ジェネラル・ショック編

第11話 出勤前

 〜2041年三月某日 東京都某所のアパートにて 7:40頃〜


 不規則な電子音が、非常に不快だった。目を覚ました八代秀は、眠気眼を擦りながら寝返りを打つ。未だに重い頭が判断を鈍くさせる訳で、彼は幾許かの休息を試みるが時計の鈴は見逃さなかった。


「くっそぉ……」


 一定時間に及び対象の意識が覚醒しない場合、対象にとって覚醒せざるを得ない不快な電子音を鳴らす時計は、秀の脳波の検知を得て、やっと大人しさを取り戻した。


「ああ……」


 八代秀。年齢38歳。何処にでもいるしがない労働者であるが、彼には秘密があった。


(転生したのに、夢もへったくれもないな。くそ)


 彼は人生に於いて二度目の労働生活を送っている。転職や異動を経験した、という意味合いではなかった。

 彼は『転生』を得たにも関わらず、前世と変わらない生活であるのだ。



「起きた、秀?」


 階下のリビングでは、母親が朝食の支度を整えている。とは言っても彼女がする作業としては、トレーをテーブルに並べるだけであった。所定の位置に設置されたトレーはテーブルを介して熱せられ、ものの5分ほどで出来立ての温度に変わる。

 栄養バランスを考慮された洋風セットは、母のお気に入りであった。秀がトーストにピーナッツクリームを多めに塗って口にした時、父親も朝食にありつこうとしてきた。


「秀」

「うん」

「今日は企業研究会だったな」

「ああ」

「どうだ?」

「どうって…まぁ、ボチボチ」


 ボチボチな小麦粉の香りとそれなりなピーナッツの濃厚さに意識を持っていかれたい秀は、父親の質問に不愉快さを感じる。塩鯖の身を四分割にして醤油を垂らす父親は、そんな息子の小さな抵抗など気にも留めない。


「そうか。だが行っておけ。何といっても、天下の『ジェネラル・ビジョン』と『ノア』が合同経営しているんだ」

「ああ……」

「まぁお父さん。秀にそんなに、ね?」

「そうだがな。母さん、この俺でも経験できない事なんだよ。あの『ノア』だぞ?」

「本当に、何で男の人ってああいうのが好きなのかしら。お隣の神藤さん、親子揃って今回の研究会に乗り込む気だったそうよ」

「いいじゃないか」

「良くないわよ。お祖父さんも出たがったらしいの。何でも『男のロマンが』とか、『ワシは初代から網羅しているわ!』とか意味不明な事言ってるんだって」

「ハハハ…」

「秀は分かる?」

「ん?どうかな……」


 いつだって、ロボに熱狂するのは男の方だ。男が機械ないしは武器の類に人種年齢関係なく興味を強く惹かれる訳は、動物のアピール行動の代替なのかもしれない。爪や牙を、人間は武器や機械に見出すのだろう。

 その点女が美に関心を強く持つ訳も、同じと言える。彩色豊かな体毛や皮膚の代わりが、マニキュアやドレスに変換されてきたのだ。


「もう私が産まれる前の話なのにね、馬鹿らしい」


 バナナキウイスムージーを口にする母親は、壁に視線を移した。殺風景な白壁に青色の文字が投影され、今日のスケジュールが把握できる。


「秀。あと10分で食べ終わらないと、間に合わないわよ」

「えっ、そんなに?」

「交通予報で、通勤ルートの変更が推奨されているわ。人が多く出るのかしら」

「今日は『GDM新型批評会』が、第三台場でも開かれる。その影響かもな」

「お父さんの帰りが遅いのも、それが?」

「ああ。ウチで扱っている基盤が出るんだ。と言っても別部署が担当している、俺は関係ない話だ」

「そうですか」


 ソーセージにケチャップとマスタードをつけて口に放り込み、オニオンスープを流し込んだ秀は、食後のオレンジジュースで口を整えた。そさくさと洗面台に立った彼は、電動歯ブラシを歯に当てがった時、顔を顰める。


「わーってるよ」


“動かすな“という警告が、ガラスに出てきた。人間の無駄な動作によって電子機器の効率性が喪失する現象を許さない、現代らしい光景である。

 未だに慣れない警告に苛立ちながらも、秀は従わざるを得ない。この現象に苛立つなど、現代では古い一部の人間だけなのだから。


「秀」

「うん」


 警告のお陰で予定には間に合った。余裕を持って安全靴に履き替えられる微細な幸せに浸る秀は、背後に立つ母親の言わんとする事を、理解はしている。


「分かってる。ちゃんと受けてくる」

「今回の研修会、出たら資格も取れ易いのよね。そうなれば、正規雇用も夢ではないわ」

「……うん」

「いい報告待ってるわ。あ、ホットケーキ焼いておこうかしら」

「……ああ、うん……」


 母親の顔は見られなかった。どうすれば良いか分からない、笑えばいい?泣けばいい?


「……っきます……」

「いってらっしゃい」


 多分手を振ってはくれているのだろう。秀はしかし、その姿を見る事は無かった。無言のまま背中を向け、逃げるように自宅を後にする。


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