10本目 疑惑をキャンセルッ! 【Ad.15】

「あー、なるほど。テルマがいねーのか」


 微糖の缶コーヒーを口に当てたまま、ソーメはひとりでうなずいて、片手をパーカーのポケットの中で動かした。

 そちらを振り向いたブラックサンタがギョッとしたように身震いする。ソーメがスマホを取り出すより早く、ポンチョのすそをなびかせて飛びあがり、民家のへいへのぼってさらに屋根へ飛んだ。


「に、逃げた……?」

「はえーな」


 驚く千枝と感心するソーメ。スマホがぶるりと震え、特に必要のないファミレスチェーンのクーポンを受信する。


 とんがり帽子が見えなくなるのを見送って、ソーメは缶コーヒーをひと口飲んだ。


「ふーん。いまのが例のブラックサンタか。動きは人間じゃねーけど、人数見て逃げ出す脳ミソはあるみてーだ」

流支ながし!」


 千枝が泡を食った様子で駆け寄ってきた。腕まくりをしたそのそでぐち腕章わんしょうがないのをいちべつしてから、ソーメは眉を動かさずに目を合わせる。


「さらわれたって聞いたぞ!? 大丈夫なのか?」

「あん? んんー?」


 ソーメは盛大に首をかしげた。千枝が腕章を誰かに預けて(おそらくカデンだ。お人よしめ)ひとりでここへ来ていることは察せていたが、自分のためだったとまでは見えていなかった。


 とはいえ、どうやらそういう話らしいとは飲みこみ、「まぁ、知らねぇ場所で目が覚めたからな。ほかになんかされたって感じはねーけど」

「覚えてないのか? さっきも、『いまのが例の』って……」

「そーゆーことだな。意識が急に飛んで、なにが起きたのかなんも見てねぇ。ウチはブラックサンタに誘拐ゆうかいされたのか」

「どこで目が覚めたんだ? というか、すぐ逃げられたのか?」

「コイツだ」


 ソーメはパーカーのファスナーを少しさげ、片手で襟元えりもとのリボンをほどいて、制服のシャツを軽くあけた。鎖骨の上を通るひもを引っ張ると、胸もとから首飾りらしきものが出てくる。金属の四角いケースに丸い玉がふたつ付いた奇妙な物体。


「『一時間に一回スイッチを押し忘れると電流が流れるペンダント』。薬かなにかで眠らされて当分起きねえ予定だったのかもしれねぇが、コイツがバチッと来た」

「いや、なんでそんなもの着けてるんだ……」

「テルマのお手製あぶないオモチャ」

「どうしてあいつはそういうとこだけ器用なんだ……って、まさか!?」

「クリプレだとよ、手離すなって《王命》付きのな」

「あぁ、まったく。流支もなんで黙って……いや」


 千枝はめまいがしたように額を押さえていったん黙りこむ。


 千枝はソーメが《王命》の過剰かじょうな《却下キャンセル》を好まないことを知っている。あるいは自分からは打ち明けられない《王命》が重ねがけされていた可能性を考えたのだろう。ひとつひとつ掘りさげていけばばかばかしいほど時間がかかる。千枝に気持ちの整理がつくのを、ソーメは届いたクーポンの期限を確認しながら待った。


「……すまない、流支。いま腕章がない。あとで必ず《却下キャンセル》するから……」

「別にいいけどな」

「ど、どうしてっ?」


 うろたえる千枝の目の前で、「いやな」と言いながらソーメはペンダントをふたたび胸もとに落とす。


「実はこれが、肩こりにめちゃいい感じで」

「か、かたこ? ……ああ」


 一瞬目を白黒させた千枝だが、すぐにピンと来たらしい。

 視線が襟をあけているソーメの胸もとに降りてくる。紐が長いペンダントは、ちょうど肌が盛りあがり始める部分に乗っている。


「なるほど……いつも上着を着てるから目だたないけど、流支は意外と大きいもんな」

「弟のために育てた」

「やめろ。裏事情を聞きたくない」

「まーウチのことはもういいから。それより……」


 スマホをポケットに戻し、また片手で器用にボタンをとめながら、ソーメは千枝の背後に視線を送った。そこの植えこみの中で呆然ぼうぜんとして固まっている赤っぽい目と目が合う。


「なに持ってんだ、ぱなえ?」

「へ?」


 聞かれてようやく自分が樹木でないのを思い出したかのようにぱなえは首を動かす。持ってる、という言葉だけが先に頭の中で認識され、自分の手を見た瞬間にさーっと青ざめた。


 なんてことはない。握っているのはただの消しゴム。ちょっと授業がつまらなくて暇をぶつけたような、高校生としては痛々しいデザインの模様が彫ってあるだけの、ちょっと変わった匂いがするだけのゴム製文房具。

 ただ、暴漢を相手取る仲間の窮地きゅうちにそれが役に立つかといえば、実は爆弾ばくだんですのとでも言えない限り、特にない。


「ああ!? いえ、あ、そのっ……わ、わーっ!? どうしてわたくし消しゴムなんか持ってるのかしらぁーっ!? いくらなんでも慌てんぼすぎですわぁーッ!」

「ぱなえ、テルマたちに連絡してたんじゃないのか?」

「し、しましたわよっ、メッセージで!」


 少々無理があるような気がしつつ、長めのストラップでカーディガンの中に入れているスマホにいま触れていない理由をとっさに作る。「こ、こ、こんなに慌てていたのでッ、マトモに伝わっているか怪しいですけど……!」

「まー、ウチからも一本入れとくか。生きてるぞって――」

「そ、そんなことよりですわっ!」


 余計な補足を入れてしまったことに焦りつつ、ぱなえはふたたびスマホを取り出したソーメに待ったをかけた。そのやたら必死な様子に、千枝もソーメもいぶかしむ視線を返す。


「あのブラックサンタで間違いありませんわっ、ワルプルを盗んだのも、ソーメさんを襲ったのも!」

「あ、ああ。だろうとは思ってたけど……」

「違いますわ!」

「え?」


 ぱなえは半分やぶれかぶれではあった。ただ、どうがするほどに頭はえる。


「わたくしが言いたいのは、二度襲ってきたのもワルプルを盗んだのも同一人物。つまり、ブラックサンタはひとり、ということですわ」

「!?」


 話が見えない様子で鼻白んでいた千枝が、たちまち大きく目を見ひらいた。そばでソーメも感心したように息をつく。「顔が見えなくてもわかるって?」とすかさずたずねられはしたが、ぱなえはあえてクドクドと説かずに「間違いありませんわ」と言いきった。


「ってこたぁ、つまり……」

「ワルプルをどこかに隠して行動している。その上で、どうやらわたくしたち魔王部を壊滅させる気みたいですわ」

「ひとりでか?」

「だから各個撃破なのでしょうね」


 眉をひそめていた千枝がよりしぶい顔をする。あごに手を当てて、「なら、テルマたちと合流するのが先決か……」とつぶやいたが、ぱなえはそれもふたたび「いいえ」と否定した。


「そうするより、わたくしに考えがありますわ」


 今度は落ち着いた様子で、自信たっぷりに言う。まだ心臓は早鐘はやがねを打っていたが、目の前で顔を見合わせるふたりがもう特に怪しんでいないのを見抜く。ぱなえはどうにかようやく、薄っすらとほくそ笑んだ。

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