第9話 怨霊がすぐそばに

 ビーラはもう湯船に浸かっていた。

 僕はいつものように彼女の方を見ずに、身体を洗う事にした。

「気持ち悪くないか?」

 背後からビーラの大きめな声で僕に様態を聞いてきた。

 僕は「大丈夫です!」と身体をモコモコにさせながら答えた。

 湯をかけて泡を落とし、湯船に浸かろうとした時、突然ビーラが立ち上がった。

「もう出るんですか?」

 僕は彼女の方を見ないように視線をずらしながら聞くと、ビーラは「あぁ、もう充分温まったからな」と言ってそのまま脱衣所に向かおうとしていた。

 今日はどうしたのだろうか。

 いつもだったらもう少し入ってくれるのに。

 僕がから元気している事がバレて、気に触ってしまったのだろうか。

 色んな疑問が浮かんだが、もうすぐ脱衣所の中に入ろうとしたので、急いで後を追った。

 その際、つい彼女の背中を見てしまった。

 おびただしいほど刻まれていた傷跡を。


 ディナーにビーラが射止めたゴリマッチョベアを使ったフルコースが出た。

 あんなムキムキな見た目だからか、噛みごたえがあって美味しかった。

 もし今度出たらまたビーラに射止めてもらおうと思った。

 ちなみに熊の調理を担当した母は「二度と作りたくない」とゲッソリしていた顔をして言っていた。


 夕食後の歯磨きを済ませたら、いよいよ就寝だ。

 僕の部屋のベッドはそこそこ広いので、二人で寝る事も可能だし、敷布団もあるから床で寝る事も可能だった。

 でも、僕は床で寝て、ビーラにはベッドで寝てもらう事になった。

 なぜそうしたのかと言うと、親類でもない人と同じベッドで寝るのは、さすがにどうなのかなと思ったからだ。

 一緒に浴場に入った僕が言うのもなんだけど。

 それに彼女はあまりベタベタされるのが嫌いなタイプのようだし。

 あと、ベッドに寝かせたのは、僕が勝手に召喚した責任として、少しでも快適に過ごしてもらえるように、僕なりのもてなしのつもりだ。

 僕はこの部屋に最低でも二人いればそれでいいので、必ずベッドの上で就寝する決まりはないのだ。

 僕はビーラに「おやすみなさい」と言って、横を向いた。

 すると、アイツが寝っ転がりながらこっちを見ていた。

 先ほど殺しに失敗した影響からか、殺気だったオーラを出していた。

 ビーラもやはりアイツの事が見えていないようで、「おやすみ」とだけ言って、後は無言だった。

 このまま眠りにつこうとしたが、アイツの影響もあってか、なかなか寝つけなかった。

「あの、ビーラさん」

 僕は囁くように聞いてみた。

 すると、「なんだ。カース。今日はベッドで寝たいのか?」とすぐに返してくれた。

「いえ、そうではなくて……ビーラさんって、確かエルーラにいた時は国防大臣をしていたんですよね?」

「ん? あぁ、そうだな……そんなことを言ったっけな」

 布が大きく擦れる音がする。

 おそらく起き上がったのだろう。

「それがどうしたんだ?」

「えっと、その……魔物とかって戦ったことあります?」

「魔物? 魔物……まぁ、たまに国に襲い掛かってくる馬鹿どもはいたっけな。

 大臣を務めていた頃は、兵士から状況報告とか聞いたり、指揮とか取ったりするだけだから、戦ったりはしていない」

 僕は少し落胆してしまった。

 もし、魔物との戦闘経験があって、さらにゴースト系の魔物との戦いもあったら、どうやって倒したかを聞いて、アイツの倒し方が分かるかもしれなかったのに。

 その時、ふと浴場で見た彼女の背中の傷跡を思い出した。

 あの傷は戦闘によってできたものと考えてもおかしくない。

 それに大臣に務めていた時は魔物と戦っていなくても、昇格される前はしている可能性は高い。

 けど、聞くのを躊躇ってしまった。

 仮にそうだったとしても、あの生々しい傷跡の背景にある記憶を呼び起こす事になる。

 トラウマになっていたとしたら、彼女の心をえぐる事になってしまう。

 そこまでしてアイツを倒そうとは思わない。

 僕はおやすみとビーラに挨拶すると、無理やり目をつむった。

 ビーラは少し間が空いた後に挨拶を返すと、布団と衣服が擦れたり、ベッドがきしんだりする音が聞こえた後、寝息だけ聞こえてきた。

 僕は脱衣所で襲われた記憶が蘇って目を開け、それを拭い去るように寝るように言い聞かせながら無理やり目をつむって、また目を開けて――を繰り返していた。

 何分経っても眠れなかった。

 あの傷跡が脳裏にこびり付いて離れないのだ。

 どうしたらいいのかと考えた僕は、耳を澄ませてみた。

 ビーラはスゥスゥと寝ている。

 今、起こすのは悪い。

 僕は明日聞こうともう一度寝る事にした。

 けど、寝られなかった。

 今度はトイレに行きたくなったのだ。

 どうしよう。

 一人で行ったら絶対に襲われるし、起こすのもなぁ。

 我慢しようと思ったが、今にも漏れそうだったので、恐る恐る彼女の方に近づいた。

 すると、カッと見開いたかと思えば、ガッと僕の首を掴んだ。

「なにやつ……ん?」

 ビーラは今にも殺しそうな血の眼で睨んできたが、僕だと分かると、スルッと手を離した。

 ストンと床に落ちた僕はその拍子に膀胱が緩んでしまった。

「……やったな」

 ビーラが少し眉間に皺を寄せて聞いてきた。

 僕は彼女と眼を合わせずにコクンと頷いた。

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