沈黙があった。

 なつめは両手で顔を隠したまま。俺はその手をどかすことができないまま。

 こつん、と、窓に雨粒が当たる音がした。遠くで微かに雷鳴も聞こえる。

 夕立。

 昔、なつめが雷をひどく怖がる子供だったことを思い出した。俺は逆に、そういう尋常ならざる状況が大好きで、雷が鳴りだすとテンションが上がる子供だったのだけれど、なつめはいつも、そんな俺の腕を掴んで半泣きになっていた。

 いつからだろう、と思う。

 いつからなつめは雷を怖がらなくなり、いつから俺は、雷を待ち望まなくなったのか。

 多分そのときも、大人に近づく一歩の内で、だから雷を怖がったり待ち望んだりしているうちは、俺たちは単純に子供でいられた。こんなふうに、身体を繋げたりなんかしなくても、当たり前に側に居られた。

 いつまでも、子どもでいられればいいのに。

 俺はその時確かに、中二の夏、なつめを抱いた自分を恨んだ。

 「なつめ、」

 ごめん、と言おうとした。とにかく、俺は後悔していると、こんなふうになってしまった原因は俺にあると、それだけは伝えないといけないと思って。

 けれど、そう言いかけた俺の唇を、なつめのそれが塞いだ。

 一秒、二秒、三秒間の口づけ。

 「言うな。」

 唇を離して、なつめが囁いた。

 「本気でまだ俺といたいなら、言うな。」

 なつめの声は、張りつめた糸のように真剣で、俺は咄嗟に返す言葉がなかった。だから、ただ頷いた。本気でまだ、なつめといたかった。

 「だったら……、」

 セックスはやめよう、と、なつめがそういうのを俺は待った。そう言われるのだと分かっていた。長い付き合いで、なつめの性格は俺だって分かっている。

 けれどなつめは、そう言わなかった。

 すっと腕を伸ばすと、俺の頭を裸の胸に抱きこむ。

 女とは違う、硬い胸。でも俺には、女のそれと同じくらい馴染んだ感覚だった。

 「だったら、セックスしよう。」

 なつめの低く掠れた声、こんなときだというのに、俺はその声に確かに欲情した。だから、なつめの言うことが正しいのだと分かった。お互いの身体で得られる快感を知ってしまった以上、もう、昔には戻れない。二人でたわいもなくゲームをしたり漫画を読んだりしていた頃には、もう戻れないのだ。

 底なし沼だ、と思った。

 体温みたいに生ぬるい底なし沼に、俺はなつめを抱えて足を踏み入れてしまった。


 

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