詩織引っ越す
有原優
第1話 引っ越し宣告
「私こんど引っ越すんだ、家庭の事情と言うか、親の転勤で長崎にね」
一瞬時が止まった。そこには長い沈黙が流れていた。私こと
だが数秒後私はようやく状況を理解し、驚いた。
「嘘だよね?」
私と詩織は小学生からの付き合いでいわゆる幼馴染だ。詩織は明るい子でいつも冗談ばかり言っていた。だから今回のも驚いたが、もしかしたら冗談の可能性があると思い、言った。
そう、一縷の望みをかけて詩織に聞いた。噓だという可能性を信じて。
だが帰ってきた答えは残酷なものだった。
「何言ってんの?本当だよ、私が嘘をつくわけがないじゃん」
マジであった。私はショックで膝から崩れ落ちかけたが、なんとか踏ん張る。
「そう…」
私はこれ以上もう何も言えなかった。走って教室から出るしかなかった。
そして私は一人で帰路に就いた。いつも詩織と帰っているから変な気分だった。それにまだ引っ越しの件を信じられなかった……もう本人の口からしっかりと聞いているというのに。
不思議と涙は出なかった。しかし、いつの間にかもう頭の中が分からなくなった。
もう頭が思考することを放棄していた。もはや明日の天気は何だろうかとかそんなくだらないことしか考えられなかった。
その日は家に帰るまで長い時間を要した。いつもなら五分で帰れる距離なのだが、おそらく三十分くらいたっている。
家に帰ったらまず、お母さんに何も言わずに部屋にこもった。お母さんが「お帰り」と言ったのを無視して。
もう周りのことなんてどうでもよかった。詩織もお母さんも学校も日本も地球も世界も宇宙も全て、そしてもう世界が終われだとも思った。
詩織に何も言わずに帰ったのを思い出して罪悪感に襲われたが、もうそんなのどうでもよかった。
「詩織ちゃん来てるよー」
下の部屋から声がした。お母さんの声だ。
考えてみるとたしかに急に逃げ帰ったのだから詩織がここにきても不思議ではない。しかし、今は詩織に合わす顔が無い。それこそ当たり前だ。私は急に走り去ったのだから。
下の階に降りなければならないという現実はわかっている。しかし、降りることが出来ない。そう、足が全く動かないのだ。私の細胞全体が下の階に降りて詩織に会うことを否定している。そう感じる。
今の私にはどうすることも出来ない。
「美香遅いわね」
「仕方ないですよ、私が悪いんですし」
「でもそれは仕方ないじゃない」
美香のお母さん……
「でも、私がもう少し優しく言っていたら」
「そんな気にすることない、あの子は強いわ」
「そうだと思うんですけど」
「そんなことよりあなたもいつもの元気はどうしたのよ」
詩織はいつも元気に走り回る子だ。こんなにしんみりとしているのは本当に珍しいことであった。
「私もいつも元気なわけじゃないですよ」
「でも詩織ちゃんが引っ越すことになるなんてね」
また美沙は悲しい顔をする。
「私もまだ納得できてないんですよ、引っ越さないといけないのはわかってますけど、私個人としては引越したくないです」
「そうね、私も沙織ちゃん話したけれど、引っ越しは避けられないらしいと言っていたしね」
「そうですよね」
「私直接呼んでくるわ」
「そんな、無理にしないでくださいよ。美香だってショックを受けているんですから」
「でも詩織ちゃんと美香はちゃんと二人で話さないと、この問題は解決しないわ」
「そうですけど」
「無理はさせないわ、詩織ちゃんちょっと待っててね」
「はい」
「美香?」
「なに? お母さん?」
「詩織ちゃんと話さなくていいの」
「ごめん、今は話せない」
話すのは流石に気まずすぎる。おそらく私の精神が持たない。
「でもせっかく詩織ちゃんが家に来ているから」
「いいの、私はもう詩織に冷たい態度をとっちゃったから」
「詩織ちゃんは気にしてないわよ、むしろ言い方が悪かったんじゃないかって」
「そうだとしても、私は今日は会えない。詩織にごめんって言っといて」
詩織が会う気になっていても、私は……詩織に会って精神が持つ気がしない。泣き出してしまうかもしれない。
「わかった、でも1回だけは会ってあげて」
「嫌だ」
「会って!」
強く言われる。もう面倒くさい。
「わかった、会ってみる」
「じゃあ詩織ちゃん呼んでくるわ」
そんなことしなくてもいいのにとため息をつく。ちゃんと謝らないといけないのはわかってはいる。けれど、本当に会いたくはない。今から会おうといったのは、このままだったらお母さんが引き下がってくれないから。ただそれだけだ。
「美香……」
「詩織……」
「急に引越しのことを言ってごめんね、もっと言い方があったと思うのに」
「なんで詩織が謝るの?」
私が悪いのに。
「え?」
「謝るのは私のほうでしょ、詩織を置いて一人で帰った私が」
「いやでも、理解できなかったからでしょ」
「そうだけど」
「なら、美香は悪くないじゃん」
「なんでそうなるの、私としたら詩織に家に来てくれなかったほうが良かった」
「なんで?」
「まだその事実を呑み込めてないから」
まだ嘘と言う可能性を信じてしまっているのだ。
「美香は重く考えすぎなんだって」
「重く?」
「そう、私が引っ越すのは私だって悲しいよ。でもそれは今から何かしても変わらない。だったら何かしたほうが得じゃない?」
「そうかな?」
「だからさ、悩む暇あったら遊ぼうよ」
「うん!」
「それで、いつ引っ越すの?」
「来週の日曜日」
八日後だ、たったの八日しかない。
長いようで短い、短いようで長い、八日たったらもうお別れなのだ。
その時間その時間をどう過ごすか。それが今の課題だ。この時間を無駄に過ごしたくはない。幸せな時間にしたい。少なくとも後悔したくはない。
そんなことを考えていると、詩織がまた口を開いた。
「そうだ!明日どこか行かない?どうせひまでしょ。私引っ越す前に二人で思い出を作りたいの。もう親に言ってもどうしようもないしね。今を楽しまなくちゃ!というわけでいろいろ考えよ!」
「別に暇じゃないけど……」
「じゃあ私との思い出はいらないんだね! じゃあね」
「そうはいってないじゃん!」
と、言い終わる前に詩織は半分ドアを開け、私の部屋から出ようとしてた。
「なんで本当に帰えろうとしてるの? 私が悪いみたいじゃん」
「えー暇じゃないって言ってたじゃん」
「それは決めつけられたからだって」
ただの愚痴みたいな物だ。
「えーほんとに?」
「もうええわ。いいがけんにしてよ」
私はそう言って詩織の頭をたたいた。
「痛いよー」
「反省しろ」
しかし、詩織は笑っている。いつもの調子に戻ったのがうれしいのだろう。
「でどうする?」
私は聞いた。
「うーんカラオケか映画かゲームセンターか…もう決められない」
「じゃあカラオケ行こ」
「えー」
「詩織が選択肢に挙げてたじゃん」
その中で今一番行きたい場所はやはりカラオケだ。
「冗談よ!」
「本当に?」
「疑わないでよ!」
「疑うでしょ。今までのこと忘れたの」
「なんのこと?」
「例えばさあ、小学生の時にわたしを森に置いてってたことあったでしょ」
「あれか、私が森にカブトムシ取りに行こうって言ったことね」
「そのあと自分だけ飽きて帰ったじゃん、あの時は泣いたんだからね」
「そうだっけ」
「そうだよ」
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