斎藤の夜

@Propatria

噤み防ぐ

斎藤さんはいつも夜になると外に出かける。

隣に住んでいる僕はそれを知っている。


なぜなら僕は今、生きる情熱の大半を斎藤さんの監視に費やしている。


壁に耳をあて、斎藤さんの動きを頭で想像することが至福の時だ。

斎藤さんは、生き物として高等で、高潔で、動きに無駄がない。

いつも同じ歩幅とリズムで歩いている。


顔も姿も見たことが無いけど、もう一年以上斎藤さんと音で同居しているのだ。


夜に出ていく時間、帰ってくる時間、寝る時間、起きる時間、食べる時間、シャワーの時間、トイレの時間


すべて僕は把握しているし、それは高確率で的中する。

まるで斎藤さんが、僕のために、僕を思ってそうしているように。

まるでお互いが愛し合っているかのように。


だが今日は違う。


今日の斎藤さんは歩く歩幅もリズムも違う。

いつもより少しゆっくり、だが少し早く、軽やかなずっしりとした感じだ。

とにかくいつも違う気がするのだ。


僕はそわそわして、爪を噛みながら耳を壁に押し付ける。

僕の右耳はずっと壁に当てているから、変形して今では壁にぴったり吸い付くようになった。


いつか斎藤さんの背中に、ぴったり耳を押し当てて、心臓の音を耳から吸い込みたいと思う。


ぼくは耳をすませた。全神経を斎藤さんに集中させる。

すると斎藤さんが、恋をしていることに僕は気が付いた。


これは僕、いや、誰だ


僕は悩んだ。冷や汗とも脂汗ともとれない湿りが全体から湧き上がる。


すると突然、勝手に斎藤さんがドアを開けて、時間でもないのに外に出かけてしまったのだ。


僕は怒りに全身を震わせた。

どうしてこんなことが出来るんだ。僕がこんなにも思ってやっているのに、どうしてこの気持ちを踏みにじっていいのか。


僕は着の身着のまま外に飛びだし、斎藤さんを追いかけた。

だがしかし、僕は斎藤さんの顔も姿も知らなかった。


僕は腹いせに、僕の目玉を素手で引き抜きちぎり、両目を斎藤さんの部屋の玄関の前に置いた。

ついでに歯もぜんぶ抜いて玄関の前においた。


これでぼくは耳にもっと集中することが出来る。


斎藤さんはまだ帰らない



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