第2話:道端で天使拾った(2)

「わぁ〜!凄いです!」


 朔の家はどこにでもあるようなごく普通の家屋である。


 しかし、人間の家に上がる、という行為が天界暮らしの天使様にとっては極めて珍しい体験のようで、ものすごくテンションが上がっている。


 そのはしゃぎようは、まるで憧れの景勝地に初めて訪れた子どものようで、そのあどけない姿に朔は微笑ましく目を細めた。


 まあ、まだ玄関なんだけど。


「ちょっとそこに座って待ってて」

「分かりました」


 廊下とたたきの間、少し段差がある部分に座らせ、傷口の処置のために朔は急いで家の中へ。


 残念ながら朔の家には消毒用のアルコールは常備されていなかったので、濡れティッシュで代用することにした。


 もちろん消毒作用はないが、傷口を清潔にするだけでも大きな効果はあるはずだ。


 あとは───。


「あれは確かここに……あった」


 キッチンへ向かい、小さな棚の一番下の引き出しを引く。


 すると、棚の中に散らばった絆創膏がいくつか顔を覗かせた。


「あったのは良いんだけど……流石にこれを渡すのは……」


 棚に入っていた絆創膏。それには少し問題があった。


 それらを正しく表現するならば、かわいい動物の絵柄が描かれたポップな絆創膏、である。


 有り体に言ってしまえば、幼稚園児や小学校低学年児がよく使ってそうなあれ。


 まだ幼さの残る彼女には似合いそうな気がしなくもないが、何より渡すのが恥ずかしい。


 高校一年生の男子が持っているのがこの可愛い絵柄の絆創膏だけという事実。


 それを手のひらに握って一生懸命に持ってくる姿───。


 だめだ。恥ずかしい。


 引き出しの中を睨みながら三度深いところまでまさぐってみたが、他に現れたのは手を振っているペンギンさんとうさぎさんだけ。


「…………」


 僅かに逡巡した後、朔はくまさんとペンギンさんとうさぎさんを一枚ずつ握った。


 仕方ない。それしか無いのだから。


 安っぽい言い訳を心の中で重ねながら、玄関へ向かった。


 よく見る淡白なデザインのものがあれば考えることは無かったのに。


 今度、買い置きしておこうと心に決めた朔だった。


「ごめん。待たせた」

「大丈夫です。ところで何をしてたんですか?」

「足の裏、怪我させちゃったから手当の道具をね」

「手当……?気にしないで良かったのに……」


 大丈夫とばかりに手を振る彼女。


 きっと気を遣ってくれているのだろうが、朔の行動のせいで怪我をさせてしまった事実は変わらない。


 朔には傷の手当をする責任と義務がある。


「気にするから」

「本当に気にすることじゃないですから」

「はいはい」


 またさっきみたいにゴリ押しされても困るので軽く受け流す。


 リアクションが大袈裟な彼女にどこか違和感が残るものの、依然食い下がる彼女を無視して彼女の足の方へ回った。


「ちょっと染みるかもしれない。ごめんね」


 彼女のすらりと伸びる綺麗な足を軽く持ち上げ、丁寧に傷口を拭いていく。


「…………んっ……あっ」


 朔は何も考えないようにしていた。


 だって傷口の手当をしているだけだ。それ以上もそれ以下でもない。


 作業に感情の起伏は要らないだろう。


「……んっ……ちょっと……」


───なわけがあるか。


 鼓膜から脳の髄までを揺らす嬌声、僅かに見えてしまいそうな健康的な下肢の元の絶対領域。


 比喩でもなく目眩がしたとき、朔は本当に気が狂ってしまったかと思った。


「終わったよ」


 差程の仕事量ではなかったものの、その疲労感から朔は大きく息を吐いた。


「絆創膏を貼るね」

「かわいい絆創膏ですね。選んできてくれたんですか?」

「え?ああ……うん!似合いそうだったから」

「すごく嬉しいです!」

「そう言ってくれて良かったよ……」


 照れ隠しの嘘だなんて1ミリも思っていなさそうな純真無垢な笑顔に心が痛む。


 ぺり、と小気味の良い音を鳴らして絆創膏のカバーを剥がし、足の裏の傷口へと狙いを定める。


───が、そこで朔は硬直した。


「傷口が……無い?」

「当然です」


 朔が恐る恐る顔を見上げると、彼女が口を尖らせて不機嫌そうにそっぽを向いていた。


「だから大丈夫って言ったでしょ?天使は回復が早いんですよ」

「そうなんだ……凄いね」

「天使ですから!」


 一転、羽を広げて誇らしげに胸を張る彼女に朔は苦笑した。


───だったら先に説明してくれても良かったのでは?


「そうだ。これからどうするか話し合わないと」

「家事当番とか掃除当番とかですね!大事なことです!」

「そうじゃなくて」


 もっと根本的で今後に関わる重要な問題だ。


「───君がどこで生活していくのか、だよ」


 朔がそう言い切ると、分からないと言った様子で彼女が首を傾げた。


「ここで一緒に生活するんですよね?」

「え?」

「え?」


 目を見合わせて、一瞬時が止まる。


 わざとらしく咳払いをし、朔が口を開いた。


「うちに住んでいいとはまだ言ってないし……」

「でも家まで連れてきてくれたじゃないですか」

「それは緊急事態で……」

「じゃあ大丈夫って言ってくれたのは嘘なんですか……?」

「それは……」


 思い返せば思わせぶりな発言をしていた手前、言葉に詰まる。


 期待だけさせておいて、なんてみたいじゃないか。


 自分もそこまで成り下がってしまったのか、と朔は思わず顔を顰めた。


「ごめんなさい。迷惑でしたよね。泣きついて無理を言って」

「いや、違う」


 数秒の静寂の後、朔は俯きがちな彼女の顔を覗く。


 考えてみれば不自然だったように思える。


 朔は自分のことをどちらかと言えば、感情の起伏が少なく合理的な判断を下すタイプだと思っていた。


 道端のダンボールに捨てられている天使なんて面倒くさそうな問題には関わるべきじゃないと今でも思う。


 けれど現実はそうじゃない。


 彼女と出会って、話して、助けたいと思ってしまった。


 それはきっと「何か」を感じたからだ。


 今は感覚の名前なんて分からない。


 いや、知らなくてもいい。


 一言。たった一言を口にできる勇気さえあればいい。


「……うちに住まないか?」


 めちゃくちゃ声も震えていたし、笑えてしまうほどにダサいプロポーズだ。


 でも、それでいいんだろう。


「喜んで!」


 満面の笑顔を咲かせながら、差し出した手を優しく包み込むように握り返してくれた彼女。


「まだ名前を聞いてなかったね。俺は天沢朔」

「マリアです!」

「よろしくね。マリア」

「はい!こちらこそよろしくお願いします!朔さん!」


 

 こうして俺は、道端で天使を拾った。

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