存在感ゼロのバーサーカー

深瀧歩

第1話 彼女が俺を見つけた日 

 悲鳴が聞こえた。


 女性の悲鳴だ。

 真っ昼間だというのに、まったく治安が悪い。


 コンビニ前の車止めに座り込んでいた俺は、スマホをしまい道路へ向かう。


「待って! 返して、お願い、お金は入ってないから!」


 必死な女性の声が左手から聞こえてくる。

 道路にたどり着くと、ちょうど声のした方から男が走ってくるのが見えた。大きめのカバンをしっかり抱えている。


 男の後ろから小柄な女の子も走って来る。胸部装甲がすごい。弾み過ぎだ。


 ひったくりか。

 よくある。毎週見かけるくらいよくある。


 男が目の前を走り抜けようとしたところで、そっと足を出す。


「がはっ」


 つまづいた男は肩からアスファルトにぶつかった。カバンをしっかり抱えたまま。

 なかなか根性がある。


 仕方がないのでカバンのヒモを引っ張る。ベージュっぽい丸みのあるカバンで、ハート型の飾りがぶら下がっている。


「は!? な、なんだテメェ。どっから湧きやがった! 離せ、オレんだ!」

「……」


 嘘つけ。どう見ても女物だし。

 腕を蹴る。


「がっ、いっ、やめっ……クソッ」


 やがてカバンを離し、悪態をついて走っていった。


 ひったくり程度で警察を呼ぶわけにもいかないので見送る。被害者っぽい子は元気に走っていたし。


「あ、あのっ……」


 声におどろき振り返ると、息を切らした小柄な女の子と目が合う。

 同年代、18歳前後とおぼしき女の子が、俺を見上げている。


 たまたまだろうか?

 黙って立っていて後ろから声をかけられ、そして目が合う。こんなこと生まれてはじめてかもしれない。


 考えている場合ではない。泣きそうな顔だ。期待より不安が大きい様子。心配しなくてもタダで返す。


 カバンを差し出すと、ぱぁっと明るくなった。思わず息を呑む。かわいい。


「あ、ありがとうございます! 助かりました!」


 大事そうにカバンを抱え、ガバっと頭を下げてくる。その際、一瞬谷間が見えた。なぜか襟の伸び切ったシャツを着ている。

 カーディガンのようなものは羽織っているが、やけに薄着だ。


 なんか危なっかしいな。

 こんな子がひとりで歩いていたら、ひったくり以外の犯罪にもあいそうだ。


「非武装のひとり歩きは危ない。送るか?」

「あ……いえ、大丈夫です。ありがとうございます」


 彼女は首を横にふると、今度は盗られないようにか、カバンを斜めがけする。そして中を漁りだした。

 強調された胸につい目が行く。斜めがけって戦闘力上がるよな。犯罪遭遇率も上がりそうだ。


「これ、催涙スプレーと、警棒です!」


 両手に掲げて見せてきた。じゃーんとか言いそうな動き。

 しかしそれらは、ひったくられたカバンから出てきたものだ。


「も、もう手に持っていきますから!」


 どうやら呆れたのがバレたらしい。


 変だな?


 子どものころからずっと、ポーカーフェイスだとか、表情筋を鍛えろなどと言われてきた。中学卒業間近になって「やっと笑ってるのだけわかるようになった」と言った友人もいる。


 この子が初対面なのは間違いない。こんなかわいい子、見たら覚えているに決まっている。肩に当たるくらいのフワッとした黒髪で、整った顔立ちだが人形っぽくはない。愛嬌がある。


 俺の表情筋が発達したとは思えないから、この子が鋭いのか。なんかチグハグな子だ。


「……気をつけてな」

「はい。本当にありがとうございました」


 彼女は会釈し、もと来た道を戻って行く。

 心配だし、かなり気になるが、後をつけるわけにもいかない。


 気を取り直し、時計を確認する。正午を過ぎていた。そろそろダンジョン管理局へ戻ってもいい時間だ。


 俺は今日、18歳になった。

 待ちに待ったダンジョンライセンスが手に入る日だ。


 自宅と管理局の間にあるコンビニ前でライセンスカードの発行を待っていたところ、悲鳴が聞こえたというわけ。


 手続きを終えてすぐにダンジョン管理局を出ていた。世間はゴールデンウィーク初日。訓練ルームは混んでいたし、人混みの中にひとりでいるのは、どうにも落ち着かない。



 見えてきた。

 何度見ても異様な、入口も窓もないそびえ立つコンクリ壁。


 中にはダンジョンゲートがある。

 俺が生まれる半年ほど前、世界各地で一斉に地面からせり上がった門のひとつだ。

 そんな超常現象の様子はいまでもネットで見られる。


 壁の手前にはダンジョン管理局がある。局内から壁の中へ入れるようになっているのだ。

 急ぐ必要はないのに、自然と足が早まる。


 入った途端に聞こえてくる喧騒。

 人をぬって進み、高い位置にある画面を確認する。

 俺はまだ呼ばれていないらしい。


 あちこちでパーティ探し、パーティ勧誘が行われている。

 いまのところ参加するつもりはない。やってみてダメなら探す。


「――うちは5層だけじゃない。6層と10層でもセーブしてる。5層のボスも余裕だ。あっという間に――」


「――私、女性のいるパーティを探してるんです――」


「――まあまあ、まずは5層でお試しでさ? そしたら次は自分で5層に飛べるんだから――」


 聞くともなしに聞きながら呼ばれるのを待つ。

 突っ立っている俺に声をかける者はいない。不思議とぶつかることもない。邪魔だと悪態をつかれることも。


「52番でお待ちのお客さま」

「はい」


 やっと呼ばれた。

 いちばん近いカウンターだ。


「52番でお待ちの、大月さま……大月透おおつきとおるさまはいらっしゃいませんか?」


 気づいてもらえない。もう目の前に立っているのに。

 いつものことだ。やはりさっきの女の子が特殊だった。


「はい」

「っ……た、大変お待たせしました。学生証はお持ちですか?」


 声を出すか接触すれば大抵の人はこちらを向く。


 学生証はない。残念ながら中卒だ。結局バイトも見つからず、丸2年訓練ばかりしていた。いまどきめずらしくもない。


 約18年前。多くの人がダンジョン門の存在に慣れ始めたある日。

 世界各地のダンジョン門から大量の魔物が出てきた。

 魔物はゲーム的にいうとすべてがアクティブモンスター。問答無用で人を襲った。


 出てきた魔物は、やがては駆逐された。日本では主に自衛隊に。

 だからといって元通りになるはずもない。


 物価は上がり、税金も上がり、誰でもできる安全な仕事はなかなかない状況になっている。コンビニだって家族でやっているからと断られる。


 おまけに最も魔物被害にあったのは、避難誘導を試みた警察官たちだったという。拳銃数発程度では太刀打ちできなかったということだ。


 いまも治安は回復していない。

 特にこの辺、東京近郊はダンジョン門の数が多いためひどい有り様だ。


 殺人も多いが、行方不明の方が多い。俺にできるのは、さっきのようにたまに誰かを助ける程度。もし身内が巻き込まれたらと思うと気が気でない。


 学も金もない者の選択肢は、自衛隊でダンジョンに入るか、個人でダンジョンに入るかだ。


 俺は迷わず後者を選んだ。

 もともとダンジョンには入りたかった。魔物被害を出さないためなんて崇高な理由ではない。稼ぐため。


 個人を選んだのは、団体行動が向いていないと思ったから。俺だけスルーされるからな。


 本人確認を終え、簡単な説明を受けてライセンスカードをゲット。講習や犯罪歴の確認なんかは午前中に終えている。


 そのまま武器レンタルのカウンターでカードを提示し、槍を借りる。

 ちょうど身長と同じ180センチで穂先の大きいものを選んだ。反りのない両刃の薙刀を想像すると近いと思う。


 自動改札をぬけ、哨戒に立つ自衛隊員の横を通り、いよいよダンジョン門と初対面。


 実際目にするとデカい。

 大型トラックが楽にすれ違えそうなサイズの真っ白な門。有名な凱旋門のように独立して建っている。

 内側は黒というより闇。別に怖くは感じない。目を瞑ったときのまぶたの裏を見ているような不思議な感じ。

 人の出入りもそれなりにある。


 さて、行ってきます。


『ダンジョンへようこそ』


 やけにはっきりと女性の声が聞こえた。


 うっかり瞑っていた目を開けると、広い空間。中学の体育館より広そうな白い広間だ。

 振り返ると通ったばかりの闇がある。


 すぐ横の人がマイクを向けられインタビューを受けている。ダンジョン内は明らかに別空間なのに電波状況はすこぶる良いという。


 そうして辺りを見回していると、目の前に淡い光が集まってくる。前知識があるので驚きはしない。

 その光の中から出てきたのは、予想通り直径10センチくらいの輪っかだ。浮いている。


『ユーザーインターフェースを腕に装着してください』


 そそくさと腕を通す。

 これはダンジョンに入ると必ずもらえる魔道具みたいなものだ。人それぞれ色や模様が違う。

 俺のは黒地に青灰色の模様。

 するすると縮んで腕にピッタリになった。


『登録を完了しました。ここ210ゲートルームがホームとなります』


 そして視界にいろいろと表示される。数値の書かれた赤と青のバー、人型アイコン、カバンアイコン、紙に文字列のアイコン、マップ、時計。


 完全にゲーム画面。というか、ほぼダンシミュの画面と一致。

 ソーシャルゲーム、ダンジョンシミュレータ。通称ダンシミュ。


 元はダンジョン訓練用シミュレータ。実際に身体を動かして画面の魔物と戦うもので、通っていた中学に配備されていた。


 ゲームとは違う部分もある。このUIユーザーインターフェースは、見ようと思った部分だけがはっきり見える。いったいどうなっているのか。


 腕輪を外してみる。勝手に輪が広がって視界の表示が消え、着けると縮んで表示される。

 ためしに着けたまま意識を完全に離す。戦闘に支障があると困るので確認だ。


 ちょうどインタビュアーが俺の目の前を素通りする。なぜかカメラだけこちらを向いているが、別に俺を撮っているわけではないないだろう。


 ダンジョン内はみんなで監視が暗黙の了解。魔物が増えすぎればあふれ出すし、犯罪の温床でもある。それをいいことにカメラだらけ。ドローンも飛んでいる。


 ここは自衛隊がいて安全地帯になっているから余計かもしれない。


 どうやらUIが邪魔になることはなさそう。

 次はステータスの確認だ。

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