幕間 俺が守るべきもの

「噂以上の男だな、武田太郎」


 俺は部屋を出て行く千代を見送ってから、武田に賞賛を送る。


「精神の面にしろ、身体の面にしろ、見事な胆力だと舌を巻く他ない。忠臣の手前であったからであろうが、よくもそんな風に毅然と振る舞えるものだ」


「・・己の好処がそれだけ故」


 武田は小さく肩を竦めてから、ゴホッと咳を一つ零した。


 武田太郎、会ってすぐに噂以上の鬼才だと分かったが。もう先が長くないと言うのは噂通りらしい。この男の身体は、病に冒され尽くしている。千代には悪いが、余命幾ばくも無いであろう。


 もって、あと半月と言った所か・・。


 俺は奴の心臓部から目を逸らし、精悍が削られつつある顔を見据えた。


「天影ならば、その病、何とかなるかもしれぬぞ。奴には不治の病でも治せる手がある」


「昨日天影殿にも同じことを申された。何ともありがたき話になるが、辞退仕る」


 予想外の断りに、俺は「何だと?」と、やや目を見開いてしまう。


「もう生きたくないとでも言うのか?いや、我らの事が信じられぬからか?」


 飲み込みきれなかった衝撃と怪訝を露わに訊ねると、武田は「いやいや」と崩した相好の前で軽く手を振った。


「心根を申せば、そのありがたき手を取りたいところ。しかし、尽きる命を無理に繋ぎ止め長らえるのは、天命に背くと思いましてな。余命幾ばくもなかろうと、これが己の天命であったと受け入れる方が大往生と言うものでありましょう」


「・・成程。大した人間だ」

 幾年と生きてきたが、お前ほどの者はおらぬな。と、俺は独り言つ様に告げる。


 武田は俺の言葉を聞くと、「ちと大仰が過ぎるお言葉ですな」とカラカラと笑った。


 その太い笑みで、俺は「やはり大した人間だ」と感服する。


 そして「武田」と自分が久方ぶりに認めた男の名を呼び、ニヤリと口角を上げた。


「もう諂って物を言う必要は無い。俺とお前は対等だ」


 武田は目を大きく見開いてから「かたじけない」と、喜色を浮かべながらパンと膝を打った。


「先の短い命であるやもしれぬが、何卒よろしく頼む」


 深々と下がる頭に、俺は堅く頷いたが。すぐに「あと」と、武田の口から言葉が続いた。


「千代の事も、どうかよろしく頼みたい」


「・・どういう事だ?」


 少々言葉に詰まりながら訊ねると、武田は弱々しい笑みを浮かべる。


「千代には、そろそろ自由を返したいと思っていた所だったのだ。アレはワシが幼少の時に見込み、間者として育ててきたせいで、未だに浮いた話の一つもなくてな。十八と花盛りの年頃にも関わらず、日々間者として危険な橋を渡るばかりよ」


 物憂げに紡がれる言葉に「成程、そういう話か」と、冷静に達観する自分も居たが。

 大半の自分は「あの青狸め、余計な事を吹き込みやがったな」と、天影に対して激しい怒りと憎悪を抱いていた。


 しかし今は千代の主君であり、大切に想っている者の手前であるから、いつもの様に振る舞う訳にはいかない。


 俺は苦虫を噛み潰した様な面持ちで「いや、分かっているとも」と、滔々と続く言葉に耳を傾けていた。


「他ならぬワシ自身がその道を千代に強いて、千代の幸せを奪い続けていると。しかしワシは千代の事を大切に、それこそ娘の様に思うているのだ。故に、千代には多幸であって欲しい。その為にワシが出来る事があれば、どんな事でも力を尽くす所存なのだ」


 武田の口調に熱が籠もり始め「故に、頭目殿」と、熱い想いが乗せられたまっすぐな眼差しで射抜かれるが。


 俺は先の言葉を言われる前に、スッと片手を挙げて武田を制した。


 そして口を半開きにして固まった武田を見据えながら、「案ずるな」と口ごもりながら告げる。


「・・俺は、そのつもりでいる」


 重たい口で明かした未来に、目の前の武田は唖然としていたが。じわじわと驚きが瓦解し、ゆるゆると顔が綻び始めた。


「左様か、左様であったか」


 噛みしめる様に独りごちながら、俺を柔らかく、そして温かな眼差しで見つめる。


 それが堪らなく己の羞恥を刺激した。そればかりか、ぶわりと全身の血が沸騰する様な心地に陥る。

 ギュッと拳を堅く作り、押し寄せる荒波を痛みで紛らわせてから「良いのか」と、ぶっきらぼうに打ち返した。


「俺は人間では無い、鬼だ。妖怪なのだぞ。そんな奴の元に、娘同然に思っている女を寄越して良いのか」


「無論だ、アレもそれが望みだからなぁ。大いに喜びながら其方の元に参るぞ」

 目に浮かぶわ。と、武田は顎に手を当てながら満足げに独り言つ。


「随分と強く言い切るものだな。向こうの心はどうだか分からんと言うのに」


 俺が憮然として答えると、武田は「分かるとも」と先程よりも力強く言い切った。


「主君として、父として、ワシは千代を長く見て来たのだから。他ならぬ其方でないと、千代は幸せになれぬ・・そう、分かるとも」


 己の羞恥が痛みを軽々と越え、ザパアッと押し寄せてくる。


 何とか「そうか」と吐き出したものの、内側の俺は縦横無尽に転げ回りながら「うがあぁぁっ!なんだ、この居たたまれなさは!」と発狂していた。


 だが、「頭目殿」と呼ばれる声で、のたうつ内心からハッと我に帰る。


「千代をよろしく頼む」


 武田は毅然と告げると、深々と叩頭した。


 その姿が、誰かとピタリと重なる。


 二つに重なった姿に、俺は「もう一人は、誰だ?」とキュッと眉根を寄せてしまいそうになったが。ゆっくりと閉ざした瞼裏に映る姿で思い出した。


 あぁ、そうか。アイツだ、晴明だ・・。


 懐かしい束帯姿を目にし、もう遙か昔となってしまった「かつての記憶」がまざまざと蘇る。


 思い出してみれば「紫苑を頼むよ、いばな」と晴明に頭を下げられていた事があったな。


 そして俺は奴に誓いを立てたのだ。必ず紫苑を幸せにする、と。

 ・・だが、俺はその誓いを守る事が出来なかった。それも、誓いを立てた翌日に破ってしまった。いや、破らされた・・のか。


 俺は蘇る苦い記憶をもう一度閉ざしてから、畳に付いた己の拳に目を落とした。


 今再び、好く女が慕う人間から「頼む」と言われているが。ここで誓いを立てても良いのだろうか。

 誓いを立てた所で、また破る事にならないだろうか。

 今度こそ引き裂かれる事なく、隣を歩み続けられるだろうか。


 不安が生命を宿して、身体中をもぞもぞと気持ち悪く蠢動する。


 ギュッと指を更に丸め込み、俺は手の平に深々と爪を突き刺した。


 


 だから今度こそは守れるであろう。


 俺は、蠢く不安を噛み潰してから「武田」と、名を呼んだ。

 そして面があがった武田の目をまっすぐ見据えてから「約束しよう」と毅然と告げる。


「死が分かつまで共にある、と」


 俺の誓いを聞いた武田は独り言つ様に言った。


 「頼む」と、ただその一言だけを。満足げに、どこか少し哀しげに告げた。

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