第二章 ~『コカトリスの朝食と聖女伝説』~
エリスは元々、朝が苦手だった。寝起きは低血圧なため、眠りから覚醒するのに時間を要するからだ。
ただしオルレアン公爵家に嫁いでからの彼女は違っていた。朝を迎えるのが毎日の楽しみになっていた。
(この匂いは……肉料理ですね!)
ダイニングから漂ってくる香りに誘われて、彼女は食卓につく。既に席に付いていたアルフレッドとシャーロットが「おはよう」と声をかけてくれた。
「朝食はコカトリスのチキンステーキよ。食べたことはあるかしら?」
「いえ、初めてです。ただ噂には聞いています。なんでも一口食べたら、三日はその味の虜になって他のものが食べられなくなるとか」
「ふふ、流石にそれは大袈裟よ。でも私たちも大好きな一品だから楽しんでね」
「はい♪」
コカトリス。それは雄鶏と蛇を合わせたような姿の魔物で、毒を操る討伐難易度の高い魔物だ。また河豚と同じく捌くために技術が必要で、市場に出回る数も少なく、美食家たちの憧れの食材でもあった。
伝説の鳥肉を使った料理を前にして、ゴクリと生唾を飲み込む。ナイフとフォークで切り分けて口に含むと、肉汁が溢れると同時に、レモンの爽やかな香りが鼻を突き抜けた。
あまりの美味しさに手が止まる。だが咀嚼だけは止められない。噛めば噛むほど生まれる旨味に涙が零れそうだった。
「人生で一番のチキンステーキでした……」
「喜んでもらえたなら嬉しいわ。私が食材を捕まえて、息子が調理した合作なのよ」
「私、作ってもらってばかりですね」
「いいのよ。やりたくてしているだけだもの。なにせ私達はエリスさんのことが大好きだもの」
「シャーロット様……」
「それに息子の呪いを解くために鍛錬を頑張ってくれているでしょう。家事の負担をかけさせられないわ」
シャーロットはエリスに感謝していた。
回復魔術の効力は魔力量によって変化する。そのため完全な解呪を果たすためには膨大な魔力が必要になる。
少しでも魔力が増えるようにと、エリスは毎日の鍛錬を続けていた。座禅を組んで、意識を丹田に集中させる地味な修行を、弱音も漏らさず、毎日続けていたのだ。
「私もエリスには感謝している。君の頑張りのおかげで、効果が現れているからな」
アルフレッドの右手から包帯が外されていた。回復魔術を何度も重ねがけしたことで、呪いが部分的に解呪されたのだ。
だがエリスの表情は晴れない。呪いによる衰弱化は未だ進行中で、アルフレッドの声から日に日に元気が消えていたからだ。
「アルフレッド様、朝食は……」
「空腹を我慢できなくてな。私はもう食べてしまった」
「本当ですか?」
「本当だとも」
ここ数日、アルフレッドが食事を取っている姿を見ていない。エリスを心配させないために繕っているが、本当は何も食べていないのではないかと不安になる。
「ほら、私は健康だ」
アルフレッドはパンを手に取ると、笑顔のまま齧り付く。美味しそうに咀嚼する姿を見せられては二の句を継げなかった。
「私、もっと頑張りますから。だからどうか、長生きしてくださいね」
「ははは、当たり前だ。私もエリスと共に人生を歩んでいきたいからな」
「アルフレッド様……」
「私は幸せ者だ。エリスという最愛の婚約者を得られたのだからな。これならいつ死んでも悔いはない」
「…………っ」
まるで今際の際のような台詞に背筋が凍る。彼が死を覚悟していることが、言葉から伝わってきたのだ。
(私が救ってあげないと!)
焦燥で額に汗が浮かぶ。それに気づいたのか、アルフレッドは安心させるように微笑む。
「私の呪いを解くことにプレッシャーを感じないで欲しい」
「ですが……私は……」
「時間さえあれば、君は必ず成長する。それを焦らずに待てばいい。なにせ君は聖女の生まれ変わりだからな」
魔力量は次第に増えており、伝説の聖女に近づきつつある。将来的にはエリスが英雄に近しい存在になると、アルフレッドは信じていた。
「私は世界を救う救世主になりたいわけではありません!」
救いたいのは目の前の彼だけなのだ。
「エリス……」
「だから自分の命を諦めるようなことを口にしないでください」
「分かったよ……長生きできるように頑張ってみる」
「その意気です!」
アルフレッドは苦笑を浮かべながらも、エリスに同意する。オルレアン公爵家に馴染んできたからこそ、押しが強くなっていた彼女にシャーロットも微笑む。
「ふふ、伝説の聖女様も温厚でありながら自分の主張を伝える人だったそうよ。性格も聖女様とそっくりだなんて運命を感じるわね」
「過大評価ですよ……でも、私に似ているなら、一度お会いしてみたかったです」
「会えるかもしれないわよ。聖女様は回復魔術を応用して、若返りもできたそうだから」
「そんなことまで……」
老化を病と捉えれば、原理的には確かに可能だ。改めて聖女の発想力には驚かされる。
「だから聖女様の最後がどうなったのかも分かっていないの」
「家族も知らないのですか?」
「急に行方不明になったそうよ。大国が聖女様を自国に取り込むために拉致した陰謀論なんかも噂されたけど、確証の高い説は何もないの」
「……幸せな最後だと良いですね」
「私の推しは元の世界に帰った説ね……聖女様には日本という国で生きていた頃の前世の記憶があったそうなの。もし元いた世界に戻れたのだとしたら、それはきっとハッピーエンドでしょうね」
日本という単語に、エリスは目を見開く。新たに判明した聖女との共通点に驚きを隠せなかった。
「日本という国に興味があるの?」
「は、はい」
「なんでも安くて美味しいものが食べられる美食の国だそうよ。私も興味あるけど、異世界とこの世界を繋ぐには空間魔術が必要だから、いなくなった聖女様以外には難しいわね」
「あれ? 聖女は回復魔術の使い手ですよね?」
「聖女様は二種類の魔術が使えたの」
「そんなことが可能なのですね……」
この世界では一人一種類の魔術しか使えない。だが聖女だけは世の理を外れ、複数の魔術を行使したという。この世界の常識では信じがたい出来事だった。
「魔術は魂に刻まれるの。きっと前世と現世、二つの魂を併せ持つからこそ、聖女様は二種類の魔術を使えたのね」
「そ、それなら……」
いつかエリスにも新たな魔術が刻まれるかもしれない。もしその力が空間魔術なら、元の世界に帰ることも可能となる。
(でも私は帰りませんね)
エリスの前世は天涯孤独で会いたい人もいないため未練はない。それにオルレアン公爵家に嫁ぐ前ならつゆ知らず、いまのエリスには大切な人がいる。
これからもアルフレッドの側にいたい。もし聖女と同じ空間を移動する力が宿っても、彼と人生を共にする決断を下すだろう。その判断に迷いはなかった。
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