水守探偵事務所 未発生事件録

NEINNIEN

「あーあ、どこかに殺人事件でも転がってねえかな」


 事務所のデスクに足を上げ、リクライニングの性能を限界まで引き出しながら、物騒な言葉を口にする男。


 この男こそこの水守探偵事務所の創設者であり、この事務所唯一の探偵である水守みずもり祐也ゆうやだ。


 男にしては背も低く、一見すれば女性にも見えるその中性的な顔立ち。髪を肩の辺りまで伸ばしているのがより中性的に感じる理由かもしれない。

 目つきは鋭く、話さなければイケメンと評したのは、高校時代の共通の友人だったか。


 鹿撃ち帽にインパネスコートといった、いかにも探偵といった様子の服を着ているこの男は子供の頃からの夢だった探偵になるという夢を叶えたのは良いもの、現実とフィクションの差を実感し、最近は毎日のようにこんな物騒な事を口にしているのだった。


「はいはい。どうせ殺人事件の依頼なんて来ないって。ペット探しだとか、浮気調査とかの依頼はちゃんと来てるんだから、それで満足しようよ」

「なんで俺がそんなどうでもいい依頼を解決しないといけないんだよ。俺が解決したいのは、事件なの事件。分かるか、連続殺人事件だとか、密室殺人事件だとか、大怪盗の予告状みたいな、そういう事件なわけだ。断じてそんな普通の依頼を解決したくて探偵になったわけじゃねえの。それぐらいお前も知ってるだろ」


 呆れたように水守は返す。


「そんなこといってもさ、結局そんな難事件なんてその辺に転がってないんだって。それにもしもこの付近でそんな事件が起きたとしても警察が解決してくれるって」


 探偵。

 その職業はもしもフィクションと現実が乖離している職業ランキングなんてものがあれば、おそらく堂々の一位を獲得することが間違いないだろう。


 フィクションの中ではそれこそ主人公に抜擢されることも多く、作中で輝かしい活動をする探偵だが、現実での仕事というのはおそろしく地味だ。


 ミステリー小説なんかでは、よく難事件が探偵事務所に迷い込む所から話が始まるが、殺人事件なんてたいそれた事件が探偵事務所に捜査の依頼が来ることなんてない。

 そもそも日本の警察は優秀だし、もし警察の捜査に納得がいかなかったとしてもわざわざ探偵事務所だなんて信憑性の薄い場所に、高い金を払って依頼しようなんてもの好きはいないのだ。


 探偵の現実的な仕事としては浮気調査やペット探し。そんな依頼が主な仕事になってくるわけなんだけど、そんな仕事に派手さなんてものがあるわけがない。

 地道な現地調査が主な仕事で、そんな仕事で映画や小説の中の主人公達の様に、大活躍するなんて夢のまた夢だ。

 別に僕はそういった活躍をしたいわけではないんだけど、こと水守はそうではないらしい。


「夢がねえな、夢が。いつも言ってるけど、れん、お前には夢が足りねえよ」


 伊藤いとう蓮、それが僕の名前だ。

 いわゆる幼馴染である祐也の奴に誘われ、そのままの流れでこの探偵事務所に助手という形で入社することになった。


 従業員二人と小さな事務所ではあるが、この田舎と呼ぶにふさわしい立地でも多少なりとも需要があるのかなんとか経営事態は上手くいっている。

 僕としてはこの現状を維持するだけで十分なのだ。だから彼の言う所の夢とやらには一切興味が無い。


「はいはい、そんな大事件が来たら頑張るよ。もしもそんな事件が来たらね」


 何時ものように適当に返事を返す。

 もっともそんな事件が舞い込んでくるわけなんてないのだけれども。


 そんな時だった、事務所に来訪者を告げる鈴の音が聞こえたのは。


 入ってきたのは一人の女子高校生だった。

 黒髪のボブヘアーで、背はそこまで高くない。水守と同じぐらいだろうか。その童顔も合わさってどこか小動物のようなイメージを思わせる。


 辺りをきょろきょろと見渡していており、若干挙動不審なのもそのイメージを強くしている一因なのかもしれない。


 初めて見る少女ではあるが、その素性に関しては想像は付く。

 制服とその手にしているバッグには見覚えがある。この近くにある千紫万紅せんしばんこう学園の指定のものだったはずだ。

 ということはこの少女は千紫万紅学園の生徒なのだろう。きょろきょろと見渡しているのは、普通なら学校に通うはずの平日の昼間にこんな探偵事務所に来ているからなのだろうか。それとも探偵事務所が物珍しからか。

 おそらくその両方だろう。


 依頼人の年齢からみて、浮気調査という線は薄そうだし、依頼の内容としてはペット探しだろう。

 こんな時間に来たのは、おそらく朝ペットがいないことに気付いて、学校に行く間も惜しんで外を探し回っていたからとかに違いない。

 随分と愛されているペットだ。


 ちなみに彼女が通っているであろう千紫万紅学園だが、名前だけ聞けばかなりの名門校に聞こえるものの、その実態はよくある私立の進学校である。

 特にお嬢様学校だとかそういった特殊な学校ではない。


「おや、お嬢さん。こんな時間に我が探偵事務所にどんなようですかな?」


 いつの間にか椅子のリクライニングを元に戻した水守の奴が、頬杖をつきながらやけに芝居がかった口調で語りかける。何時もの特徴的なハスキーボイスから、低くくぐもるような音色に変えるというおまけつきだ。


 ああ出たよ。

 こいつの悪い癖の一つだ。


 この芝居がかった口調は、この方が探偵らしいからとのことらしい。この態度のせいで何度か苦情が来たこともあったのだが、おそらくこいつの頭からはそんなことはもう綺麗さっぱり忘れ去られているに違いない。


「えっと、その依頼があるんですけど、ここって本当に探偵事務所なんですか?」


 不安げに少女は尋ねた。

 探偵事務所なんてものは普通に生きていれば関わり合いになることも少ない場所だ、こういった態度を取られることは珍しくない。


「ああ、もちろんだとも」

「その、探偵さんってことは、どんな事件でも解決してくれるんですよね?」


 元気のない湿っぽい声で彼女は尋ねた。


「もちろん、我が探偵事務所はどんな難事件であろうと解決してみせよう。それがたとえ未解決の殺人事件や、密室殺人事件、国が関与している極秘のプロジェクトであろうとも、その全ての真相を白日の元へと晒してみせましょう」


 それに対して自信満々といった様子で我が探偵事務所の探偵様は返事を返した。


「本当ですか!」

「ええ。この水守、嘘を付くことは決してありません」


 水守の心強い……いや、心強いだろうか。むしろ嘘を付かないって断言する奴ほど胡散臭い気もする。

 ……まあ、なんだ、その、なんの根拠もない強気な発言によって少女の顔はどんどん明るくなっていった。


 ただ反比例するように、僕の中で不安が育っていく。


 彼女は依頼の事を事件と言っていた。


 この時点で、単純なペット探しの線は消えたと言ってもいい。ペットがいなくなることを事件と言うことは殆どない。ペットの誘拐グループでもいれば、話しは別だがそういったグループの話はまだ耳に入っていない。


 それによく見てみれば彼女の制服は随分と汚れている。どう見ても今朝家を飛び出してきたという感じではない。おそらく数日家には帰っていないのだろう。

 家出か何かだろうか。家出、それ事態はこの頃の年代では当たり前、とまでは言わないが、特筆するほど珍しいことでもない。ただ家出の最中に何か事件に巻き込まれてしまったと考えれば、まあ納得はいく。


「それで本日はどういったご依頼で?」


 ただ一番の懸念要素はそこではない。

 もっと恐ろしいところがあった。


 それは……水守のやつが未解決の殺人事件だと口にした瞬間、少女の目が見開いたように見えたことだ。

 この時点で嫌な予感しかしない。まさかそんなことあるわけがないと必死に、自分の不安を押さえつけるが一度出てきた疑念というのはなかなかはれてはくれない。


 むしろ大きくなるばかりだ。


「探偵さんには、殺人事件の犯人を見つけて欲しいんです!」


 そして次にははいた少女の言葉によって、嫌な予感は予感などではなく現実だということを僕は付きつけられるのであった。


 口は災いの元、そんな言葉が頭の中に流れた気がした。


「ほお、殺人事件、それはそれは、お気の毒に。それでその殺人事件とはいったいどんな事件だったか教えていただけるかな?」


 依頼内容が殺人事件だと聞いて、分かりやすく声のトーンを一つ上げる馬鹿。


「えっと、その実はですね……」


 少女は言いにくそうに口ごもる。


 ここまで言ってしまえば言いにくい事なんてないような気がするが、これ以上の爆弾があるというのだろうか。

 勘弁してほしい、もうこの時点で僕の脳で理解出来る情報のキャパシティーを完全に超えている。


「その……、依頼したい殺人事件っていうのはまだ起きてないんです」


 思わず「は」と聞き返してしまいそうになるのを、喉元で抑える。


 まだ起きていないというのは、どういう事だろうか。いや、言葉の意味自体は分かるのだ。

 まだ殺人予告が来ただけだとか、そういった状態である事は想像できる、だけどそれにしては彼女の言い方が妙に引っかかる。


 それなら正しい依頼内容としては、殺人予告の犯人を見つけて欲しいだとか、殺人事件が起こるのを阻止して欲しいというものになるはずだ。

 しかし彼女の依頼内容は、殺人事件の犯人を見つけて欲しいだった。

 言葉の綾と言われてしまえばそれまでなのだけど、妙に違和感がある。


「ふむ、事件が起きていない。そうなると、殺害予告でも来たということだろうね。その送られてきた文章などは今日持ってきているかい?」

「そ、それがですね……」


 彼女は再び言葉を詰まらせる。


「もし今日持ってきていないという事であれば、また後日持って来てもらうという形でも構いませんけど」


 もしかしたら予告状を持って来ていなかったのかと思い、助け舟を出す。


「い、いえ。その殺害予告とかそう言うのじゃなくてですね、えっと、その……」


 ただどうも、持って来ていないという事ではなさそうだ。

 よっぽど話にくい内容なのか、もごもごと何か言っているがこっちにはさっぱり聞き取れない。


 だがしばらくすると踏ん切りがついたのか、意を決したように彼女は言った。


「じ、実は私、未来から来たんです! それで今から三日後に起こる殺人事件を止めたいんです!」


 僕達の耳に届いたのは、余りにも非現実的で常識ではありえない依頼だった。

 彼女の言い分を信じるのであれば、今は十月十日であることから十月十三日に殺人事件が起きるらしい。


「ほー、未来。なるほど、なるほど、未来と来たか。やはりこの水守探偵事務所に相談する内容としては、その程度奇々怪々でなければ困るというものだよ」


 そういって依頼人そっちのけで、水守の奴は高笑いをする。


 馬鹿だ、余りにも馬鹿だ。馬鹿としか形容の仕方がない。

 こんな奇想天外な事を、真に受けることも馬鹿だし、それを真実だと思った上でこの状況を楽しんでいるのだから、もう手の施しようがない。


 だけど彼女がまるっきり嘘を付いているわけではない、そう思ってしまったのは悔しいことに僕も同じことだ。

 普通ここまでの奇想天外の事を口にすれば、どこか嘘くささや演技の様なものが混じる。しかし彼女からは一切そう言った様子は一切感じられない。


 もしこれが演技だというのだったら、彼女は演劇部の大エースと言ったところだろうか。まあ嘘を言った様子がないからと言って、彼女の非現実的な言い分を信じれるわけではないのだけど。


「えっと、そうですね。そうなると、まず確認したいことがあるのですが、あなたはどうやってタイムスリップをしたんでしょうか」


 もし嘘なら深堀していけば粗が出てくるはずだ。


 まずはその奇想天外なタイムスリップの方法から聞いていくべきだろう。


「実は神様がタイムスリップさせてくれたんです」

「神様が?」

「はい、その信じられないと思うんですけど……でも本当なんです! 本当に、神様が事件が起きる前の世界に連れてきてくれたんです」


 より一層彼女の話が信じれなくなってきた。


 タイムスリップに、神様?

 現代日本に生き、特定の宗教を信仰していない僕からすればその二つは同程度にはSFチックな話にしか思えない。

 一つの要素だけでも眉唾なのに、それが二つもそろえば信用なんて出来るわけがない。


「成程、神様ですか。そういう事でしたら、これからいったいどんな殺人事件が起こるのかを教えてもらえますか」


 ただ嘘だと断定できない以上、信じられない事を態度として前面に出すわけにもいかず、あくまで理解しているというていで話を勧める。


 すると突然彼女に右手を両手で捕まれた。


「信じてくれるんですか!」


 心底嬉しそうに彼女は問いかける。


「ええ、まずは依頼人の話を信じないと私たちの仕事は始まりませんから」


 そんな彼女に内心では疑っているだなんて真実を口にするわけにもいかず、それっぽい言葉で取り繕う。


「よ、良かったです。絶対誰も信じてくれないと思ってました」


 だからそうやって目に涙を浮かべてまで喜ばれると、こちら側としては若干……いや、かなり罪悪感を覚えるから勘弁して欲しい。


「これでも探偵事務所ですからね。それで、一体どういう事件が起きるんでしょうか」


 だからこそ、話題を早々に本題に戻すことにした。

 これ以上は僕の良心が耐えれそうにない。


「えっと……こういう時何から話せばいいんでしょうか。私こういったことは初めてでして、何を話して良いかすら分からないんです」

「そうですね……、事件の現場、それと時間。後は被害者の素性についてでしょうか。あとは事件に関与していそうな人物とかも、分かっていれば教えてくれれば助かります」


 僕だって殺人事件を捜査するのなんて初めてだし、彼女の言う事が本当なら今からするのは未来に起こる殺人事件の捜査なんだ。そんな事件を担当したことがある奴なんて、きっと世界中どこを探しても見つからないだろう。

 さっきのだってとりあえずサスペンスのドラマや小説などでよく聞かれている基本的な情報を訊いてみただけだ。


「えっと、時間は今から三日後です。なので十月十三日に事件が起きます。えっと……そのそれ以上のことは……ごめんなさい分からないんです。場所についても同じです」


 いまいち要領の得ない話だ。

 未来から来たというなら事件の詳細についてだって分かっているはずなのに。


「分からないと言いますと?」

「神様が過去に送ってくれたと言いましたが、その条件として過去に送る代わりに事件の死因に関するの記憶は全部無くした状態でなるらしいんです。実際、場所について思い出そうとしてもさっぱり思い出せないんです。分かるのは時間ぐらいので……」


 事件の内容なんて絶対に聞かれる事だろう。これがもしもただの悪戯であるとするのなら、ここを作りこんでいないのは不自然な気もする。

 いや、突発的な悪戯だったから用意しきれなかったのかもしれない。

 そんなことを考えていた時だった、


「でも被害者についてはちゃんと覚えてます! その日殺されるのは私なんです」


 彼女からそんな衝撃的な言葉を聞いたのは。


 信憑性は別として、彼女が何をしたいかというのはよくわかった。


 つまり彼女は自分が死ぬ未来を変えたいわけだ。未来だのなんだの、常識外な話が多すぎて混乱していたが、つまりは依頼主に殺意を持っている人間を探して欲しいという依頼になってくるわけだ。


 こうなってくると、完全ないたずらとは言えないかもしれない。


 未来から来た云々の話を信じるかどうかは別として、なにかしら法に触れる方法、例えば盗聴とかしていて自分を殺すと告げていたところを聞いてしまった、みたいな形でこちらに明かせない方法で殺害予告を知った可能性はある。


 それを誤魔化すために未来なんて訳の分からないことを口にしているのはありえる話だ。それでも僕としては警察に通報するべきだとは思うのだけど、そうできない事情があるのかもしれない。


 どこまで信じるべきかは謎だが、人の命が掛かっている可能性があるのならば戯言だと一蹴せずに真面目に取り組むべき依頼だろう。


「しかし死因が思い出せないっていうのは、妙だな。それなら何故君は殺されたと断言できるんだい」


 確かにもしも彼女が未来から来たとするのなら、確かに水守が指摘した点は不自然だ。


 人の死因っていうのは何も殺人だけじゃない。

 病気や事故、なんていうものだって当然ありえるはずで、死因に関する情報を思い出せないなら殺人と断定することも出来ないはずだ。


「それは神様が教えてくれたんです。自分は『明確な殺意をもって殺された』って」


 神様の話が本当だとするなら、確かに彼女は未来で殺されたのだろう。随分遠回しな言い方な気はするけども。


「ふむ、それなら美しくない方法ではあるが、最悪この事務所にその三日後まで泊ればいいか。それなら最低限、依頼人が死ぬという事態は避けれる」

「えっと、それは無理なんです……」


 水守にしては妥当な案なはずなのだが、何故か依頼人は否定の言葉を口にする。


 設備に関して言えば、この事務所に問題はない。水守の祖父が住んでいた家を改築してつくられたこの事務所は、仮眠室はもちろんシャワールームやキッチンまで完備されている。一人が三日間住むには十分な施設がある。実際水守の奴は半ばこの事務所に住んでいるといっても過言ではない生活しているのだから。


 警備の面でも、僕達二人がいれば何も無いよりはましなはずだ。

 まあ男しかいないこの事務所に女子高校生が泊まるというのは若干違法な匂いがしてくるが、彼女の話を信じるのであれば今は非常事態のようだし、お巡りさんも目をつぶってくれるにだろう。


「その説明するのは難しいんですけど、三日後に死ぬのは私なんですけど、私じゃないんです」


 死ぬのは自分であって、自分でない。

 何かのなぞなぞだろうか。


「……ああ、なるほど。確かにそういうことであれば、あなたがここに引きこもったところで事態は解決しない」


 ただ水守の奴は何か分かったようで、口に手を当てる。


「すいません。どういう事でしょうか?」


 理解出来ていないのはどうやら自分だけのようだ。


「えっと、なんて言えばいいんですかね、その死ぬのは間違いなく私なんですけど、でも私じゃなんですよ、えっと」

「殺されるのは今の時間軸にいる君であって、今ここにいる君が死ぬわけじゃない……という事だろう」

「そうです! それが言いたかったんです」


 彼女はうんうんと頷きながら、水守が言ったことを肯定する。

 もしもタイムスリップしたという話が本当だとすると、今この時間軸には彼女は二人存在することになる。

 そして死ぬのが元々この時間軸に存在する彼女だということか。

 確かにそれなら今ここにいる彼女を保護したところで何の意味もない。


「しかし、そうなるとだ……もしかして君はこの時間軸の自分と話すことが出来ないということはないかな」

「す、すごい、なんでわかるんですか!」


 少女の様子から、水守の言っていることは真実だということが分かる。

 しかし、どうしてそうなるんだろうか?


「簡単な推理だとも。その前提であれば、君が取るべき行為はこの時間軸にいる君……分かりにくいな、分かりやすくするためにこの時間軸に生きている君の事をオリジナルと呼称しようか。

 ただ死にたくないという話なら強引な方法にはなるが、君がオリジナルを監禁でもしてしまえばいい。そうでなくともオリジナルを説得して一緒に行動するのがベストだ。今回の様に非現実的な話であったとしても自分と全く同じ存在が目の前にいれば、かなりの信憑性はあるだろう。しかし今現在、オリジナルはこの場にいない。それすなわち何かしらの制約が掛かっていることに他ならないのだよ」


 成程な。水守の奴が言うところのオリジナルと協力するというのは、彼女の悩みを解決するに辺り一番分かりやすく効果のある方法だろう。

 それを取らない、いや取れない理由があると思うのは、聞いてみれば確かに妥当だ。


「凄い、流石探偵さんです。実はその……オリジナル? に私の存在を知られてしまってはいけないんです。もしバレたら私は消えてこの時間でやったことは全部無駄になるって、神様が言ってました」

「そういうことになると、僕達がオリジナルに接触する必要があるわけですね」


 オリジナルに会う。事件の情報源になるのはもちろんのこと、彼女が言っていた未来云々の話が世迷言かどうかの判断もつく。

 それでもよく似た双子がいるとかの可能性は残るわけだけど、その辺は調べればわかる事だ。


「ふむ、なるほど、なるほど。未来に起こる事件、そして死亡するのは依頼人本人と……これは難解な事件な予感がしますな」


 態度には出さないものの、水守の内心は今頃小躍りでもしているところだろう。


「しかし助手、君は一番大切な事を訊き忘れてはいないか?」

「一番大事なこと?」


 なんだろうか、大体訊くべきことは訊いたたような気がするけど。


「名前だよ、名前。僕達はまだ依頼人の名前すら訊いていないじゃないか」


 ああ、そうか。余りにも今まで聞いていた情報が衝撃的過ぎて基本的なところを忘れていた。


東里あいざと柊佳とうかです。あの、本当に依頼を受けてくれるんですか?」

「もちろんですとも。こんなたの……あー、その、水守探偵事務所は困っている人の味方ですから」


 若干、本音が出ていたが、なんとか軌道修正したが流石にバレバレではないだろうか。


「でも私あんまり持ち合わせが無くて……」

「ああ、そういうことでしたら事件を解決した後私達の仕事を手伝うという形で払っていただきくというのでどうでしょう」


 口では綺麗事を言うものの、おそらく彼の本心としてはこんな面白そうな依頼逃がしてたまるかといったところだろう。

 こうなった彼はもうテコでも動かない。


「まああれです、うちでできる事なら頑張りますよ。どうやら探偵が随分と乗り気なようでして」


 苦笑いを浮かべながら、了承を口にすると東里さんの目から涙があふれ出る。


「よ、良かった。私、きっとこんなこと誰も信じてもらえないと思って不安だったんです。でも、ここで力になってもらえるって言ってもらえて」


 ……うすうす考えていたのだが、やっぱり彼女の話は本当なんじゃないだろうか。


 もし彼女の境遇であれば、ここで涙することも気持ちは理解できる。何も分からない状況で、更に制約も多い中でどうにかしないと、死んでしまうだなんて状況だというのに、事態が事態だから警察に頼むわけにもいかない。パニックになりどうすればいいのか分からなくなるのが普通だ。事実彼女もそうだったのだろう。


 そんな地獄の様な状況に落とされた一つの蜘蛛の糸、それこそがこの水守探偵事務所だったんだろう。

 まともな事件解決の実績のない探偵と助手でまともに解決できる事件ではないだろうけど、探偵の気まぐれもしくは好奇心で受ける事になってしまったんだ。

 全力で依頼に当たるしかない。


 こうして僕達は奇妙な依頼人と共に、探偵が望む奇々怪々で壮大で前人未踏なこの、未来で発生し現代ではまだ起きていない言わば未発生事件とも言える事件に関係することとなったのであった。


 ……どうしてこんなことになってしまったんだろう。


 僕はただ普通に探偵事務所をやっていられたら良かっただけなのに。

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