七話 一方通行の想い(2)

 翌日、宵が深まる酉の刻頃。私はいばなを前に「あのね」と意気込みながら切り出す。


「実は、私、ただの歩き巫女じゃないの。くノ一であり、武田家当主の太郎様に仕える間者なの」


「武田太郎?・・あぁ、甲斐の風雲児か。しかし風の噂で、病に伏せり先が長くないと聞いたが」


「病に伏せったと言うのは、残念ながら真の話なのだけれど。先が長くないと言うのは嘘よ。親方様は病なんぞには負けぬお方だから、直に以前の様に壮健なお姿になるわ」


 いばなの言葉で信濃に居る親方様を思い出し、親方様の無事を祈りながら答えてしまうけれど。ハッと我に帰り「そうじゃなくて!」と、流れを本来あるべき正しい方向に戻した。


「大事なのはそこじゃないわ!間者なの、私は送り込まれた間者だったのよ?!」


 愕然としながら訴えると、目の前のいばなは「そうか」と淡々と答える。私の勢いに押され気味になってはいるものの、彼は平然としていた。


 驚かれるか、間者だったのかと怒鳴り散らされる事を予想し、怖々と構えていた私は、この飄々とした反応に呆気に取られてしまう。

 私はぶんぶんと首を振ってから、「いばな」とずいと前屈みになって彼に近づいた。


「・・あの、間者って言うのはね」


「教えてもらわんでも分かるわ!」


 馬鹿にしすぎだ!と、牙をむき出しにして怒鳴るいばなに、私は「ご、ごめんなさい」と素直に謝り、引き下がる。


 いばなは「全くだ」と憤慨してから、「俺はそんなにも阿呆でうつけだと思われているのか」とか何とか、ブツブツと文句を垂れ流し始めた。


 私は滔々と流れ出る呪怨じみた言葉を「あの」とバッサリと遮り、声をかける。


「怒らないの?間者だったのかって」


 恐る恐る吐き出した問いかけに、いばなは怪訝に眉根を寄せてから「別に」と、堂々と答えた。


「間者として何も果たしていない者に、実は間者だと打ち明けられてもな。反応に困るだけだぞ」


 はぁと嘆息すると、「いや、待て」と、治りかけている手で膝をパンと軽やかに打つ。


「お前の方こそ、間者と言う者が何たるか知っているのか?」


 大真面目に訊かれる問いに、私は「当たり前でしょう!」と噛みつく様に答えた。


 いばなは私の答えに、口角をくいっと意地悪く上げて「そうだったか」と引き下がる。


 私は目の前で零される意地悪い笑みにムッとしてしまうが。己の猜疑心が、すぐに溜飲を下げさせ、彼に「本当に責め立てもしないの?」と弱々しく訊ねさせた。


「私は百鬼軍を探り、信濃への進軍を止めさせる為に送られた間者だったのよ。だから始めは」


「始めは、だろう?」


 いばなは問答に半ば辟易しながら答えてから、私の目をまっすぐ射抜く。


「今のお前は違う」


 その悪戯っ子の様な微笑みに、クックッと面白そうに告げる言葉に、そして柔らかくて温かな声音に、私の全てが己の役割を捨てて惚けてしまった。


 そんな状態に陥っている事に気がついていなかったのか、敢えて触れない様に無視したのか。よく分からないけれど、いばなはまるで何もない様に言葉を続けた。


「しかし、お前が間者と言う立場であるならば、だ。何らかの手柄を持っておらんと主に顔向けも出来ぬし、帰郷する事も出来んだろう?」


「・・えぇ、まぁ、そうね」


 急に振られた真剣な問いかけでハッと我に帰り、訥々と答えると。いばなは「よし」とパンッと力強く膝を打ち、ボッと手の平に鬼火を出した。


 私の勾玉と同じ色である千種の鬼火はゆらりと揺れると、ヒューッと一人でに飛んで行ってしまった。


 それから間も無くすると、微笑を称えた天影様が私達の前に颯爽と現れる。


「邪魔をするなと皆に厳命を下していた君が、邪魔者である私をわざわざ逢瀬の場に呼びつけるなんてね。一体、何事かな?」


 逢瀬の場と言う単語に、私はカーッと羞恥に悶えてしまうが。隣のいばなは、一気呵成で「喧しい」と直ぐさま一蹴する。


「天影、今すぐ武田太郎の元に行け」


 力強く言い切った命令に、私は「えっ?!」と素っ頓狂な声を張り上げてしまった。


 けれど、鬼二人はそんな声を歯牙にもかけず、平然と言葉を交し続ける。


「それは別に構わないけれど。それなりの話がないと、太郎殿には会えないよ。彼はおいそれと会える人間じゃないからね」


「だから百鬼軍が武田領の守護に当たるとでも言え」


「あぁ、それならば彼に会えるね。分かった、そう伝えに行くよ」


「天影。お前の事だ、ぬかりはないと思うが。其方に送られた間者の手柄だと言い忘れるなよ」


「それは勿論、承知しているよ。そうしたら今から行ってくるけれど、天丸か空牙を連れて行っても良いかい?私の足よりも早いほうが良いだろう?」


「・・天丸を連れていけ。アレの方が人間を前にしても大人しいし、人間共にも喧しく騒ぎ立てられんだろう」


 天影様は「分かった」と、にこやかに答えてから颯爽と消えてしまった。


 あっという間に話が纏まってしまったけれど。私の理解はまだいばなが天影様に親方様の元に行けと、命じた所で止まっていた。

 ちっとも前に進まない理解で、流暢に交された話をじっくりと飲み込んでいく。


 そして何とかゴクリと全て飲み込めた時は、天影様が去ってから優に数分は経っていた。


「・・親方様の味方に付いてくれるの?」


「遅い」


 淡々とした突っ込みがズバッと入る。


 いばなは「やっと何か言うと思ったら、まだそこか」と嘆息してから、「そうだ」と力強く答えた。


「これでお前は堂々と戻れるし、身を案じている武田にも早く会えるだろう?」


 フッと笑みを零されて告げられる言葉に、私の胸はじぃんと打たれて感極まってしまう。


 感動が込み上げる胸に手を添えながら、わなわなと震える唇で「いばな」と彼の名を呼んだ。

 そしてギュッと震える唇を噛みしめてから「本当に良いの?」と、いばなの目を不安げに見つめる。


「私としては言葉に出来ぬ程に嬉しい提案なのだけれど。一部の妖怪達は反対すると思うの。だから反旗を翻す、なんて言う事にもなりかねない気がして」


「その時はねじ伏せるまでだ、が。そもそも奴等には、俺に反駁する力も能もないからな。俺の命がなんであれ従う他ない」


 暴君極まりない言葉を力強く言い切ったいばなに、私は思わず言葉に詰まってしまったが。「そ、そう」と弱々しく答えてから、いばなの横に移動して座り、そしてとんと頭を彼の肩に乗せた。


「ありがとう、いばな」


 囁く様に告げると、いばなは言葉を返さずに、ふんと鼻を鳴らす。


 ・・全く。いばなは本当に素直じゃないし、本当に不器用な人だわ。そんな恩に着せる様な態度じゃなくて、優しい態度で「気にする事はないぞ」位言ってくれても良いのに。

 なんて心中ではやれやれと呆れ、ツンとしていたけれど。それは全て本心じゃない様に聞こえた。


 だって、今の私はこんなにもたまらない愛おしさに、ふわりと優しく包まれているのだから。

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