小狸

短編

 *


 ふるいに、かけるのである。


 そうして、悪いものやいびつなものをあぶり出す。


 あみの中に残った、通り抜けられなかったもの。


 それは、欠陥を持ったもの、粗悪なもの、品質の悪いものである。


 突然何を語っているのか、と不思議に思ったことも多いだろうが、これは人間社会でも良く起こる話である。


 その篩の名前は、「受験」や「就活」から始まり、「集会」や「人間関係」など多岐にわたる。


 そうしてふるわれ、無事にその隙間を通り抜けたものが、所謂いわゆる「成功」や「幸せ」などと云った到達点に至ることができるのである。


 大抵の人は、その網を通り抜ける。


 勿論もちろん――通り抜けられなかったものも、当然のように存在する。


 基本的に現代社会は、障害を持った者でも生きやすい仕組みを作っている。人には人に合った篩があり、誰しもがどこかで、それを通り抜けることができるようになっている。老害は何かにつけて「最近の若者は」と言うけれど、なかなかどうして、かつての方こそ、その篩のは、ように思う。障害者に対する、現在は撤廃された差別用語たちが、それを証明している。


 まあ、そんな風にして。


 誰しもが、何かしらの篩を通り抜けられるようになっている。


 篩を通り抜けるということは、人生を進むということに等しいのだ。前に進む。文字通り前向きな言葉である。


 ただ。


 一応というだけで、篩を通り抜けられなかったものというのも、ごくわずかではあるが存在する。


 何をしても駄目で、何をやろうにも裏目に出て、信用していた人には裏切られ、環境に恵まれず、不幸という名の湖に引きずり込まれ、生きているか死んでいるか分からないままに生きることを強要されている、どうしようもない人間だ。


 まさか自分がそれに該当する、などとは言うまい。


 たしかに私の人生は、決して幸せだと一概に言えるものではなかったけれど、どんな篩をも通過できなかったというほどではないと、自己評価している。


 何故なぜなら私は、を、見たことがあるからだ。


 そもそも、この篩の話をしたのが、その本物の、なのである。


「世の中にはさ、篩があると思う」


 変わり者の同級生だった。


 こうして回顧するものの、成人式の頃には既に彼は故人である。


 両親からの家庭内暴力が過激化し、自殺した。それは地方紙でまとめられる小さなニュースになった。当時は今ほどに、児童虐待を大々的に報道する傾向はなかったのである。


 その頃――中学1年の時。


 私は篩という言葉を知らなかった。


 ただ、知ったかぶりたい年頃ではあったので、どうしてそう思うの? と、問うた。


 当時の私は、変人ぶりたい常識人だった。皆が右を向こうという時、敢えて左を向いて、それで人と違う自分を演出して悦に入っていた。


 今から思えばもう忘れたいくらいの黒歴史である。


 そもそも変人ぶりたいという時点で、彼の目からは大層贅沢に映っていたのだろう。まあそれは後の祭り、先の祝いという話である。多分彼は敢えて、私の作為的な変人行為を見抜いていたのだろう。その上で、私の話に付き合ってくれていた。


「『篩にかける』って表現があるじゃない。それは実際に行われていると思うんだよね、世の中で、世界で。そして多分ぼくは、いつかその篩にかけられて、『はぐれる』と思うんだ」


「『はぐれる』って、どうなるの」


露呈バレるってこと。ぼくが人とは違う、ヒトデナシだと、誰かに理解されてしまう、そうなったら、もうお終いだよね」


「でも、誰かに理解されるって、良いことじゃないの?」


「そうでもないよ。駄目な奴を駄目な奴だと、奇人変人を奇人変人と、異常者を異常者と解ったら、人は間違いなく、その人物を排斥するよ。分かりやすく忌避しなくとも、距離は置くはずだ。そうしていずれ独りになっていって、死ぬしかなくなる」


「死ぬって――」


 ノートの端に「死ね」や「殺す」などと覚えたての過激な言葉を書いて、特別感にひたっていた年頃ではあった。


 しかし彼の言葉は違った。そんな浅い優越感より、もっと深い、恐怖を優先させた。


「毎日口に酸味を帯びる程に、大人達は言うよね、『いじめは悪いことだ』『いじめは駄目だ』と。でも彼らだって、異端者がいればその人を排除しようとするよ。実際している。結局人間は、そういう生き物だと思うんだ。優良な種を残し、劣等な種を排する。解っているよ。解った上で、それでも思うんだよね。思ってしまう。ぼくはね」


 それは、彼が残した、たった一つの、願望だった。




 まともになりたかった。




 私がどう答えたのかは、残念ながら記憶していない。


 いつものようにひねくれたことを言ったのか、それとも真面目に聞いたのか――覚えていない。記憶が消去されている。


 それから先、卒業した後、彼がどんな人生を歩んだのかは、ようとして知れない。あったのは、虐待と自殺というキーワードだけである。葬式は親戚内でひっそりと行われたらしい。まあ、今と比べて世間体という言葉の力が強かったのだ。


 それから、令和れいわ5年になった今。


 私は普通に働いている。


 何とか普通の枠に収まって、生きている。


 それでも時折、あの願いを口にした時の彼のおもちを、思い出してしまうのだ。


 篩の網ので、を眺める、彼の表情を。


「…………うん」


 今日も生きようと、私は思った。




(了)

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小狸 @segen_gen

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