scene31 海辺

-眞白-

ご飯を食べてから駅へ戻る道を歩いていると、不意に潮の匂いがした。吹いてくる風が冷たい。

思わずマフラーの結び目を押さえると、気づいた大知くんが寒い?、と聞いてきた。ううん平気、と手を振って答える。

『海が近いから風が冷たいよね』

スマホに打って見せてくるので、海?と聞き返した。

『海水浴場が近かったと思うんだよね』

こっち、と大知くんが道を逸れて歩いて行くのに着いていく。

しばらく行くと、誰もいない砂浜と夕暮れが反射してオレンジに染まった海が見えてきた。

砂浜に打ち返す波を見つめる。透明に澄んでいるのが遠目にも分かった。

『海、綺麗やね』

打って、大知くんに見せる。

『ね。冬じゃなかったら砂浜に降りたいところだけど』

『今海に濡れたら絶対風邪ひくで』

『それはまずいね、もうすぐライブなのに』

うん、と頷き、夕陽が沈んでいくのを見つめる。

ちょん、と腕をつつかれた。

『やっぱり下降りてみない?』

首を傾げた。

『怒られへん?』

ちょっとだけ、とジェスチャーで示される。まあいいか、と思い頷いた。

誰もいない砂浜に降りると、潮の匂いが強く鼻腔を抜けていった。

波打ち際から離れたところで、大知くんはしゃがんで砂を掬い上げた。ちょっと笑って、手に掬った砂を見せてくる。隣にしゃがむと、手を掴まれて砂をかけられた。冷たさに驚いて手を引っ込める。

『冷たいやん!』

『ね、変な感じじゃない?』

大知くんが笑うので、釣られるようにして笑った。こんな真冬に海辺でふざけてるのが、何だか可笑しかった。

風に吹かれ、前髪が揺れる。

オレンジ色に燃えていた夕陽はほとんど沈んでしまって、海の色は濃紺に変わりつつあった。

スマホを出し、ゆっくり文字を打つ。

『大知くん、俺といて楽しい?』

見せようか躊躇っていたら、マイクボタンを横から押された。

『楽しいよ』

大知くんの顔を見た。じっと見返される。再び画面をタップしてくる。

『眞白は楽しくないの?』

首を横に振った。……そうじゃない。

仕事や練習が忙しい中、こうやって俺と過ごす時間を作ってくれた事は素直に嬉しかった。

だけど心の奥底に、ずっと疑問がわだかまっている。

どうしてそこまでして俺と親しくしようとしてくれいるのか。他にも友だちなんて、沢山いるだろうに。もしかしたら親しい女の人だって、実はいるのかも知れない。

大知くんは、俺といて本当に楽しいんだろうか。

無意識に右耳に掛けた補聴器に触れていたらしい。その手を、そっと優しくどけられた。

ねえ、ましろ。

大知くんの唇が、ゆっくり動くのを見つめる。

時折強く吹いてくる潮風で崩れた前髪に、大知くんの指が触れてくる。

『分かるでしょ?海の匂い。冷たい潮風とか、柔らかい砂の感触とか』

大知くんが話してくれている事が画面に表示されていくのを目で追う。

『眞白、聞こえる事だけが全てじゃないよ。一緒に共有できることはたくさんある。同じものを見て、同じものに触れられる』

大知くんの手に掬い上げられた白い砂が、目の前でさらさらと落ちて行く。

『今俺たちは同じ場所にいて、同じ記憶の中にいる。それってすごく素敵な事じゃないかな。他の誰とも共有出来ない、二人だけの思い出だよ』

大知くんの唇が、ゆっくり微笑みの形を作る。

『俺は、眞白とそんな思い出が作れて嬉しい。眞白と一緒にいれて良かったと思ってるよ。一緒にいて楽しいよ』

黙っていたら少しだけ、大知くんの表情が不安そうになった。

『眞白は違うの?』

ううん、と首を横に振った。

『すごく楽しいよ』

そう打って返すのが精一杯だった。

スマホを握りしめる手が震える。包むように、大知くんの手が触れた。同じように冷えてたけど、少しだけ温もりを感じた。

行こ、と手を取って引かれるまま立ち上がる。辺りはすっかり暗くなっていた。

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