ボトム・オブ・ラビリンス

きめら出力機

#1F 翡翠眼の魔物

──固く閉ざされた暗い空はいつも僕らに夢を見させる。暖かい寝床。安全な食事。信頼できる仲間。

目が醒めてる時は殺し合ってしまうけど、この時間だけは皆、示し合わしたように息を潜めて孤独に沈んでいく。

それが僕らの、この世界で生きるための約束事。僕らはまた今日も夢を見続ける。幸せな夢を。

でもそれは夢であって現実じゃない。朝が来たら、また──



 暗闇の底で目が醒めると考えるよりも先に辺りを見渡す。どうやら今日は寝込みを襲われずに済んだらしい。

ほっと胸を撫で下ろして眼を床に向けると昨日、抱き枕にでもしようと持ち帰っていた中ぐらいのワームが転がっている。

朝のハグをしようと音を殺して近づくと、怒り狂ったワームは飛び掛かかろうと突進してきたが、僕はそれをすかさず横に蹴り飛ばして壁に叩きつける。そして、そいつの喉元に右腕の鎌を突き立てて息の根を止めた。

(折角、仲良くなれると思ったのに…惜しい事をしてしまった)

後悔の念が少し湧いて来たが、構う事なく僕は横たわるワームの腹に齧り付き、内臓の味を堪能する。

これが、これこそがこの世界の朝なのだ。

***

僕には生まれ付き、2つの能力があると恩人の「マザー」が話してくれた。

(…コイツ、やっぱり僕の事好きじゃなかったのか…)

一つ目の能力は食べた生物の記憶をそのまま手に入れることができるという能力。

(そういえば…左腕、昨日食べられてたな…しょうがない。ワームので良いか)

二つ目の能力は自分の身体のパーツを食べた生物のパーツにすることができるという能力だ。

能力を使うと失われていた左腕が次第に気味の悪いワームの丸っこい腕に変わっていった。

(やっぱり不恰好だな。…まぁ仕方ないか)

二、三度腕を振り回したり物を掴んでみたりしてから寝床から出て、日課の食料集めに行く。

***

僕の言うマザーは母親を意味するとかの深い意味の言葉ではない。

ただあの人が自分自身の事をそう呼んでいたから僕も真似をしてそう呼んでいると言うだけだ。

マザーは地上と呼ばれる所から来た賢者とかいう職業の人間とかいう謎の生物らしいが、僕はあまりその辺について詳しくはない。

ただ、彼女は死にかけていた僕に生き方を教えてくれた…僕にとっては母のような存在なんだ。それだけは間違いない。

(今日はワーム以外なら何でも良いかな)

適当にそこら辺に生えていた茸を適当に切り落として口に入れる。この茸の旨味と甘味が口に広がりなんとも言えない幸福感を覚える。

思えば今、食べている茸が毒のない茸だって教えてくれたのもマザーだった。

(…なのにマザー。どうして僕を置いていったの?)

8年前。マザーは僕に簡単な別れの言葉を残して、地上まで続く巨大な縦穴の前で姿を消した。

そうして、僕は無情にも暗い地下の世界で独りぼっちで取り残されたのだ。

それが悲しくて寂しくて、初めて僕の複眼から大粒の涙を流れたのを覚えている。まぁ…と言っても僕はもう既に一人で生きていける力を手に入れているし、あれから8年も経つわけだから泣いていたのもだいぶ昔の話だ。

それに僕が今、こうして生きているのはマザーのお陰なんだ。

だから僕はマザーに感謝しているし、ずっと待ち続けているんだ。再び会ってまた一緒に暮らす日を……。


***

入り組んだ道を右や左に進みながら、迷宮を散策していると複数の生物の行動音が聞こえてくる。

(……この足音、ニ足歩行の生物かな?)

少し身構えながら確認すると、そこには背丈がマザーと同じくらいの二足歩行の怪物が4体歩いていた。

(こいつら…初めて見るやつらだな)

彼らに気付かれないように背後から忍び寄り、隙の大きい首筋に鎌を突き立て、吹き飛ばす様に振り抜く。

断末魔を上げる暇もなく怪物は息絶えて、僕はそいつらを貪り食らう。

(……これは美味だな。…ッ!?)

『よぉ!ジェイク!お父さんが帰って来たぞ』

『ジェイク!ナイスアシスト!お陰で助かったぜ』

『ジェイク…冒険者になるのは良いけど、たまには家に帰ってくるのよ?お母さんは心配です』

『いやぁ、お前を仲間に誘って良かったよ…本当に』

突如として経験した事のない懐かしさが僕の心に込み上げて来て、思わず声を出して取り乱す。

「お、俺が食べたのは!?まさか…人なのか!?」

俺の背中ではジェイクという男の仲間が仇を討とうとジリジリとにじり寄るのが感覚でわかった。

剣が俺目掛けて振り下ろされるその瞬間、俺の身体は今までの昆虫紛いの姿からマザーやこの男と同じ人間の姿へと変化する。

暫くして俺は4つの引き裂かれた屍の上で、別れ際にマザーが話した忠告を思い出していた。

──他のどんな生き物を食べたとしても、人間だけは食べてはなりません。別に…意地悪で言うのではありません。食べてしまうときっと貴方の頭が人間になりたい、もっと人間の記憶が欲しいと思ってしまうからです。人間には貴方の欲しい幸せがあるのですから──

「…マザーが言っていた事は正しかった。俺は、コレが欲しい。もっと…」

***

それから俺の日常は食料探しの上に人間狩りが乗っかる様になっていた。

人間は武器や防具、果てには高度な魔法を使ってくる訳だから俺の身体は戦う度に徐々に最適化されていき、今となっては眼を瞑っていても自由に肉体を変化させられる様になっていた。無論、能力を磨くだけでなく人の使う武器(特に剣や槍)や魔法についても研究を重ねていったために今では殆ど敵なしだ。だが、それでも俺は未だに人間を食する事に強く、無意味な抵抗感がある。

「きっと、俺の中に人の記憶があるからだ…それが食する上で邪魔になっている」

しかし、人の記憶の中にはどうしても抗えない暖かな魅力がある。

例えどれだけ拒み、罪悪感に苛まれようとそれでも欲しいと思ってしまうほどの魅力が。

「マザー…貴方が俺に幸せを与えて…そしたら人から奪う必要も無くなる…」

「なぁ。お取り組む中のところ、ちょっと良いかい?」

俺の気持ちとは対照的な明るい声のする方向にゆっくりと顔を向けると、手を頭の後ろで組んだ青髪の青年とその後ろで縮こまっている白髪の少女が此方を見ていた。

「俺はマーク。依頼で1Fの状態調査に来てるんだ。なんせ、最近行方不明の冒険者が多いんでね…」

少女の制止を気にせずにマークは続ける。その発言を聞いて、俺は警戒しながら返事を返す。

「そうか。お互い、大変そうだな」

「ああ、本当にな。…あぁ、そうそうこっちは俺の部下のドロレス…」

他愛のない会話をしながら俺は絶えず奴らの装備を確認する。

少女…ドロレスは杖を持っているから魔法職らしいが、何故か斧も持っているので判断が難しい。

マークの方はマントの下に幾つかの武器が見える為、此方も得物の判断が難しい。恐らく背中のクロスボウガンを得意としてそうだが。

「所で、アンタの服…随分汚れているな。まるで、血の色みたいに」

言葉を発したマークの口元がニヤリと歪むと右手がクロスボウガンを迎えに真っ直ぐと伸びる。

やはり、コイツら。俺にアタリを付けて話しかけていた。

奴の懐に飛び込もうと抜刀して急いで駆け込むと、奴は左手で鞭による横薙ぎの攻撃を繰り出し、それを受け流しがてら左腕に斬りかかると奴は素早く身を屈めて躱すと、俺の腹部目掛けて蹴りを放つ。それを予期していた俺は後方へ飛び退くと、奴も矢で追撃してくる。

「ドロレス!【ファイア】だ!当てなくても良いからとにかく撃て!」

マークがそう叫ぶと、彼女は慌てて杖を構えて詠唱を始める。

俺は彼女の行動に一瞬、動揺したが、魔法の危険性は今までの戦いで嫌というほど身に染めているので彼女を阻止することにした。

「…よし。新型の矢を試すか」

突然聞こえた衝撃音を境に身体が思う様に進まなくなり、不審に思って振り向くとボウガンから放たれたワイヤー付きの矢が

右腕に巻き付いていた。ワイヤーに引っ張られ、奴の方向へ強引に引き寄せられると、そのまま密着戦が始まる。

すかさず右脚と左腕を鎌に変化させて挟み切ろうとすると、ボウガンのワイヤーが放たれて今度は強引に距離を離される。

「折角だし、この付け焼き刃も喰らってけぇ!!」

ワイヤーの下に隠れていたボウガンの刃が俺の身体に突き刺さる。

流石に声にならない程の激痛が全身に渡って支配していく。だが、コレはチャンスだ。

今度は四肢を全て鋭い針に変化させて一斉にマークの心臓を襲う。

これには流石のマークも反応が遅れた様で、咄嗟に反応する事もできていない。

「勝った!俺の勝ちだ!!」

勝利を確信したのも束の間、背中に熱い感触を覚え、その後直ぐに全身に火傷の様な激痛が走る。

忘れていた…敵はマークだけじゃなくて…アイツも……

***

「ドロレスも!!」

「な、なに!?」

俺が無意識から眼が覚めるとそこは知らない天井、知らない部屋が出迎えた。

「ね、ねぇ?見渡してないでなんか言ってよ?」

声がする方に振り向くと、何故かそこにはさっきまで殺し合っていたドロレスが落ち着かない表情で座っていた。

「どうして、ここに?」

質問に対し、ドロレスはああ、と一言置いてから答える。

「マークが貴方を連れて来たのよ。なんでも仲間にしたいんだって」

「仲間…」

「そう。貴方、結構強いし…報酬に対して苦労が釣り合ってなかったから追加の報酬として貰うって言ってたわ」

「…言いのか。俺は沢山人を殺して来たんだぞ」

ドロレスはマザーが時折、見せていた様な神妙な顔で返事をする。

「別に良いと思うわ。私達だって沢山魔物を殺して来たもの」

彼女の返答に俺は暫く何も言えずにいると、部屋の扉が開いてマークが入って来た。

「どうだ?ドロレス。そいつ…仲間になりたいって言ったか?」

ドロレスは首を横に振って残念そうに「ううん」と、一言だけ言ってこっちに向き直って眼を合わせてくる。

だが、マークは予想に反して嬉しそうに笑うと俺に向けて話し始める。

「じゃあ、俺も交渉出来るな…君、名前は?」

「名前…分からない。多分、無いと思う」

「じゃあ俺が付けても良いかな?…別に名前を貰ったからって絶対仲間にならなきゃいけないって訳じゃないからさ」

「うん。わかった」

「よし。良い名前……そうだ「ネオ」なんてどうだ。新しい世界を見るんだったら悪くない名前だろう?」

「ネオ…」

「そう!…どうだ?」

「ずっと欲しかった…俺の名前…」

***

ベッドから起き上がると俺はドロレスに連れられて仲間が待っているという酒場へと向かった。

「にしてもマークって無責任でしょう?ネオの装備を買いに行くって言って全部私に丸投げしちゃうんだから…」

彼女は愚痴を話すように話しかけてきているが、俺はというと初めて見る地上に圧倒されて何も返事すらできずにいた。

「ドロレス。凄い…食べ物が沢山、並んでる。武器もだ」

「はいはい…あっちには魔導書が並んでおりますよっと…」

「本当だ!ドロレス凄い…夢みたいだ!」

彼女は俺の言葉に呆れながら返事をするが、今の俺にとっては大して気にならない。

いくつかの店で足を止めながら暫く歩いていると冒険者ギルドと書かれた一軒の店に着く。

「結局、いつもの店か…うん?ネオ、どうしたの?」

「いや…アレって料理で合ってる?…食べて良いのかな」

「…中で、メニューでも見よっか」

「メニュー…?まぁ、うん」

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