3
鈴村さんも、俺も、しばらく黙ったまま見つめ合っていた。それは、キスでもしないとおかしいのではないかと思うような距離と時間を。
その長い沈黙の後、鈴村さんが、海に沫でも浮かべるみたいにそっと囁いた。
「中村くんだよね。……違う?」
中村章吾。それが章吾のフルネームだ。
俺はどう答えていいのか分からなくて、ただ馬鹿みたいに棒立ちになっていた。
違う、と言わなくてはいけないと分かっていた。怖かったのだ。万が一鈴村さんが誰かに口を滑らせでもして、残りの学生生活をゲイとして暮らしていかないといけないことは。
それに、分からなかった。俺が本当に章吾を好きなのかだって。
なにせ、小学校からの付き合いの男だ。今更好きだのなんだの言うのはおかしいというか、最早間が抜けている。
黙ったままの俺を見て、鈴村さんは泣いた。ぽろぽろと、白い頬に涙をこぼした。
俺は慌てた。告白してきてくれた女の子を泣かせたのははじめてではなかったけれど、鈴村さんのそれは、なにか種類が違う気がして。
だから、いつもの俺だったら女の子が泣きやむのを待って、それから謝ってこの場を離れるのだけれど、それができなかった。まるで、泣けない俺の代わりに鈴村さんが泣いてくれているみたいで。
「……そうだよ。」
言葉は、勝手に口からこぼれ出していた。ぽろんと、丸い球を吐き出すみたいに。
そうなのか、と、自分でも驚いていた。
そうなのか。俺はやっぱり、章吾が好きなのか。
だから、あの去年の夏のセックスから、ずっと頭の中がぐちゃぐちゃなのか。
「ごめんね。」
それ以外の言葉が浮かばず、俺が彼女に謝ると、鈴村さんは勢いよく俺の胸にぶつかってきた。
俺は、数秒の逡巡の後、彼女の肩を抱いた。自分が彼女の肩を抱いていいほどきれいな人間だとは思えなくて。
「謝る必要なんて、ないじゃない。」
鈴村さんが、しゃくり上げながら言った。
「私が勝手に上原くんを好きになっただけなんだから。」
うん、と、俺はなるべく小さく呟いた。今はまだ、彼女の肩を抱いていたくて。
章吾に肩を抱かれたことは、ないな、と思った。
俺たちの間にあるものは、いつだって性欲だけで、それ以外のなにかが割り込む隙間もないのだから当たり前だ。
鈴村さんは、薄暗い体育倉庫裏で、多分20分くらいは泣いていた。そして、泣きやむと俺の胸から顔を上げ、恥ずかしそうにちょっと笑った。涙でびしょびしょになった頬で、それでも確かに。
俺は、この子を好きになれたらいいのに、と思った。それは、とても空しく。
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