六の浪 ウィッチェル魔導国④
④
◆◇◆
依頼を受けてからは、城の書庫に閉じこもって研究を進める生活が始まった。宿も返金を受けずに引き払い、城で寝泊まりしている。城内の蔵書全て、つまりは禁書の類いも好きに閲覧できる権限を報酬に選んだのは、私の好み以上にこの研究を行い易くする為でもあったのだろう。お陰で、『
息抜きに関係ない本を読むことも出来るから、研究環境としてはかなり恵まれているのではないかしら?
私が研究している間、アストは暇をするかと思っていたけれど、王子に気に入られたらしくてよく遊び相手になっていた。アストとしても
その王子も流石は魔女王の血族と言うべきか。漸く言葉を話せるようになったくらいの年齢にも拘わらず、既に相当な魔力量で、無意識ながら魔力の放出もできるようだった。
ウル程の魔力量では無いけれど、それでも十分に多いから、魔力操作の練習になるよう簡単な遊びを教えておいた。単純な放出だけで人を殺せてしまうような魔力量に育つ頃には、十分なコントロール力を身につけているだろう。
今はボール状にした魔力で遊ぶ程度だけれど、その内魔力そのものの形を弄る類いの遊びに発展させたい。
「先生、そろそろ夕食の時間です」
「あら、もうそんな時間。今行くわ」
ウルが呼びに来たということは、魔女王は晩餐会か何かなのね。今日のように母娘が食事を共に出来ない時は一緒に食事をしている。
「調子はどうでございますか?」
「まあまあね。基礎自体は既存術式の流用で問題なさそう。ただ、対象指定に関係する部分については一から作り直さないと」
あまり詳しく教える訳にはいかないけれど、これくらいなら。
既存術式と言っているけれど、今知られている召喚術式ではなくて旧世界に使われたものだし。そちらに関しては、神々や旧世界から生きているような存在を除けば『智慧の館』を持つ私くらいしか知り得ない。
おとぎ話として伝わっているのは、そういう事があったって話だけ。術式は意図的に伝えられていない。
「やはりそうでございますか……。
「仕方ないわ。魔導とは違う系統の知識が必要だもの」
神話学だとか。旧世界の情報も必要かしら?
これをある程度絞り込んだら、旧世界で神の召喚に使われた術式を基礎として新しく魔法陣を構築して、更に対象指定の為の術式を組み込まなければならない。『智慧の館』の記録によると、件の召喚は対象指定をしていなかった上に神の側も顕現を望んでいたなんて好条件だったから成功したみたいなのだ。
「その、
「無いわね」
あっても、手伝わせたくない。こんな不幸を生む可能性の高すぎる研究、ウルには関わらせたくない。後世に残さない意味でも、彼女に罪を背負わせないためにも。
「……分かりました。ですが、せめて、息抜きぐらいは手伝わせてくださいませ」
「息抜き?」
「はい! 明日はお休みをいただいておりますので、一緒に街を回りましょう!」
魔導国の観光、ね。偶には外の空気を吸うのも必要でしょう。閃きには、刺激も必要なのだし。
「いいわね。是非、お願いするわ」
それにたぶん、アストも喜ぶ。
翌朝、変装したウルに連れられて私たちは街へ繰り出した。
今のウルは私と同じ真っ黒な髪にアメジストの瞳で、街の人たちと同じような格好をしている。生地が明らかに良いモノなのはご愛嬌だ。
アストも言っていたけれど、二人で並ぶと姉妹のよう。変装用の魔術でパーツの色を変えただけだから尻尾はそのままだし、顔立ちも似ているわけではないけれど、それくらいの違い、混血も多いこの街では珍しくない。ウルが人族の耳を持つのもあるし。
姉は、悲しいかな、満場一致でウルの方だ。
「さあアーテル先生、行きましょう!」
「慌てないの。夜までたっぷりあるわ」
こうしてはしゃいでいる姿を見ると、彼女の魂が崩壊寸前だなんて誰も思わないだろう。年相応の、普通の女の子だ。
けれど、もう拒絶魔法は解かれていて、刻一刻と死へ近づいている。
「そうだよウル。転んで怪我でもしたら、護衛の人たちに怒られちゃう。ソフィアが」
「アスト、あなた、逃げる気ね?」
「怒られたくないもん」
頭の上に乗ったまま、この黒猫は当たり前のように言ってくる。
「あなたねぇ……」
「ふふふ。先生が怒られたら大変でございます。仕方がありません、ゆっくり参りましょう」
楽し気な笑みを浮かべて戻ってくるウルが可愛らしい。隠れてついて来ている護衛たちには危険な事をしないよう遠回しかつ強めに釘を刺されたけれど、その気持ちも分かってしまう。
「一先ずは外壁まで向かいましょう。その後にお昼をいただいて、午後は気になる所を見ていく形でどうでしょう?」
「いいんじゃないかしら。まあ、大まかにはお任せするわ」
私たちは何があるかも分からないのだし。
「はい!」
うん、守りたいこの笑顔。
ウルに並んで歩きながら、改めて街の様子を眺める。道行く人は誰もが笑顔で、眩しいほどに生き生きと輝いている。働かなくても最低限生きていく事は出来るのに皆が働いているのは、少し不思議だ。
「おっと、失礼!」
「大丈夫よ」
上から降ってきた気配は私の返事を聞くと、そのまま通りの向かいの屋根へ飛び上がってどこかへ行ってしまった。
今のは、
「今の方は狼人族と
牛人族……。そういえば、山羊なんかも牛科だったかしら。その手のジャンプ力に優れた牛科動物はそれなりにいた記憶がある。
二種の血の良いとこどりでジャンプ力と持久力、走力に優れた種族になったのね。たしかに配達係向き。
「争いを極端に嫌う所があるので、見た目の近い狼人族の中では暮らせなかったのだと母から聞きました」
「……この国は、逸れ者達が集まって出来た国だったわね」
女王自身もそうだった、らしい。
その歴史を見た時、私が彼女に受けた印象は間違っていなかったのだろうと思ったのよね。なんというか、身内以外には心を分厚い氷で閉ざしているような印象。
「元、ですよ、先生。今では皆、各々の得意分野で伸び伸びと活躍していらっしゃいます」
「そのようね。ごめんなさい」
「分かってくださったのなら問題ありません。さあ、外壁が見えてきましたよ」
ウルがどことなく誇らしげなのは、今こうして彼ら元逸れ者たちが活躍できる国を大好きな両親が作ったからなのだろう。父親とは会ったことが無いらしいけれど、話は魔女王から何度も聞いていると言っていた。
実際、これだけの街が出来るほどに人々を引き付けた人物だ。傑物なのは間違いない。
魔女王の魔力と魔道具が生活水準を高め、それに胡坐をかく事無く人々は己の得意分野で自ら社会に貢献する。なるほど、きっと良い国なのだろう。
ウルはウルでこの国の事を語るときは自慢げ。魔女王もこの国の事は愛している様子が察してとれる。
「一般開放されている区画へはあちらの階段から上がります。かなり急でございますが、先生なら問題ありませんわね」
慣れた様子で先導するウルに続き、彼女の言う様にかなり急な勾配の階段を上る。手すりがあるし、幅もそれなりに広いから、それほど危険は感じられない。
鍛えていない人間には辛そうではあるけれど、ウルはすいすい上っていた。
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