第4話 地下通路
「結婚はしたいんです」
「どうして?」
「夢があるんです。結婚してささやかながらも幸せな家庭を築いて、妻子と伊豆に旅行に行くんです」
「熱川バナナワニ園に行くんですか?」
「違います。海岸で砂のトンネルを作って、貝殻拾って帰るんです」
「具体的だなあ。海には入らないんですか?」
「理由があって海には入りたくありません」
この人、泳げないのかなと思った。雪間さんはそれを見透かしたように暗い声で、
「泳ぐことはできます」
と言った。
「伊豆より湘南の方が近いのに」
「湘南は暴走族とサーファーが怖いので」
「そればっかりってこともないでしょうに。偏見ですよ」
思わず笑い声が出てしまった。雪間さんが眉をひそめる。
「あなた、声が大きいって言われませんか?」
「すみません。私、地声が大きいみたいで。職場では、廊下にいても私の声が聞こえると言われます」
「こんなに声の大きい女性、小学校の時の先生以外で初めて会いました」
あきれたような顔をされ、私はむっとした。
「そんなことないでしょう」
「少なくとも、今まで会った中では」
「雪間さんは男子校出身じゃないですか? あまり周囲に同世代の異性がいなかったでしょう」
「よく分かりますね。中学から男子校で、大学も理系に行ったら男ばかりでした」
「何となく」
店員が注文を聞きに来たので、私はグラタン、雪間さんはパスタのランチプレートを注文した。にこやかに会釈して店員が離れていくと、雪間さんはため息をついた。
「……写真だと華奢な感じだったので、こんなにがさつな人だとは思いませんでした」
「ちょっと。言い方」
「率直に言って、草野さんと交際することはなさそうです。どうしましょうか。草野さんにとっても時間の無駄になりますし、解散しますか?」
「交際については同意見ですが、そういうことは注文する前に言ってくださいよ。頼んじゃったんだから、食べていきます」
「それもそうですね。失礼しました」
雪間さんはぼそぼそと言って、水のグラスを手に取った。白くて細い指だ。
「よければ僕の代わりに、さっきの従兄弟を紹介しましょうか?」
「さっきの人? あの人、バレーボールやってます?」
「いえ、彼がやっているのはハンドボールです」
「そっちかあ。それは分かんなかった」
「何でクイズを外したみたいな顔してるんですか。彼は
「それは嫌」
首を強く横に振る。大体どうして、婚活で会った相手から、別の男性を紹介されているのか。
「今日の主旨が、どんどんよく分からなくなってきた」
「僕のせいですね、すみません」
長い前髪に隠れた目が、申し訳なさそうに伏せられた。
この人はコミュニケーションに色々問題があるが、少なくとも真剣に婚活はしている。私はといえば、よく分からない勢いでここまで来ていて、別に結婚がしたいわけではなかった。殊勝に謝られると、後ろめたさを感じた。
「謝らなくていいです。私も不純な動機ではあったし。私、今とても困っているんです。話を聞いてもらってもいいですか。そしたらメッセージを自分で考えてなかったこと許しますから」
「はあ」
戸惑う雪間さんは気にせず、私は不眠にいかに困っていて、占い師からどんなことを言われたのか、滔々としゃべった。
連日眠れず、時折、冷たい水が注がれるように頭が痛む。精神的にかなり参っており、誰でもいいから話を聞いてほしかった。
このままでは工事現場にある、迷惑をかけていますとお辞儀する看板とかに話しかけかねない。看板より、これきり二度と会わないだろうこの人の方がましだというものだ。
*
「それは大変ですね」
雪間さんは食事の手を止めて、ぽつりと言った。
「眠れないのは辛いですよね」
「そうなんです」
同情のこもった声に、嬉しくなって頷く。意外と優しい人かもしれないと思ったのもつかの間だった。
「でも草野さんの行動は、完全にその占い師への腹いせのためですよね。そんなことで恋人を見つけようとするなんて、浅はかとしかいいようがないです」
本当にそうなのだが、面と向かって言われると耳が痛い。
「そんなことは百も承知でやってるからいいんです」
「それに草野さんは兎ではない。その占い師の目は節穴です。動物で例えるなら、アライグマでしょう」
「そんな、照れるなあ」
「もしくは、イノシシやイタチ、ハクビシン」
「害獣じゃないですか」
不毛な言い争いになりそうだったので、話題を変えることにした。
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