彼岸の華子さん
川野 毬藻
第1話 憂鬱な引っ越し
「春斗、はやく準備して学校に行くわよ。」
8月中旬、まだミンミンゼミやアブラゼミが鳴いている時期のことだった。横浜市のマンションに住んでいた僕ら上野一家は、引っ越しの準備をしていた。ソファやテレビを片付けたリビングは、今の僕の気持ちのようにすっからかんだ。
今日は今までいた学校を転校する日なので、教室においてあった教科書や荷物を全て持ち帰った。まだ夏休みだったので、担任の先生とだけお別れをして学校をあとにした。その後荷物をトラックに載せて、僕らはマンションをあとにした。途中で引っ越しを知っていた友達の家に挨拶をして回ったが、正直したくはなかった。
車で約1000キロの長い道のりを行った。お母さんとお父さんは外の山や田畑ののどかな景色に心を踊らせているが、僕の心はまるで曇り空のようだった。そんな僕の事をよそに、山ではクマゼミがいたるところで鳴いていた。
「うわぁ〜、大きい平屋の木造一軒家。こんな景色が毎日見れるなんて最高ね!」とお母さんは言った。
「なんじゃって、あんたこの景色にうんざりしたけぇ都会に行ったんじゃろ?。まったく、呆れた娘じゃ。」と山口のおばあちゃんは嫌味のように言った。お母さんはこの地方の出身だが、田舎が嫌になり上京してきたと言う。その当時のお母さんはきっと、初めての都会の景色を褒めていたんだろう。
親の寝室の隣の和室が僕の部屋になった。初めての自分の部屋に小学生ながら興奮した僕はゴロゴロと畳の上を転がった。するとお父さんが部屋に入って僕を見るなり言ってきた。
「春斗。そんなにゴロゴロして、そんなに嬉しかったか?引っ越す前に、一人で寝るのが怖いとか言ってなかったか?」僕は顔を赤らめて反論した。
「言ってないもん!一人で寝れるもん!」そう豪語したが、僕はその日の夜、天井のシミが顔に見えて怖くなり、結局隣の親の寝室で一緒に寝た。
翌日、僕は家の裏の山におばあちゃんと一緒に散策に行った。小学生の男子たる野生への興味は都会っ子の僕にもあり、虫取り網を持ってただひたすらにセミやチョウチョを追っては捕まえていた。このときは引っ越しの憂鬱な気分や暑さを忘れることができた。
そうして遊んでいると、森の奥に小さな小屋が見えた。かなり古い建物っぽく、近くの大木に半分が飲み込まれている様子だった。おばあちゃんに呼ばれて引き返そうとした時、なにか白い影がその小屋の中にちらっと見えた。何か分からなかった僕は全力疾走で飛ぶようにおばあちゃんに駆け寄った。
「お、おばあちゃん。なんか、なんかあそこにいたよ。」と言ったが、「何を言いよるんだ?こねーな山奥に誰かがおるっちゅうのかい?さぁ、もう暗いけぇ帰って夕飯の準備をするよ。」と言ってそそくさと下に降りていってしまった。振り返るが、たしかにそこには何もいない。考えるのが余計に怖くなった僕は、おばあちゃんの後をアヒルの子のようについて行った。そうして暗くなっていく山では、ひぐらしが寂しそうに鳴いていた。
夕飯はおばあちゃんが畑で育てた夏野菜を使ったカレーライスだった。おばあちゃんが作るカレーライスには隠し味に味噌が入っていて、辛いのが苦手な僕でも平気なぐらいにマイルドになっている。そうしてお腹いっぱいに食べた僕は、遊び疲れたのもあって今日の裏山での出来事を忘れていた。明日は新しい学校に行く日なので、時計をセットしておきなさいとお母さんに言われたので、ちゃんと朝の7時にセットして寝た。
そとの廊下にある風鈴がチリンチリンとかすかに鳴っていた。それは、寝ている僕にささやくように、夜の闇の中で鳴っていた。
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