第9話 西の喧騒

「この、ア」

「懲りない人ですね。もう四十年前とは、身を取り巻く環境が変わったのですよ。発言は記録される、理解していますね」


 横で憤慨の態度を見せる初老の男に、千恵は内心感心していた。高度情報社会に突入した昨今、警察組織の透明化は否が応でも職場に変化を齎している。内一つが、会話の自動録音措置であった。

 これは基準を満たした組織構成員の会話を、AIが自動的にデータベースで保存する措置であり、現在機能している。


 警察内部の不正を減らす目的が最大の目的だが、警察官の不当な処分を減らす意味合いもある。この措置が機能して以来、千恵は以前と比べて自分に向けられる話の方向性が、かなり変わったと実感していた。


「納得いかん。このアマがアホ抜かした交通封鎖なんぞせんかったら、ワシらあんな目に合わんかったんや」

「大家さん。落ち着いて」

「落ち着けるかい。ええ、なめとるんやろ。お前ら東のもんはいつもこうや。大阪やらを、なんやかんやいうて下にみおってからに」

「発言を謹んで下さい。松島さんの仰る通り、もう時代が違うんですよ」

「時代が何や。でしゃばりはいつの時代もいらんっちゅうんか。そんなら余計な事されて、んでワシが処分喰らわにゃいかんのか」


 警察組織に属すると、ある意味では特殊な人格が形成される。一般人を合法的に監視できる権限は、えてして一部の警察官に特権意識を与えてしまうのだ。

 千恵が警察官に就職した時には、この手の人物は各部署に数人は居たものである。しかし日本人の生活様式の変化が現れたのか、年々数は減っていた印象であったし、意識をむき出しにする人は更に少なくなっていると思っていた。


「初めからやな、サッサと名神や新名神開けてりゃええねん。そないならこんな事せんで良かったんや!」

「大阪府警のGDM配備数を考えて下さい。まだ滋賀県内の高速道路全てが、GDM運搬道路に転換されている訳ではないのですから」

「言い訳せんでええねん。できる筈なんや」

「数量をコントロールすれば、と注釈がつきます。普段でも地元交通局が日夜苦悩しているのです。今回でも、現場には多大な負担をかけています」

「なんやそれ、白々しいやないかい。ワシらを湖上移動させて、足止めさせるつもりだったんやろ。卑しいやっちゃ」

「警告を無視されたのはそちら」

「じゃかましいわい!!ゴチャゴチャ話の矛先変えよって!!そっちが間違うとると、何で認めないねん!」


 千恵は口を開けたまま、身動きが取れなかった。


「ええか、言わせてもらうわ。AIだか何だか知らんがな。人間っちゅうもんは、複雑なんや。機械に全部判断させる手間抜きが、こないな面倒事引き起こすねん。人の経験っちゅうもんを、もすこし信じたら良かったんや!!」

「……そうですか」

「聞いとるんかい?!お前に言うとんねん、お前やで!!」


 口調の強さに怖気付いた訳ではない。千恵は大阪の現場を束ねる立場の人間が、ここまで旧態然とした考えを、剥き出しにしている様に呆気に囚われていた。


「大家さん、もういいでしょう」

「お前もかいな、ええか、お前も目覚まさんかい」

「人工知能を嫌う心理は理解できますよ。しかし今お話ししたい点は、大家さんの判断についてです。ですから押さえてくれませんか」

「はっ、ええ格好しいが。お前も理解できてないやないかい」

「理解しているから、直々に停職処分をお伝えするつもりだったのです」

「…何やと」

「大家さん、いや大家警視。手短に今回の処分をお伝えしますと、貴方の無期限停職です」


 庶務机に手を置いた査問担当官は、かつての上司に対して憐れみの視線を向けた。


「松島巡査部長の提案した案では、大阪府警と京都府警のGDM派遣部隊は、名神道路を使って、湖東方面への支援に向かう予定だった。これは事前報告書に明記されていましたし、当日の作戦行動表にも、記載が確認できますよ」

「あんな予定、ワシらを退けもんにしとるわ!あれに従っておったら、ワシら何も出来んわ!」

「根拠のない言いがかりです。第一今回の作戦は、警視庁の公安部が主体となって行う作戦です。作戦の立案に彼女は関わっていますが、総合的な判断はあくまでも公安部の作戦担当班が立案したものです。そして各都道府県の派遣部隊は、あくまで後方支援に留まる予定でした」

「このアマの、アホンダラな部隊は何で一つだけ自由に動けんねん!」

「……記載にある通り、臨時行動隊の行軍速度を最大限に活用する、最終決定権を持つの方針です」

「あんなん、ワシらでも出来たわ」

「大家さん。いつからそんなに手柄を欲しがるようになったのです」


 定年が間近に迫る初老の男は、庶務机を介して対面するかつての部下の、憐れみの視線にその時気がついた。


「確かに大家さんの人工知能に関して仰る事は、個人的に同意できる点もあります。無機質な基準で全てを判断される現在は、違和感なく生きるには私も古すぎる」

「お前」

「ですが、ですがね。無機質な基準が賛同を集めたのは、明確な根拠があるからなのです。例えば一定年齢の人に定年を設けるのは、加齢による感情抑制能力の欠如が、数字的に証明されてしまっている」

「ワシに、それ言うんかい」

「私が教えを受けた大家巡査部長なら、常に全体の利益を考えていた。個人の業績を重視する、ちんけな振る舞いは断固として受け入れなかったですよ」


 監査担当官は、静かに立ち上がる。彼の眼鏡の奥は、光の加減で全く伺う事ができなかった。

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