第42話 出張ってヤツは…だいたい突然決まる物ですよね? 14

 グラム神聖国南西部、旧アルブレヒト大公領の西半分は、鬱蒼とした巨木が密生する森林だ。


 昼なお薄暗い森の周辺が、ほぼ他国との国境線を形成し、その中心部分にはエルグラン山脈の稜峰が横たわっている。


 山脈の頂には、常に分厚い雲が幾重にも渦巻き、その姿が見通せる事は殆どない。


「あれが話に聞いた奴のなのね...」


 そう呟いたのは、藍色のハーフプレートメイルを身に付け、両肩に背負う形で二本の剣を背負う女性だ。ほぼ白髪の長髪を無造作に束ねている。遠い稜峰を眺める紅い瞳は、力強い生気に満ちて輝いている。


「ああ、あの雲は、永年に渡り霊峰エルグランに巣くうギドルガモン三首の神獣から立ち上る瘴気だと云われている」


 そう答えたのは、灰色の下地に深緑の糸で紋様が刺繍されたローブを纏う中背の男だ。目深なフードのせいで、その容姿は解らないが声音は若さを感じさせる。


「奴の瘴気か...私達の目的が、グラム神聖国の領地ではなく、だと思うとするわ。まぁ、一般兵に本当の目的は知らされてないけど...」


「本当の狙いは、神獣が守護しているという地母神の涙ガイアラドライトだからな。しかし国王も無茶を言う。がどういう存在なのかは十全に知っているだろうに」


 セリフとは裏腹に口調は楽しげだ。


「ふん、本音が透けているわよ、この魔法馬鹿」


「これは心外な。かつて、グラム神聖国の筆頭聖騎士 “絶対の光を纏う者グランドグリッター” を退けた者とは思えん言い草だな。いかな神獣とて、君の相手が容易く務まるとは思えんがね? ましてや俺もついている。失敗する訳がなかろう?」


「あれは奴が退いただけで……私が勝った訳ではないわ。もっともあのまま戦ってたとしても、絶対に負けやしなかったけどね。ただ……確かに奴は凄まじい男だったけど、伝説の神獣とやり合うのとは訳が違う。舐めてとあんただって、エルグラン山脈が壮大な墓標になるわよ?」


 そう言って、再び視線を山頂に戻す。女剣士は、今、自分が戒めた事をもう一度心に刻んだ。


(神といえど獣は獣。人の知と力を思い知るがいい。貴様の伝説はあと数日で終わりよ!)


――――――――――


「まさか、北でその様な事が起こっていたとは...」


 帝都ベルギリウスで、再びヒルデガルドに面会したカナタとシドーニエは、事の次第を記した書簡を渡し、速やかに情報伝達を行った。ヒルデガルドも、当然、驚きはしていたが、


「なる程、メッテルニヒ子爵が、なかなか交渉を進めないのは、その情報を握っていたからか...」 


「交渉は順調では無いのですか?」


「ああ、のらりくらりと躱されているよ。相手の態度を見るに、まだ向こうも情報を得てから間が無いのだろう。時間稼ぎをしつつ対応を煮詰めているのではないだろうか?」


「なる程...確かにトライセン王国以上に、神経質になって然るべきですね。この情報はヒルデガルド様のお役に立ちましたか?」


「ああ、勿論だ!コーサカ殿が居てくれて助かったよ。情報は鮮度が命だからな。メッテルニヒ子爵との交渉も、これで幾分余裕が持てる」


 ヒルデガルドが行っているのは所謂、戦後交渉の筈だが相手の心積もりを把握して臨むのとそうでないのはやはり大きく違うのだろう。


「それでは慌ただしくて申し訳ありませんが、僕は殿の所に参ります」


「分かった。やはり此処で下手な動きは命取りに成りかね無い。しっかり抑えておいて欲しい」


 口には出さないがヒルデガルドも大貴族の令嬢だ。マルグリット殿下に同情している所も大いに有るだろうが、政治的立場から見ても今は、まだ大人しくしていて貰った方が、都合がいいのだろう。


「ええ。しっかり言い含めておきます。それに関して一つお願いが有るのですが...」


「?何だろうか?」


「マルグリット殿下や他の近従達と、シドーニエさんとは面識が有りません。混乱を避ける意味で彼等への訪問は、僕一人に任せて貰えませんか?」


 シドーニエに少し緊張が走る。ビットナー伯爵からの指示を考えば、当然同行するべきだがカナタの言い分も良くわかる。


「それは...そうですね。」


 ヒルデガルドにしても、本当は同行させたい所だが、今はシドーニエが同行しても特に仕事は無いし、余計な混乱を避けるのも大切だ。


「分かった。その件はコーサカ殿に一任しよう」


――――――――――


「殿下、馬車の準備が整いました。参りましょう」


 ここはマルグリット達の常宿。馬車の準備が整ったので、ヴィルヘルムが部屋に呼びに来た所だった。


「入って下さい」


 ん?少し硬い雰囲気で返事が返って来た。もしや何かあったのか?


「失礼します」


 急ぎ入室したヴィルヘルムが見たのは、コーサカが置いていった使い魔のフクロウが、マルグリットの肩にとまっている光景だった。


「その声はヴィルヘルムさんですね」


 フクロウが喋った!?! いや、この声はコーサカだ。


「その声はコーサカか?フクロウが喋っている様に見えるが?」


「...使い魔を通して音声を送っています。至急お話したい事がありますので、これからそちらにお邪魔して良いか、殿下にお伺いしていた所です」


「...急にこの子が喋り出したので驚きました。少しなら大丈夫だと思います。どうぞお越し下さい。」


「ありがとうございます」


 そう返事をした瞬間、入り口の横に先程の青年が現れる。


「お騒がせして申し訳ありません。実は...」


――――――――――


 ビットナー伯爵から聞いた情報を、急いで説明する。マルグリットとヴィルヘルムは話を聞いて驚きを隠せなかった。



「バカな...我らも大公領には間者を置いているが何も連絡はないぞ。既に10日以上前から侵攻が開始されていたなら、知らせがあっても良いはずだ!」


 確かにこれだけの時間があればバードメールの一つも送って来れそうな物だ。やはり何かあったと考える方が自然だろう。


「殿下、至急ワーレンハイト領に戻り、私が直接潜入して様子を確かめて参ります」


 案の定ヴィルヘルムが、動きを見せようとするがそれは遠慮して貰おう。


「残念ですが、それは遠慮して頂きましょう。理由は御理解して頂けますよね?」


 途端にヴィルヘルムは苦い顔をする。しかしマルグリット殿下は堂々と、


「コーサカ様、我々は仲間を見捨てる訳にはいきません。それに...既に我等が領地ではないとしても、私達にとって旧大公領は故郷なのです。それに領地ではないからといって苦しんでいる民を見捨てる理由にはなりません」


「マルグリット殿下。僕自身はこの侵攻は先日のあなた方の件と同じく無関係です。しかしながら、僕にも争乱は遠慮したい理由があります。王国の方からも詳しい情報が欲しい話はきていますから、僕自身が出向いて現地の様子を見て来ようと思います」


 マルグリット達は驚いているが、それでも全て納得は出来ないようだ。


「コーサカ様なら容易く大公領に入り込めますでしょう、しかし民達を助けるべく、行く訳では無いですよね」


「確かにそうです。しかし、彼等を助ける為にも、現地の正確な情報は必要でしょう。それに王国も、あなた方が暴発して、殿下の事が明るみに出たら困る事はお分かりですよね」


 マルグリットはまだ納得していない様だ。仕方ない...


「...仕方ありません。潜入しているというお仲間の、特徴と連絡方法を教えて下さい」

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