第101話 目覚める悪意
「もうこんなところに居られるか!!」
「逃げろ!!」
“紅蓮の鮮血”の襲撃を受けた帝国軍は、サーシエからの撤退……否、“潰走”を始めていた。
数字だけ見れば、鮮血のメンバーが帝国軍に与えた損害は、少なくはないが多くもない。もし同等の損害を与えられたのが王国軍であったなら、なにくそと奮起して立ち止まることも出来たかもしれない。
だが、それを成したのはたった十数名の傭兵団だ。
たったそれだけの人数を相手に、帝国軍は大きな被害を受け、国の英雄や指揮官さえも失ってしまった。
たとえ、その鮮血メンバーが体力の限界から既に撤退していようと関係なく、既に帝国軍には戦争を続けるだけの士気が残されていなかった。
「おいお前、そんなところで何をしているんだ! みんな撤退してるぞ、早く逃げろ!」
そんな中で、一人の兵士が謎の大荷物を運びだそうとしているのを見て、騎士の男がそれを諌める。
しかし、兵士は荷物を運び出す手を止めなかった。
「俺だって早く逃げたいさ!! けど、もし撤退することになったらこいつを絶対に運び出せって厳命されてるんだ、やらなきゃ打首になっちまう!!」
「ああくそ、仕方ないな!!」
見捨てるのもどうかと考えた男は、兵士を手伝ってその大荷物を運び出す。
ありがとう、という礼の言葉に気にするなと返しつつも、騎士は叫んだ。
「一体何なんだ、この……棺? みたいな荷物は!!」
二人がかりで運ぶそれは、ちょうど人一人がすっぽりと入りそうな大きな縦長の箱だった。
複雑な意匠と模様が刻み込まれたそれは、一見すると棺のように見える。
「分からない、だが帝国の未来を左右する重要なものだと……!!」
「くそっ、そんな大事なもん戦場に持ってくるんじゃねえ!!」
「同感だよ!!」
口々に文句を言いながら、二人はサーシエの地を駆け抜ける。
そもそも、鮮血メンバーは既に撤退しているので、ここまで慌てて逃げる必要はどこにもないのだが、敵の事情など彼らは知る由もない。
また、あの恐ろしい力でこちらに襲撃してくるのではないか。
道端に転がる石ころのように、何の感慨もなく軽い気持ちで蹴飛ばされてしまうのではないか──
そんな恐怖心に駆られるまま、彼らはひたすら走り続けた。
走って走って、しかし大荷物を抱えたままでそれが上手くいくはずもなく、途中でバランスを崩し転んでしまう。
「うわぁ!?」
「バカ、何やってんだ!!」
「す、すまない……!」
転んだ兵士を騎士が怒鳴りつけ、再度走り出そうとする。
しかしその時、どこからともなく声が聞こえてきた。
『やれやれ、騒々しい……朕の眠りを妨げる愚か者は、どこのどいつだ?』
「え……?」
「今の声……棺から……?」
まさか人が入っているとは思っていなかった二人は、その不気味な声色も相まって棺を手離し、慌てて距離を取る。
ドカリと音を立て、乱暴に放り出される棺。
すると……何の支えもなく、ひとりでに棺が起き上がった。
『やれやれ……帝国民でありながら、朕を無下に扱うとは。貴様ら、万死に値する』
ゆっくりと、棺が開け放たれる。
現れた予想外の人物に、二人の男は絶句した。
「「こ……皇帝陛下!?」」
『左様……朕こそが、偉大なるカテドラル帝国を統べる皇帝、カエラル・デル・カテドラルである』
「「は、はは!! 偉大なる帝国の太陽に栄光あれ!!」」
大慌てでその場に跪き、最大級の礼を取る二人。
しかし皇帝であるカエラルは、そんな二人を虫けらの如く蔑んだ目で一瞥した。
『その偉大なる朕が眠る棺を粗雑に扱ったこと、なんと心得る?』
「そ、それは……まさか皇帝陛下が眠っておられるなどと、夢にも思わず……」
「ど、どうしてそのような場所に……?」
『決まっておろう。朕が神の“代弁者”ではなく、真なる“神”としてこの地上を統べるための儀式だ』
決まっていると言われても、というのが、偽らざる二人の本音だった。
神だなんだと抽象的な言葉ではなく、もっと分かりやすく言って欲しい。
そんな二人の考えを見透かしたのか、カエラルは朗々と語り出す。
『神を神として定義する、もっとも大切なものは何だと思う? 信仰か? 知名度か? それとも生まれついての種族? ……どれも違う。神にとってもっとも大事なのは、力だ。人と隔絶し、人の身では決して逆らえぬ圧倒的な力。それを手に入れるために……朕はここへ来た』
だというのに、と。カエラルの眼差しが二人を、そして今なお逃げ続けている帝国軍の兵達へと向けられる。
『そのために必要な供物さえ、満足に手に入れられぬとは。お前達には失望した……もう、お前達は朕の統べる世界に必要ない』
「「……え?」」
その瞬間、二人の体を紫毒の触手が貫いていた。
半透明のスライムにも似た異形のそれは、よく見ると皇帝カエラルの体から生えており、既に彼の存在が人の身から外れていることを如実に物語っている。
『せめて、朕の覇道を敷くための礎となるがいい』
「「ぐあぁぁぁ!?」」
貫いた触手が一気に膨れ上がり、二人の体を飲み込んだ。
ドクン、と脈動する触手が、二人の人間の命と引き換えに得たのは、大量の魔力と怨念。
濃度の高い瘴気にも似たその力をより高めたカエラルは、哄笑と共に歩き出した。
『次は、逃げ出した兵どもだ。そして、全て取り込み終わったら世界を……と』
しかし、その歩みは数歩をしないうちに一度止まり、触手が何も無い瓦礫を吹き飛ばす。
それを見て、カエラルは舌打ちを溢した。
『完全なる神へ至るにはまだ制御力が足りぬか。やはり、“アレ”が必要だな……』
カエラルが見つめる先にあるのは、アルバート王国。
そこには当然、多くの人間と……ミルク達、“紅蓮の鮮血”がいる。
『精霊眼……全ての力を意のままに操るあの眼さえあれば、朕は完全なる神へと至るだろう。待っていろ、名も無きエルフの末裔よ』
こうして、過去最大の脅威が、ミルクを狙って動き出すのだった。
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