第2話 黒崎明日菜、至福の時

夕日が差し込んで室内がオレンジ色に染まる、そんな中で珈琲を淹れる準備をしている鉄先生の後姿を、ニヤニヤとしながら眺める。


「はぁ~癒される~」


いかん、いかん。トリップしかけた。プルプルと頭を振って気合いを入れ直す、こんなだらしない顔を先生に見せるわけにはいかない。自然に、自然に。



「しぇ、先生、今日はどんな珈琲なんですか?」


あ、やばいちょっと噛んだ。


「今日はブラジル豆です。知り合いが航空便でニュークロップ (新豆)を送ってくれてね、浅めに焙煎したのがあるから試してみてください」


「へぇ~。生豆(きまめ)で貰ったの? 飲んでみたい!!」


「はいはい。ちょっと待っててくださいね」


カウンターの奥でカラカラと電動ミルに珈琲豆を入れてスイッチを押すと、ゴギャギャギャーと煩い音をたてる、この大きな音には毎回ビクッとさせられる。

この美術準備室には電動ミルや焙煎機まで揃っている。と言うかカウンターが有るっておかしくない?

イーゼルや石膏像が無ければ喫茶店としか思えない空間。もはや喫茶店に石膏像が置いてあるみたいな不思議な空間、美術室喫茶かよ!!


流れるような手つきで、ドリッパーに挽いたばかりの珈琲粉をセットすると、挽きたての何とも言えない香りがコチラまで届いてくる。

あぁ、なんとも至福の時間だろう。鉄先生 (頭の中では鉄先生って呼べるんだけどな)が私だけの為に珈琲を淹れてくれている。

使い込まれた細長い注ぎ口の薬缶(やかん)を起用に操り、クプクプと熱湯を珈琲粉に回すようにかけていくと、温められた珈琲からポンと香りが爆発を起こして部屋中を強い香りで満たして行く。

湯気で少し眼鏡が曇ったのか、先生がちょっと目を細める、その姿がまたかわいい。じゅるり。

あれ? これってお父さんのことを惚気る時のお母さんみたいになってないか、私。

いかん、よだれ、よだれ。



「はい、お待ちどうさま」


コトリと目の前に置かれる、私専用のマグカップ。黒猫のイラストがワンポイントで入った、少し大きめの真っ白なマグカップ。

私の為に先生が買ってきてくれた物だ。このカップがあるおかげで、先生に私がここに来ていいよ。って言われてるみたいに思える、私の今一番の宝物だ、凄くうれしい。

カップを顔に近づけ少しカッコつけて香りを楽しむ、そっと口に含めばカップの中の澄んだ琥珀色の液体が喉を通っていく。


「美味しい。……爽やかな酸味。今日は暑かったから、ちょうどいい感じ。確かに、この豆だと深煎りするより、浅煎りの方が合う気がするね」


先生の淹れてくれる珈琲は、本当にいつも美味しい。

私の好みも体調も全部見透かすように、その日その時、一番美味しい珈琲を出してくれる。

やだっ、この以心伝心ぶり、まるで長年寄り添った夫婦のようじゃない、キャー!!


「おっ、嬉しいな。それが分かるようになったなら、この6ヶ月の教育も無駄じゃなかったですね」


ニコッと鉄先生が微笑んでくる。キャー駄目、せめて窓から離れて! 眩しくてお顔が見れない!!




コンコン。



「ん、誰か来たのかな?」


誰だ、この2人だけの至福の時間を邪魔する不届きな奴は。




※珈琲はハイロースト(深煎り)よりミディアムロースト(中炒り)が好きです。

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