ただの石ころ770

         

 Kのいちばん古い記憶は、父に肩車をしてもらって散歩をしたときのものだ。


 それはおそらく1987年のことで、Kは3歳になるかならないかという年齢だった。季節は初夏だと思う。場所は地方都市の住宅街の小道で、街路樹のさつきの鮮やかな赤がKの記憶にこびりつくように残っている。


 いつもより高い場所から眺める景色の新鮮さと、父の太い首や盛り上がった肩の頼もしさに、Kは散歩の間、ずっとにこにこと笑っていた。


 学生の頃は熱心に柔道をしていただけあって、Kの父は熊のようにがっしりとした男だった。


 ところがKは父とは正反対の体型をしていて線が細く華奢で、顔つきも父とはまるで違った。しかしながら鋭い目つきだけはよく似ていて、それは成長とともに父と同じどこか油断のならないものへと変わることになる。


 まだ言葉も怪しいくらいに幼いKにとって父はとてもやさしくとても力強い存在であり、父もまた40歳を過ぎてから出来た子供ということでKを溺愛していた。


 次の記憶はそれから半年くらい先になる。Kは父方の母にあたる祖母とふたりだけで暮らしていた。どこかの地方都市の街中にあった古いアパートだ。


 玄関を開けるとすぐに急な階段があり、その階段の先に狭いキッチンと6畳ほどの部屋があるだけの、こじんまりとした賃貸だった。


 なぜ祖母と暮らしていたのかは不明だ。おそらく父の仕事の都合だったか、あるいは単に父がまだまだ手のかかるKの育児を放棄したくなって祖母に預けたのだろうとKは考えている。


 祖母とのふたり暮らしは短期間だったこともあってそれほど覚えていない。しっかりとエピソードとして残っているのは、階段から転がり落ちて大きなたんこぶを作ったことと、アパートのすぐそばにあった小さな公園で祖母によく遊んでもらったことくらいだ。


 祖母はこのときすでに70近い高齢だったが、背筋がしゃんとしており細身で、言葉遣いや所作が上品な女性だった。


 敷物を製造する会社を立ち上げて一代で軌道に乗せた祖父のもとに嫁いだだけあって、祖母はそれなりに良いところのお嬢さんだったらしい。それがなぜこんな安アパートで暮らしているのかは、また後で語ろうと思う。


 Kにとって祖母は数少ない味方であり、Kと同様に被害者であった。だからKは幼いころは祖母のことを味方だと思っていたけれど、小学生の高学年になるころには、自分を救う力などない弱い存在だと認識するようになる。


 さて、次の記憶はKが4歳になったくらいのものだろうか。Kはまたまた地方都市のアパートに住んでいた。


 今回は祖母とではない。Kの父と、Kの母の3人暮らしだ。


 5歳からは祖母も同居することになるが、ほんのわずかな間だけだった。祖母はすぐに浴室で転倒してしまい足が不自由になり、遠方に住んでいたKの叔母――つまり父の姉と同居することとなったからだ。


 Kと祖母はまた同居することとなるが、それは5年ほど先のことである。


 次に母についてだが、このときKが自分の母だと思っていた人物は、実は実母ではなく、父の再婚相手だった。


 しかしながら母はとても善良な人物だった。はっきりとした性格だがやさしく、悩まず、行動的な人だった。少なくとも、自分にとって母といえばこの人だと今でも言えるくらいに良い母だった。


 この母と父の3人で暮らしていた期間の中で、もっともKが印象深く憶えているのは、もうすぐ小学校に入学を控えたと春の日のことである。


 これからKは小学校に行くことになるのだから、一度、みんなで歩いて小学校までいってみようということになった。あたたかい日差しの中で、Kは父と母と手をつなぎ、わくわくとしながら小学校まで散歩した。


 この時のことは今でも思いだす。まだ家族がまともだったころの、いちばんの幸せだったエピソードだ。


 このころのKはまだ普通の男の子だった。たまに女児と間違えられるくらい細く小柄で、同じアパートに住んでいた女の子にいじめられて泣かされることもあるくらい弱気な、ぬいぐるみが好きな男の子だった。


 その無垢な精神、あるいは魂が、思春期になるころにはすっかり歪んで醜悪なものになってしまう理由が遺伝のほかにあるとするなら、それは間違いなく父からの影響だろう。


 Kの父は頭が良く弁が立ち、生まれつきの気難しさから周りの人間に一種の緊張感を強制するような人物ではあったが、ときには自ら道化を演じて人を楽しませたり、子供のように無邪気に釣りや野山の散策を楽しんだりする人物だった。


 だからKも幼いころは父のことを肯定的にとらえていたのだが、小学生になるころには父への気持ちは複雑極まりないものへと変わる。


 Kの父を語るうえで欠かせないものは、その酒癖の悪さだ。ある程度酔うと、急に人格が変貌するのだ。まるでカチッとスイッチが入って別人になったかのような変わりぶりだった。


 酔った父はただただ理不尽で、多くの場合において暴力を振るい、Kにとって恐怖の対象でしかなかった。


 ある時、酔った父は夜中に、腹が減った、お茶漬けを作れと母に命令し、母は善意から(あるいは恐怖から)言われるままにそれを用意した。夜中だというのに、母はインスタントのお茶漬けでは寂しいだろうとわざわざ鮭を焼いてお茶づけに添えたのだが、なぜか父はそれが気に食わないと激怒し、最終的に暴力まで振るった。


 こういった理不尽かつ理解に苦しむ出来事はたびたびあり、父は酒癖の悪さから家族を失うだけでなく取り返しのつかない失敗をいくつもしてしまうのだが、それは死ぬまで治らなかった。


 なにせ酔いがさめた父は自分の行動をけろりと忘れていていたし、自分を正当化する術にたけていて決して反省しなかったからだ。


 父の暴力の標的になるのは多くの場合は母で、次に祖母だった。このころのKはまだ幼かったからか標的になることはなかったけれど、完全になかったわけではない。


 サッカーのゴールポストに頭をぶつけてしまって何針か縫った怪我をしたとき、酔った父はKが怪我をしたことを気に入らなかったようで、Kが寝ているにも関わらず貼ってあったガーゼをむしり取ってしまうようなこともあった。


 とにかく、Kの父は酔うとどうしようもなくなる人物だった。


 そして、その時のKはまだ気づいていなかったのだが、父はたとえ酔っておらずとも、褒められるような人物ではなかったのである。


 Kが小学2年生になったある日、アパートのチャイムが鳴った。たしか土曜か日曜の、午前中だったと思う。


 玄関のドアを開けた母の前に立っていたのは、父と同世代の痩せた女性と――Kより5歳ほど年上の男の子と、2,3歳年上の2人の女の子だった。あまりにその時のことが衝撃的すぎて、Kはその子供たちの顔をちゃんと見ていなかったけれど、不思議とどこかで見たことがあるような気がした。


 それもそのはず、その女性はKの本当の母であり、子供たちはKの種違いの兄と姉だったのだ。


 母はKを連れて家を飛び出し、交番へと駆けた。それはいささか突飛な行動だったけれど、だれが母を責めることができるだろうか。


 なぜなら、母は、父から「Kの母は死んだ。死別だった」と説明されていたからだ。だから母は、突然アパートにやってきたKの実の母を見て、自分たちがなんらかの事件に巻き込まれたと考え、警察に助けを求めたのだ。


 成人してからKが知った情報をまとめると、この件(Kと母にとっては事件と言ったほうがいい)の真相は以下のようなものだった。


 ――Kの実母は若くして夫を亡くした3児の母で、たまたま知り合った父と事実婚の状態になりKを妊娠、出産するも、何らかの理由で籍を入れなかった。


 おそらくその何らかの理由というのは、再婚すれば支給中止となる遺族年金を受給し続けるためと、父の暴力を恐れてのことだと思われる。


 この時から父はすでに暴力を振るっており、実母だけでなくその子供たちにも及んでいたようだ。父の本性を知った実母が籍を入れることをためらうのは当然のことと言えた。


 実母はKの親権を欲したようだが、父もまたKを引き取りたがった。どんな経緯があったのかはわからないが、結果として、Kを引き取ったのは父だった。


 だが、上記の通りの性質の父であるから、きちんとKを扶育することはできなかったようだ。Kはほとんど覚えていないが、Kを乳児院や施設に預けたりしたこともあった。

 

 何らかの方法で父とKの状況を知った実母は、やはりKを父に任せてはいけないと考えていたのだろう。


 戸籍からKの住所をつきとめ、引き取る準備が整ったタイミングで子供たちと一緒に直談判しに来たところ、そこには何も知らない母と、実母のことなど何も憶えていないKがいた――という流れだ。


 その後、父と母、そして実母の間でどんなやり取りがあったのかはKにはわからない。


 実母は「あの人(義理の母)ならKを任せてもいいかと思った」と言っていたから、とりあえずは丸く収まったのだろう。


 それからこの事件のことは一切語られることがなくなったところを見ると、父はおそらく母にすべてを話し、嘘をついていたことを謝罪し、母もそれを許したのだと思う。


 母はKに「あれは何かの間違いだった」と説明し、Kもこの時は家に押しかけてきた者たちが実の母と兄弟であるだなんて思いもしなかったから、母の言葉を信じた。


 この時は、それがそうだとはわかっていなかったけれど、実はKは実の母や兄弟たちと過ごした期間のことをおぼろげに覚えていた。


 ただ、それは良くない記憶かもしれない。


 ――ステンレスの浴槽が冷たく光る。中にいるKはおぼれている。それを兄弟たちは笑いながら見ている……。


 それからすぐにKたちは住むところを変えた。それまで住んでいたアパートから、車で2時間ほどにある山間の地域へと引っ越した。


 新居の借家は大きな一軒家で、広い庭にはまだ新しい大きな蔵と、畑と、和風のちょっとした庭があった。かといって豪華なわけではなく、敷地は広いが年季の入った平屋の、田舎にいくらでもある普通の物件だった。


 この時、父は精肉工場で働いていて、母は家事をしつつパートタイマーとして働いていたように思う。


 表向き新生活は順調だった。


 Kはこのころから自然や動物が好きで、母が買ってきた紅雀という真っ赤な小鳥のつがいをとても可愛がっていた。また、新しい物好きの母は子供にゲーム機を与えることに抵抗がなく、ある日、思いつきでゲームボーイを買ってきて、それはすぐにKの宝物になった。


 しかし、そういったいい思い出の裏には、常に父の暴力があった。ひどい酒乱は変わらず続いており、母が血が出るくらいぶたれることも少なくなかった。


 Kはまだ小学校低学年だったけれど、世の中の道理が分かりかけていたから、圧倒的に父が悪いということを理解することができた。だから最初は、母が暴力を振るわれていたら割って入って父を止めようとしたりもした。


 だがそれは続かなかった。なぜKが母をかばわなくなったのかははっきりとしない。Kも父から暴力を振るわれるようになったからかもしれないし、母が殴られる姿を見たくないという気持ちや、怖れが母を守りたいという気持ちを上回ったのかもしれない。


 それに加えて、もう一つ、理由がある。……それは母を守れずふがいない自分を認めたくないがための正当化に過ぎないかもしれないが……。


 小学3年生になったころのことだ。当時、爆発的に流行った漫画が原作のアニメがあって、Kもそれに漏れず毎週そのアニメをみていた。時刻は19時くらいだったはずだ。


 TVに夢中になっていたKは、ふと妙な気配を感じて背後を振り向いた。いまKがいる部屋の隣は小さな和室になっていて父と母がいるはずなのだが、そこから何か普通ではない声が聞こえたのだった。


 襖が半開きになっていたから、Kは少し位置を変えるだけでその部屋の中を見ることができた。


 Kが見たのは、酔ってだらしなく母に抱き着く父と、下着姿の母だった。


 おそらく、暴力を受けつつも、母は父のことを愛していたのだろう。あるいはこの時、父は酔っていたから、拒めば暴力を振るわれると思って仕方なく応じたのかもしれない。


 父と母が何をしているのかはまだKにはわからなかった。しかしなんとなくKは、その光景を見て、もう父から母をかばわなくてもいいのではいかと思ったのだ。母は父を受け入れている、と勘違いしたのかもしれない。


 事実、時期を同じくしてKには妹ができた。高齢出産だったけれど歳の離れた妹も母も元気で、これをきっかけに生活が良い方向に転がるかに思えた。


 しかしそれはあまりに楽観的な勘違いだったことをKはすぐに知ることになる。父の暴力はエスカレートし続け、妹が1歳になるのを待たず、ついに母の精神は限界に達した。


 兆候はあった。あれは節分の日だ。父が仕事から帰ってくるより早い時間に、母がリビングで酒を飲んでいた。普段は酒を飲まない母だからKは驚いてどうしたのかと聞いたのだが、母は半笑いの顔で、節分用の豆をKに投げつけた。


 Kが戸惑う程度には力の入った投げ方だった。その時、母が叫んだ言葉を、Kは一生忘れないだろう。


「――Kちゃん! なんでおかあさんを守ってくれないの! 前みたいにおかあさんを守ってよ!」


 Kは今でも考える。その時、Kがもう少し何かできていたら、母のそばに立つことができたら、これから待ち受けている出来事も少しは変わったのではないかと。


 小学4年生の秋。その日も父は酒を飲んで暴れていた。普段なら母はただじっと嵐が過ぎるのを耐えるだけだったが、その日ばかりは違った。


 母は夜遅く、Kとまだ1歳にもならない妹を小さな軽自動車に乗せて町の総合病院へと向かった。風邪をひいたKが高熱を出していたからだ。


 朦朧としたまま診察を受けたKは、よくわからないままタクシーに乗せられた。そして気が付けば家に着いていて、そこに母と妹の姿はなかった。


 母は別れの際にKに何か言ったのかもしれないし、なにもKに言わなかったのかもしれない。熱のあったKは何があったのかよ良くわからず、朝になると家の前の道路に出て母が帰ってくるのをひたすら待った。


 白い軽自動車が来るたびKは母が帰ってきたのではないかと走ったが、結局、夕方になっても、次の日になっても母と妹は帰ってこなかった。


 家で朝から酒を飲んでいる父は「母は浮気相手の男とどこかに行った」と言ったが、もちろんこれは事実ではない。父は自分の非を決して認めない人であったから。


 Kも父の言葉が真っ赤な嘘であることはわかっていた。母は父の暴力に耐えかねて妹を連れて家を出て行った。そしてKは連れていかれなかった。それだけのことである。


 この時の不安と恐怖は深くKに刻まれることになり、彼の人格形成に多大な影響を及ぼすことになったが、このことについて母を責めるつもりはKにはない。当時から仕方がなかったと思っていたし、成人してからもそれは変わらない。


 ――Kが母と妹に再開したのは、この日から25年後のことである。


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