●第二十九話● 不穏な水音
――旧校舎の屋上に上がってみると、夜空には星が幾つも輝いていた。
見下ろせば、眼下には大都会東京の美しいイルミネーションが遠くまで広がっている。
大地震や地盤沈下にも耐え得る巨大ビル郡にはいくつもの光が煌めき、改修を重ねた東京タワーやスカイツリーが今もなおネオンカラーに染められていた。ガスカーの他に、エレカーやエアカー、ハイブリッドカーも燐光を引いて走っている。
壮大な
今はどのフロアにも明かりが入っておらず、そこだけ細長いブラック・ホールでも現れたかのように、星のない闇が広がっていた。
この桜ノ宮女学院を覆い隠すように、暗い森が延々と続いている。まさに、禁断の森だ。
だけど、さわさわと風に葉が揺れる音さえも、今は不気味には感じなかった。
それは、……隣に立っている女の子のせいかもしれなかった。
「下にいた時より、星が近くに感じますね……」
「うん……」
何となくこの美しい光景を堪能しないのがもったいなく感じられて、どちらからともなく、晴矢達は肩を並べて夜の屋上に腰を下ろした。
「……今、何時?」
「十一時前ですね。明日が大変です。遅くまでつき合わせちゃって、すみません」
「でも、楽しいからいいじゃん」
「皆も、楽しんでくれるといいんですけど」
「深羽がこんなに頑張ってるんだから、大丈夫だよ」
「本当にそう思います?」
「うん」
頑張りすぎに見えるくらいだ。
何だって、こんな面倒なことを進んでやるんだろうか?
優しいから?
心が綺麗だから?
……たぶんそうなんだろう。
「深羽ってさ、いい奴だよな」
「え?」
「だって、こんな面倒なこと、なかなかできることじゃないぜ? 俺、ボランティアにも地域貢献にも今の今まで一ミリも興味なかったもん。
いくら生徒会の仕事だっつったって、凄いよ」
「……でも、ハルちゃんだって、一緒に頑張ってくれてるじゃないですか」
「俺は、別に……」
「それなら、どうして手伝ってくれるんですか? 面倒でしょう、こんなの」
「別に、こういうのも、たまにはいいかなって思っただけだよ」
晴矢が答えると、深羽はなぜだか、少しだけ寂しそうに微笑んだ。
「ほら……、ね。ハルちゃんだって、いい人です。
……それじゃ、そろそろ始めましょうか」
アタッシュケースを開いてまず目に入ったのは、一目で一級品とわかる紫の袱紗だった。
深羽が恭しく袱紗を解くと、年代物やら骨董品やらを超えて古代の出土品かと見紛うような古めかしい四枚鏡が出てきた。
「これ、合わせ鏡にして使うんです」
「通称は洋風なのに、見た目はやたらと和風……っつーか、古風だな」
「実際、古いものですから。あ、ちょっと、あっち向いててもらえます?」
生徒会役員だけに知らされる秘密でもあるのか、深羽は晴矢の背中の向こうで何やら弄り始めた。
少し待つと、深羽が晴矢の肩を叩いた。
「……終わりました。あとは、新月の日に合わせ鏡の袱紗を取れば、異界との出入り口が開きます。
そこから、《人類の敵》がたくさん出てきてくれるはずです」
後で聞いたところによると、角度によって出入り口の大きさを調整できるらしい。出入り口が大きければ大きいほど、《人類の敵》の数は増え、強くなる。
鏡を無事設置し終えた二人は、今度は旧校舎の階下へと向かった。
幽霊ご垂涎の環境を整えるため、せっせと工作に励むのである。
○
理科室在住の人体模型氏からは支えを取って自力歩行しやすく工作し、ホルマリン漬けの小動物たちを入れている瓶の蓋を極限まで緩める。三階の美術室ではカバーを被っていたモナリザ女史を、二階の音楽室では奥に仕舞い込まれていたベートーベン氏やバッハ氏を引っ張り出して意味深に並べ、各階におまけで飾りつけられた女子トイレを地道に一つ一つまわって花子さんが団体さんで来てくれるように水を撒きまくり、階段の踊り場の大鏡の向かいに唐突に更衣室から持ってきた姿見を置いてみたり、と……。
――それからの数時間の
「……俺たちって、健気でカワイソウだな」
「健気でカワイソウなのは
……覚えてます? 《人類の敵》居住区に住んでる
だから、今回の
深羽は、しょんぼりとした顔でそう呟いた。
どうやら、わざわざ集められて退治される
仲間の情報を堂々とリークする岩子さんはともかくとして、晴矢は深羽を励まそうと言った。
「でもさ、トラップは戦闘の基本だろ? 味方の損害を減らせるし、まっとうな作戦だと思うけど。
相手は、《人類の敵》なんだからさ」
「そうですね……。皆が怪我するくらいなら……。……そうですよね」
小さく呟いてから、深羽はパッと顔を上げた。
その顔は、もう明るく微笑んでいた。
○
「……おい、ハル。ハル? あれ? ……なんだよ、いないのか」
今夜もまたハルの部屋へと密かに入ってみて――、
ハルは居留守を使うような奴じゃないから、野暮用かなにかでどこかに出ているんだろう。
「ちぇっ……。つまんないの」
ハルをからかうのが、最近の嫩葉の楽しみになっていた。
別に、ハルのことなんかただの新しい玩具みたいなものだと思っていただけだ。
けれど、こうして会いに来て会えないと、どこか物足りない気持ちになった。
「……ハルはいいよなあ。婚約者はいないし、双子の兄ちゃんまでいるし……。名前は確か、
兄妹で街中デートしたりとか、したことあんのかなあ」
嫩葉は、高く結い上げた髪を揺らして、寮内の廊下を見渡した。
ちょっと夜の散歩でもして、ハルを探そうか。
何となく、嫩葉がぶらぶらと誰もいない校内を歩いていると――。
なにか気配を感じて、嫩葉は振り返った。
「……?」
ちょうど、クラスメイトの
(あれ? アイツ……)
こんな夜中に、いったい何の用で外出しているのだろう?
けれど、無断外出は
特に咎めるでもなく、嫩葉は肩をすくめた。
何となく後を
……水だ。
(雨も降っていないのに、どこから漏れてきたんだろ? もしかして、水道管が水漏れでもしてんのかな……)
ならば、生徒会役員として、なにか対処しなければ。
渡り廊下は暗がりになっていて、そこには確かに
暗がりからは、水滴がぴちゃんぴちゃんと落ちる妖しげな音が響いてきている。
その時だった。
『うふ、うふふふふふふ……』
ふいに不気味な笑い声が聞こえ、嫩葉は息を呑んだ――。
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