鈴村さんは俺の頭を撫でながら、大丈夫、と言った。

 俺は全然大丈夫じゃなくて、不安なまんまだったけれど、それでも頷いた。鈴村さんが言うなら大丈夫なのかもしれない、と内心で思い始めていた。彼女は、いつだって俺より正しかったから。

 「行ってらっしゃい。もしも万が一本当に駄目だったら、一緒に泣いてあげるから。」

 鈴村さんが囁いた。

 俺はもう一度頷いて、鈴村さんの手をぎゅっと握ってから歩き出した。鈴村さんは、もしかしたらアルバイトに遅刻したかもしれない、と思った。そんな、案外冷静な思考が回っていることが不思議だった。

 繁華街のホテルから、章吾の家までは歩いて20分。頭の中には章吾との記憶がぐるぐる回っていた。子どもの頃、俺の家の庭で一緒に遊んだこと。少し大きくなってからは、章吾の部屋でゲームばかりしていたこと。初めてのセックス。それ以来離れて行った心の距離と、近づいて行った肉体。

 そんなことを考えていたら、あっという間に章吾の家の前についた。

 休日の朝。それでも章吾の両親がいないことは分かっていた。章吾はこの家で、いつも一人だった。

 チャイムを鳴らし、しばらく待つ。章吾は妙に律儀なところがあって、家にやってくる人なんてセールスくらいのものなのに、いつも必ずチャイムに反応していた。だから俺はいつも、ラインで連絡なんか入れることもなく、章吾の家のドアを開けてもらっていた。

 「なつめ?」

 聞きなれた章吾の声は、背後から聞こえた。

 驚いて振り向くと、寝癖のついた章吾が立っている。

 「……女?」

 半分以上確信しながらも訊くと、章吾は微妙に居心地悪そうにしながらも頷いた。

 珍しいと思った。章吾は基本的に女の人の家やホテルに泊まったりしない。行為が終わったらとっとと家に戻ってくる。それなのに、と思ったところではっとした。

 本命が、できたのか。だから俺に電話なんかしてきて。昨晩電話の向こうには章吾だけじゃなくて、その女の人がいたのだろう。

 そう気が付いてしまったら、もうだめだった。章吾の前にはいられなかった。

 泣いたりわめいたりする前に、とにかくこの場を離れなくては、と、俺は章吾の傍らをすり抜けて走り出そうとした。

 その腕を、章吾が掴んだ。

 「なつめ、話がある。」

 真剣な目をして、章吾が言った。

 「聞きたくない。」

 と、俺はもがいた。

 そのやり取りが何回か重ねられ、俺が無理やり章吾の腕を振り払おうとしたところで、無理に身体を引き寄せられた。癪なことだが章吾と俺の身長差も力の差もいつの間にか開いていて、俺の身体はあっさり章吾の腕の中に引きずり込まれていた。

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