのだろう。


これで拳銃、薬物の繋がりが見えてきたのは自分だけではない。

関西の〇〇組もそれは同じだろ。

大阪での事件で出てきた自分たちの身内が殺された銃…薬物そして現金…関東の殴り込み…と映るだろう…

関東側にしても行方がわからない現金と太田…そして自分の足元で薬物が撒かれ爆発………


これで裏世界の抗争をほのめかす記事に信憑性が増してきた。


警察はこの事務所に捜査令状を取り100人規模の捜査員を集め家宅捜査に入った。

その中で帯広での太田の事が表沙汰になれば、家族にとってはうやむやにされるより救いになるが、素性が公になるのは好ましくない。

警察の捜索では〇〇商事には社員名簿も無く、現場ににいた社員も女性以外は皆、偽名で持っていた免許証で氏名が分かった様だ。

おまけに取り調べにものらりくらりと逃げて、捜査は中々進まない様だ。

しかも帯広の件については表沙汰になっていないのでそちらについての話は出てきてない様だ。


実際のところ、関西の組織は身内の殺害に使われた拳銃が使われたこと、下っ端のチンピラが手に入れられるはずもない大量の薬物と現金。

(関東が仕掛けた…)と勘ぐっても仕方ない。

現に大阪の末端では小さな小競り合いが頻発していて、一触即発の状況だが、関東の爆発事件がその報復では?との疑いが警察内部で広がり、

逆に双方共、痛く無い腹を探られてくないので、沈黙を守り続けている。

巧にしてみればこのまま抗争事件として捜査が進んでくれたら良いのだが……と祈るしか無い。



新幹線で京都の貸し駐車場に向かい、ランクルに乗り横浜へトンボ帰り。

車のラジオをかけて関西の発砲事件の事は短く伝えるだけで、大方は東京の事件の続報だ。


この事件後、祐実の生活はいつもと変わらず誰とも連絡は取っていない様だし外出もない。

彼らの言う通り誰にも言わないと決めた様だ。

これ以上の行動を抑えるためにも何らかの方法で接触し、経緯を説明しなければならない。



朝、いつもの様に監視カメラから流れる子供を送る声で目が覚めた。

あの爆発事件の報道も捜査も、対立抗争の域を出ないまま進展はない様だ。


昼近くになり、ゆみが普段着のまま車で出かけた。

どうやら週に一度の買い物に近所のスーパーにでかけたようだ。

これまで2度ばかり後をつけたのだが、2時間ほど買い物をして帰ると言うのがゆみのパターンの様で無駄足を踏んでいた。

その出かける姿をモニター越しに見送りながら今朝購入した新聞に目を通す。

東京の爆発事件についての捜査は爆発そのものより、〇〇商事の実態と〇〇会の繋がりや役割に向けられ、事件そのものは単なる抗争事件としてその矛先は関西に向けられていた。

大阪の件と言い、都合がいいことには変わらない。


そんな事を考えながらコーヒーを飲んでいると、ワイドバンドラジオからガタガタと何かを動かす音が流れてきた。

ふと、モニターを見ると、〇〇の家の前に見覚えのある作業車が止まっていた。

作業車のアームを伸ばし作業員が電柱の配線箱を開き何かをしている。

同時に一人が家の中に侵入して電話機から盗聴器を外した様で、内部の音声が切れた。

そして慌てた様子で玄関を出て鍵を掛け作業車に戻った。

祐実の不在を狙って盗聴器を回収した様だ。

〇〇会としては祐実が会社まで来たことや、爆発事件から組織の構成員に捜査が延びた場合、太田に行きつき、祐実が事情聴取を受けると行方不明の件を追及されるとまずい、と判断したのだろう。

盗聴器を取り付けた時の半分もかからない15分程度の早業で終わらせると、作業車はそそくさとその場を後にした。


太田はそれを見てすかさず行動に出た。

ただ、まだ盗聴器や監視が解けたと判断するには早い。

車で駅前の商店街の文房具屋に入り、便箋と封筒を買い部屋に戻りワープロを使って太田祐実様と書いた封書を横浜駅前の郵便局で投函した。


内容は…

『太田薫さん事で話があります。

あなたの敵ではありません。

詳しい話をしたいと思います。


○月◯日横浜マリンタワーに来てください。

でも〇〇商事に監視されている可能性があります。

一度〇〇スーパーに立ち寄り、そこからタクシーでお越しください。』

更に免許証のコピーと財布に入っていた写真を同封した。


出した郵便が届いたのは翌日の午前中の事…

夫の職場に押しかけて以来、祐実の心は不安が募るばかりだった。

夫の勤める会社の名前が毎日報道の中で告げれながら、未だ会社から何の連絡もない上に、夫からの連絡も無い。

しかも、反社会勢力と言われる世界の人間だった…と言うことだ。

しかも、職場の上司からの『夫が犯罪に関わっている』…様な言葉や、とても真っ当な会社員と思えない風体のその部下たち…夫がその騒ぎの中の当事者だとしたら…そんな疑問や不安に駆られ、娘への思いもあり、ある決断を胸にしていた。

それは夫と別れる決断だった。


そんな中に届いた手紙に一縷の望みをかけて会いに行く決心をしたようだ。

場所も大勢の人で賑わうマリンタワーでもある事が安心できた。


指定の日は、いつもの買い物に出かける予定の曜日、もし監視をされていても買い物に出かけるしか見えないだろう。

祐実は赤いワーゲンでいつもの買い物の時間に家を出てスーパーに立ち寄り、中に入ると反対側のタクシー乗り場からマリンタワーに向かった。


巧もすでにスーパーの駐車場に車を停め、タクシー乗り場を伺っていた。

祐実が客待ちのタクシーに乗り込むのを確認し、それを目で追い尾行がないのを確認すると同じくタクシーに乗りマリンタワーと告げた。

数台先を走る祐実の乗ったタクシーの行灯が見え隠れするが、間に入った車に見覚えのある車は無い。

ただ、巧の乗ったタクシーの運転手の方が運転も土地勘もいい様で、片側4車線の車線をうまく走り、巧のタクシーの方が数分先に着いた。

料金を払い、マリンタワーに向かいながら歩道脇にある公衆電話ボックスに入り受話器を取り電話をする振りで祐実の到着を待つ。


程なく祐実はタクシーから降り、足早に前を通り過ぎて行くその後方に続く人並みに目をやる。

どうやら尾行はない様で受話器を置いてマリンタワーに向かった。

すでに祐実はエレベーターの列に並び巧より先の箱で上がって行った。

巧は務めて冷静に周囲に目を配り観察を怠らない。


展望台に着くと外の景色を眺める様に右回りで一周する。

途中、手すりを背に落ち着かない目線で行き交う人を見る祐実がいたがその前を通り過ぎ2メートほど離れた手すりに近づき外を眺めるように視線を流しながら祐実の方に顔を向けた。

祐実は相変わらず行き交う人を追っていたが、巧の視線に気付き、体をこちらに向けた。

目線の合った巧が小さく頷くと、すぐ駆け寄ってきて巧を見上げる様に何かを言いかけたが巧は外に目線を移し、『静かに…ここでは人が多い。下に降りて氷川丸の方に行ってください』

と小声で言うとエレベーターの方に向かって歩き出した。

ゆみはそれを追う様に小走りで付いてくる。

エレベーターに乗り横に立つ祐実は巧の横顔を見つめながら少し安堵の表情を見せていた。

なぜなら、夫の職場の同僚達の恐ろしいイメージが付き纏っていたが巧の普通の雰囲気に少し肩の力が抜けたようだ。

氷川丸から少し離れた公園のベンチを指差し座ると祐実はベンチの反対側に腰掛けた。

少し安心はしたがまだ油断はしていない。


巧が周囲を見回しながらベンチの背もたれに肘をかけ切り出した。

『ご主人の職業に気付きましたか?』

と切り出すと、少し驚いた表情をしながら目を伏せ、『最近知りました…』とポツリと言った。

『このところの会社の事件や上司を見て大体は分かると思いますが、ご主人もその構成員の一人でした』…過去形の言葉にゆみが反応した。

『…でした…と言うのは…?』

巧は胸ポケットに手を入れ、例の二つ折りの財布を取り出しゆみに差し出した。

ゆみは目を見開き財布を奪う様に取り上げて目の前にかざす様に中を開いた。

そこにはいつも持ち歩いていた写真が一枚と夫の運転手免許証が入っている。

しかも免許証には血痕と思われる黒いシミで薄汚れていた。

『…これは…』と言いかけたまま…ジッと財布を見つめている。

ゆみの沈黙は夫の行末を悟った様だ。

『残念ですが、ご主人は殺されました。相手は分かりませんが恐らく同じ世界の連中だと思います…』

見た状況や自分がそこに居た経緯を話したが、夫を殺した連中を始末したことは言わなかった。

最期に息を引き取る時、奥さんと子供の名前を呼び、『財布を妻に渡して欲しい…』と頼まれたと、少し話を作って伝えると祐実の目から涙がポタポタとスカートに落ちシミが広がった。

五分ほど嗚咽と沈黙が続いたが祐実は意を決した様に顔をあげ、『ありがとうございました』と深々と頭を下げた。

少し落ち着いたところで、祐実の夫が組織を抜けようとしていた事や、死体が彼らが密かに持ち去られた事、ゆみの家が監視されていたことなどを伝えてすぐに渡せなかった事情を話した。

無論、大阪や東京の事件についての関わりは伏せた。

祐実は黙って聞いていたが、下を向いたまま『これからどうしたらいいのでしょう…』と呟いた。

確かに収入が途絶えると今のままの生活はできなくなる。

その言葉に巧は『彼から奥さんに渡してくれ…』と頼まれたアタッシュケースがある事。持ち歩くのは危険なので隠している。中身は現金だろうが鍵が掛かっていて金額は分からない。と伝えた。

『それを持って故郷にでも戻り、新たな生活を始めたらいい』と言うと少し考え…頷いた。

更に会社への連絡しいない事や一年待って消息不明で離婚が出来ることを伝え『静かに暮らして欲しい…』と言うと顔を上げ大きく頷いた。


時間はもう2時を回っている。

娘がもどる迄には家に帰らないといけない。

今後も連絡をするが当分の間は手紙で…と伝えタクシーに乗せた。


巧はその足で羽田に向かい帯広に向かった。

祐実に渡す現金を持ってくる為だ。

帯広の貸しコンテナに行くとカメラケース二つに一億円を五千万円づつ分けて詰め三脚と一緒に担いでJRで東京に戻ると、無線機ショップでCB無線機(低出力で交信距離2〜3キロ)を2台買った。アマチュア無線の免許も要らず誰でも使える無線機で登録の必要もない。難点は誰でも話しを聞ける事。

その一台をゆみの住所に

『毎日、昼の12時、10分間だけ電源を入れる様に。

会話は短くな名前や場所などは言わない。

コールネーム 巧→T ゆみ→Y

場所を示す暗号…(駅→ウオーター)など10箇所

時間を表す暗号…30→(➖24🟰6時)』

こんな注意書きや連絡方法を30ほど入れて横浜の郵便局から送った。


監視部屋のマンションに戻り、現金五千万円の入ったケースにデフェンダーを入れ鍵をかけ、その鍵をもう一つのケースに放り込んだ。

〇〇から預かったけど、鍵が掛かっているので開けられなかった…との設定だ。


留守の間のビデオを早送りで見たが、ゆみの家に〇〇商事の連中が近づいた様子はない。

翌日、モニターに赤い郵便車が停まり荷物が配送されたのを見て、早速、コールを送った。

『TからY…TからY…どうぞ…』

数度、送ると『………Yです…』弱々しく疑心暗鬼に満ちた応答にが返ってきた。

手短に再会の場所を行きつけのスーパーの駐車場、今日の13時と決めた。

祐実の家に向けられた集音マイクには他の誰かに連絡を入れる気配はなかった。


行動を早めたのは一刻も早くこの地を去り組織との関わりを断たせたかったからだ。


一時少し前、祐実の車が家を出た。

その後を間隔をあけスーパーに向かう。

駐車場に入ると祐実の車の数列後ろの死角に車を停め、そっと車に向かう。

アルミケースにはコートを掛け見えない様にしている。

助手席側に周り窓を叩く。

祐実が慌ててドアロックを外した。

助手席に座り、被せたコートを外しケースを見せた。

祐実はそのケースと巧を交互に見ながら恐る恐る聞いた。

『これは…?』

巧は新名は顔つきで

『最期にあなたに渡してくれと頼まれた物です』と答えると祐実の膝に乗せた。

ずっしりと重いケースに手を乗せ『何ですか…これは…』

巧は『分かりません、鍵が掛かっているので…』

『鍵を壊して開けてみますか?』と聞くと、どうしていいのかわからない表情でケースを見つめる。

巧はそのケースを自分の膝に移しポケットからマイナスドライバーを取り出しケースのラッチに強引に差し込み、押し上げた。

最初に目に入ったのは拳銃でその下には帯封のついた現金が1千万円が詰められている。

ケースの蓋を開けたまま祐実の膝に戻し、危ない拳銃だけを取り上げた。

祐実はその札に手を乗せたままジッとケースを見ている。


『どうしたらいいのでしょう…?』と呟いた。

『あなたの生活を守るために用意したんでしょうね…』

『この拳銃は私が処分します、あなたはこのお金をを持って娘さんと故郷に戻ってしばらく身を隠してください。ご両親にはご主人が家に帰ってこないので離婚する…と伝え、もし、警察から問い合わせがあったら連絡も無く消息は分からない…と言って仕事のことも何も聞いていない…と言い切ってください。』


祐実の実家は金沢で農業を営み、兄が後を継ぐ米農家だ。


と今後の身の振り方を伝え、『全部、娘さんの為です…』と、付け加えた。

その言葉に納得した様に頷き、巧を見ながら『なぜ、ここまでしてくれるのですか?』と、聞いてきた。

巧は、『袖する縁も…と、言うかご主人に頼まれたので、約束を果たしただけです。』『やっと約束が果たせた』と笑顔で応えた。

祐実はこれまでの状況を理解し、娘を護り育てる決心を固めた様で『ありがとうございます…頑張ります…』と頭を深々と下げ目から落ちた涙が札束の上に落ちた。

巧は『そうと決まれば早い方がいい、幼稚園に連絡して当分休ませると伝え実家に向かってください、職場のゴタゴタに巻き込まれる前に…』

祐実も『そうします』と答え、不安げな顔に戻り『あなたはどうするのですか?』と聞いてきた。

巧は『あの会社との接点もなく誰とも会ったことがないのでこのままいつもの生活に戻ります。無論貴女との接触も今日が最後です。お互い知らないもの同士に戻りましょう。』と言うと車を降り行こうとすると祐実が車から降りようとしたので。

それを制止してスーパーに入った。

ガラス越しに車を見ていると五分程して駐車場を出て行った。

1時間ほどして車で少し迂回しながらマンションの戻る。

目ぶかに帽子を被り着ているものも変えている。


不在の間のビデオを見ながら帰りがけに買った新聞を見ると『上野公園で発砲騒ぎ』と言う見出しが目に入った。

ホームレスの一人が数人の若者に襲われ、それを助けるために拳銃を撃った様だ。

足を撃たれた若者が怪我をしたらしい。しかしその騒ぎで数十人のホームレスが暴動を起こし騒ぎになった様で警察が出て取り締まったが撃った人や拳銃の所在は不明…』との事。

更に公園の中を検索したところ、『封筒に入れられた20万円ほどの現金が見つかり落とし主を探している』

とのニュース。

自分が蒔いた現金の一部だろうが、その現金についての事は触れていないので綺麗な紙幣…と言う事だろう。

また一つ騒ぎが起きて騒がしくなるがそこから何かが炙り出されたらいいのだが…

ビデオの音声いつもの子供の声とテレビの音が流れていて、ゆみがどこかに電話する気配もない。


その夜の深夜、電源を入れたままの無線機に声を潜めたゆみの声が流れた。

『もしもし…聞いていますか…』

しばらくの沈黙の後…声を落として呟く様に再度『聴いていたら返事して下さい』


巧はどうするか迷ったが『聴いてます…』と応えてしまった。

少しの間をおいて取り決めた暗号で…『明日、10時スーパーの駐車場…』と告げてきた。

了解と伝えると静かになった。


何か言い忘れならいいが、これからのシナリオを変える…などとなったら

何かと面倒だ…

翌日、スーパーの駐車場に向かうと祐実は無言のまま車を走らせた。

『どこえ…?』と聞くと『もう少し話を聞きたいので…』と郊外に向け車を走らせた。

行き着いたのは山の手の公園…遠くに海が見える。

少し寒空の公園には人気がなく静かだ。

エンジンを停め車を降りると展望台のベンチに腰掛けた。

それについて車を降りた巧はベンチの後ろに立ち『どんな事を聞きたいのですか?』と切り出した。

ゆみは海の方を見ながら『なぜここまでしてくれるのですか…』

『私には理解できません…危ない事に踏み込んでまで…あのお金も持ち逃げできるのに…主人とどう言う関係ですか…?』矢継ぎ早に問いかけてきた。

巧はしばらく考えながらどう答えるか迷った。でも、このままあやふやな答えに納得するとは思えない。

巧はベンチの前に周り腰掛けると、これまでの経緯を順序よく話して聞かせた。

…写真の仕事…突然の銃声…取引で裏切られ殺された事、自分の身の危険を感じ相手を殺した事…事件が組織によって隠蔽された事…太田の持ち逃げと疑われ、家が監視されていた事…自分の正体はバレてないが追われる身に…ゆみに危害を加えられる前に爆発事件を起こした事…などなど…大阪と上野公園の件以外を話した。

ゆみはジッと前を見ながら淡々と語る巧の言葉を聞き時々頷いた。


『これが今までのあらましです』

『だから今、早くこの地を離れ関わりを断って新たな生活をしてほしい…』と付け加えた。

ゆみは巧の顔を見て、色々あったんですね…知らなかった…』

と呟きまた視線を海の方に向けた。

『で、これからどうするのですか?』とまた巧を見ながら聞いてきた。

巧は『正直…どう動くかまだ決めていません。このまま姿を潜めて静かになるのを待つか…』と、その次の言葉を言いかけてが、口を閉じた。

確かに次の行動は決めてはいないが、巧はこのままで終わらせる気はない。

それは正義感と言う精神論ではなく、これまでにない緊張感と充実感が脳を麻痺させ新たな戦場に駆り立てられていた。

祐実はそのたくみの表情や言葉に何かを感じたらしく『無茶はしないでくださいね』

と言葉をかけ、明日、園に連絡してしばらく休むこと…実家には連絡を入れて明日中に横浜を出ること…などのこれからの事を話した。


巧は口元を緩め『大丈夫です、このまま身を隠します』と応えると、祐実は安心した様な表情を見せた。

祐実が改めて体を巧の方に向け、『これからの連絡はどうしますか?故郷に帰ったら新たな住所をお知らせしたいのですが…』

と言ったので『これからは他人で、連絡を取るのはこれで終わりです。何が起きてもお互いに繋がることがない様に全て忘れましょう』

と巧は言い放った。

それなりの決心を込めた言葉に祐実はたじろぎながら、『…でも…』と言いかけたが巧の強い意志の表情に次の言葉を遮られた様に沈黙した。

巧は万が一、何かが起き、自分が表沙汰になっても祐実は守りたい…

それは遺品を届けると言う義務感を超え、微かな思いが湧き上がって来ていた。

でも今はその感情を自制し、この場を離れたかった。


巧は乗った場所ではなく、最寄りの私鉄駅の名前を言ってそこで降りると軽く頭を下げ手を振って、早く行く様に促し、踵を返すと駅の中に入って行った。


ゆみはその後ろ姿を見ながら後続の車のクラクションに急かされ車を出した。


巧はこれまで今後の事をどうするか迷っていたが、何かが吹っ切れたかの様に爽やかな気分で歩いていた。

そう…祐実に言ったようにこのまま身を潜める…では無く、帯広での銃撃や爆発事件の時の緊感や充実感が忘れられない…のだ。


マンションに戻り、次の行動を考える。

これまでもそうだが、一人での行動には限界がある。何らかの方法で共感者を作る必要がある。


翌朝、モニターに子供を急かす声や慌ただしい音が聞こえてきた。

そして車に大きめのトランクを二つ入れると子供を助手席に乗せ家を出た。

今夜のうちに故郷に着き新たな生活が始まるだろう…


巧は東京の秋葉原のモデルガンを扱う玩具屋に向かい数丁のモデルガンを買った。

店主にサバイバルゲームに参加したい、と言ってサバゲーと呼ばれるチームの所在やサバゲーの聖地と呼ばれる場所を聞き出した。



その中の一つ、横浜から一時間程の山にある聖地に向かう。

そこは東京ドーム二つ分の広さがあり、いつも多くのサバゲーマニアが集まり、モデルガンの改造や情報交換や、それぞれのサバゲーを楽しんでいた。

迷彩服や戦闘服にボディアーマーなどを着た人の中に場違いなスーツを着た巧みが浮いて見えるが、初心者らしく振る舞うにはその方がいい。

玩具店の店主から聞いたチームには連絡を入れこの場所で約束をしていた。

チームの代表は吉田と言い30代の自営業で鉄工所やっているそうだ。

チームは40人ほど。色んな年代や職業の顔ぶれがいて思い思いの時間に集まりサバゲーを楽しんでいた。

今日はメンバーが半数の20人ほど集まり、今回は見学だけと紹介された。

ゲームに入る前にそれぞれの武器の点検や性能の自慢話が始まった。

歓談する様子を観察し、それぞれの個性や適性をみる。

と、言うのも共感者と言っても誰でもいいと言うわけにはいかない。

家族構成や思想などの他に適度の反骨精神や毎日に不満を持った人材が欲しい。

更に銃器の知識や反射神経もいる。


この日、サバゲーを見学しながらその動きを見せてもらった。

ゲーム終了後、焚き火を囲みながらのミーティングで気になる数人に、モデルガンやその他の必要な物の購入のアドバイスを頼むと秋元と山下、がそれに応え次回、サバゲー専門店で会う約束をして別れた。

会員の中には米軍軍属もいて銃器以外の払い下げ品などを安価で供給してくれるそうだが、あくまでも小遣い稼ぎの裏商売の様だ。


約束の当日、秋元と山下の他にチームの代表の吉田も来ていた。

3人それぞれ豊富な知識と経験からあれこれアドバイスをしてくるがその中で初心者向けの一揃いを買い店を出た。


その場でこのまま飲みに行く事になり吉田の行きつけの居酒屋に向かった。

それぞれかなりの酒豪でサバゲー談義で盛り上がる。

秋山は32歳。不動産会社に勤め、酒と女好きで一度結婚したが女房が家を出て一人暮らし。

山下は自動車の修理工場勤務、18歳で自衛隊に入り23歳陸士長で退官。

その後、今の自動車会社に入り過酷な勤務をこなし一人暮らしの鬱憤をサバゲーで晴らしていた。


代表の吉田は鉄工所を営み、仕事は三人の従業員にほとんど任せサバゲー三昧なのだが、親から引き継いだ会社の営業状況も思わしく無く廃業も考えているようだ。

親は施設に入り結婚歴もなく一人暮らし。



三人それぞれ環境も違い、協力者としてのの候補になりえるが、個人的資質を知るにはまだ時間がかかる。


それと、それぞれの中の闘争心を掻き立てる方に持って行けるかが問題だ。

その後、数回のサバゲーに参加しながら本音を探ると山下は実銃を体験しており、物足りなさと限界を感じていた。

秋山も海外に行き実銃を体験しアメリカでのサバゲーにも参加した経験もあり日本国内のモデルガン規制に不満があった。

アメリカは撃たれた時の防御に力を入れ、日本は威力を抑える事に力を入れている。

実銃が規制されている日本では仕方のない事だ。


ある日、吉田の経営する工場休みの日、山下と秋山、巧が集まりサバゲー談義をしていると、黒塗りのベンツが停まり数人の男が降りてきた。

それを見た吉田は一瞬に顔色を変え立ち上がった。


吉田は慌てて入り口に向かい走り出し、その連中にペコペコと頭を下げた。

どうやた取り立てのようだ。五分ほど威嚇する様な言葉と怒声が聞こえる。

男たちは車に乗り込み『約束は守れよ〜』と捨て台詞を残し立ち去った。

その車を頭を下げ見送ると照れた苦笑いで戻ってきた。

『いや〜カッコ悪いところを見せてしまったな〜』

『今は景気も悪くてタチの悪いところから借りたもんだから…』

と弁解じみて話す。


巧はすかさず『どこも大変だからね〜』と擁護すると『すまん…』と言って後ろを向いた。

親から代々繋いできた工場を取られるとなれば思いが込み上げたのだろう。

誰も言葉を発しないが、何とかしたいの思いは同じだろう…

『〇〇金融から500万借りて、期限が今月いっぱい…来月ここを奴らに渡す事になった』

それぞれ『何とかならんのか…』と言うが誰も案はない。


巧はこんな機会を待っていたかの様に声をかけた。


『奴らに一泡吹かせてやりませんか…このままでは虫が収まらない…』

と、焚き付ける。

『でも…どうやっても…』と、絶望的な表情の吉田に

『何か方法がないのか…』と秋山が言い出した。

それに呼応して山下も『できるなら俺も何とかしたい』と怒りを込めて吉田の肩を叩いた。


ただ吉田は『何をしても無駄だよ…借りたのは俺だし…』と項垂れた。


巧は『それなら集金どころでない様な状態にしてやればいい』と言うと、『奴らの周りに警察が集まり身動きできない様にしてやろう。

それで動きが止まり、家宅捜査で不法な金貸業に手が入ればチャラになる』

一同が巧の周りに集まり『どうやるつもり…』と方法を聞いてきた。

『俺に考えがある、みんな手伝ってくれるか?』と言うと、何をどうするかを聞いてくるが、四日後もう一度集まった時に詳しく話すと言って工場を出た。


巧は羽田から帯広に向かい、レンタル倉庫に行き、拳銃3丁、実弾100発、手榴弾2個とM14ライフルと50発入り実弾200発を釣竿ケースに収めJRで横浜に戻った。


山下の工場に向かい,もう一度みんなの意思を確認するが気持ちは変わらなかった。

そこで山下の工場にのシャッターを下ろし工作機械の真ん中に集まり釣竿のケースを開き、布に包まれたM14を引き出し、更に拳銃と実弾を並べた。

一同が『オー…』『本物…?』と声を上げたまま並べられた銃器類を眺める…

山下は『M14じゃね〜か〜スゲ〜』と手を伸ばした。

弾倉のついていない銃を手に取り構えて見せた。

他の二人も拳銃を手に取り、実銃の感触を楽しんでいる。


『どうやって手に入れた?』と聞く山下に、『入手経路は聞かないでくれ。』と口に指を当てると『そうだな…どこからでもいい…』と銃を撫で回した。


そこでこれからの計画に入る。

帯広に向かう前に三人に指示したのは〇〇金融の周辺調査だった。


〇〇金融は例の爆発事件の傘下にあり大元が揺らいでいる中、街の闇金として目立たないが不景気の波の中、それなりの需要があり、それにつけ込んだ悪どい取り立てに泣いている人も多い。

この〇〇金融は〇〇町の住宅街のT字路の突き当たりに4階建ての黒いビルを構え真昼間から高級外車を堂々と駐車違反をするが、警察も及び腰で動こうとしない。

付近の住人は組員が頻繁に出入りするため、夜は勿論、昼間もここをあまり通らない。

すぐ傍に5階建のマンションがあるが危険を感じた住民が次々に転居して入居者はまばらだ。

ビルの背後はなだらかな傾斜の小高い丘につながり頂上に神社が立っている。

ビルの前は片側二車線の通りが200メートルほどの商店街が並び国道に繋がる。

そのうちの半分ほどがシャッターを閉めているがその原因も〇〇金融にあった。

巧は2階建て3階建ての商店の中で一際高い七階建の飲食店ビルに目をつけていた。

一時はスナックやカラオケ店に多くの人が出入りして繁盛していたが〇〇組の関係者が大手を振って歩く姿に人の足が遠のき数年前にほとんどの店が廃業し、今は一階にレストランが営業しているのみだ。

各階の廊下には〇〇金融に向いた方向に窓があり、そのどこからも〇〇金融の3階以上が見える。

〇〇金融の四階の窓は黒いフィルムが貼られ中を覗けないが、幹部連中の砦になっているに違いない。

距離は150メートル、M14での威嚇的な狙撃には充分だ。


〇〇金融の隣ののマンションとは三メートルほどの幅があり屋上には警報装置が付けられているのでここからは入れないが、ここで火事でも起きたら面白い事になりそうだ。

早速下見の為、秋山と山下は飲食店ビルとマンションを探る。

吉田にはM14の口径に合うサイレンサーを作ってもらう為、作業に入ってもらった。

銃身を外し銃口にねじ切りを入れ、鉄パイプの中に小さな穴を開け、銃弾と口径の合うパイプを二重に入れ間に不燃材を入れた。

その長さが40センチにもなるが仕方ない。

音を確認するために工場の機械類を動かし大きな騒音を出し積んだ土嚢に向けて引き金を引く。『ドン』と籠った音が響き土嚢に土煙が上がった。

急ごしらえにしては上々な出来栄えだ。


戻った二人から飲食店ビルの六階の窓から屋上も見え、狙撃の場所を決めてきた。

またマンションの方も五階から〇〇金融の屋上に燃焼物を落とすことは出来る。


更に逃走用の車を盗む手筈を整え、決行を明日の夜10時と決めた。巧以外には護身用に拳銃をもたせているが、拳銃は最終手段としてのもので、それ以外では使わない様に念を押している。


秋山が狙撃、ナビゲーターを山下が務め補助する。

吉田は巧と2リットルずつに小分けされたガソリンの袋を4袋ずつリュックに詰め

マンションに向かう。


ガソリンには粉石鹸や砂が混じられ粘着性を高めている。

逃走用の車は横浜市内の配送会社から鍵を盗み盗んだ。

トランシーバーで連絡を取りながら狙撃チームが配置についたのを確認してマンションの五階を目指す。10時近いエレベーターでは誰も接触しなかった。

吉田と巧は5階の踊り場からリュックから取り出したビニール袋を〇〇金融の屋上に次々と投げ込むと落ちたビニール袋が破れ、周囲にガソリンの刺激臭が広がった。

そのうちの二つに安全ピンを抜き、ビニールテープを巻いて暴発しない様にした手榴弾を包んで屋上に投げ入れた。

ガソリンの袋がクッションになり落ちた音はさほどでも無い。

投げ込みの終わった二人は空のリュックを捨て、エレベーターで下に降り、道路に停めた車に乗り飲食店ビルの裏手に向けて走らせるとトランシーバーで『完了』と送る。

2秒程の間を置いて飲食店ビルの七階の小窓が光った。

放たれた弾は屋上のコンクリートに当たり火花が上がるが屋上には変化がない…

二発目の弾の火花はガソリンに火が入り、屋上は一瞬で爆発する様に火の海となった。

それを見た山下は悠然と〇〇金融の4階に向け残弾の18発を撃ち込む。

銃声は高い位置からなので地上ではほとんど聞こえない。

弾は黒いフイルムが貼られた窓ガラスに次々と当たり粉々に砕け、道路に雨の様に降り注いだ。

屋上の中央にある雨水の排水口を伝い、一階の外部の排出口からも炎が噴き出す。

秋元は撃つと同時に弾かれる薬莢を銃の右で大きな布袋を広げ回収する。

空薬莢などの証拠は何一つ残さないのが原則。


中にいた5人の組員のうち、2人が肩や足に銃弾を受け、断末魔の様な悲鳴をあげ、のたうちまわった。

他の者も慌ててドアに向かうが階段の分厚い扉は暗証番号を打たないと開かないのだが、M14から放たれた弾の一発が当たり配線が千切れぶら下がっていた。

更にガソリンで手榴弾に巻いたビニールテープが炎で溶け、安全ピンが跳ね上がり2発ともほぼ同時に爆発した。その爆発で電柱からのびる電気や電話の引き込み線が吹き飛び、ビル全体が停電となった。

真っ暗の中、屋上から忍び込む煙りが徐々に広がり、パニックになった幹部の一人が窓から飛び降り、頭から血飛沫を流し路上に転がった。この頃になりやっと付近を警ら中のパトカーが到着し、ビルの入り口を開けようとするが中から厳重に鍵がかかり入ることができない。


山下が初弾を放って2分も経っていない。

撃ち終わった二人は素早くサイレンサーを外し銃を釣竿袋に詰めて担ぐと階段を一気に降り、巧と吉田が待つビルの裏手の小路に向かう。

荷台に銃を乗せシートを被せると路地を抜け国道を横切りもう一台用意した車に銃と共に乗り換えると、吉田の工場に向かった。

屋上に火が上がって車を乗り換えるまで五分、吉田の工場に着いたのは15分後…

緊急配備されても逃げ切るには充分の時間だ。

四人は工事のシャッターを閉めて初めて大声を出して笑った。

すぐ事務所でテレビをつけるとビルの屋上から出火…のテロップが流れていた。


四人はとりあえずビールで乾杯し乾いた喉を潤すとその緊張感と興奮を口々に語り出した。


M14と拳銃は回収して取り敢えず吉田の工場の天井に隠すが、いずれは銃器の保管方法も考えなければならない。


事件から20分後、幹線道路に検問が敷かれ、車内検索の為、渋滞が起きていた。

数日は厳しい検問や職務質問、聞き込みが続くので銃器の移動はできないだろう。


この火災が一般住宅ならならどこにでも起きることだが爆発と銃撃となれば警察も面子をかけて動く。

襲撃から2日目の今日も規制線は解かれず、正面にパトカーが停まり赤灯を回していた。

一人が飛び降り、2人が撃たれ一酸化炭素中毒で死亡となれば日頃煮湯を飲まされていた警察も恨みを晴らさんばかりにビルを立ち入り禁止にして連日の捜査が続いている。

吉田達はそれぞれの生活に戻り、それぞれの胸の中で満たされた充足感を味わっている。


1週間が過ぎ吉田の工場から銃器を運び出し、新聞と食料を買いマンションに戻ると銃器を天井裏に隠し、火災事件のニュースに目を通す。

今回は銃が使われた放火事件として捜査を進めているが、それだけでなく闇金の捜査も入るようだ。

やがては吉田の工場も聴取が来るだろうが、借りた経緯を聞かれる程度だろう。


次の計画に向け構想を練っていた。

ゆみの家はカーテンが閉じられたままだ。

監視の必要も無くなったのでビデオも集音マイクも箱に戻し部屋の中はガランとしている。


ただ、大阪、東京、上野公園、横浜…と連続して起きた事件が、関連ある様な報道はないが水面化の動きは分からないのでしばらくは沈静化を待った方がいいかもしれない。

〇〇金融事件以来一週間、吉田からの招集であの日以来初めて顔をそろえた。

吉田によると融資を受けた会社、企業、個人を全て当たっている様で、融資の金額、返済予定などを聴かれた。

全額ではないが、返済の目処もあり分割返済予定があると答えた。


実は他の二人には内緒だが、襲撃の数日前、吉田には500万を渡し、銀行に預けて返済の意思があることの証拠にする様に伝えてあった。

その手配のおかげで襲撃のブラックリストから外れた様だ。


秋元は時間が経っても興奮を抑えきれず、今度は自分に撃たせてくれと懇願してきた。

巧は今回の事件の熱りが冷めるまで次の行動はしないと言って冷静な判断と行動を求めた。


その後、買ってきたビールを飲みながら次のターゲットについて話題となった。

報道によると東京の爆発事件の〇〇商会と〇〇金融は繋がっていて連続した事件には何らかの意図を感じる者もいる様だ。

ただ、今の所の最有力候補は関西の〇〇組だが、C国系かK国系の組織の可能性も浮かんでいる。

いずれにしても『痛くもない腹を探られる』のは迷惑だろうし静かになるのは庶民にとってはいいことだ。


また、巧の銃の入手についても話題になったが、この件に関しては笑って誤魔化しながら、『知らない方がいい』とだけ言うと皆んなが頷いた。


取り敢えずは当面の活動は無いものとして極、普通の生活に戻る様に言い含めた。

襲撃の余韻も冷め、何か美味いものを食べたくなりシャワーを浴び支度をしている時だった。

部屋の隅に置かれた無線機が[ザー]と音を出した。

そう言えば電源を切っていなかったのに気付き無線機に向かった時、突然『聞こえますか』と祐実の声が響いた。

なぜ?と思いながら窓に向かいカーテンの隙間からゆみの家の方を見た。

そこには赤いワーゲンが停められていた。ー

また帰ってきた…?何か問題でも起きたのか…?

巧は咄嗟にマイクを握り『聞こえるよ』と応えてしまった。

『あ〜よかった。これから会いませんか?』と暗号もなしに話だした。

巧は少し戸惑いながら『いいですよ』と答えると『どこに行けばいいですか』と何のこだわりも無く明るく聞いてくる。

巧ももう監視はない…だろう…と、都合のいい判断でスーパーの駐車場を指定した。

そうだ、故郷の状況やこれからのことも知りたい。

食事をしながらゆっくり話を聞きたい…


約束の駐車場に着くと前回停めた辺りに祐実の車があった。

運転席の方に周り窓をノックすると見上げる様に笑顔を見せ車から降りて『しばらくです。』と言うと大きく頷き口元を緩めた。

屈託ないな笑顔は、すっかり吹っ切れた様で爽やかだ。


『食事をしませんか?』と言うと、『さっき着いたばかりで今朝から何も食べていない』とお腹をさすった。

近辺は不案内なので任せる、と言うと〇〇町の〇〇と言うレストランの名前を告げた。

タクシーを使おう、と言ったが『いいから乗って…』と強引に後ろから助手席に向けて押してきた。ー

久々の再会と、女性に触れられる感触に浮かれる自分が照れくさく、また新鮮に感じて心がときめくのを感じながら助手席に座った。

そのレストランには5分ほどで着き祐実は常連の様でスタッフと小声で話すと個室に案内された。

祐実は聞きたいことがいっぱいあるがあえて笑顔で子供の近況を口にしていたが食事は運ばれると無口になり料理に手を伸ばさない…

巧は思い切って、家に戻った理由を聞いた。

ゆみは『無線を切らないで居てくれたんですね…』と嬉しそうに笑顔を見せた。

『すっかり電源を切り忘れてました』とそっけなく応えたが、巧も笑っていた。

ゆみは子供の退園と転居手続きのために帰ってきたそうだ。

荷物は近々運び出し、家は当分このままにする予定で、両親には太田が家に帰ってこないことや連絡が取れないのでいずれは離婚すると伝えていた、

それには両親も賛成で、娘との連絡を取り合えない不満と孫を抱ける事を喜んでいる様だ、と嬉しそうに語る。

『それに…会いたかったし…』と舌を出した。

巧は突然の言葉に嬉しい気持ちも湧くが、これまでの事やこれからのことを考えると喜んではいられない。

巧が『心配はしてましたよ』と返すと、祐実は少しがっかりした表情をしたが、『これが私の連絡先です』と、ハンドバックから一枚の紙を差し出した。

そこには住所と電話番号が書かれていた…

『どこに住んでいるのですか?』と聞かれたらどう答えるか考えていたがそれには触れなかった。

巧は紙を受け取り胸ポケットに仕舞った。

食事を終えコーヒーを飲みながらゆみは『必ず連絡下さいね』と念を押し手を差し出した。

握手と思い手を伸ばすとゆみは『貴方のおかげです』と両手で強く握ったまま巧を見つめる。

巧も両手で握り返したいがその手で弓の手をポンポンと優しく叩き、

『必ず連絡します』と微笑んで見せた。

食事を終え駐車場に戻ると祐実は先ほどまでの熱い眼差しから明るい祐実の顔に戻り手を振りながら走り去った。


巧もいつからか祐実に惹かれる思いが芽生えていたが、表沙汰にはなっていない事件を抱えた身だ。

もし、闇の組織か警察の手が伸びてきたら巻き添えにしてしまう…

それを思うと素直に祐実の思いに応えることはできない。


それからひと月…月に二度程度、サバゲーに参加しながら三人を監視している。

皆んな顔を合わせると本物の銃を撃ちたい…と漏らす。

銃は既に手元にないと伝え諦めさせているが、他の人に口を滑らせると危ない。


また、三人には住まいを教えていないので押しかけてくるこたはないだろう。

また、吉田は金の件で巧に恩義があり逆らわないだろうが念のため銃を帯広の戻した方がいいかもしれない。


M14と4丁の拳銃を釣りバックに詰めJRで帯広に向かった。

13時間をかけ帯広に着くとレンタルコンテナに銃器を戻し、その足で飛行機で横浜に帰ったのは夜の翌日の夜。十時を回っていた。


このまま横浜に居ても暫くは動けないので、吉田に連絡を入れて『旅行に出るのでサバゲーには暫く出られない』と伝え、京都のアジトに向かった。


東京は相当荒らしたので今度はもう一度大阪の裏世界に石を投げ込んでみるのもいいかもしれない。


東京の〇〇金融の事件から半年が経った。

あれ以来、巧は京都を拠点に大阪に向かい裏世界の情報を求め歩いていた。

ここの勢力図は関西系の構成員が約半数を占め絶対的な力を見せているが、このところ関東系の力が増し、勢力図にも変化があるようだ。

更にC国系、K国系も根強い。それは在日が多い地域の特徴でもある。

しかも一つ事が起きた時の結束力は強くそして残忍でもある。


先ずはそれぞれの拠点を調べた。

殆どの事務所は繁華街にビルを構え、周辺に睨みを聴かせているが、大元は閑静な住宅街の広大な敷地に高い塀に囲まれてた豪邸を構えている。

塀の周囲は監視カメラと鉄条網、警報装置が付けられネコ一匹の侵入できないだろう。

それら幹部の住宅を突き止めアジトの部屋の壁に貼り付けた地図に⭕️を付け、周囲の情報と写真を貼り付ける。

しかし、どこも守りが固く攻めるには難儀なところが多い中、関西最大規模の〇〇組の組長の邸宅だが、高級住宅地…いわゆる山の手と言われる地域にあり、山の傾斜を利用してなだらかな傾斜の中腹に建っている。

その周囲を見て回ると邸宅から300メートルほど下に建築中の10階建てのマンションがあった。

この建築中のマンションの上からなら邸宅の中を見る事ができるかも知れない。


 偵察


深夜、マンションの工事現場を囲む塀…作業車出入り口を潜る黒い影があった。

巧である。黒ずくめの服に黒の目出し帽…ラバーソウルのブーツは足元の音を吸い殆ど音がしない。

外側を囲む作業用の足場を静かに上り、屋上にたどり着いた。

訛った筋肉は悲鳴をあげたどり着くのに20分を要した。荒い息を整えるのに更に10分…流れる汗で濡れた下着が風で冷え、体の芯まで凍えさせる。

背負ったバックから双眼鏡を取り出し震える手で覗くと千坪ほどの敷地の周囲は木立に囲まれ、庭の周辺の10数灯の灯りで邸宅が浮かび上がる。

綺麗に管理された庭には池もあり、数人の男が巡回していて、かなり用心深い。

巧はバックからノートを出し、ペンライトを咥え、敷地の中の建物や配置や照明の位置などを大まかに書き込んだ。

一息つくとポケットからタバコを取り出し火をつけた。

深々と吸い込み大きく吐き出しながら、次の手を考える。

このマンションが完成すると出入りは難しくなる…

その前に何らかの行動をする必要がある。


一息ついて下に降りるが、足の筋肉が引き攣り、下に着く頃には痙攣を起こす寸前だった。

アジトに戻りマンションの見取り図や大凡の距離を書き、更に邸宅の図面を描き直し壁に貼る。

その図面を見ながらおもむろに吉田に電話をかけ、京都に来る様に指示した。


吉田は〇〇金融から受けた融資も今回の事件で宙に浮いた状況で取立ても無く、平穏な日が続いていて仕事に専念していた。


翌日、吉田はいつもと変わらぬ作業着のままJRで京都の駅を降りてきた。

肩にはズックのバッグを掛けている。実はそのいでたちも指示していた。

その吉田とタクシーでマンションに案内する。

吉田は部屋に入り壁に貼られた地図を見て驚いた。

と、同時に巧がまだ事を起こす気があり密かに動いていたことを知り驚いたが、同時に少し安心した。


巧は大まかな計画を話し大阪に向かった。

山の手の邸宅周辺をタクシーで回り、問題のマンションの建設現場に向かう。

こう言う現場に詳しい吉田に現場周辺を周り吉田の意見を聞く。

侵入方法、昇り降りに時間がかかること。それに銃機の搬入。

逃走方法と経路など…

建設現場は日々完成に向け進むと警備が厳しくなり立ち入りが難しくなる。


吉田はバックから黄色のヘルメットを二つ取り出し、腕に安全第一と書かれた腕章をつけた。巧もヘルメットを被り腕章をつけた。

吉田は腰道具を撒き、図面の様な紙筒を脇に抱え忙しく働く作業員の中をすり抜け

作業用のゴンドラの前に立ち作動ボタンを押した。


流石にこの世界で生きてきただけあって、その現場に馴染むコツを心得ている。

吉田は振り返り、『足で上がるには高すぎる』…と笑った。

確かにそうだ。まだ建設途中の現場、作業員の動きに階段は酷だ。

6人ほど乗れるゴンドラが降りてきた。

それに乗り込むとゲートを閉め上りのボタンを押すとワイヤーの巻きがる音と共に

グングンと上がり1分程で屋上に着いた。

これなら屋上まで息を切らして上がる必要はない。

また屋上には資材を揚げるクレーンがあり、上階に資材を忙しく吊り上げている


完成予定は今年の秋…進捗状況から見ればあと二ヶ月は大丈夫だ。

吉田は図面を広げ大まかな現場の風景をスケッチしている。


建設現場を出るとアジトに戻り細かい打ち合わせをして吉田を横浜に戻した。

吉田は横浜に戻り秋元と山下を呼び出し事の仔細を話すと準備に入った。

決行日は巧からの連絡待ちだ。


巧は大阪から飛行機で帯広の戻りレンタカーを借りレンタルコンテナに向かった。

M14、M4、更にロシア製AK47とイングラム…そして適合銃弾…

今回は荷物が多いのでフェリーを使う。

小樽から舞鶴、そして京都のアジトに入ると銃を降ろし部屋の天井裏に隠し

吉田に連絡を入れ、集合を指示した。


翌日、吉田の会社のワゴン車に秋元と山下を乗せ、あらかじめ用意を頼んでいた全員分の作業服や工具類と共に京都に着いた。

秋元と山下とは半年ぶりの再会…久々の対面に積もる話に花が咲く。

巧は天井裏から銃を取り出すとみんなが歓声を上げ、

それぞれ手にして肩ずけしてみたり上にかざしたりして実銃の感触を楽しんでいる。


決行日は8月のお盆の中日…

この日を選んだのは、邸宅で組織の宴会が開かれるとの情報があり大阪湾の花火大会の日でもある。

高級住宅街の山の手にあり邸宅からは花火が見える。

花火を見ながらの酒宴という事だ。


決行までは後一週間、4人は揃って京都丹波の山に向かっていた。

銃の試射だ。

M14以外は見るのも触るのも初めての銃で確実な作動も確認したい。

丹波砥石の産地を過ぎ細い林道を進むと数軒の廃屋があった。

巧はこの数ヶ月試射の場所も探しておいたのだ。

時間をかけての試射はできないがそれぞれの特性も掴んで確実な仕事を果たしたい。


M14のサイレンサーも新たに作り直し消音性能も良くなった。


M14以外は米軍軍属に頼み正規のサイレンサーを50万円で買ったので問題ない。

更に吉田にそれぞれに銃にスコープを用意させていた。

今回の担当はM14は山下、M4は吉田、AK47は秋元が受け持つ。

有効射程距離は400メートル前後。それぞれ最大射程は問題ないが

マンションからの距離から言えばM14以外はギリギリでもある。

確実に邸宅に撃ち込み、一般人に被害を及ぼすことは避けたい。

排出された薬莢を回収すると袋をつけ、証拠を残さないことも忘れない。

一人40発の試射を済ませ、スコープの修正などを確認してアジトに戻った。


残りの時間を何度もシュミレートして決行に向け準備を進める。

現場侵入…隠れる…狙撃…撤収…逃走…

これらを完璧にこなさなければならない。


マンション工事現場はお盆休暇に入り5日間は人の出入りはない。

その休暇に入る前日の夕方、4人は段ボール箱や工具箱を持ち屋上に向かった。

休暇前とあって作業員は片付けなどに追われ、4人を不審な目で見るものはいない。

まして同業他社、水回り、電気、内装、外装…多くの業種が関わり殆ど面識はないのが現実だ。


四人はすでに取り付けられている屋上の給水タンクに入り、段ボール箱と工具箱を置くと巧だけがその場を去り現場を出た。

5時を回り、作業員たちの姿が消えたのを確認した3人は給水塔から出てきた。

それぞれ双眼鏡を持ち邸宅を観察する。

巧は地上から現場の様子や異変が無いか監視し、トランシーバーで連絡を取り合っていた。


邸宅は酒宴まで2日…大きな動きは無いが、人の出入りはいつもより多い。


持ち込んだ段ボール箱にはカセットコンロと3日分の飲料水、インスタントラーメンなどを持ち込んでの籠城戦である。

工具箱には銃機が収められていた。


また逃走経路として作業用ゴンドラは使えないので短時間で屋上から下に降りる方法として

屋上のクレーンを使う。

花火大会の始まりに合わせクレーンをガードマンの詰め所の反対側に動かし、フックに持ち込んだ全てを引っ掛け3人と共に下に降りるのだ。

クレーンのエンジンを切ってニュートラルにすると、荷重でフックが下がるが軽くブレーキが掛かっていて急激に落下する事はない。

だから屋上から下まで約2分で安全に降りられる。

そのフックに取り付けるネットの位置も事前に確認しその位置に用意しいてる。


決行当日、邸宅に大きな動きがあった。

昼前、トラックから大量の物資が降ろされ庭に酒宴の準備が始まった。

数カ所にテントが張られ屋台が組み立てられる。

ビールサーバやベンチ、テーブルが並べられた。

庭の真ん中に柱も立てられ、四方に線を延ばし裸電球が付けられた。

これが点灯されたら、人の配置や動きがよく分かる。

設置が終わったのは4時…薄暗くなり電灯が煌々と会場を照らし慌ただしく人が動く。

更に高級外車が頻繁に到着し、組織の幹部が中に入って行く。

集められた組関係者は40人ほど…

それに伴い下っ端の構成員が数人ずつ邸宅の周りを取り囲んでいた。

花火大会は七時から八時まで…あと30分ほどで打ち上がる…


マンションの工事現場入り口には夜間、二人の警備員が常駐している。

夜間は3回、見回るが現場の周囲を見回るだけで上階に上がることはない。

それは一階の入り口や階段に侵入警報装置が取り付けられているので、作動しなければ、建設現場の中に入ることはない。


巧は情報集めの為、数ヶ月前から建設現場の警備会社のガードマンの一人に近づき親しくなっていた。その男は65歳の渡辺というガードマン。

ずっと建設業界で働いてきたが怪我が元で働けなくなり警備会社に入った。

夜間だけの勤務だが家族もなく酒好きな渡辺は意外に気にいっていた。

そんな渡辺に居酒屋で近づき酒を奢り、仕事の話をしながら警備体制や勤務実態を聞き出したのだ。

勤務始めの5時、後は9時、12時、3時、6時の周辺巡回以外は詰所でテレビを見たり仮眠や食事をして過ごすし何事もなければ翌日の朝の7時には帰れる。

この巡回を避けて動けば広い敷地の中の異変や屋上の動きは気が付かない。

ただ、お盆の間は三交代制になるが渡辺は収入のいい夜勤を希望し、決行当日も現場にいる事になる。

八月の空は既にやや青黒い色に変わり。花火の打ち上げ開始の30分前となった。

吉田はクレーンに向かいひさしに隠されたキーを取り出しエンジンをかけた。

静かにアームを動かし始める。

エンジンの音は下には聞こえないが動きを見られるとまずいので指先でレバーをトントン叩き一度に5センチほどずつ動かすので遠目には分からない。

その時、巧の声がトランシーバーから響いた。

『Kが一人が上に向かってる』その声に秋元が下に繋がる外部階段の方に移動して様子を見る。

Kとは警備員の隠語だ。


吉田はクレーンのエンジンを切り動きを停めた。アームの先が建物のヘリの外に出るまではあと3メートル、5分は必要だ

巧は夕方、巡回の隙を見て詰所から見えない裏手から侵入し、現場入口付近が見える倉庫の中に入り、壁の隙間から詰所を見張っていたのだ。

警備員は足場を3階まで登り、現場に置かれたセメントの袋に腰掛け、タバコに火をつけ大阪湾の方を見ている。

もしかしたらそこで花火見物でもする気なのか…

巧はトランシーバーでKの動きを伝えながら、詰所に残るもう一人のKの動向も監視する。

花火大会の始まりを伝える五段雷が上がり、追いかける様に次々と花火が上がりドンドンと音が響く。

やはりKは花火見物の決め込み3階から動かない。

周囲は花火の雷鳴が響きクレーンの音も消されるだろう判断して屋上での作業を再開させた。

吉田は先ほどより少し早めにアームを動かし先端を所定の位置に止め、置かれた銃のもとに戻り、左から吉田、山下、秋元の順に配置についた。

吉田と秋元の脇にはそれぞれ2本、秋元には3本の予備弾倉が並べられている。

三人はその弾倉の一つを銃に装填し構えた。

吉田と山下は庭の奥側に置かれた大きなテーブルに陣取る組長と幹部を狙い、秋元は邸宅の門付近に停められた車の周辺を狙う。

邸宅の中は花火が始まり灯りが消されているが足元に灯りが点けられているので人の動きが良くわかる。


それぞれスコープの照準を合わせ、最後を飾るスターマイン、連発花火を待つ。

7時50分…その時が来た。

次々と上がり花火の雷鳴は機関銃の音のようだ。

吉田が『撃て』と声をかけると同時に3人の銃が火を吐く。屋上の手すりから3メートルほど下がった所からの銃声は花火の雷鳴に混じり、更にサイレンサーも効いているので下には届かない。

放たれた銃弾はテーブルに並んだビールグラスやワインを吹き飛ばし組幹部にも吸い込まれ悲鳴を上げる間も無く次々と倒れた。

何が起きたのか分からないまま会場はパニックになり組員達が走り回り、テーブルの下に潜って降り注ぐガラス片を浴び頭を抱え悲鳴をあげていた。

邸宅の門の前に停められた10台程の車にも銃弾が降り注ぎフロントガラスを撃ち砕き運転席の構成員が電気ショックを受けたように跳ね上がる。

意図的に狙うガソリンの給油口にも弾が当たり穴があく。

数発がボディに穴を開けた時、火花が飛び漏れたガソリンに火がついた。

3台目の一台が炎を上げ爆発し、車体が1メートルほど持ち上がった。

隣の車にも炎が移りあっという間に3台が炎に包まれた。

構成員達の数人は燃えた車の影に隠れていた為に炎に包まれ火だるまになったまま悲鳴を上げ転がる。


7分ほどのスターマインの間に約300発を邸宅に撃ち込み3人は素早く空の弾倉と薬莢の入った袋を箱に収め、それを担いでクレーンに繋いだネットに放り込み3人も乗り込む。持ち込んだガスコンロや食料などは既に載せている。

クレーンのワイヤーが銃と3人の重みで静かに下がり始めた。

ワイヤーが擦れる音だけで殆どしない。

巧は警備員が階段を降り詰所に戻るのを確認すると倉庫を出て裏に回る。

建設現場の裏手には盗んできたトラックが停められ、その荷台に降りてきたクレーンのネットがピッタリと載った。

巧はそのネットのフックを外すと吉田だけがネットから外に出て助手席に乗った、

巧は秋元と山下を荷台に残したままシートをかけ、巧は車を出した。

狙撃開始から10分、通りに出てミラーを見ると邸宅方面の空が赤く染まっている。

本通りに入るとサイレンを鳴らし赤灯を回した消防車数台とすれ違い、

遠くからのパトカーのサイレンも交差し邸宅の方に向かって行く。

巧は3分ほど走ると今は使われていない廃工場に入り、荷台の二人を降ろし工場の中に停めていた吉田の車に銃類などをを移し替える。

あと五分程したら幹線道路は検問がひかれ突破は難しくなる。

すぐさま車を走らせ京都のアジトに向かうと各所で数台のパトカーとすれ違い肝を冷やすが幸い検問にかからずアジトに着いた。

ラジオでは[〇〇組組長宅が襲撃され死者が出た]とセンセーションに報道している。

同時に〇〇組のこれまでの抗争事件のあらましとそれに伴う事件の仔細が流れ、対立組織との抗争か…?との見方…。三人はそれを笑いながら聴いていた。


アジトに着くと周囲を見張りながら銃を降ろし部屋に入った。

前回の〇〇金融襲撃の時と同様に銃を撃った緊張と興奮は収まらず、ビールを飲みながら何人倒したとかなど武勇伝で盛り上がり、秋元と山下は相変わらず銃の出どころが気になるようでしつこく聞いてくる。

『それは言えない…』と拒んだが、拳銃だけでも欲しい…素振りだ。

この連中に渡すと気が大きくなりどこでぶっ放すか分からない。

『必要な時に渡すから…』と言い放ち務めて冷静に銃を元のケースに収め、空薬莢を集め一つの袋にまとめ紙袋に入れ拳銃を入れたケースに入れ、天井裏に隠した。

空薬莢はそのうち埋めるか海に沈める。

テレビでは遠目からの火災と数十台のパトカーと消防車の赤灯が賑やかに輝く…

今回は警察がどんな見解を発表するか…


死者8名(内焼死者2名)の中に組長も入っていた。

腹に当たったM14の銃弾は肝臓を引き裂き多量の出血したが、近所からの通報で駆けつけた警察や救急車の立ち入りを拒み、手遅れとなったらしい。

重症者12名、軽症8名…抗争事件ではこれまで最高の犠牲者となった。

警察は狙撃位置の特定に手間取っていた。

いずれは〇〇金融でも使われたM14の事が分かるだろう。

〇〇組の組長邸宅の襲撃事件の報道は加熱して普段は触れられない内部の様子をヘリコプターからの中継を交え、リポーターが声を枯らしている。巧は犠牲者に一般人が出なかった事にホッとした。


当初、狙撃場所は不明だったが射角などからマンション建設現場と分かったが既に工事が再開され多くの作業員が入り、屋上は誰の足跡かも判別できない程荒れ、

隠れていた貯水タンクも内部が洗浄され耐圧試験を受けていた為、指紋一つ残って居なかっただけでなく、警備員からも見回りに異常なしと報告されていている。

また、動かされたクレーンのアームも誤作動程度に扱われ、クレーンオペレーターが厳重注意を受けた程度で終わっていた。

狙撃場所からは何の証拠も出ないまま逆に用意周到な手際の良さにプロとの見方が広がり、対立する組織の関わりと言う憶測が広がり、そっちに捜査の目が向いているようだ。


各地で検問や聞き込みで数日はここから動けないだろうが、お盆休みが終わりUターンのラッシュが始まると、少しは緩くなる。それを見込んで吉田達を横浜に帰す予定だ。


帯広で借りたレンタカーの期限は1ヶ月…ほとぼりが覚めた頃フェリーで帯広に戻り銃を戻すつもりでいたが、長距離の移動は危険が増す。

京都でレンタル倉庫を借り、こちらに武器だけでも移した方がいいかもしれない。


それから2日間、三人はアジト周辺でパチンコや競輪などでそれぞれの時間を過ごしていたがお盆の最終日、襲撃の報酬と言って一人500万円を渡した。

三人は驚き、改めて巧に…『あんたはどんな組織と関わってるの…』と聞いてきた。

確かに銃の入手や多額の報酬など常人では考えられないのは確かだ。

巧はもっともらしく真剣な顔で…『詳しくはついては言えないが、あの連中が嫌いな人からの依頼だ。ただ、これは警察と闇の組織の両方を敵にした戦いだ。いつ自分の身に両方からの手が伸びるかもしれない。それだけは覚悟しておいて欲しい。ただ…もうこれ以上は関わりたくない…と言うなら次は声をかけない。その時はこれまでの経緯などは一切忘れて口外だけはしないでくれ。  もし漏らした場合は命の保証はないから。』

と、言って最後は笑顔で締めくくった。

三人はお互い顔を見回したが吉田が巧の方を見て口を開いた。

『銃が撃てて、金を貰えるなら何の不満はない。俺は続ける…

みんなもそうだろう‼︎』ともう一度見回した。

山下と秋元も口元を緩め、『俺も続ける‼︎』と声を揃えた。

巧は『良かった…これからも宜しくな』と言って手を差し出し三人と握手を交わした。

誰にも言えない秘密を持った四人は妙な連帯感で繋がったようだ。


『次の仕事はいつか分からないが、また決まったら集合をかけるのでそれまではそれぞれの仕事を続けてくれ』と言って三人を送り出した。

その翌日、巧は電話帳のレンタル倉庫のページを開き、数軒をリストアップして、車で外観やその周辺環境を見て歩く。その内の一件、出入りが目立たなくてコンテナを二段に重ねた貸し倉庫に決め二段に重ねられた上の倉庫を借りた。

そこに上がるには移動式の梯子を使うタイプで内側に向いた入口は外からは見えない。

早速契約を済ませ銃類を入れて鍵をかけた。これで身軽になる。

何は帯広から全部運んできてここに収めるつもりだ。


帰り道、新聞を買い組長宅銃撃事件の続報を見る。


今回も抗争事件の方向に進んで行きそうだ…

それはそうだ…奴らを嫌うものは多いが敢えて銃を手に入れ、銃撃するなど素人のは出来ない所業だ。

使われた銃弾の検証が進み、軍用ライフル弾30ー06とソ連製AK47、そして5、56ミリのM16系と結論づけたようだ。

30ー06弾は横浜でも使われた銃と分かったと思うが、それを公表しないのは、何らかの意図が有るのだろう。


ここまで銃を使った事件に元々の持ち主のC国系の組織は、あの帯広の件が誰の仕業か判断できないでいた。


それから数ヶ月…巧はこれまでの起こした事件の事を振り返っていた。

帯広、大阪、上野公園、〇〇商事、そして〇〇組邸宅…

なぜ、こうなったのか…帯広の件以降、ここまで事を大きくする必要があったのか…

振り返ると〇〇の家族に同情して金を渡すだけのはずが大きく変わったのは巧が祐実を見かけてからだった。

なぜか心に引っ掛かり義務感と言うより責任感が大きくなり、更にそれ以上の感情も湧いていた。

しかし、帯広のことも含めかなりの罪状が並ぶ事件を起こしてきた。

そのその捜査が祐実に及ぶことは避けたい。


いずれの事件も巧の周辺には及ぶ気配はないが、それに繋がる銃や現金、そして吉田達三人には注意しなければならない。


これ以上のことを起こす必要がある訳ではないが、巧の中の何かが揺さぶられ何かの衝動にかられていた。


季節は秋を過ぎ帯広の事件から一年になる。

あっという間…とも言えるが慌ただしく何もかもが詰め込まれた一年でもある。


巧は次のターゲットの調査を始めていた。

次の標的はC国系とK国系の組織だ。

どちらも薬物の密輸が主な稼ぎで、人身売買から銃や金の密輸まで…金になることなら手段を選ばない連中だ。


ある日の昼時…C国系の拠点のある中華街を歩いてみた。

観光客がゾロゾロと歩く人混みを避け裏通りに回った。

少し人が少なくなり歩きやすい。看板を見ながら歩いていると屈強な体つきの男が飲食店の脇の通路に腕組みをして立っていた。

その前を通り過ぎた時、巧の背筋に何かが走った…巧は一瞬立ち止まりかけたが

足を筋向いの店に向け、中に入った。店内には数人の客が食事をしていた。

店の名は龍龍といい、窓ガラスには派手な龍の絵が描かれている。

巧は派手な飾りのついた窓際に座り外の男を観察した。


片言の日本語が耳元で聞こえ振り向くと若い店員が注文を聞いてきた。

巧は慌てて『見事だね〜』と龍の絵を指差し、さも龍に見惚れていた…風でごまかしながらメニューを見て天心、小籠包と焼売と烏龍茶を頼んだ。

店員が厨房に戻ったのを見て、再び外を見ると路地の奥から数人が現れた。

いずれも引き締まった体つきは日頃から鍛え抜かれているようで

後ろ姿にも隙が無い。

窓に描かれた龍の模様を指でなぞり、その男達の後ろ姿を見ながら巧が感じた物が何なのかを記憶の引き出しから探そうとしていた。


『おまちどうさまでした』と先ほどの店員が注文した天心を運んできた。

『その龍の絵、気に入ったね…』と、微妙なイントネーションだ。

ウンウンと頷きながら親指を立てると、真似をして指を立て笑顔で厨房の方に戻って行った。

この店員は20代前半で小柄で大きな目を細めて笑う笑顔が可愛い子だ。

スラリと伸びた脚にスリムなジーパンが似合う。


小籠包をレンゲで救い齧ると熱い肉汁が溢れ香りが口の中に広がる。

『ウ〜ン、美味い…』と、思わず声を出すと厨房の中から先ほどの店員が顔を出し親指を立てて見せた。さすが本場の天心、焼売も美味い。

思わず小籠包を追加して出来上がりを待つ。

その間、龍の絵の隙間から通りを見ながら先ほどの男の記憶を呼び戻す。

先ほどには別の若い男が少し路地奥に立っている。


『追加ね…ウチは全部美味いよ』と言いながら小籠包をテーブルに置いた瞬間、

巧は『アッ…』と言いながら顔を上げた。

店員が怪訝そうに巧の顔を見たが『これも美味しそうだ』と言うと店員は笑顔で厨房に戻った。


そうだ…あの帯広の事件の翌日、車を回収していた男達の中の一人…

の…体つきに似ている。


その事を確かめなくてはならない。

あのビデオは帯広の自宅にある。

小籠包を食べ、会計を済ませると先ほどの店員が『ウチは全部美味いよ〜また来てね〜』と声をかけてきた。

『ウン、美味かった。また来るね』と同じ様なイントネーションでふざけて応えると店を出た。

車を伊丹空港の駐車場に預け午後便で帯広に向かった。

夕方帯広に入り、ビデオを再生すると腕組みをしトラックの前に立つ男…

先ほどの男がそこにいた。中華街でこの男と連れ立って歩いていた他の男も写っている。


あの太田を殺し、全てを隠蔽したのはC国系の仕業だったのだ。

確かに太田を撃った男の言葉に違和感があったがこれで繋がった。

東京の〇〇商会が太田に金を持たせ、薬物と武器の取引に何らかの形でC国系の組織が関わり、何らかの問題が起きて太田達を消す結果になったのだろう。


今度はどう動くか…考えは纏まらないが、マトは絞れた。

取り敢えずカメラとテープ、そしてコンテナから持ち出した1千万円をカメラケースに収め、京都に戻った。


数日後、紙袋を下げ神戸中華街の龍龍に向かった。

龍龍の向かいの路地には前回の屈強な男と違う若い男が、通りから少し下がって立っている。

店に入るとあの店員が覚えていて『また来たね〜』と変なイントネーションが店内に響いた。

片手を前に伸ばし親指を立てると前回の席に座り、中国語と少しおかしな日本語がならぶメニューに目を通す。

店員に何が人気か聞くと『水餃子と炒飯』と言われるがままに注文。

あまり馴染みがない水餃子はエビ、カニ、白菜やニラなど六種類の具が入っていて、これまで食べた水餃子とは一味違いさすが本場の味と感心。

水餃子のスープと炒飯を交互に食べると食が進む…

あっという間にチャーハンを平らげ、表の看板にあった豚まんを二個追加し水餃子のスープで完食。更に八宝菜を頼みそれも平らげると店員が寄ってきて『いっぱい食べるね〜』と嬉しそうに話しかけてきた。

更に豚まんの持ち帰りを頼み『本当に何を食べても美味いと店主に伝えて』と言うと店員が厨房の方に顔を向け『マスター说很好吃』と言うと配膳口から店主が顔を出し白いシェフ帽を脱いで頭を下げた。

何度も注文を繰り返したのは向かいの通路を見張る為だ。


龍龍はマスターとその奥さんが厨房に入り、フロアーを中年の主婦が仕切り、若い子に指示している。


会計の時、若い店員に『札幌のお土産、みんなで食べて』と手提げの紙袋を渡した。それを受け取り満面の笑顔を見せ『謝謝』と頭を下げ、中年の女に向けて『お土産貰ったね』と言うと、その女は小走りで駆け寄り『ありがとうございます』と何度も頭を下げた。

『それほどの物でないけどみんなんで食べて』と付け加え外に出ると若い店員は外まで出てきて『また来てね〜』と叫んだ。

その声に巧は振り返り手を振って応えた。

路地の奥に潜んでいる男はその様子を見ているが、龍龍の常連に見え、これから時々見かけても不審に思われないだろう。

ただ、顔を知られるのが難点だが…


翌日、巧は舞鶴からフェリーに乗り小樽に向かっていた。

今回は帯広のコンテナから銃器類を運び出すつもりだ。

拳銃、弾薬、手榴弾など銃器だけでも量や大きさもあり、持ち出しには気を使う。

検問や不測の事故など万が一の事も考え無ければならない。


フェリーは苫小牧から東京、名古屋を経て大阪に向かう便もあるが、大都市では思わぬ事件などで緊急配備の検問が敷かれる事もあるのでこのルートは使わないことに決めていた。


気休めだが上にカメラ機材を乗せ毛布を被せ覆った。

フェリーの往復を繰り返す中、自分がよく寝る事に気がついた。

アジトでは数時間で目が覚めるがフェリーでは長い時は半日以上寝る事もある。

ゆったりとした揺れと個室の静かさが自分には合っているのかもしれない。


舞鶴に着くと違反もせず慎重に京都のレンタル倉庫に向かい銃器を納めた。

後は現金だが、暫くはそのまま持ち出さない事にする。


その後、巧は週に一度程度、龍龍で食事をしていた。

すっかり顔馴染みとなり、客が途絶えれるとテーブルの前に座り会話をするまでになっていた。店員の名前は王蓬(おうほう)と言い30歳、年齢より若く見える。

両親を事故で亡くし2年前に親戚を頼って来日、その親戚の店で働いているそうだ。

中国に娘が一人いて親戚に預けて仕送りし滞在期間は3年の予定で後一年で帰国するそうだ。


王蓬はテーブルに両肘をつきその手に顎を乗せ、上目遣いで巧に話しかけ、あれこれ質問してくるが、慣れない日本語に戸惑い、答えに窮する。

巧は『妻子がいる。仕事はフリーの雑誌編集者で全国を回って取材している』と応えている。

これ以上、親しくなると今後に支障が出るので適度にあしらいながら、周辺情報を聞き出す。

王蓬の話によると、『向かいの路地奥にこの辺りの裏社会を仕切る〇〇会の事務所があり、そのお陰で客が来ない』と、眉を顰めた。

どうやら国が違っても裏組織は迷惑な存在らしい。


巧は距離を開けるつもりで龍龍への来店間隔をあけていた。

半月ぶりに龍龍に入ると、王蓬は目尻をあげ思い詰めた表情でに巧の前に立ち、『遅いね、来るの…』としばらく来なかったことを責める様な口調で顔を巧の方に寄せ睨みつける…が、急に顔を崩し笑い出した。

『驚いた?しばらく来ないので…今日は何食べる?』

といつもの笑顔の王蓬に戻った。チャメッケもあるのも可愛い…

『今日はフカヒレと、チャーハン』と戸惑いながら注文すると王蓬は口元に笑顔を残し厨房に戻った。


王蓬が注文した料理を運んできた。

『餃子、サービスね。マスターから』と言いながら王蓬が厨房の方を見た。

マスターが厨房の暖簾を上げ顔を出し手を挙げていた。

巧も『ありがとう〜ご馳走になります』と応えて巧も手を挙げた。

日本のものより一回り大きくて具が詰まった餃子が5個、皿に乗ってる。

しかし…好意は感謝するが…大きすぎる。


それにしても今日の通りは何か不穏な空気が漂いっていた。

料理を口に運びながら、外を見ると殺気だった関係者が頻繁に出入りしている。

箸が止まり外を見ている巧を見て王蓬が寄ってきた。

『昨日、大勢の警察来たね。朝から晩まで大変』

と、巧の前に座りながら声を顰めて話す。

何があったのか聞くがその点までは知らない様だ。

昨日今日の新聞を買って見る必要がある。

今日はフロアーのボスがいないので王蓬はそのまま巧の前に座ったままだ。

そして『どこに行っていたの?忙しかった?』と、巧しばらく来なかった理由を聞いてきた。

『取材で京都に行っていた』と話し巧はその裏付けに京都土産の八橋を王蓬に渡した。

王蓬は目を輝かし受け取ると包装を開けて喜んだ。

そして厨房に持って行きマスターに渡すとまた巧の前に座った。

目新しいものではないが誰でもお土産と言うものは嬉しいものだ。


王蓬は日本に来て大阪の町を出たことがないといい、『京都に行ってみたい…』と宙を見る様にポツリ…

巧は少し躊躇しながら『今度行く?』と小声で言うと、感激の笑顔で目を細め、体を小さくして『ホントね』と小声で返し、『マスターに内緒ね…』と口に人差し指を当てた。

内緒…と言うと仕草は万国共通の様だ。

『そのうち時間を作るから…』と、巧も口に指を当てテーブルに顔を近づけ2人してくすくすと笑った。

…外の物々しい景色とは別の世界がそこにあった。


その帰り、新聞を買いマンションに戻った。

C国系とK国系の間で小競り合いが随所で起き、とうとう発砲事件が起きた様だ。

それに対して各所に家宅捜査が入って数人が逮捕されたが銃器類は出てこなかった。

拳銃一丁組員10人と言われるほど大事な物。

人は捕まっても拳銃は渡さないとう言う事だろう。



それから2週間後、王蓬の休みに合わせ京都に向かう事にした。

巧は深入りを避けていたが、成り行きで王蓬と京都に行くこととなってしまった。


約束の日、待ち合わせの〇〇公園に車で向かった。

それは人目を避けての場所選びの事であり、C国人であるが故に同国人を見る周りの目はうるさい。

王蓬を乗せた巧は高速道路を京都に向かった。

京都の街は道路は碁盤の目の様に広がり、走りやすいが観光ならばタクシーを使った方がはるかに便利だ。

それは各名所の一番近くにタクシー寄場があり最短距離で行ける。

駐車場を探す手間や、道に迷うこともないので時間の無駄がない。

他にもバスや電車もきめ細かく巡っていて便利だ。


巧は街中の駐車場に入れるとタクシーを呼び、金閣寺と清水寺、嵐山を周った。

昼は渡月橋近くの料亭で日本料理と湯葉のコース。

嵐山からは電車で戻り京都の先斗町やお土産店を周り王蓬に京都を楽しませた。

王蓬はどちらかと言えば大雑把で大らかな大阪しか知らず、しかも同国人に囲まれた生活…繊細で美しい京都に『初めて日本を見た』様な気がしていた。

初デート記念にピアスを買ってやると耳に付け子供の様に喜んだ。

その王蓬の仕草が龍龍での店員姿と違い新鮮で愛おしくなる。

巧はこれまでの事もあり、友人の域を越えるつもりはないが王蓬の瞳は10代の少女の様に輝き、歩く時も巧の腕に絡みつき離れようとしない。

周りから見ると見かけが若い王蓬が娘に見えるかも知れないが、そんな二人を意識する人は誰もいないのが気楽でいい。


京都を満喫した王蓬を乗せ大阪に戻り王蓬の住むマンションまで送り届けた。

王蓬の住むマンションは中華街からバスで20分ほど離れていて8時を過ぎると人通りもなく静かだ。

王蓬は『楽しかった…また誘ってね』と少し未練っぽく目を泳がせながら巧の袖を引っ張りながらいった。巧も戸惑いの笑顔で『またね』と返事をした。

車の乗り窓を開けて手を振ると王蓬は投げキッスの仕草で返してきた。


車を出すとバックミラーに跳ねながら手を振る王蓬の姿が映った。


その日から3日後、龍龍に行くと裏通りに警察の黄色いテープの規制線が引かれていた。パトカーも5〜6台停まっている。


何事かと規制線の側まで行くと、報道関係の記者とテレビカメラが数台いて規制線の向こうを写している。

その先に鑑識がカメラを道路に向け写真を撮っていた。

あの路地の前と少し離れた龍龍の前に人型のチョークの線…

ここで事件…しかも人型…となれば誰かが死んだ…と言う事だ。

妙な胸騒ぎ…にレポーターが報道カメラに向かい話す内容に耳を澄ます。


C国系の組織関係者が撃たれ、巻き添えで一人が死んだ…その被害者は近くの中華料理店の30代の女性従業員で………。


巧はその言葉に硬くなり呆然として口を開けたまま動けなかった。

まさか…王蓬では…?そんな不安で規制線を跨ぎ前に向かおうとするが規制線の内側に立つ警察官に押し戻された。

『誰ですか死んだのは…』と報道記者に聞くと、『死んだのは龍龍の若い従業員で、流れ弾が背中に当たり…』その先は耳に入らなかった…


気がつくとマンションの部屋にすわっていた。

自分がどうやってマンションに戻ったかわからない…

それほどの衝撃だった。


あの王蓬が…死んだ…

だらし無く床に座り、肩をだらりと落として天井を見つめていると

先日の子供の様にはしゃいでいた王蓬の姿が目に浮かび涙が溢れてきた。

腕には王蓬がしがみついた感触がまだ残っている。


その後数日、巧は王蓬を失った悲しみで部屋を出られなかった。

龍龍での王蓬との会話や京都での笑顔が走馬灯の様に蘇る…

新聞によるとK国系の鉄砲玉が押しかけ拳銃を乱射し、C国系の男と、たまたまそこにいた王蓬の背中に当たり心臓を貫きほぼ即死だった。

撃ったK国系の下っ端はその場を逃げたが翌日、拳銃を持って出頭して逮捕された。


もう少し早く行動を起こしていたら王蓬は死ぬことがなかった。

巧の行動の遅れが王蓬の死を招いたと思った。

こうなれば王蓬の弔い合戦だ。K国系もC国系も無事では終わらせない。

だが、怒りに任せて行動すれば必ず我が身に降りかかる…

今日からはあの巧に…冷静沈着な巧に戻る決心をした。


1週間後、巧は大阪の龍龍に向かった。


店に入ると黒いスーツの巧を見たフロアーの主が目を細め悲しげな顔で寄ってきた。

奥からマスターと奥さんも顔を出し巧の前に並んだ。

マスターが『王蓬はあなたが大好きでした。短い間でしたが王蓬も幸せだったと思います。』と流暢な日本語で語り、下を向くと涙を流した。

巧はグッと唇を噛み締めいつも座った席の方に目をやる…

巧にはそこに笑顔の王蓬の姿が見えていた…

マスターが手招きし店の奥に案内されるとそこに王蓬の写真が飾られていた。

事件以来、客足が遠のいた店内で王蓬の写真を真ん中に静かな弔いが始まった。


王蓬は中華街の有志が葬儀をあげ手厚く見送られ、C国の娘はマスターが養女として育てることになったそうだ。


巧は胸ポケットから香典袋を出しマスターに渡し、王蓬の弔いを頼んだ。

中には10万入れてある。

思わぬ香典に驚きながら、両手で受け取り頭を下げた。

フロアーの主は、『巧の事を嬉しそうに話す王蓬が生き生きとしていて、そんな王蓬を初めて見た。』と話す。でも、京都の事ははなしていないようだ。

巧も『王蓬が死んだと聞いてショックで店に来るのが遅くなった』

話すとみんなが沈黙のまま頷いた。


事件のキッカケとなった路地奥の事務所はすでに退去した様で出入りがないそうだ。

『もう少ししたら客足が戻るでしょう…』とマスターはその事を喜んでいた。

マスターの作る賄い料理で2時間ほど王蓬の思い出話で弔いを終わらせ京都のマンションに戻った。

C国系とK国系…標的は決まった。あとはどうやって報復するかだ。


警察の取り締まりが厳しくなった2つの組織は、すっかりなりを顰め沈黙を守っていた。

その分、自らの周辺は警戒を強め、なかなか近づく事も情報も入ってこない。

組幹部はなりを潜めていればいいが、末端の組員はそうはいかない。

しのぎの中心の薬物については密輸が難しくなり、品薄で市場価格も上がっている上、監視が厳しく街角にも立てない。

当然、見入りの無い末端は身近なカツアゲなどに走り捕まるなどで身動きができないでいた。


巧は王蓬の事件以後、少し落ち込んでいたが、情報集めは続けていて、

特に末端の組員の動きに関心があった。

時々密売人が屯する周辺を探り、一軒の居酒屋、『魚礁』に目をつけていた。

そこは危ない地域から数キロの距離にありながら、あまり組員の出入りがない。

時々顔を出す組員もここではわきまえた言動で店からも客からも普通の客扱いをされていた。

その男の一人は金本と言い年齢は28歳、福岡出身で親は在日のC国人。家を飛び出し、友人を頼りに大阪に流れてきて、この世界に入って3年目のまだ駆け出しである。


まだ完全にこの世界に染まりきらず、昼間は建設現場で働き、夜は売人…と二足の草鞋を履いていた。

巧は医療機器のサラリーマンとの設定で時々立ち寄り食事をしていた。

ある日、偶然を装いカウンターに座る金本の隣についた。

金本と何気ない会話を交わし、その日は巧が先に店を出た。

急激な接近は怪しまれる。

その次、魚礁で金本と会ったのは一週間後の土曜のこと。

金本は巧を見ると自らそばに来て挨拶したので、相席を勧めた。

刺身と焼き魚を肴に他愛もない会話で少しずつ金本の思想が浮かび上がり、酒が進むにつれ気が緩み…この世界には居たくないのが本音。やりたく無い密売。自分の給料からも搾取されている。友人の言葉に騙されてこの世界に入った。 C国系とは言え、C国の政権には批判的。

など、声を潜めて話す。


巧は金本から得た情報を元に作戦を立てる。

一つはこの組織に一矢報いて王蓬の仇を取ることと、この世界から金本を解放する事‼︎

これが巧の目標だ。


金本の話に合わせ、彼らの非人間的な行動…大阪の銃乱射、東京の爆発事件、中華街の事などを批判的な言葉で金本を煽った。

明日は休みの金本は巧の奢りで好きなだけ飲み、正体をなくしていた。

タクシーを呼び金本を家に送り届け、大阪の拠点として泊まるホテルに入った。

大阪の地図を掲げ、勢力図を作り始めていた。

金本が酔って漏らした言葉にK国系の動きがあった。

C国系が薬物不足で物が手に入らない所にK国系が入り込み縄張りを広げ出した。

でも、双方とも警察の動きが目障りで派手な衝突はできないでいる。

そこにつけ込むチャンスがあるかもしれない。


巧は大阪のモデルガン店で米軍払い下げの防毒マスクを買い、京都のコンテナ倉庫に向かい覚醒剤の包みを一つをマンションに持ち込んだ。

そして換気扇を回し防毒マスクをつけ覚醒剤を開き10個のビニール袋に分けてた。そしてその分けた小袋をインスタントカメラで2枚写した。


その後、金本と数回待ち合わせをする中、ある提案をした。

『このままでは先がない…横浜に行かないか…横浜に知り合いの鉄工所がある。そこでやり直してみないか』

この言葉に金本は驚いた。

これまで金本の将来を気にしてくれる人は居なかった。

まして普通の飲み仲間の巧が今の生き方を憂い、新しい生き方を開いてくれる…

金本は嬉しさで笑顔になるが…


【巧は横浜の吉田と連絡を取り金本の事を相談していた。

そして吉田のところで雇うよう頼んでいた。】


金本はそれを受け入れたかったが急に真剣な顔になり龍龍の名前を口にした。


『吉村さん、龍龍に行ってましたよね』

『どこかで会ったことがある気がして居たんだけど、あの店の常連でしたよね。よく見かけるました』

金本はあの組織の入口に立って居た見張りの一人だった。

巧はその事に驚き、同様しながらもそれを認めた。

金本はそれでなくても危ない場所にある魚礁に頻繁に現れる巧が不思議でもあった。

それに、あれこれC国系の組織の事を聞いてくる事に少し違和感を感じている矢先、

金本の記憶に龍龍の店が蘇ったのだ。


『吉村さんは警察関係者ですか?何を調べてるんですか?』と矢継ぎ早に聞いてくる。巧は『偶然の事で何の裏も無いし警察でも無い…只のサラリーマンだ。』と

答えたが金本は納得して居ない。


巧は少し考え…龍龍の事件に触れ自分はルポライターで恋人だった王蓬が殺された事を打ち明けた。

今はなにもするつもりは無いが気になり調べて居た。

でも金本には『偶然で意図的に近づいたわけでは無い…』と打ち明けた。


確かに巧に声をかけ近づいたのは金本の方であった。

自分の事を打ち明けたのも、身近に感じたのは金本自身である。


それを考えると巧に何の思惑が無いと感じ『すいませんでした』と頭を下げた。

『いや、金本さんを騙すつもりは無いし、話を聞いたのは本音を聞きたかったからです。』

『もう横浜の方には話がついているからいつでもいいよ。急ぐ事はないから気持ちが決まったらいつでも言って』

と言うと金本は大きく頷いた。


金本がまた龍龍のことを語り出し、あの日、風邪で寝込んだおかげで死ななくて済んだそうだ。

あの王蓬の事もよく覚えていて可愛い感じで内輪でも話題になっていたが、近所の店への出入りは禁止されていて近づけ無かったそうだ。

だから王蓬と親しげに話す巧を記憶していたのだろう。

『王蓬が殺された事に恨みはないのですか』と聞いて来てたが『奴らに石の一つでも投げてやりたい気はある』と言うと金本は『僕に投げないで下さいよ』と笑った。


その後、金本は決心がつかないのか返事は無いが組関係者の動きを知らせてくれる。

巧はそれが逆に心配になり金本に聞いた。

『余り深入りすると変に疑われたら危ない…』と言うと金本はまた真剣な顔で『吉村さんこそ何かするつもりでいますね。』

と問い詰めてきた。『僕には分かります…恋人を殺され、それでもここを離れない…何かを狙っている…それがピリピリと伝わるんです』

まさにその通りだった。

『だったら何か手伝いたい気持ちで居るんです…』と自分の決心を語った。

『だから今はここから離れられません』と、語気を強めた。

巧は迷った………


今ここで自分を晒すのは危険だが、このままでは金本は引き下がらないだろう。

迷った挙句『確かに組に一矢報いたい想いでいる。王蓬の仇も打ちたい。でも今は何もできない。そして何かを起こした時、その渦中に金本君を置きたくない。

だから横浜に行って欲しい』と、本音を吐いた。

二人の間に沈黙が続いた…金本は少し考え吹っ切った様に『吉村さんのご好意を受け横浜に行きます。だけどそれは吉村さんが一矢を放ってからです』


困った巧は『その一矢はいつになるか分からない。放つその時は手伝ってもらうのでそれまでは横浜に行って組との関わりを絶ってほしい。それでないと金本君も泥を被る』と、金本を気遣った言葉に、

『分かりました。横浜に行きますが、横浜に向かう前に何かできる事はありますか?』と言った。

巧は金本に、【父親が亡くなった。…母親と兄弟の面倒を見るので組を辞める】と言って横浜のことは伏せる様に助言し、金本には大阪を出る前にやって貰いたい事があった。


帯広の事件を思い起こすとC国系の組の車の中に覚醒剤が積まれていたのを考えると

C国系が東京の〇〇会に売る予定だったに違いない。

それがK国系の組が手に入れたとしたらC国系が黙って見ている訳がない。


K国系の組にしても薬物は不足している現状での供給は喉から手が出るほど欲しい…

しかし、簡単には応じるはずもないので、揺さぶりをかける為だ。


金本の役割はK国系の縄張りに覚醒剤のサンプルを隠す様にばら撒くこと。

サンプルと言っても一袋100gほど…末端価格は一千万を超える。

それを縄張りの中に隠す様にばら撒けば、見つけて警察や組に届ける者や、中には猫ババする者も出てくる…

その事がC国系チャイナマフィアに伝われば穏やかでは居られない…


  …取引…


その小分けした覚醒剤の一袋に写真をつけ封筒に収め郵便局からK国の組に送った。

薬物取り引きを持ちかけたのだ。


金本の方は組を抜ける事を幹部に伝えると、かなり引き留められたが『これまでの組への感謝です』と言って100万円を差し出すと幹部はすんなり了承した。

【巧は金本に100万円を渡していた。幹部はそれを上納金として受け取るだろうと考えていた】


幹部に話をする前日、金本は身なりを変えK国系の縄張りに入り、売人の屯する付近の目立たぬ所に小分けした覚醒剤を隠した。

隠した…(と言ってもすぐ見つけられる様に置いた…言ったほうがいい)が、全て翌日には消えていた。

数個の覚醒剤は組に届けられたが、中には一般人が広い警察に届けられ新聞に載り、あっという間に世間に拡まったが、その内の一袋がC国系マフィアの組員が見つけ事務所に届いていた。


当然、両方とも目的も出元も分からず困惑していた。

しかし、相手側に渡るのは阻止したいのは同じだ。

双方の組員を総動員し、街中で薬物探しが始まったが、警察も覚醒剤拾得の届出に周辺を捜索し、組員を引っ張って聴取するが成果が出ていない。


その頃、金本はすでに大阪を離れていたのでその中にはいない。充分に役目を果たしてくれた。


金本は吉田の元に向かい温かく迎えられていた。

巧とはサバゲー仲間程度の間柄…と言う事にしてあり、これまでの事は一切知られないように口止めしている。


そもそも器用な金本は慣れないながら頑張っている…と吉田からの報告を受けている。


K国系の組に送られた覚醒剤の取引あは総数5キロある…仔細の事は追って連絡する…と書き記した。

そのひと月後…K国系の事務所に一通の手紙が届いた。

その中にはあの十字にテープが巻かれた覚醒剤の包みが10個積まれた写真と共に、1億円で買わないか…と書かれていた。

『買わないなら他に売るだけだ…追って連絡。』とも書いてあり組幹部は躊躇している。

本物かどうか…と、その意図が掴めないし、本物ならC国系に渡り立場が逆転するのも困る。


その間、巧は横浜に向かい吉田に頼みサバゲー仲間の米軍軍属のマッキンリー軍曹に会わせてもらった。

気さくなアメリカ人で45歳、横須賀に配属されて12年、日本語は充分話せる。

あと数年で辞めて帰国の予定だ。

今は軍の用品管理を任されている関係で、廃棄される軍用品をサバゲー仲間に売り、小遣い稼ぎをしていた。

吉田と共にサバゲー場で会い、巧の要望を伝えた。

『ある組織から対人地雷クレイモアが欲しいとの依頼』と伝えた。

マッキンリー軍曹は突然の話に驚き、両肩を窄めて首を横に振った。

『それは無理です。危険………』と言いかけたが片手を開いて『500万』と言うと

言葉がとまり少し欲を出した様で腕を組み左右を見回しながら『期限が切れ、本国に戻す物もあるが…管理は厳しい…』と言いながら上目遣いに巧の顔を見た。その目は更に上乗せを求める顔だ。

『できれば4個、1000万まで出す…』と言うと軍曹はニヤリと口元を緩め『OK取引成立』と言った。

納品は10日後、半金前渡し、残りは納品の時に。と決め、その場で500万を渡した。

軍曹は札をパラパラと捲り確認すると、【有線式、ベトナムで一度埋められていたが撤収の時、回収して保管していた物なので見かけは悪いが充分使える。】

これらは本国への送致の予定もなく、時々訓練に使われるだけで数量の記載は無い。

クレイモアとは対人地雷で四角い弁当箱の様な形をしている。

安全ピンに繋がるワイヤーを引くと爆発し、爆発に指向性があり仕込まれた数100発の子弾が飛び散り主に前方の殺傷能力を高めている。

通常、草むらに縦に置いて、隠して人が通りワイヤーに引っ掛かり安全ピンが抜けると爆発する。

無線式なら簡単だが有線式なら爆発させるは細工が必要だ。


約束の引き渡しはサバゲー場の駐車場で行われた。

残りの半金を前に厳重に収められた金属ケースを開けさせた。

木屑に収まったクレイモアの安全装ピンは抜けない様にバンドが巻かれていた。

残りの半金を渡す時、更に100万円を上乗せ、『秘密厳守、これからもよろしく頼む』と言うと『必要なものはいつでも言って。用意するから。客が困る事はしない』と肩を窄め帰って行った。


吉田は山下と秋元に招集をかけ久しぶりに四人が顔を揃えた。

これまでの経緯を伝えこれからの予定も明かした。

ただ、金本の扱いはまだ考えていないが、不要な人員を増やしたくないのが本音だ。


決行日を2週間後としてそれぞれの勤務を調整する様指示して決行日の2日前の集合を決めた。ただ今回は銃器の使用は考えていない。


受け取ったクレイモアを爆発に必要な細工の図面をつくり吉田に任せた。

図面にはクレイモアの爆発面を四方に向け固定しそれぞれの安全ピンに細いピアノ線を引っ掛け4本同時に引き抜く。そのピアノ線を抜くのが巧の役割だ。

吉田達3人の役目は離れた所からの監視し状況を巧みに伝えること。


取引の場所は大阪湾の埠頭の倉庫と決めた。

この周辺は既に使われなくなって7〜8年経ち、将来的には開発計画もあり、高層マンションや商業ビルに生まれ変わる。

企画がまだ決定してないので簡単な立ち入り禁止のゲートはあるが、自由に入れる。

時々、暴走族が周辺に屯するが。ギャラリーの居ない所には興味が無い。


監視場所は埠頭に繋がる幹線道路の3箇所、そこに3人を潜ませる。

事が終わったら、バイクでその場を離れ集合場所に集まる手筈を整えた。

バイクは前日に盗み出す。


がらんとした倉庫の真ん中に箱を置き、その上に四方に向けたクレイモアを吉田が作った四角い枠に収め、クレイモアの前にガソリンと粉末石鹸や鉄粉を混ぜたビニール袋を敷きその上に覚醒剤を積んだ。

遠目にはクレイモアは見えない。

4個のクレイモアの安全ピンにピアノ線を付け、一本にまとめて箱の中を通して地面に這わせている。

更にゴミや砂でピアノ線を隠し、要所要所をU字ボルトをコンクリートの床に埋め込み、倉庫の向かいの巧の潜む2階建のプレハブの中まで延ばした。


巧はプレハブの2階に潜みその時を待つ。

巧は廃倉庫の付近の岸壁ににボートを隠していた。無論ヨットハーバーから盗んだものだ。

裏手の岸壁は沈んだ船や大きな流木が流れ着いていて、ボートに汚れたシートがかけられているので廃船と見分けがつかない。


K国系の組に決行日の前日、翌日の取引を伝え、場所については明日の夕方の四時に指定する…と伝えた。

彼らは要求された金を用意する事なく、指定の四時を待っていた。

本当の薬物なのか定かでない上に余りにも大胆に取引きの申し入れに半信半疑だった。

同じくC国系のマフィアにも北海道で盗まれた覚醒剤がK国系の手で売られる…詳しい場所と時間は後で知らせると伝えた。

当然、彼らも半信半疑で本当なら取引を阻止しようと人を集め、連絡を待っていた。


指定の四時、まずK国系に埠頭の場所と今夜5時と伝え、その後30分後C国系にも伝えた。


双方が車を連ねて埠頭に殺到する。幹線道路から倉庫の方に向かったと吉田から無線の声がさけぶ。

先に着いたのはK国系の方で、更に秋元からも別なルートからの集団が向かったと連絡。


その時間約5分の差…先に着いた20人ほどのK国系は周囲を伺いながら岸壁側の入り口から中に入り『出てこい』とK国語で言いながら薄暗くなった倉庫の中を懐中電灯で照らした。


中央に積まれた覚醒剤に数本の懐中電灯が集まり、どう出ようか顔を見合わせ迷っている時、東側の入り口に急ブレーキの轟音を立てながら数台の車がヘッドライトを中に向ける様に止まった。


10数人が車から飛び出しC国語で怒鳴った。

それを聞いたK国側はすぐに反応してK国語で返す。

双方共、銃を手にしているが引き金は引けない。

怒鳴り合い、お互いに拳銃を向けながらジリジリと間合いを詰め、覚醒剤を中心に7メートルほどの距離で取り囲む形になった時、巧はピアノ線の端を思い切り引いた。


ピアノ線は確かな感触を巧の掌に伝え、数秒の間を置いて同時に閃光が走り、一瞬の間を置いて大きな爆発の炎が倉庫内に広がった。覚醒剤の下に置かれた約10Lのガソリンに誘発し、大きく炎を上げたのと同時に吹き飛んだ覚醒剤が粉塵爆発を起こした。

クレイモアから撒かれた小さな子弾に撃ち抜かれた者も多く、飛び散ったガソリンの炎と覚醒剤の粉塵爆発で最前列に居た半数が吹き飛ばされたまま動かない。

残り組員も火まみれになり、のたうち回るがその場を逃れる力は無かった。

天井が高く広い倉庫の中はガソリンの炎に焼かれる組員の臭いと悲鳴が溢れ、さながら地獄絵図が繰り広げられていた。


吉田達3人は車が通過した時点ですぐその場を離れ、集合場所に向かっていたので爆発の時には数キロ離れた裏通りを繁華街近くの待ち合わせ場所に向け走っていた。


巧は爆発で飛んできた瓦礫を払いながら岸壁に降り、掛けてあったシートを外しボートを静かに走らせた。1キロほど離れた岩場に辿り着きボートを沖に向け蹴り出した。主を無くしたボートは風に揺られ沖の方に漂って行く。

巧も隠してあったバイクに乗り脇道を走って繁華街の集合場所に向かい、近くでバイクを捨てると徒歩で集合場所に向かう。

消防車やパトカーがけたたましくサイレンを鳴らし現場に向かっていく。

集合場所の駐車場に停めていた車には既に3人が乗っていて、そのまま車を走らせラジオのニュースを聞きながら京都のアジトに向かう。

まだ仔細が分からず[〇〇埠頭で爆発が起きた…]としか流れていない。


アジトに入り、またビールを飲みながらのテレビの観賞会が始まった。

今回は3人とも直接手を下していないので前回ほどの興奮はないが、【現場に数十人の焼死体】と流れると歓声が沸いた。


翌日、朝のニュースで仔細が発表された。

死者13名…重体21名…使われたのは米軍のクレイモアとガソリン。

生き残ったもの達も瀕死の状態で聴取できない…とレポーターが警察の発達を伝えている。

大方の報道は薬物の取引か縄張り争い…の見方をしている。


翌日、3人に500万円を渡すと、時間をずらして新幹線で横浜に戻って行った。

秋元と山下は、今回は銃の使用は無かったので少し残念な様で次は…?と聞いてくるので、『その時になったら声をかけるから…』と嗜めた。


使われたのが米軍のクレイモアという以外は何の証拠も無く、ピアノ線も市内に多く流通していて手掛かりはない。

ただ一つ、東京の〇〇商事の爆発事件と手口が共通している事だ。

そこから見えるものもあるが、組織同士の抗争のパターンしか見えてこない。


吉田は従業員には業界の会合で名古屋に行くと言っていたが、金本は大阪の事件を見て、巧の仕業では無いかと疑っていた。

吉田に執拗に会合のことを聞いてくるが巧に金本には絶対明かさない様に言われている。

巻き込みたくない巧の配慮でもある。

少し不満と疑問を残した金本は大阪に行って巧を問い糺したい気持ちを、絶対大阪には戻るな❗️の言葉を守って電話をよこした。

電話で事件の事を聞いてくるが、『いい気味だとは思うが…自分には石を投げる程度が精一杯』とかわし、笑った。

今は取材で忙しいが近いうちに横浜に行く…と電話を切った。


これで帯広に関わる大方の組織に一矢を放った。

それぞれの組織も相当の痛手を負い、身動きができない状態まで追い込んだ。

あの太田や王蓬を憐れんでの行動と言うわけでもないが、これで少しは弔いになっただろう。


今回も捜査は行き詰まっている。

銃弾や手口など一連の事件の繋がりが垣間見えるが、それぞれの関連性と動機が分からない。

そこで関東と大阪の捜査本部が合同で捜査会議を開き情報を供用しようとするが、双方の意地と手柄争いもあり、肝心な事が表に出てこない。

ただ、東京と大阪での銃弾と覚醒剤については同じ物が使われた、と確定され同一犯の仕業との見方が固まった。

あとは動機だが、巧にはそもそも組織との関わりが無く、捜査線上にも浮かんで来ていない。

それは帯広の事が一切出てこないからでも有る。

C国系にとっても東京の組織にとってもその件が表沙汰になればかなりの痛手になり、ただでは済まないのが分かっているので、双方必死だ。

それが巧や祐実にとっては幸いしているのは確かだ。


そんなことを考えていると祐実の事が気になってきた。

一度、祐実の現在を覗きに行こうと思うが直接会うかは決めていない。

巧は横浜の拠点を片付けるために横浜のマンションに戻った。

祐実の家はカーテンが引かれたまま庭には雑草が伸び風景を変えていた。

部屋の中は以前のまま、ガランとしていた。

祐実の動向を監視するために用意した機材をバックに収め、数回に分け車に運んだ。

最後に残ったのは祐実との連絡のために用意した無線機だ。

未練がましく電源を入れるが何の反応もない。

それを持ち車に乗り、改めて祐実の家を見ると祐実と娘が笑顔で車に乗る姿を思い出す…。

マンションの管理会社により鍵を返し契約解除を伝えた。

車を走らせながらポケットから祐実が渡してくれたメモを取り出し住所を確認して高速道路に乗り中央自動車道、北陸自動車道を走り石川県に向かう。

住所は七尾市の郊外、七尾市役所近く。


巧は有名な和倉温泉の加賀屋に5日間の予定で宿を取り、荷物を部屋に入れて祐実の住むマンションに向かう。まだ会うかは決めていない。

生活が変わっているとか…籍はまだ抜けていないだろうが、同居人がいる…とか…

苦労しているとか…いろいろ考えると迷う…。

祐実の住むマンションは国道160号線近くにあり三階建てのマンション前の駐車場の202と書かれた所に祐実の赤いワーゲンが停まっていた。


懐かしさと込み上げる熱い思いが心を逸らせるが、今少し観察しないとトラブルの元だ。


マンションの筋向いに〇〇と言う喫茶店があった。

1時を過ぎた昔懐かしい雰囲気の店内は近所の常連客が数組、何気ない日常の会話を交わしていた。

窓際に席を取りメニューに目を通し、トーストセットを注文する。

程なくバターを塗った厚切りトーストにベーコンと目玉焼き、それにサラダ。

もう何十年も見ていないトーストセットの景色に懐かしさが蘇る。

初めて食べたのは20歳の頃…自衛官同士で朝まで飲み明かし早朝営業の喫茶店で食べたのがトーストセットだった。

コーヒーが乾いた喉と胃に沁みん込んで、酔いの残る頭をスッキリ目覚めさせ、殆ど食べるものを口にしないまま飲み明かした体にトーストと目玉焼きが活力を呼び戻した。


今回はここまで来た疲れと、祐実への感情を鎮めるトーストセットになりそうだ。


食べ終えて再度コーヒーを頼み席に居座る。

小1時間が過ぎた頃、祐実がマンションの入り口に姿を見せた。

相変わらず小綺麗な風体と華奢なスタイルは以前と変っていない。

その後ろを娘がスキップをしながらついて来て車に乗り込んだ。

買い物だろうか…


巧は元気な姿を見て少し安心もしたがもう少し様子を見るつもりで宿に戻り、普通の観光客に戻った。

旅館の部屋は二間続きの和室。窓からは七尾湾が一望できた。夜、運ばれた料理は近海の魚介、ウニや刺身、越前蟹や海鮮鍋、それに能登牛の陶板焼きなど豪勢なものだった。

食事には一人の中居さんが付いて料理の食べ頃や、チビリチビリと飲む酒のお酌もしてくれた。

確かに食べ慣れぬ料理の食べ頃を逃し最高に美味い時を逃してしまう事もある。

それを適時に提供してくれるサービスは、さすが一流旅館のおもてなし。

これが5日間続く事も楽しみだ。


翌日、金沢市の電話帳を開き興信所を調べ、その内の一軒〇〇興信所に電話して調査依頼の申し込みをした。

〇〇興信所はビルの3階に看板を掲げた興信所で10人ほどの調査員を抱え、業界では中堅クラス。

応対に出たスタッフが調査費用の説明を端折らせて祐実の住所と名前を告げ4日間の調査を依頼した。巧の滞在最終日に報告を受ける。

費用の30万円を先払いし、追加費用が出れば調査報告の際に支払う。

祐実の身辺を自分で調べるには5日間の滞在では無理がある。

興信所の方が確実に調査してくれるだろうと考えた。


巧は八尾に戻り報告の日まで能登半島観光を楽しむことにしていた。

これまで、帯広の件以来気の休まる事がなかった。

何する事ない日々も常にターゲットへの気配り目配りを欠かさなかった。

絶えずどこかに緊張感があり、頭の隅にはいつも忍び寄る黒い手を恐れて暮らして来た。


能登の空気それを忘れさせてくれた。

本気で観光を楽しみ料理も楽しんだ4日間を過ごし興信所の報告の日を迎えた。

少し不安でもあるが、結果では祐実の存在を思い切る事ができる…


〇〇興信所に向かい調査員がA4サイズの封筒を巧に差し出した。

その封筒から10枚ほどの報告書に目を通す。

そこには4日間の祐実の行動が時系列に並べられていた。

さらに行動報告、交友関係、仕事先の人間関係など仔細に調べられていた。

仕事は食品会社の事務員のパートをしている様で、真面目で職場での評判もいいようだ。

その中の交友関係に男の影はなかった…事に巧は安心すると同時に迷いが出て来た。

このまま帰るか…連絡を入れるか…

最後まで悩んだが今回は会わずに電話だけにしようと決め報告書を脇に興信所を出た。


夜、九時を過ぎた頃、ホテルの公衆電話から祐実に電話を入れた。

プッシュホンのボタンがピポパと音を立て、受話器に呼び出し音が聞こえる…

祐実の家の受話器上がり呼び出し音が消えた…

数秒の沈黙の後、『吉村さん…?』祐実の不安げな声が受話器から聞こえた…

巧は名乗る事が遅れ、少し罰が悪かったが『そうです』と応え『元気でしたか?』

と言うと祐実は『電話が鳴った時、吉村さんからだと言う気がしました』と、吉村からの連絡を待っていたと言わんばかりにこちらの質問には応えないで質問をして来た。『今はどこに……』などなど…

『良かった〜元気そうで…』とホッとした様に声が明るくなった。

改めて近況を聞くと興信所の報告通りの答えが帰って来た。

あの横浜で食事した時の笑顔が蘇えり会話の中にも少し親密な雰囲気が伝わる。

祐実が『また会って食事したい』と言ったので巧も『必ず会いに行くから』と約束すると祐実が嬉しそうに『必ず来てね』と少し甘えた声になった。

そこまで話しても祐実は巧の連絡先を聞いてこなかった…

それが何を意味しているのかは分からない…巧はそれには答えないと何となく分かっているのかも知れない。


祐実は巧に言われた通り、太田薫の消息不明を理由に離婚するつもりでいるが、婚姻消滅期間が来たからといって直ぐには手続きはしないつもりだ。

薫が死んで居るとしてもそれでは余りにも情がない様な気がして気が引けている。

マァそれも祐実らしいのかもしれないが、巧にとってはそのどちらであってもいい事だ。死んだ人間にやきもちを焼くほどウブではない。


あれこれ30分ほど会話し、少し名残惜しさもあるが子供がいる事だしまた連絡すると約束して受話器を置いた。


翌日、ホテルを出ると横浜の吉田の工場に向かった。

吉田は仕事も順調で新しい工作機械が入り、忙しそうだ。

〇〇金融からの催促は消えたままだ。

巧を見た金本が走り寄り握手して来た。

吉田は『仕事に慣れ一人前の働きをしている』と金本を前に褒めあげる。

吉田もな中々褒め上手だ。

その夜、吉田と金本の3人で遅くまで飲んだが、大阪の事件も関わりのない立場で無関係を醸し出し、第三者的な論評を語り、無関係である事を醸す。

金本もわかっているかも知れないが、何も分からないままの方がいい。

 

続く。

一部未校正





























































































































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静かなる報復 マツゴロウ @matsugorou

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