霧の中の不思議な物語

@ashika9999

第一章 アトムの無常

庇の線上に雫が落ち、庭の土はクレーターの痕跡を残す。縁側で本を読み、机の上のパソコンが意味もなく光、その右下には6/6と書いてある。

ざーっと雨の音が屋内に響き、どこか静かで、本の文字が、頭に入ってこない。私が、99歳を迎え老いたからだろうか。

一度椅子に座り、硬くなった体は、昔のように自由がきかず、骨の節々が悲鳴をあげる。

痛みとともに、行き場所は分からないが、ただ、還りたい。家にいるが、どこかに還りたいのだ。

と、いうのも91歳の妻を3年前に亡くし、それからの月日は独り身の孤独感があった。

そんな孤独感を活かすため、毎日の日課がある。

小さな畑仕事をし、家の掃除し、読書をし、神社に散歩し、寺で人と喋り、日常の日記をネットのブログに書く。この年では、車にも乗れず、家族である子供とも会う機会も年々減っている。その子供は都内に出て定年を迎え、半年に1度ほどくるのみ。陽があけ2時間が過ぎ、散歩に向かう時刻だが、雨は、物思いに耽るだけの十分な材料となったが、私は「この問題を解決できない」と、答えを知っていた。


それでもこの年まで、こうして健康に生活できている。99歳を迎えても、医者いらずでその理由は、「生きている内は生き、自分のできることをする」この信念でいまを楽しく、積極的に生きブログも多くの人に元気を与えている。


しかし、一世紀近く生きても、世間は、いつまで経っても不安や恐怖が、付きまとい、愚痴に溢れ、こころ自体は若者も老人も対してかわらず、それに合わせるかの如く、雲模様は、厚く、濃い暗雲が立ち込めていた。


普段なら、この時間は朝採れた畑の野菜を持ち、近くの神社に散歩をし、寺に出掛け、99歳になっても元気な姿をみせるのだが、この日の足取りは重く、一滴のしずくが瓦から落ち、またしずくがたまり落ちる。それを眺めていた。

もしかしたら、目では追えない無限の雫に、私は還りたいのかもしれない。


そんな重い足取りでも、始めの一歩を踏み出せば、大きな一歩となる。目の前の机に本を置き、固まった体を起こして椅子から立ち上がり、傘をさし押し車に昨日採れた野菜を入れ、カバーをし、散歩に向かう。

家から、徒歩で10分くらいの場所にある神社に着き、両親が753で私の着物姿に喜んだ、あの頃を懐かしみ、あれもちょうど、同じ雨の降る日の出来事であった。

両親は、30年前にこの世を去り、厳しさの中に優しさがあった。その事をしる者は、私以外にいないだろう。

押し車に手をかけ、、、寺の離れの小屋に向った。この小屋は、30年ほど前に和尚さんがリノベーションし、コミュニティーの場として、提供して、私の野菜もここで売られている。

押し車から、野菜を出し陣列させ一日1000円ほどのお金を受け取り、それをまた神社と寺の参拝費とお寺での茶飲み代にし、和尚さんや野菜を買ってくれるお客さん、参拝する人と30分ほどおしゃべりをするのである。

かれこれ、30年がすぎ、寺や神社にくる者は、墓参りか、健康面の懇願が、ほどんどであった。

きょうも50代の男が「肝臓を悪くして、明日手術なので成功を願いきました。」と、私にはなしてきた。そんなときは、ただ聞いて終わる。健康について、質問されたときは、「この年まで生きられたのは、無農薬・無肥料の野菜を、畑で自分で作ってそれを食べているからだ」と、それだけを伝えると、棚に陣列された私の野菜を買っていく。

詳しく、畑で育てるようになった経緯を紹介すると、私は、60歳まで内科クリニックの医師をしていたが、まともに患者を治したことがなく、事務的な薬と現代医学のカリキュラムで療法を行っていた。そして、偉そうに、「次は、来週にきてください」と言って、「次回はもう来なくていい。」とは言わなかった。

医者は、再受診して病院に来させるビジネスであり、外科以外はあまり意味をなさない。

医学が進み健康寿命と平均寿命は伸びたのは、栄養の情報が分かり、おのおのの生活の質があがっただけで、医者や病院のおかげではない。その証拠に、鬱病患者をなおせないのが、医者であり、無能さをものがたっている。

なのに、医者はお金と世間の名誉に思い上がって、偉そうな口を聞く。私も、その1人であったが、定年後、30年かけ病に出した私の結論は、「生きている内は生き、自分のできることをする」であった。それが畑で自分で育てそれを食すことで、こうして健康に生きている。

ブログには、畑などで採れた野菜などをアップして徒然なる日常を綴り情報を提供している。まだまだ、現役である。


こうして一通り話し終えると、寺のコミュニティの小屋から出て、寺の脇にある蓮池を眺めると、翡翠色の葉中心が金色の蓮が咲き、水面は、ぽつぽつと弱い波紋が広がり、天を見上げ、雲は薄くなり、、雨は弱まっていた。

いまも歩けることに感謝をし、家に向かう。もう、傘はいらなく、太陽が差し込んできた。雨が降った後で、霧があたりをしめ、前が見えなく四方八方、どちらに行けばいいかわからなくなってしまった。すると、突如として体が浮いた。宙に浮いているらしいが霧でそれすらも分からない。

「ああ、わたしも迎えがきたのか?明日で100歳を向かえるのだが、、、」と、この年になると慌てることもなかった。


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