第8話 昼休み
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「それで、その日も、なぜかよく眠れたの」
お昼のオープンテラスの席は、暑く、日差しが眩しかった。綾菜ちゃんは椅子を動かし、パラソルの下の日陰に移動する。
「その日だけですか?」
「そう。次の日からは元通り。前もそうだったんだけど」
雪間さんと薬局で会ってから、一週間ほど過ぎていた。
綾菜ちゃんと、会社のそばのイタリアンレストランでお昼を食べていたら、婚活はどうなっているのかと聞かれた。
不思議なことに、雪間さんと薬局で会った日の夜も、自然にとろとろと眠くなり、処方された薬を飲むことなく、朝までぐっすりと眠れたのだ。
「花音さんは、その人と会うとよく眠れるってことですか?」
「そうなるね。暗い人だから、負のオーラを浴びて疲れるのかな」
「じゃあ、その人と頻繁に会えばいいじゃないですか。この辺の会社なんですよね?」
「そうだけど、向こうが私に会いたくないと思う」
そんなふざけた理由でまた会おうなどと言ったら、彼は苦り切った顔をするだろう。
「まあ、単なる偶然だろうし」
「そうかなあ。試しにつきあってみたらどうですか?」
「ないない。山下さんの熊が逆立ちするよりも、ありえない」
同僚の山下さんは先日、北海道土産に鮭をくわえた熊の置物を買ってきた。誰も欲しがらなかったので、結局、備品を入れる棚の上に置きっぱなしになっている。部屋が個室なのをいいことに、みんなやりたい放題だ。
「向こうは私のこと、本当に迷惑そうだったもん。苦手なタイプなんだと思うよ」
「そっかあ。でも確かに、花音さんに繊細な男の人は合わないかもしれませんね」
ずいぶんな言われようだが、あっさりと詮索をやめてくれたのは助かった。
このところ雨の日が続いていたが、今日は清々しい青空が広がっている。
あまり食欲がないのであさりのリゾットにしたが、思ったよりもおいしかった。
店内が混んでるのを見て綾菜ちゃんも同じものを注文していた。そういう気が遣える子である。
「そういえば、法務の田中さん、復帰したみたいですよ。今朝、会社の前で会いました」
「本当。良かったねえ。原因、分かったの?」
法務部に田中さんという女性の先輩がいる。いつも笑顔の快活な人だったのだが、昨年、体調を崩し、長期の療養休暇に入っていた。病院に行っても病名が分からず困っているらしい、と噂で聞いたことがあった。
綾菜ちゃんはリゾットを口に運びながら、首を横に振る。
「いえ、結局、よく分かんなかったんですって。でも、四月頃からだんだん良くなったらしいです。休んでいる間に、職場が引っ越ししていて迷っちゃったーって、笑ってましたよ」
法務部は四月に場所が移動した。それまでは、今、私達のグループが使っている個室を法務部が使っていたのだ。法務部だった時は、バランスボールや花、熊などない整頓された部屋だったと聞いている。
田中さんが元気になって良かったし、セットのデザートで選んだフォンダンショコラもおいしかった。
青空にくっきりと綿菓子のような入道雲が浮かんでいる。上機嫌で会社に戻っていた時だった。
会社から一番近いコンビニの前に、男性が立っていた。大きな青いものを抱えている。興味を惹かれて視線を向け、ぎょっとした。
陰鬱な顔をした雪間さんが、ポケモンのカビゴンの巨大なぬいぐるみを抱えて、所在なげに立っていた。
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