第9話 分岐した世界

 患者の治療は続く。


 さらに一時間も経つ頃には、神殿内の半分以上の患者が姿を消した。それはひとえに、治療完了を表している。


 そしてそのほとんどの患者を治療した俺は、ぐったりと倒れるほかの神官たちを一瞥してから、なおも治療を続けた。


 しかし、


「——ッ!」


 さすがに集中力と体力、魔力の限界が近い。特に集中力と体力はギリギリだった。ゆらりと体が倒れそうになる。


 それを横から誰かが支えてくれた。


「無理なさらないでください、オニキス様」


 この声は……。


「クラリス、さん」


 原作ヒロインの一人、見習い神官のクラリスだった。


 彼女の豊満な胸が腕に当たっている。が、上手く体勢を戻せなかった。代わりに彼女がそのまま支えてくれる。

「ふひッ! な、名前……ではなく、——ごほん。どうせまだ治療は続けるのでしょう? でしたら、こうしてわたしにもお手伝いさせてください。わたしにはオニキス様ほどの魔力はありませんが、体力だけは残っていますから」


 にこりと笑うクラリス。母性すら感じさせるその顔に、俺は無言でこくりと頷いてから言った。


「すみません。よろしくお願いします」


 クラリスの力を借りて、再び治療が再開された。


「オニキス様はどうしてそこまで無理を?」


「無理、ですか」


「倒れるくらい魔力も体力も消費するなんておかしいでしょう? あなた様は神官でもないのに」


「……たしかにそうですね」


 言われてみれば、なんでこんなにも自分が必死なのか解らない。最初は困ってる人を助けたい程度のノリだったし、クエストが出てからはクエストクリアが最優先だった。


 けれど、明らかに俺は頑張りすぎている。ベテランの神官たちが倒れる中、それでも俺だけが治療を続けていた。


 ——なぜ?


 治療した人たちからたくさんの感謝を受け取ったから?


 治療した人たちが泣くほど喜んでくれたから?


 善人アピールでもして悪役じゃないと証明したかったから?


 理由を探せばいくらでもあるが、それでも核心のようで違う気がする。結果だけを言えば——やっぱりよく解らない、に行き着く。


「俺も解りません。気づいたら必死になってました」


「動機も理由もあやふやなのに……あなた様は、それでも頑張って誰かを治すんですか?」


「ええ。そこに迷いはありません。どうせだったら、一人でも多くの人を救いたいでしょう? 俺の苦しみなんて一時いっときのもの。寝れば消える程度の痛み。それに比べたら、本当に傷ついてる人のほうが辛い」


 だから俺は頑張れる。


 ——うん。理由なんてそれで充分だ。


「オニキス様……あなたは……」


「? なにか言いましたか?」


 隣ではクラリスが驚愕に目を見開いていた。ちょっとボーっとしてきたから、彼女がなにを言ってたのか聞こえなかった。なにかは言ってたと思う。


 しかしクラリスは首を左右に振った。口端を吊り上げて答える。


「……いいえ。なんでもありません。ただ、素敵だなあと。それがオニキス様の在り方なのですね」


 クラリスの瞳に熱いなにかが宿る。俺の顔を見つめながらニコニコ笑っていた。


 彼女がなにを考えているのか解らない。だが、不思議と嫌な感じはしなかった。


 本当はこんな風にペラペラ因縁のある相手と喋るのはよくないのかもしれないが……支えてくれる彼女に感謝してこそ、邪険にはできない。


 その後も俺は、クラリスとともに患者の治療に当たる。


 途中、倒れていた神官たちも復活を果たし、次の一時間で全ての患者を治療し終えるのだった。




 ▼△▼




「クラリス、オニキス様は——」


「しー。いけませんよ、神官長様」


 患者が消えたことで静かになった神殿内。その隅で座っていたクラリスに、老齢の男性神官が声をかける。


 すると彼女は、口の前に人差し指を立てて言った。


「いまオニキス様は極度の疲労で眠っています。休ませてあげましょう」


「そうだったのか。これは失礼。……しかし、オニキス様は凄いお方だ」


「ええ。誰よりも、何倍も多くの患者を救われました。終わった瞬間に倒れてしまったので、押し寄せてきた元患者さんたちには帰ってもらいましたが……本当に、立派な方です」


 クラリスは自分の膝の上で眠るオニキスの頭を優しく撫でた。愛おしそうな顔で何度も何度も。


「ふむ。それはそうと、いいのかね? どうせなら奥の部屋のベッドで眠らせたほうが……」


「ふふ。ごめんなさい。オニキス様が眠ったのをいいことに、独り占めしちゃってます」


「ほほっ。そういうことか。わたしは何も見てないぞ~」


 そう言って神官長と呼ばれた老齢の男性神官はその場から立ち去っていく。


 小さくクラリスは感謝を告げた。


「ありがとうございます、神官長様。……ふひ、ひひひ。こうしていると……どこまでも愛おしく見えてくるから不思議です」


 小さな体に見合わぬ大きな背中。とても同い年の少年には見えなかった。だからか、彼女は思う。


「この気持ちを言葉にするなら……果たしてなんと呼ぶのが正しいのか。オニキス様……わたしはあなた様に——」


 クラリスの瞳にわずかな黒い陰が差す。オニキスもクラリス自身も、その感情と黒い陰の意味を知らなかった。


 少しずつ、オニキスの未来に変化が訪れる。


 それが良い方向へ向かっているのかは……神のみぞ知る。




【クエストを達成しました】




———————————

あとがき。


治療完了。しかしヒロインはバグっている……⁉︎

次回、オニキスが手に入れた報酬は……なんと⁉︎

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