6 止めて欲しいのなら、素直にそう言いなさい
はっとして、アスランが口をつぐんだ。彼にしては珍しい失言だった。口を閉ざしたアスランの様子に僕はそれが誰であるか理解してしまった。
「あの人、なのか?」
声が、震えた。
予期していたことだと思った。幾度も考えたことだ。でも、本当にあの人が……
「カシャ様?」
僕の様子が変わったのを訝かって、アスランが戸惑うような表情を見せた。その寄せられた眉に、僕はよほど愕然としているのかと、少しだけおかしくなった。
「弟のイスタナンは、あの子はまだ九つだ。パライオロゴス公爵の傀儡(かいらい)にはもってこいだろう」
吐き気がした。気持ち悪い。さっきよりずっと動悸が激しくて、僕は胸をおさえた。
「カシャ様。どうしました? しっかりなさって、」
伸びてきた腕を必死で払いのける。
「あの方は、母上様は、もともと、パライオロゴス家の方だもの。あの方は父上様を亡き者にして、王家をのっとろうというの? 僕も殺して、王家のなにもかもを奪おうというの!?」
ああ……、もう、嫌だ。
「それは……」
「たしかに父上様は一年の半分以上を寝台で過ごすような方で、闇王家の国王にしては美しくもなくて、でも、あんなに母上様を大切にして愛しているじゃないか。それなのに、母上様は他の男のほうがいいの?」
アスランが痛ましいものを見るように、僕を見つめている。
言いながら、眩暈がした。くらくらする頭をふると、からだじゅうに痛みが走るようだった。
「カシャ様、プラキディア様は」
アスランの唇からその名前がもれた瞬間、僕のなかで何かが弾けた。それが僕の理性を奪い、胸につかえ重くのしかかっていた疑問を言葉にしてしまった。
「アスラン、おまえも母上様と寝ているのかっ」
背中を、アスランの声が追ってくる。
木々のざわめきが、その声を揺らして歪めてかき消していく。
もうこれ以上走れない。さっきそう思ったのに、僕はふらふらしながらも走っている。でも、すぐにアスランの腕が僕を捕らえた。
「はなせよ!」
「はなしませんよ。逃げてばかりいないで、私の話を聞いて」
「おまえが母上様のところに出入りしていると聞いた。おまえだけじゃない、おまえだけじゃないけど、母上様は……!」
あぁ、もう、ダメだ。ききたくないことが、知りたくないことがどんどんと口から迸り出てしまう――……!
ふしだらな母上、パライオロゴス家の美姫プラキディア。臣下とできて子を身籠もり、王の子として育て、僕を、その子のために殺そうとする!
同じパライオロゴス家の貴公子と恋に落ちていた母上様を、祖父の美男王が息子に娶せたのだ。
僕は、知らない。
それが一体どんなことなのか、どうしてそうなのか。
僕の青い眼は、父上様にも母上様にも似ていない。この金の巻き毛は確かに母上様のそれだけど、瞳はそのどちらのものでもなかった。だいたい闇王家には古代からの「呪」によって、青い目は生まれないものと信じられていたくらいだ。
アスランの、アスランみたいな美事な黒髪と高貴な紫の瞳が王家の最もそれらしい形なんだ。
痛い。肩を強くつかまれた。
「カシャ様、王妃のことでなく、あなたのことです」
耳を塞ごうとした手を捻りあげ、アスランが僕の耳に顔をよせる。
「聞きなさい」
熱く激しい声になぜだか身体が震えた。聞きたくない。聞きたくないもの。
「痛い。はなせよ」
暴れる僕の肩を乱暴に引き寄せる。
「落ち着いて考えるのです。いいですかカシャ様、あなたがこうして生きていると証明できれば、そもそもこの陰謀はなかったことになるのですよ」
僕になにをしろと言うの? 僕には味方は誰もいない。母上様は、イスタナンを王位につけたいのだ。それで僕がどうしても邪魔になった。それでいいじゃないか。僕はもう死んだっていいんだ。
あの人がそう望んでいるのなら――……!
たまらなくなった。もう、抑えられない。
「この陰謀が失敗に終わっても、また別の陰謀が企てられて僕はいずれ死ななければいけないのだろうっ」
息を切らして叫んだ僕に、アスランが冷然とこたえた。
「死にたくなければ先に相手を殺すことです」
僕は……、僕は、僕は……。
そんなこと、そんなことは、そんな……
「わかっています。あなたに弟君を殺せとは申しません。そんなことを私に命じられるような方ならここまでついてきませんよ。イスタナン様はあなたと五才違いです。あの王子は魔道の才に長けた様子はありませんが王妃に似てお美しい利発な子だ。今のあなたの敵う相手ではありません。だから今はいったん国外へ逃げましょうと言っているのです」
アスランがさらに続けようとして唇をひらいた。もう限界だ。
「はなせと言っている!」
ゆっくりと、静かにアスランの手が離れた。僕は、一歩一歩あとずさる。
アスランは立ち尽くして僕を見る。
僕の弟のイスタナン。母上様は彼を溺愛している。
本当に、かわいがっている。
彼はまるで母に生き写しの、パライオロゴス家特有のたて巻きの金髪と大きな金色の目をした愛らしい子で、誰も、それが王の子だとは思っていなかった。誰も、だ。
僕は何度も病床に伏した父上様をお見舞いしたいと願い出た。それなのに、父上様は僕に会うことを恐れていた。僕が御自分の子ではないと頑に信じ、この僕に殺されると思っていたのだ。自ら絶望し、妻からも子からも死にいくことを望まれていると信じこんでいる父上様。
そう、それは、もしかしたら僕の未来。
アスランの言うように他国に逃げて、それでいったいどうなるのか。命は長らえるかもしれない。ただアデン王国と闇王国の関係はどうなるのか。亡命した僕はどうやって生きればいい。所領地もない、肩書だけの王子。闇王家が闇王家であるのはその才質によって魔物を支配できるからで、ひとの子に寄食して生きるのは恥ではないのか。
僕は十四年間、どうして生き長らえてしまったのだろう。
どうせそんな未来なら……。
アスランがこちらに進み出そうとする。
「来るな!」
僕は、さっき手にした短剣を鞘から引き出した。
「……なにをなさるおつもりですか?」
冷淡な声で、アスランが尋ねた。
「おまえが王になればいい。おまえ、美男王の隠し子なんだろ? まだ子どものイスタナンよりずっといい。僕が死ねば闇王家の王じゃないか。おまえのために死んでやるよ」
アスランの紫色の瞳が僕を見つめている。こいつ、なんでそんなに落ち着いてるんだよ。本気なんだからな。
「カシャ・エリア・バアル」
「敬称ぐらいつけろよ!」
アスランがいつものように微笑んだ。
「止めて欲しいのなら、素直にそう言いなさい」
「な、なんだよ……! 死んでやるんだからっ」
平然とした顔つきでアスランが言った。
「ああ、そうですか。その短剣の扱いには気をつけてと言ってありますよね。よりにもよってなんでそちらを抜くんですか。あなたの肌は綺麗だし、それに傷が残るのは惜しいし、毒が塗ってあるとしたら非常にめんどうくさいですが、私の為に死んでくれるそうですから、ちょっと止めるのはためらいたい心境ですね」
「アスラン?」
こいつ、けっこうヘンタイだ。し、しかも凄く冷たいぞ。
「あなたのことですから、すこぅし痛い目をみるとこれから無茶しないかなぁなんて期待もするわけですよ。実際、お守りするのは私ですしね……」
アスランは緩やかにうねる長い黒髪を優雅な手つきで肩に払いあげ、
「と、言いながら、あなたの血は青いのじゃないか、なんて変な好奇心もあったりして……」
と、つぶやいた。
僕の血が青い? なに、それ?
アスランはあやしい紫の瞳を細める。そしてふと微笑をといて、その唇でことばを綴る。
「カシャ・エリヤ・バアル、
闇王国の王家のものは、その祖である大魔道師『偉大なるエリヤ・バアル』のつくった人(ひと)形(がた)であるという……それゆえに美しく、魔道をあやつる天稟をもつと。
あなたの青い眼はその証で、だから滅多には現れない」
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