第31話 ミルク脱出
「……ここも、ダメみたい」
想像以上に歓迎され、綺麗な服と美味しい食事、ふかふかのベッドに温かいお風呂まで用意された私だけど……どうしても、侯爵様のことが信用出来なかった。
だから、面と向かってここでの滞在を拒否したんだけど……あれこれと理由を付けて、結局私はこの部屋に押し込められ、既に数日が経過している。
大きく突き出した尖塔の一つ。窓はあるけど格子が嵌まってて抜けられないし、位置が高いせいで外の景色もほとんど見えない。
危ないから、っていう理由で付けられた護衛の騎士は、私の行動にばかり注意を向けて警戒し、外も自由に歩かせてくれなかった。今は、部屋の入り口の前に立って、私が逃げ出さないように見張ってる。
ここには、服も、ご飯も、おもちゃも、本も、何でもあるけど……自由だけは、どこにもない。
前のご主人様に入れられたのとはまた違う、大きくて綺麗で丈夫な檻。私には、そんな風に感じられた。
「会いたいよ……ラスター……」
一人は、寂しい。
どんなに綺麗な服も、褒めてくれる人がいないとただただ虚しい。
どんなに美味しい料理も、一緒に食べてくれる人がいないと味気ない。
どんなに楽しそうなおもちゃも、ひとりぼっちじゃ全然楽しくない。
前は何も感じなかったこの状況が……今の私には、すごく辛い。
やっぱり、クロと二人だった時に逃げ出して、ラスターのところに帰れないか適当に歩いてみた方が良かったかなって、後悔の感情が湧いてくる。
でも……それじゃあダメだって、私は自分に言い聞かせた。
「侯爵様が悪い人だっていう証拠を持って……みんなのところに帰るんだ」
幸いというか、クロがその存在を黙ってくれていたお陰で、プルンは引き離されたりせずに私の腕にブレスレットとなってくっついてる。
ここに閉じ込められてからの数日間、私はプルンの分裂体をこっそりと窓から外に放し、このお城にいる人達の会話を盗み聞きさせて……その内容を、戻ってきた時に魔力越しに教えて貰ったの。
騎士さんにバレないようにこれをするの、本当に大変だったよ。
人相手ではまだ難しいけど、魔物相手なら“読心”って呼べるくらいにまで上達したこの力で分かったことは、全部で三つ。
一つ目は、侯爵様の目的が、私を人質にして“紅蓮の鮮血”を手に入れることだっていうこと。
上手く行かなくて襲撃されても、それはそれで気に入らない傭兵団を潰す口実になるから構わないって感じみたい。酷い……。
二つ目は、やっぱり炎龍をけしかけたのは侯爵様で間違いなかったってこと。クロが侯爵様に文句を言ってたの。
そして三つ目は……今、領内のあちこちでトラブルが起きているとかで、このお城にいた騎士の人達が少なくなってるってこと。
“紅蓮の鮮血”って名前も何度か聞こえたから……もしかしたら、みんなが私のために動いてくれてるのかもしれない。
「よし、やろう」
そうと分かれば、いつまでもこんなところにいられない。早くやることをやって、帰らなきゃ。
ぺちん、と頬を叩いて気合いを入れた私は、部屋の入り口に近付いて、護衛っていうことになっている監視役の騎士に話し掛ける。
「騎士さん、トイレ行きたい」
「またか……仕方ないな」
閉まっている扉を開けるため、騎士さんが背中を向ける。
多分、私が小さな子供だから、油断してるんだと思う。この数日、ずっと大人しくしてたから、気が緩んでるっていうのもあるのかな?
そんな、隙だらけの騎士さんに……私は、プルンをけしかけた。
「む? なんだこれは……むぐっ!?」
「ごめんね、騎士さん。ちょっと寝てて」
プルンの体で口元を覆い、体を持ち上げ、音が出ないように締め上げる。
何とか拘束から抜け出そうと、がんばって魔法を発動しようとしてるみたいだけど……それは、私が発動する前に制御を奪って、霧散させた。
力に訴えようにも、プルンの体に物理的な攻撃は効かない。
魔法を使おうにも、発動する前に私が全部キャンセルする。
そんな状況で反撃なんて出来るはずもなく、騎士さんはそのままガクッと意識を失った。
「ごめんね」
倒れた騎士さんの体を部屋の中に運んで、分裂体に体をぐるぐると拘束させておく。
ついでに、私が今着てる、動きづらいひらひらした服は、全部脱いでベッドの上に畳んでおいた。
逃げるのに邪魔だし、これは侯爵様のだからね。泥棒はダメ。
後は、部屋を出て鍵を閉めれば、私が外に出たことはもう、誰にも分からない。
「後は、証拠集め……がんばろう」
下着だけの身軽な格好になった私は、息を潜めながらこそこそと移動を開始する。
正直、私はどんなものが悪いことの証拠になって、どんなものがならないのか、判断が付かない。
だけど、前のご主人様のところから助けて貰った時、ガル達がどんなものを証拠として回収していたかは聞いている。
誰かと取引した書類、内緒の金庫……そんな感じのものは大体怪しいんだって。
そういうのがどこにあるかも、プルンの分裂体で下調べしてあるから、後はそれを回収して逃げ出すだけ。
「っ……」
長い長い廊下を歩いていると、先行させていた分裂体が人の接近を知らせてくれた。
やり過ごすにも隠れる場所がないので、私はすぐに両手両足にプルンの体を纏わせて、びよーん、と天井に伸ばす。
べちゃ、と貼り付いたプルンの体が縮んでいくのに合わせて、私の体も天井に持ち上げられた。
「はあ、なんで私がこんなこと……獣人の小娘のご機嫌取りなんて、面倒なだけで誰の評価にもならないのに」
じっと息を潜めていると、おやつのケーキを台車に載せたメイドさんが、私のいた部屋に向かう途中だった。
色々と不満を口にしながら歩いていったメイドさんは、最後まで私に気付かなかったけど……部屋の前に騎士さんがいなくて、中からも返事がないとなればおかしいなって感じるかもしれない。
急がないと。
「よし、ここだ……!」
その後は特に誰とも出会うことなく、私が辿り着いたのは、たくさんの紙が押し込められた資料室っていうところ。
なんでも、この侯爵家で行われた色んな事業や取引の記録が保管されてるところで、すごく大事なものだから雑に扱うなって、新人のメイドさんが怒られてたの。
「それじゃあプルン、お願いね」
本当にたくさんあるその紙を、私一人で全部持ち出すなんて無理だ。だから、プルンに手伝って貰う。
分裂体の体内に紙を取り込ませて、そのまま持っていって貰うの。何体も何体も増殖させて、少しずつ分散して持たせて解き放てば……全部とはいかないけど、ある程度持ち出せると思う。
「よし、後は私が脱出するだけ……!」
分裂体を出しすぎて、プルンの魔力が限界まで減ったから、もうこれ以上は頼れない。
自力で脱出するべく資料室を後にすると、何やらお城の中が騒がしい。
……もう、私がいなくなったことはバレちゃったみたいだ。
「…………」
息を潜め、周囲に漂う魔力に眼を配って少しでも早く人の接近に気付けるように集中しながら、ひたすらに外を目指す。
分裂体は全部小さな窓から先に逃がしたけど、私自身はそういうわけにもいかないのが大変だ。
何とか表の庭園まで出て、ゆっくり進んで……ついに、敷地の外に出た。
「やった……!」
「何をやったんだ?」
「っ!?」
外に出られた喜びに浸っていた瞬間、声をかけられる。
慌てて振り向くと、そこには見覚えのある人が立っていた。
「クロ……また、私を捕まえに来たの?」
「…………」
クロは、侯爵様に雇われた暗殺者だ。逃げようとしてる私を捕まえて、もう一回連れていくつもりなのかもしれない。
前と違って、今はプルンも戦えないし……ちょっと、厳しい。
「……ほらよ」
「わわっ」
そう思っていたら、クロから小さな外套を投げ渡された。
真っ黒なそれを見て戸惑っていると、クロはぶっきらぼうに口を開く。
「下着だけで外を出歩くなんざ非常識だぞ。それくらい着ていけ」
「……いいの?」
「今は何も命令は受けてないからな。……気が変わらないうちに、さっさと行け。この道を真っ直ぐ行けば、町の外に通じる門に着くはずだ」
「う、うん。ありがとう、クロ!」
クロから貰った外套を羽織り、頭を下げる。
そんな私に、クロは舌打ちを漏らした。
「勘違いすんな。てめえみたいなクソガキ、捕まえようと思えばいつでも捕まえられるからな、ここで一度逃がしておいた方が金になるってだけだ。精々首を洗って待ってやがれ」
「うん、いつでも来て。待ってる」
その時は、ちゃんとお礼もしたいな。
そんな風に思って答えると、クロは呆れ果てたとばかりに溜め息を吐く。
「てめえと喋ってると頭がおかしくなりそうだ……ほら、何チンタラしてんだ、早くしねえと追手が来ちまうぞ」
「うん、それじゃあね!」
手を振りながら、私は走り出す。
そんな私を、特に何をするでもなく見送っていたクロだけど、最後の最後にちょっとだけ手を振ってくれてるのが見えた。
こうして私は、無事に侯爵家のお城から脱出することが出来たのだった。
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