第一部「立志」
第1話『少年よ、社会にほえろ!』
千葉県豪雨災害から一夜明け、被災地では復旧活動が進められていた。
ざく、ざくとシャベルで汚泥を削る一人の少年。泥にまみれた顔を拭くと、中学生らしい幼さと可愛らしさがわかる。紫の瞳に藍色の髪の男の子だ。
「おーい、悠斗君、その辺にしとくべや」
地域の高齢者がやかんを片手に休憩を促す。
「ここだけやったら行きます!」
彼こそが悠斗である。この時点で名字は秋津ではない。
「ああ、そう?」
「まだ中学生だろ悠斗君は」
「若いのに頑張るねえ」
「末は博士か大臣か。だな!」
かつて子供たちの夢は総理大臣になることだった。そんな子が今、どれだけいるのだろう? 秋津総理大臣はこの時点では純粋無垢な男の子でしかなかった。
「それに比べて、青山知事は一体何をやっているのかね」
昭和の青春スター出身の青山春之助千葉県知事は、明朗快活な人柄から察するに決して悪人ではないのだけれども、いささか実務能力に乏しい。
当然自治体任せにしていられない国すなわち物部泰三政権は、災害対応の迅速さのアピールも兼ねて、国土交通副大臣を団長とする政府視察団を現地に派遣した。
秋津国交副大臣を、地元市長、県議会議員、市議会議員、そして官僚や職員が取り巻き、氾濫した川を視察する。その防災服を着た一行が見つめる先には、汚泥にまみれた惨状があった。
「ひどいものだ」
秋津文彦の持論は地方分権と防災であった。
「秋津副大臣、お時間です」
副大臣はいそがしい。警察の警護担当者に促されるまま黒塗りのワンボックスカーに乗り込もうとする。
「おい! そこのおっさん!」
年寄りが茶を吹き出す。見れば、悠斗が肩で息切らせながら天下の国土交通副大臣を怒鳴りつけているではないか。
「お偉いさんは見ているだけでいいから楽ですね! 少しは手伝ったらどうですか」
言ってしまった。年寄りが中学生の幼稚な義憤を止めようとしたが遅かった。警察官がじりじりと歩み寄ってくる。社会の不条理に吠えた少年は国家権力の前に排除されるのか。
「待て」
「え」
「その子の言うとおりだな。すまなかったねえ、そっち手伝うよ」
少年の正義感が国家権力に勝った。
二人仲良く作業の泥にまみれた……房総の山々を背景に作業が一段落する。
「あの、副大臣だったんですか」
秋津文彦は市議会議員、県議会議員、市長を経験して今の立場にある。
「あれ、言ってなかったか」
「そんなに偉い政治家だったなんて。すいませんあんな失礼なことを」
「ははは、気に入ったよその度胸をね」
文彦が悠斗の肩を優しくたたく。まるで親子だった。
悠斗は立ち上がると文彦に正対し、頭を下げた。
「秋津議員、弟子にしてください!」
「は、はあ!?」
文彦は素っ頓狂な声を上げた。
* *
「むにゃむにゃ、弟子にしてください、オヤジ」
秋津悠斗は秋津文彦国土交通副大臣を継父に迎え書生となっていた。文彦にもたれかかり、夢心地の悠斗。車の振動が伝わる後部座席で彼は目を覚ました。
見上げると、オヤジの優しい顔があった。
「はっ、すみませんオヤジ」
「いい夢見れたか?」
「親父と初めて会った日のことを思い出していました」
秘書の運転で車は高級住宅街を進む。
「さて、今日は森田正好農林水産大臣のお宅にお邪魔する。」
「はい!」
「こいつ、お嬢ちゃんと会うのを楽しみにしていたな」
森田正好の娘は森田このみと言い、海外に留学していて、夏季休業にあわせ先日帰国したところだ。大学生の姉貴分だが悠斗もよくなついている。
「土産は持ったか?」
「あの国だと手に入らないと思って、漫画です」
あの国……森田このみが留学していたのは、南興島の南興社会主義人民共和国のことである。昔、戦国武将らが太平洋の島に落ち延び、スペインの庇護のもとでポリネシア系先住民と混血。民族独立が世界のスローガンとなった時、幾多もの戦乱、政変を乗り越えて、南北に分かれ独立。南南興は社会主義国でありながら楠木家が代々大統領・党委員長職を世襲している特異な国だ。
メールが届き、秋津文彦がガラケーを開く。
「おっと、楠木沙織さん明日から森田さん宅にホームステイの予定だったが、もう着いてるみたいだぞ、こりゃ悠斗と鉢合わせするが……俺は面識があるんだが、悠斗は大丈夫か?」
大統領令嬢がホームステイしていているのだと文彦は言う。
「お土産1人分しかもってきてないや」
悠斗が漫画の入った紙袋をぎゅっとする。身長は170センチあるものの何やら繊細で女々しい少年だ。
「はっはっは、気遣いができてすばらしい」
秋津父子は森田邸に着いた。
「文彦さんに悠斗君、いらっしゃい」と正好。
「悠斗君!」と正好の娘のこのみ。
「このみ姉貴、これプレゼント」
「これ! 欲しかった漫画!」
「ああ、どうせ南南興じゃ手に入らないと思って、」
「いくらしたの? その分払うよ?」
「いいよいいよ、これは俺の気持ち」
「そんな、悪いよ……じゃあせめて、東京いるとき、お茶おごるよ」
「え、あ、じゃあ、お言葉に甘えて……」
「ふふ、身長も高くてイケメンになってきたけど、可愛いね」
このみはころころと笑う。悠斗は照れる。
「な、なんだよ……」
にぎやかな様子を聞き、二階から女性たちが降りてきた。
「あら、秋津さんでしたっけ」
「そうです。南興のインフラ現地視察以来ですな」
「はい、お元気そうで」
やや小麦色の肌に彫りの深い顔立ちの活発そうな女の子、どうも彼女が南興社会主義人民共和国大統領令嬢、楠木沙織らしい。年のころは大学生ぐらいで側にいるのは学友といったところか。
「おい悠斗挨拶しな、この方は南南興の二の姫様だぞ」
「は、はじめまして! 秋津悠斗といいます、よろしくお願いします」
「ふふ、楠木沙織と言います、こちらこそよろしく」
* *
夜になり、一同の姿は高級中華料理店にあった。
「悠斗君は漫画好きなんだね?」
「はい、実は俺……私も、描いてたりするんですが」
絵を描く。政治家志望にしては繊細な趣味だ
「そうなの!? 次の機会とかに見せてくれない?」
「よかったじゃないか悠斗」
「ええ」
「英子、あ、悠斗の母で私の後妻だが、英子は悠斗の趣味が理解できないようでね」
「いいよ、母さんのことは」
「私も、英子には見守ってやれと言うんだが、なかなか頭が固くて。日本教職員組合の幹部候補だから、さもありなんなのだがね」
「あ、あの日教組……」
沙織でも、その組織の名は聞いたことがあった。
日教組は、戦後、平和教育、教え子を戦場へ送らない、というスローガンを高く掲げて、民衆党系と連携して、保守党政権に歯向かってきた日本最大の教職員組合である。しかし、その強すぎる政治色は、保守派のみならず、一部リベラルからも顰蹙を買っていた。
秋津悠斗が保守党を支持するのは、日教組たる教師や家庭の抑圧に反発しているのかもしれない、と文彦は考察する。
一方、7人から少し離れた席で、とある五人が会食していた。
「高校は楽しい?」
老婆が孫に話しかける。
「まぁね、とりあえず上手くは行っている」
「ハッハ、まぁよし君の頭なら、きっと良い成績残せるわ」
「…」
「何浮かない顔しているのよ」
「いや、何でもないけど…」
「ならいいんだけど」
すると今度は、よし君と呼ばれる少年の母親に顔を向ける。老婆は母方の祖母だった。
「ところで春子、よし君もそろそろ塾とか予備校とかも行くんでしょう?お金出すわよ?」
「まぁ、まだ一年生で、一貫校とはいえ、学部も学部だしね」
「う~ん、僕はまだ学校だけで良いと思うんだけど」
よし君は難色を示す。
「でも、早めに手を打っておかないと、医学部だと高三始まるころまでにはそれなりの難度の問題も解けて、好成績残さなきゃいけないのよ。学校生活、楽しんでもいいけど、将来の為によく考えて」
「うん……」
その様子を、母親の妹、つまりよし君の叔母の睦子がやや心配そうな目をしていた。
食事が終わった沙織たちは……
「いやぁ、美味しかったぁ!」
「それは良かったです」
「中々南興では中華料理を口にしないので、ちょっと新鮮でした」
「そうなのですか。それは何より」
そう言いながら、森田正好がとある二人を遠目に見ていた。
「どうしたのですか?」
「あ、いや、ちょっと見知った顔があったもので…」
その2人とは……
「やっぱり医学部行きたくないな…」
「う~ん、もうお姉ちゃんとママ、何が何でも行かせる気になっているよね。私はもう止められないな……」
「それでも……僕にはやりたいことがあるのに。前それを仄めかしただけで、否定されてるし、どうにかならないかなぁ……」
「私も、コネクション使って何とか解決策考えてみるから、それまで頑張って……」
「有難う、叔母ちゃん」
その様子を見ていた森田は呟いた。
「また斯波家で、面倒くさいことが起こってそうだな…」
睦子の姓は『斯波』。足利家重臣の斯波氏の末裔だ。その甥の名は玉川芳彦。後に彼は、沙織や秋津の運命を変えるどころか、斯波高義と改名しとある業界に旋風を巻き起こすことになるのだが、まだその風格は漂っていない……。
* *
この日、ニアミスした楠木家と斯波家。そして秋津悠斗。
南北朝時代では楠木家と斯波家が分かれて戦ったが、将来、楠木沙織は同盟国の女性大統領となり、斯波高義は副総理兼財務大臣となる。日本の別名秋津洲を背負う秋津悠斗政権において。
ここからは、秋津、楠木、斯波ら若者たちに、物部泰三内閣総理大臣が立ちはだかる。
同月、物部の愛弟子荒垣健防衛大臣は、立花康平衆議院議員と共にホームステイ中の大統領令嬢楠木沙織を訪ね、日本国と南興社会主義人民共和国との経済、安保の連携の可能性についてアプローチする。それは将来の秋津政権のとある外務大臣の登用の可能性を芽生えさせた。そして荒垣健自身も秋津政権において内閣官房長官を務める運命である。お供の立花議員は経済産業大臣となり、公私共に沙織に急接近する。
森田正好農林水産大臣も、将来、秋津党総裁のもとで総務会長、幹事長を任される。
全ては、視察中の文彦に手伝えと怒鳴りつけ、弟子入りしたあの日から。縁、人脈が加速度的に伸び、秋津悠斗を取り巻いていく。
若き総理の一代記が、開幕する──!
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