六の浪 ウィッチェル魔導国③

 やはり、本は良い。時間の関係で実際に読めてはいないけれど、書庫を満たす紙やインクの匂いだけで、鬱々とした気持ちが晴れるようだった。それも僅かにではあるけれど、これから一国の主と同じ席に着くのだから。


「失礼いたします。ソフィエンティア様をお連れしました」


 侍女の開けた扉から部屋に入ると、既に彼女らは席に着いていた。ウルは謁見の時と変わらず少しむくれていたけれど、私を見ると目を輝かせて身を乗り出す。腕の中には例の男の子がいた。


「先生! あ、非公式の場ですので細かいことは気にしなくて大丈夫でございます」


 ウルを信じないわけでは無いけれど、一応女王に視線を向けて確認する。表情は、よく分からない。頷いてはいるので、問題ないのだろう。


「では、失礼します」


 帽子を差し出された手に預けてから侍女の引いてくれた椅子に腰を下ろす。肌触りが良く、座り心地も良い。


「紹介いたします。母、エマシニエラと弟のレネシニエルです」


 魔女王の軽く頭を下げる様は、流石美しい。見た目ばかりでは無くて、内面の意味でもウルを大人にしたような感じがする。

 

「ソフィエンティア・アーテルです」

「アスト、です」


 礼は意識して深く。


「アーテル殿、娘の命を救ってくれたこと、母として、改めて感謝する。ありがとう」


 魔女王が深く頭を下げるものだから、少々慌ててしまった。同時に、納得した。ウルが母親を愛している以上に、ウルは愛されている。


「お顔をお上げください、陛下。私は、教師として、人として当然の事をしただけです」


 再び目に映った魔女王の目は優しげで、とはくあるべしと言われても頷くだろう温かみがある。やはり、私と出会う前に処置が施されていなかったのは理由があるのだろう。


「ふふ、ウルシニエラの言っていた通りの御仁なようだ。謁見での無礼、謝罪しよう。娘の恩人を迎える体制ではなかった」

「だから言いましたでしょう、お母様! 先生は大丈夫だと……」


 ああ、なるほど。あの騎士たちね。


「冒険者を迎えるのであれば、当然の対応かと。それに、ウル」

「はい、先生。なんでございましょう?」

「五年の月日は、人が変わるに十分すぎるものよ」


 事実、私は当時よりも一層、後ろ向きになってしまった。


「それでも! ……いいえ、すみません。肝に銘じます」


 ウルはしゅんとしてしまったけれど、王族として分からないでは済まされないことだ。この子は年以上に聡いから、もう大丈夫だとは思う。


 それよりも、本題だ。私から切り出して良いものか分からないけど、女王も暇では無い。何も言わなくても――


「そろそろ依頼の話に移ろう」


 やっぱり。

 目の色に謁見の時の怜悧さが宿った。仕事モードかしら?

 ……いいえ、違うわね。どちらかと言えば、こちらが彼女の本質のように思える。優しさも彼女本来の姿に違い無いのだろうけれど、それはごく一部の相手にのみ向けられるモノなのだろう。


「娘の状態については、理解しているな?」


 私の推測を裏付けるように、ウルへ一瞬向けられた視線だけは温かい。


「はい。……よろしいので?」

「この子の賢さは、そなたもよく知っているであろう?」


 ウル自身も、己の危うさは理解しているのね……。


「アーテル殿のお陰で、私の魔法による延命が可能になった。だが、出来るのは延命まで。人の身で魂に一定以上の干渉をするのは許さぬ。現状についても、既に警告を受けている」


 警告。精霊からか、神からか。何にせよ、拒絶魔法による延命は、彼らの領分を侵しているらしい。下手をすれば国ごと抹消されかねない。

 けれど、魔法を解除すれば、ウルは一年も生きられないだろう。


「先生に教わった魔法陣による召喚の研究も進めておりました。ですが、私程度の才では間に合いそうに無いのです」

「そう……」


 私なら、すぐにでも出来る。けれどそれでは意味が無い。ウル自身が召喚しなかったなら、そもそも契約を結んでくれないか、若しくはウルに払いきれない対価を求められる。

 魂に関わる契約は、それほどに重い。


「先生、先生なら、一年で召喚魔法陣を改良できますか?」


 妥協点としてはそこになるだろう。彼女にも扱えるくらいの魔法陣の新規構築だ。これはこれで、タイムリミットに間に合うか怪しい。既に殆ど完成された技術を改良するのだから、並大抵の難易度ではない。特に時空間に関わる召喚魔術となると、数年がかりになる可能性もある。


 言葉を選ばずそう伝えると、ウルは少し残念そうに「やはりそうでございますか」と呟いた。女王にもしっかり伝えていたようで、想定の範囲内といった様子だ。


「……許しを請う他、無いようだな」


 許し、魂に干渉する許しだろうか。そうだとすると、相手は……。


「アーテル殿に問う。『女神の侍女』の召喚は可能か?」


 『女神の侍女』。銀の女神より魂の管理を任せられた、三女神に連なる神の一柱。創世にすら関わった高位の神。

 彼女に許されたなら、ウルの魂の崩壊そのものを拒絶することも出来よう。


 それに、許可を得るだけならばウルが召喚する必要は無い。


 問題は上から二番目の位にある神を対象指定して召喚しなければならないという点だけれど、『智恵の館』を持った私なら、どうにかなるかもしれない。

 いいえ、違うわね。


「やってみせます」


 ウルの為だもの。

 ジメジメとしている場合ではない、はず。


 でも、危険な技術の研究には違いない。


「ただし、一つ条件があります」

「言ってみよ」


 私の残した知識で、私の傲慢で、助けた人たちが死ぬのはもう嫌だから。


「この召喚は、下手をすれば国を、世界を滅ぼしかねない技術です。これに関する知識を後世に残さないこと。それだけ、約束していただきたいです」

「……そなたが言うのであれば、従おう」

「ありがとうございます」


 これでいい。冷たい美貌の彼女は、きっと果たしてくれる。


 憂いは無いに等しい。後は、全身全霊を尽くすだけ。


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