第31話 今年もこの季節がやってきたのですわ!

ショーケースに詰まっているのはショコラじゃない、僕の愛と夢が詰まっているんだ。



マリエル・リンドマンと言えばチョコレート業界では知らないも者が居ないほどの大成功を収めたショコラティエだ。ショコラの激戦区ニューヨークのソーホーで頭角を表すのは並大抵の才能だけでは足りない。そこには強運(ラッキー)が絶対に不可欠だ。そして成功しても情熱を忘れない心も。


3ヶ月前にパティシエを目指しシカゴからニューヨークに出てきた僕は、運良く憧れのマリエル・リンドマンのショコラ店に就職出来た、入ってみれば雲の上の存在であるマリエル店長はとてもフレンドリーで凄く丁寧にショコラ作りを教えてくれる、先輩達も腕は確かなのに威張る事はない、とても温かい感じのお店だ。


しかし高級店だけに時たま変な客が来る事がある、今日はそんな2月のある1日の出来事だった。



モコモコのフェイクファーが付いた豹柄のコートを着込んだ派手な娘が、血走った目をしてショーケースにベタリと張り付いている。

新人の僕はその娘の奇行見て眉間に皺を寄せた。ちょうど先輩達が休憩に入って一人で店番をしていた矢先の出来事だった。自分の運の悪さを恨んだ。


「何、この娘、怖いんだけど、早く帰ってくれないかな」


「くぅ〜〜っ、このピスタチオのまぶし方センスがいいですわ、あ、こっちのガナッシュも美味しそう!店員さん、これとこれとそのピンクの、あ、ついでにその上の列、一つづつ試食させてくださるかしら」


「え、そんなに!」


おいおい、そんなに大量に試食なんてさせたら先輩達に怒られちゃうんじゃないか?


「お、お客様それ全部ご試食なさるんで?」


「あ、そっちの端の奴もいただけます、そう、そのバラの形の奴ですわ」


「うわ、追加された!」




カロン♪


「う〜〜、サブサブ!ん、エリカじゃないか!いらっしゃい」


「あ、マリエル店長!」


「お邪魔してますわ」


え、店長の知り合い?こんな小娘が。店長が俺の持っていたトレーに並んだショコラを見てニマリと笑顔を見せる。え、どう言う意味の笑み?


「どう、エリカの眼にかなったショコラはあったのかな?」


「ん〜〜〜っ、そうですわねコレとソレは特に気になりますわ」


店長の問いに俺が持っているトレーのショコラを適当に2つ指差す。


「うん、わかった!その二つはいっぱい作るとしよう」


な、こんな小娘の言葉一つで増産なんて。


「えっ、て、店長それは、余ってしまう可能性も」


「大丈夫!エリカの目に狂いは無いよ、ベンジャミン君材料の発注をお願いね」


「そう言えば見ないお顔ですわね、新人さん?」


「あぁ、ちょっと前に店に入った新人のベンジャミン君、テンパリングは結構上手いから将来が楽しみな子だよ」


「あら、よろしくお願いしますわ」


「ベンジャミン君、こちら西園寺エリカちゃん、この店のオーナーだよ」


「はへ?」


そ、そう言えばこの店のオーナーは、日本人と聞いた事が。え、でもこの娘どう見ても高校生ぐらいじゃ?

僕が首を傾げているとエリカちゃんが握手の手を伸ばして来ていた、あわててトレーをカウンターに置いて僕も手を伸ばす。


キュッ


手を握った瞬間、向けられた笑みに身体が固まる、さっきまでショーケースにベタリと張り付いていた時とは別人のような雰囲気になっている。まるでどこか貴族の御令嬢だコレ!


「よ、よ、よろしくです、オーナー!」


うわっ、声が裏返った、恥ず!


「ふふ、頑張ってくださいまし」


僕は急に気恥ずかしくなって、先程の発注を理由にあわててその場を後にした。



「ふふ、若い若い」


「おじさんくさいですわよマリエル」


「もう、立派におじさんだよ」





「来るなら電話でもメールでもしてくれれば、迎えを出したのに」


マリエルが店の外に目を向ければさっきより吹雪いていた、この時期のニューヨークは天候が変わりやすい。


「相変わらずニューヨークはクソ寒いですわ!寒くてひもじいと人間は死にたくなりますわ!」


「そりゃ、エリカがこの時期にしかこの店に来ないからだよ、あったかいココア飲む?」


金色の缶からココアをカップに入れると少しお湯を注いで自ら練り始めるマリエル、さらにお湯を足し注いで首を少し傾げる、そしてショーケースの中から1粒ショコラをつまんでポチャンとカップに沈めた。


マリエルから湯気の昇るカップを受け取る。フワリと甘い香りが鼻腔をくすぐる。


「あ、美味し」


一口飲むと元気が出たのかエリカはキッとマリエルを睨んだ。


「マリエル、知ってます?日本のバレンタインは特別なスペシャルデーですのよ!ショコラを誰に遠慮することなく食べれる日なんですのよ、そんなめでたい日に美味しいショコラが欲しくなるのはあたりまえじゃなくて」


「あれ?たしか女性が男性にショコラを渡して告白する日じゃなかったけ?」


「いつの時代の話をしてますの?今時そんなお菓子メーカーの企みに乗る娘なんかいませんわよ」


いや、買ってる時点ですでに…。


「まぁ、いいですわお友達のお土産用にアソートと先程、私(わたくし)が選んだのを2セットいただける」


「いつもお買い上げ、ありがとうございます」


マリエルはちょっと仰々しく返事をして、ニカリと微笑む。この人たらしめ。


ココアを飲み終わる頃には他の店員も戻って来て、エリカに挨拶しながら注文されたショコラを手渡してくる。



カロン♪


帰り際、ドアを開けながらエリカが振り返る。


「あ、そうそう。向かいのお店のパティシエさん、随分と腕をあげましたわよ」


「去年うちに負けてから美味しくなったね、でもそのためのベンジャミン君だから大丈夫」


「あら、じゃあ今度来た時には彼のショコラも食べてみたいわ」


「あぁ、彼にそう言っておくよ」



後日エリカが選んで増産したショコラは、さらに追加で作らねばならないほど良く売れて、売上は他店を大きく引き離し、マリエルの名を不動のものにした。

ベンジャミンはその光景を目にして、エリカの目利きに戦慄を覚え、いつか自分もと闘志を燃やす。



「バレンタイン?千葉ロッテの監督さんでしたっけ、オーホホホ!」

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