転生者の花嫁

 昔々、アーブローディの東部にマルグールという王国があり、日本から転生してきた男がいました。

 正確には転生ではなく、異世界の騎士の息子であった5歳の少年に憑依ひょういしたのですが、彼はすっかりその少年にりすまして、エルダーと名乗っていました。


 彼は転生した体が13歳で、魔術学校の実習に参加していたとき、強大なドラゴンに遭遇そうぐうしましたが、易々やすやす討伐とうばつしました。

 そして翌年、王様から準男爵じゅんだんしゃくくらいとそれにふさわしい財産をさずけられました。


 軍務拍ぐんむはくのガーランド公爵はそんなエルダーに目を付け、自分の息女そくじょとつがせるべく、邸宅ていたくまねいて会食をすることにしました。



 会食の日取りが決まった日の夜、ガーランド公爵は自室に14歳の三女を呼びつけて言いました。

「イリーナ、お前の夫に良さそうな男が見つかったぞ。来週、顔合わせだ」

 そう言われたイリーナは、うやうやしくひざを一礼いちれいしました。


 公爵の息女に拒否権はありません。

 不満を公爵にさとられるだけでも命取り――具体的にどうなるかは分かりませんが、イリーナはそう確信していました。


 イリーナは公爵の口からもっとくわしい情報がはっせられるのを待ちました。

 あまりにも突然の話を、自分の中で整理する時間が欲しいとも思いました。


 ですが、何も言われません。

 イリーナは仕方なく、

「かしこまりました」

 と答えました。


 また少し待ってみましたが、どうやら公爵はそれ以上はなしをする気はないようです。

「お知らせくださってありがとうございます。おやすみなさいませ、お父様」

「ああ、おやすみ、イリーナ」

 そう返事をした公爵に再びお辞儀じぎをして、イリーナは部屋をあとにしました。



 イリーナは公爵家の令嬢ですから、廊下で歩きながらおしゃべりするような、はしたないことはしません。

 自分の部屋に入ってから、一緒について来た侍女じじょの誰かがくわしいことを話すのを待ちました。


「公爵閣下がお呼びになるのは、エルダー・ベラート・エルハイム準男爵というかたです。

 お嬢様と同じ14歳ながら、優秀な魔術師だそうです。

 王国南部辺境へんきょうの騎士のご子息で、魔術学校の学生ですが、つい先日、大変な魔物を討伐とうばつした功績で準男爵じゅんだんしゃくじょせられたとのことです」


 イリーナは驚きました。

「……騎士?」

「準男爵です、お嬢様」

「騎士の息子と言ったわね?」

「今は準男爵です」


 イリーナは目をそむけました。

 貴族は何よりも血筋ちすじが大切で、出世しゅっせの早さは二の次です。

 彼女もまた公爵家の息女として、その血筋にふさわしい心構えといをきびしく教え込まれてきました。

 そんな彼女にしてみれば、騎士の息子など「下民げみん」もいいところです。

 実際、彼女にしたがう侍女たちは皆、男爵家以上の血筋の娘たちであり、騎士はおろか準男爵のいえの者さえ1人もおりません。

 いくら優秀な魔術師といっても、そんなものはただ暴力ぼうりょく沙汰ざたに強いだけです。

 ただの力持ちからもち、ただの剣豪、ただの金持ちなどと変わらず、高貴こうきな者にふさわしい知性や心配こころくばりを期待することはできないのです。


「性格は謙虚けんきょ屈託くったくがなく、お顔はハンサムとうわさですよ」

 侍女はそうなぐさめましたが、イリーナのれませんでした。


 田舎いなかの騎士の息子で、魔術師としては優秀なのに、「性格は謙虚けんきょ屈託くったくがない」。

 となれば、魔法だけが世間せけん知らずか、本性ほんしょうを隠している乱暴者か、その両方です。


(お父様もそうお考えだから、わたしに何も言わなかったのかもしれない)

 と、イリーナは思いました。



 会食が行われる当日、イリーナは夜明け前に起こされました。

 起きてすぐに、季節の花を浮かべたお風呂で湯浴ゆあみをして、何人もの侍女に体と髪をかれ、全身をくまなくすべすべにみがかれ、新品の下着を着せられ、かわいた髪を念入りにくしで整えてもらいます。

 毎朝のこととはいえ、今日は特別な日ですから、侍女じじょたちは気合いが入っていました。


 その後、イリーナは礼拝用の服を着て公爵ていの礼拝堂で聖職者の説法せっぽうを聴き、朝食用の服に着替えて食堂で朝食をとり、読書用の服に着替えて自室で読書をしました。


 10時に再び湯浴ゆあみをして、一から身支度みじたくを整えられ、ナチュラルに見えるよう念入ねんいりにお化粧けしょうをされ、余所よそきのドレスを着ました。

 ルココ様式という、当時の最先端ファッションで、肌の露出はひかえめながら、大胆だいたん鎖骨さこつを見せています。

 いろ清純せいじゅんな白としたしみやすいこんの2色を基調きちょうとし、アクセサリーには多彩な宝石をりばめてあります。

 かがみうつる自分をながめたイリーナは、自分自身の美しさと侍女たちの仕事ぶりに感動して、このときばかりはむねが高まりました。



 ガーランド公爵とエルダーの会食は、予定通り2人きりで始められました。

 侍女が言うには、2人きりなのは軍に関係する“み入った話”をするかもしれないから、だそうです。

 その間、イリーナはとなりの部屋で、公爵のお呼びがかかったらいつでも顔を出せるように待機します。


 ドレスがくずれたりシワがついたりしてはいけないので、ずっと立ったまま、窓の外を眺めて物思ものおもいにふけっていました。



「お嬢様」

 侍女が声をかけ、とびらを開けました。


 イリーナはエルダー少年の顔を無遠慮ぶえんりょに見すぎないように気を付けながら、しずしずと進み出ました。

 どんなくつでも、どんな床でも、足音を立てずに歩くのがマルグール王国の貴族令嬢のたしなみです。


 イリーナがひざを折り一礼して顔を上げると、ガーランド公爵が紹介します。

「三女のイリーナです」


(お父様が敬語を使う相手なのね)

 と、イリーナは思いました。

 ガーランド公爵は信頼する相手には気さくな調子で話しますが、一線を引いている相手には身分の貴賤きせんなく敬語を使うのです。


「はじめまして。エルダー・ベラート・エルハイムです」

 エルダーはちょこんと会釈えしゃくしました。

 イリーナは彼の中途半端なお辞儀をかえって失礼なものと感じました。


 彼はたしかにハンサムな部類でしたが、イリーナが普段から会ってきた魅力的な貴公子たちに比べれば、特筆とくひつするほどではありませんでした。

 粗暴そぼうそうには見えませんが、覇気はきや注意深さも感じられません。


 イリーナはエルダーの視線の動きも見逃しませんでした。

 もちろん、男性に胸を見られるのはいつものことですが、エルダーは露骨ろこつな上に、鼻の下を伸ばしてもいて、イリーナは不快感を覚えました。


 とはいえ、落胆を気取けどらせる彼女ではありません。

 まるで何も考えていないかのような自然さで、微笑ほほえみを浮かべていました。


「実は今日、私が着ているこの服は、イリーナが手ずからつくろってくれたものなのです」

 公爵の言葉に、エルダーは目を見開きました。

「これを? すごいですね」


(なんて知性のない物言ものいいかしら)

 イリーナはわずかな希望さえもくだかれた思いでした。

 田舎いなかなまりがないのはせめてものすくいですが、公爵家の人間の話し相手にふさわしい語彙力ごいりょくがあるとは思えません。


 何にせよ、イリーナは公爵に許されるまではつつましくだまっているしかないので、公爵が答えます。


「エルハイムきょうがお使いになる実用的な魔法の数々にくらべれば、ごくつまらない女の手慰てなぐさみです。とはいえ、イリーナのきよう用さは姉たち以上ですよ」


 今では考えられないことかもしれませんが、昔はこのような価値観が主流でした。

 イリーナ自身も気にせず、むしろ公爵が彼女の淑女しゅくじょらしさを強調してくれたことをほこらしく思いました。


「お裁縫さいほうは普段から?」


(お父様がめているのに、どうして無視して話題を変えるのかしら?)

 イリーナはなかば本気でいぶかしみました。

(会話が下手なの? 社交辞令が分かっていないの? それとも、自分はお父様と対等たいとうな貴族だ、という意思表示のつもり?)


「ええ。侍女どもの話では、一度始めると熱中して、いくらでも続けたがるそうです。ですが、本人は読書のほうが好きだと申しておりまして、実際、話し相手として退屈はしませんよ」


「素晴らしい。将来は良いおよめさんになりそうですね」


 ガーランド公爵が大きくうなずきました。


「エルハイム卿もそう思われますか」


 エルダーは軽はずみな言動をとがめられないことを気楽に感じたのか、軽口をたたき始めました。


「イリーナさんはおきれいですし、社交界で競争になってるんじゃないですか?」


 彼の“屈託くったくのない”顔を見たイリーナは、

(この人はもしかすると、一介いっかいの下級貴族が公爵であるお父様に息女そくじょを紹介されることの意味が分かっていないのかもしれない)

 と気付きました。

(それどころか、その場その場で思いつきを口にしているだけで、会話の流れや含意がんいを読み取ろうという発想がないのではないかしら)


「正直、“是非ぜひに”という家は多いですよ」


「やっぱり! 私も立候補してみましょうか?」


(こんなバカ……! こんなバカが、わたしのお婿むこさんですって!?)

 イリーナはじらっているかのように少しうつむいて顔を隠しつつ、内心では愕然がくぜんとしていました。


 その間にも、公爵とエルダーの会話は続きます。


「おぉ、娘を妻として受け入れてくださいますか」


「でも、学生のうちにこんな美人と結婚したら、勉強どころじゃなくなっちゃいますよ、はははっ」


「では、今は婚約だけにして、エルハイム卿のご卒業に合わせて正式に結婚、ということでどうでしょう?」


「それは良い! 言うことありませんね」

 何でもないことのように言って、エルダーが頭をきました。

「となれば、長かった独身生活もあと2年とちょっとですか。ついに年貢のおさどぎ、なんつって」


 ガーランド公爵は、にこやかに深く頷きました。

「では、そういうことで」


「……そういうこと?」

 エルダーはあからさまに戸惑った顔になりました。


「はい。そういうことで」

 ガーランド公爵がゆっくりとかえしました。


「えっ……、今の、営業トーク的な……」


 エルダーは何事かつぶやきましたが、ガーランド公爵もイリーナも、取り合う気はありませんでした。

 イリーナはため息がこぼれそうなのをグッとこらえて、ひざを折り一礼しました。


不束者ふつつかものですが、末永すえながくよろしくお願いいたします」




<転生者の花嫁、完>


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