第2話 ラスターの懊悩

「ラスターの兄貴、こっちは片付きやしたぜ! ……って、兄貴、なんですかいそいつァ」


「違法奴隷だろう、そっちの部屋で保護した」


 半壊し、今にも崩れ落ちそうな屋敷を見て溜め息を溢しながら、俺は仲間の一人……ガルにそう答える。


 今回、俺たち“紅蓮の鮮血”が傭兵として請け負った仕事は、この町で私腹を肥やす悪徳商人、ガエリオの強制捜査だった。


 捜査とは言うが、その実態は単なる“討伐”だ。アルバート王国でも最悪最恐と呼ばれる俺達に依頼が回ってきたことからも、それは明らかだろう。


 確たる証拠はない。だが、その恐ろしいまでの交渉力と、相手の弱みを的確に突く洞察力で強固な地盤を築き、いつでも切り捨てられる使い捨ての駒を駆使して悪どい商売を繰り返してきたガエリオを、ついにこの町の領主は無視しきれなくなったのだ。


 だが、何の証拠もなしに強制確保へ動けば、領民達からの反発が予想される。

 更に、ガエリオの後ろには侯爵位以上の大貴族が控えているという噂もあり、所詮は伯爵位の中でも下から数えた方が早いこの町の領主では、あまり強硬な手段を取れなかった。


 だからこその、俺達“鮮血”だ。いつ牢屋にぶち込まれてもおかしくない、脛に傷を持っていたり、何らかの理由で表舞台から追われた人間達が集まって出来たこの傭兵団には、こうした政治的に厄介なリスクを孕んだ依頼が多く舞い込む。


 今回も、大貴族からの報復を恐れずド派手に正面から叩き潰し、ついでとばかりにガエリオの身柄と証拠になりそうな文書を確保したんだが……それにしても、やりすぎだろう。


 やはり、こいつら……鮮血の中でも特に頭のネジが緩いバーサーカー、“ガバデ三兄弟”を連れてきたのは失敗だったか。


「奴隷ねェ、今時珍しい。そんな持ってるだけでとっ捕まるようなモン、なんで抱えてたんだか」


「さてな、リスクに見合うメリットでもあったのかもしれん」


 俺の腕の中で、すやすやと寝息を立てているミルクの真っ白な髪を、今一度さらりと軽く撫でる。


 ……歳は、十歳程度だろうか。明らかに満足な食事を与えられていないと分かる、衰弱した体を見れば、あるいはもう少し歳を重ねているのかもしれない。


 毛並みもボサボサだ。狼獣人と言えば、忙しなく尻尾を振り回しているような印象があるが、この子のそれは動かす気力もないとばかりにずっと垂れ下がっている。


 ……一体、これまでどんな生活を送ってきたんだ。


 と、そんなことを考えながらミルクの寝顔を眺めていると、ふとガルが俺を見て幽霊でも目の当たりにしたかのような顔をしていることに気が付いた。


「……なんだ、言いたいことでもあるのか」


「いやァ、ラスターの兄貴がそんな風にガキを可愛がってるなんて珍しいと思いやして。オレァてっきり、ガキは嫌いなんだと思ってやしたぜ」


「子供嫌いになった覚えはない。ただ、この顔じゃあ悪戯に恐がらせるばかりだから、避けていただけだ」


「まあ確かに、兄貴のツラは凶悪ですからなァ、この間真夜中にばったり出くわした時は、グールでも出たのかと思ってうっかり襲い掛かりそうになりやしたぜ」


「なりそうになったじゃない、実際に襲い掛かって来ただろうが」


「そうでしたかね? もう忘れちまったぜ、ギャハハ!」


「ったく……」


 俺のこの顔を目の当たりにして、他人が見せる反応は様々だ。


 恐怖のあまり泣き出す者、気味悪がって距離を取る者がほとんどだが、“鮮血”の傭兵達は、皆大して気にも留めずこうしてからかってくる。


 それはそれで、俺自身気が楽だった。だが、この子は……。


『……ううん、おじさんは怖くないよ。綺麗』


「…………」


 あんな風に言われたのは、初めてだった。


 いや、お世辞で似たようなことを言われた記憶もなくはないんだが……この子の言葉だけは、やけに胸に残る。


「んで、そいつどうする気なんで? どっか適当な孤児院にでも放り込むんで?」


「……いや、この子はガエリオが悪事を働いていた証拠になり得る。依頼内容には、証拠品を可能な限り回収することも含まれているんだ、一旦連れ帰るべきだろう」


「ふーん。じゃあ、そのガキはオレが預かるぜェ、兄貴は報告とか色々あんだろ」


 ガルが片手を伸ばし、ミルクを雑に掴み上げようとする。


 俺はその手を、無意識に払い除けていた。


「……兄貴?」


「……お前に預けたら、この子が可哀想だ。子供は物じゃないんだぞ」


「いやいやいやァ、確かにオレァ器用な人間じゃありやせんけど……えっ、もしかしてラスターの兄貴、そのガキに愛着でも沸いたんで?」


「そんなわけあるか。お前に預けるのが心配だと言っただけだ」


 咄嗟に否定するが、ガルはそんな俺の言葉を全く聞くつもりがないのか、腹を抱えて笑い出した。


「ぶわっははは!! マジかよ、“死霊”だなんだって、戦場で敵味方問わずビビられまくってるあの兄貴が、まさかのガキ一人に入れ込んじまったのか!? うおぉーい、バル、デル、来てみろよ! おもしれーもんが見られ……グハァ!?」


「少しは静かに出来ないのかお前は!! この子が起きるだろうが!!」


 ガルの側頭部を狙って回し蹴りを放つと、綺麗な放物線を描いて飛んでいった愚か者は、半ば廃墟と化した屋敷の残骸の山に頭から突き刺さる。


 ピクリとも動かないが、残念ながらヤツはこの程度でくたばるほど柔な体をしていない。放っておいても問題ないだろう。


「んぅ……ラスター……?」


「っと……すまない、起こしてしまったか」


 あれほど騒いだ挙げ句に、思い切り蹴りを放って揺らしてしまったんだ、いくら衰弱していると言っても、起きてしまうのも当然だ。


 だが、やはりまだ意識はハッキリしていないのか、どこかぼんやりとした眼差しのまま俺を見つめ……ふにゃりと、気の抜けた笑みを浮かべる。


「ラスター……えへへ……」


 人を信頼しきった、無防備で無邪気な笑顔。

 俺の腕で身動ぎし、甘えるように顔を寄せてくる。


 正式な騎士のような金属鎧ではないとはいえ、俺が身に付けている皮鎧は決して柔らかいとは言えない。そんなもの、さして寝心地も抱かれ心地も良くないはずなのに、だ。


 ……脳裏に、先ほどガルにからかわれた言葉が甦る。


 俺は、こいつに入れ込んでなどいない。ついさっき、たまたま拾っただけの相手だ、領主である伯爵に報告し、指示を仰いだら、この子はどこか適当な孤児院に入れられるだろう。それまでの、ほんの短い付き合いだ。


 だというのに……それを寂しいと、そう思ってしまう自分がいる。


「……いやいや」


 今日はあのバカ三人に振り回されながらの仕事で、疲れただけだ。きっと明日には、この子のことなど忘れていつも通りの日常に戻っているはずだ。


 そう自分に言い聞かせながら、俺は崩壊した屋敷を後にするのだった。

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