第11話 ⚠️読者の気持ちの回 ご安心ください。AIさんはAIさんです。




 ●ご安心ください。AIさんはAIさんです。


 今回はギブというよりも、読者としての率直な気持ちをお届けします。

 テーマはAI小説についてです。


 まず、最近はAIさんが表現媒体へ進出していますよね。僕はAIさんにはあまり詳しくないのですが、AIさんが作成した小説やイラストや絵画等のクオリティが凄い。と、いう事は理解しております。

 実際、近況ノートにAIイラストを貼る作家さんも多いですよね。現状、絵を描くスキルを持たない多くの人が、AIさんのお世話になっています。


 一方で、人間では及びもつかないような緻密な描写力や表現力に、戦々恐々としている作家さんは多いのではないでしょうか?


 当然、表現者としては、このままではAIに表現の市場を独占されてしまうのではないか? 人間芸術は駆逐されて、未来の表現者はただAIのみになっているのではないか? みたいな危惧を抱く人もいると思います。


 ご安心ください。AIさんはAIさんです。

 思い出してみてください。映画界にCGが当時した時にも、人間の俳優不要論は出ました。ですが、結局は、人間の俳優はいなくなりませんでしたよね。なんなら、劇中でド派手な演出やスペクタクルが描かれても、それが後でCGだと分かると、


「なんだぁ。あのシーンはCGだったのかぁ」


 みたいに、微妙にガッカリする事すらあります。このガッカリ感は、映画好きの度合いが大きければ大きい程、比例して大きくなるようです。


 また、好きなアーティストのコンサートに行く場合についてもそうです。

 観客は、そのアーティストが如何に歌が上手か下手か、如何に楽器の演奏が上手か下手かを知りたくて、コンサートに行くわけではありませんよね。そういう人がいたとしても、極めて稀です。

 ほぼ全員が、感動を求めてコンサートに行く筈です。もっといえば、表現者の情熱とかカリスマ性とか気高さとか「魂」に触れたくて、目に見えない何かに感応する高揚を求めてコンサートに行く筈です。


 単に上手か下手かという領域についていえば、人間はAIさんには敵いません。当然です。機械は、ある特定の領域で人間を超えるものとして作られたのですから。ブルドーザーに力比べで敵わないのは当たり前だし、自動車に駆けっこで敵わないのは当たり前です。

 でも、人間の、早く走る意味や意義、強い筋力を持つ意味や意義は失われていません。


 今でも、優れた点を持つ人には機械登場前と変わらぬ賞賛が送られて、それなりに評価されます。


 小説も同じです。極論すると、読者は人間そのものに興味があるのです。そりゃ、好奇心という点で、AI小説を読んでみたくなる事もあるでしょう。でもそれは、どれぐらい上手か下手かを知りたいのであって、決して、感動や魂を求めているわけではないのです。

 そこに目を見張るべき要素があったとしても、その感想は、


「へー。上手だなぁ。凄くクオリティが高いなぁ。成る程!」


 であって、魂が震えたとか、感動したというものではありません。仮に、AI小説の文章が、とある人の作品と全く同じ文面や展開であったとしても、


「AIはここまで人間心理を理解しているのか。凄いなぁ。上手だなぁ」


 という感想になります。AIさんが作成したと知った時点で、そうなるのです。また、AIさんの性能が上がれば上がる程、その作品のありがたみみたいな物は薄れてゆきます。

 一瞬で、ハイクオリティな物をポンと出されるようになったら、それが当たり前になったら、インスタント感が生まれてしまうからです。


 なので、人間芸術はなくなりません。作家の使命は、これからも変わらず人間を、ひいては魂の籠った作品を書き続ける事です。だから安心して、これからも思い切りやってくださいね★


 ※ただし、AI作家が有利なジャンルというのもありそうなので、それについては後々、作家の視点から触れます。


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