幕間 ~『ミリアの癇癪 ★ミリア視点』~


『ミリア視点』



 ロックバーン伯爵家の離れにある自室で、ミリアは椅子に八つ当たりしていた。


「どうして私がこんな目に遭いますの⁉」


 丈夫な欅の木で作られた椅子の足が折れていた。ミリアの怒りの大きさを象徴しているかのように、椅子を壁に叩きつけている。


「お姉様より私の方が何もかも優れているのに⁉」


 華やかな容姿と性格は、地味な姉とは比べ物にならないほど魅力に溢れ、さらにミリアは領地を運営していく上で必要不可欠な錬金魔術も扱える。


 条件だけを比較すれば、エリスより劣っている部分はないはずだと自信に満ちていた。


 だからこそ、エリスからケビンを略奪したときも、自分の行為には正当性があると信じていたし、家のためにも姉が我慢すればいいとさえ考えていた。


 だがケビンと結婚してから状況は変化した。彼からの愛情表現が消え、顔を合わせれば喧嘩するようになったのだ。


 不仲の原因に心当たりはない。結婚した途端に突然豹変したのだ。


 最初は勘違いだと思い込もうとした。だがケビンの瞳には軽蔑の色が浮かび、彼はそれを隠そうとさえしなかった。まるで猿でも眺めるような視線を向けられ、ミリアのストレスは貯まる一方だった。


「ケビン様がこんな人だと知っていたら!」


 わざわざ姉から奪ったりしなかった。


 ミリアの顔は整っているため、他の貴族の子息との縁談に困ることもなかっただろう。結婚しなければよかったと今更ながら後悔していた。


 だが離婚もできない。喧嘩の最中、ケビンに提案したことがあったが、彼はそれを拒絶した。


 理由は明白だ。離婚はケビンが次期領主の椅子を諦めることを意味する。彼は権力のために婚姻関係を続けるつもりだったのだ。


「私は幸せになるべき人間ですのにっ!」


 悔しくて姉に手紙を送ったこともあった。醜い公爵と結ばれて哀れだと馬鹿にしてやった。


 だが心の中に残ったのは虚しさだけだ。エリスが不幸になっても、自分が幸せになるわけではない。そんな世の摂理を改めて思い知ったのだ。


「本当に最低の人生ですわ!」


 ストレスを吐き出すため、椅子を蹴り上げる。激しい音を鳴らしながら、椅子はすべての足を失った。


「お嬢様、どうかしましたか⁉」


 音を聞きつけた侍女が扉の向こう側から声をかける。その声にミリアの苛立ちは増す。


「私のことは放っておいてくださいまし!」

「そうはいきません。私はあなたの専属の侍女ですから」

「ちっ!」


 舌を鳴らして不機嫌を伝える。ミリアは侍女を嫌っていた。元々は姉の担当だったため、まるでおさがりを引き受けたように感じていたのだ。


「扉を開けますね」


 子供の我儘には付き合っていられないと、侍女が許可を取らずに扉を開ける。壊れた椅子と対面し、「うわぁ」と声を漏らす。


「この椅子は百年使える丈夫さが売りだったのですが、お嬢様のストレスを受け止めるには荷が重かったですね」

「あなた、侍女の分際で失礼ですわね……私を苛つかせたいんですの?」

「いえ、ただの本音ですから。気にしないでください」

「生意気ですわね……」


 ミリアは椅子に向けていた怒りを、今度は侍女に対して爆発させる。勢いよく振りかぶった手の平を侍女の頬に叩きつけた。


 パシンという割れるような音と共に、赤い手の跡が刻まれる。だが侍女の瞳に浮かんだ感情は怒りや恐怖ではなく軽蔑だった。


「あなたが生意気だから悪いんですのよ」

「……エリス様とは大違いですね」

「はぁ⁉ 私のどこが違いますの⁉」

「エリス様はいつだって使用人に優しくしてくれました。手をあげたことなんて一度もありませんでしたよ」

「だ、だから何ですの!」

「先程の独り言、私にも聞こえていましたよ。あなたの方がエリス様より優れていると仰っていましたが、その認識は誤りです。エリス様は人格に優れ、容姿にも伯爵令嬢らしい品がありました。魔力にさえ目覚めていたら、ケビン様もエリス様を選んだはずです」

「~~~~ッ」


 ミリアは怒りで言葉を紡ぐことさえできなかった。顔を耳まで真っ赤にするほど感情を爆発させる。侍女に馬鹿にされることをプライドが許さなかったのだ。


「あ、あなたなんでクビですわ」

「私を雇っているのはお父上です。あなたに私をクビにする権限はありませんよ」

「なら言いつけますわ!」

「あなたの自由ですから。好きにすればよろしいかと。ただ……侍女をクビにするためにお父上に泣きつくあなたを、きっとケビン様は軽蔑するでしょうね」

「う、うわあああああっ」


 言い負かされたミリアは泣き叫ぶことしかできなかった。侍女はそんな彼女を置いて、部屋を後にする。その声は赤ん坊のように大きく、屋敷中に広がっていたが、心配で駆け寄ってくる者は誰一人としていなかった。

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