ゴッド・ブレス・ユー

五芒星

神話は“正義”のためにある。

1. 独善

第1話 独善①

 正義はなんのためにある? 


 弱者を守るため。

 平和を維持するため。

 秩序を成すため。


 どれも間違い、大間違い。

 答えは簡潔、ただ一つ。


 「悪をボコすためにある」



 男は、一心不乱に夜の住宅街を走っていた。数秒前にくじいた足が痛むが、ただの一秒も止まる余裕はない。

 どうして。男の脳裏をそんな言葉が掠めた。ただいつものように、公園で仲間たちと馬鹿騒ぎをしていただけだ。大抵は誰かに邪魔されるが、ポリ公が来たらズラかればいいし、近所のジジババなら適当に威圧してやればよかった。だが、今日現れたのは。


「あ、いたいたー」


 男の進路を塞ぐように少女が姿を現した。鉄パイプを引きずりながら。

 “ふざけるな”そんな言葉が口をついて出た。さっきまで自分の後方にいたはずの少女がいつの間にか先回りしているのだ。確かに距離を取って、全力で逃げた。そのはずなのに──


「えーと、公園を占拠した罪、付近の住民を威圧した罪、あとは……罪から逃げた罪、ですです?」

「な、なんなんだよぉ!! お前はっ!」


 男は吠えた。力の限り吠えた。

 仲間全員は日頃から鍛えているし、腕っぷしには自信があった。間違っても女一人に後れを取るなんてあり得ない。そのはずだったのに、それが当然だったのに、自分以外の仲間は、もう。


「──うん! 有罪ですね」


 少女は平然と微笑んだ。狂気は微塵もなく、純粋に。


「お、俺は悪くねぇ! なんもしてねぇ! そもそもお前誰だよぉ!」

「う~ん?」


 少女は人差し指をこめかみに当て、不思議そうに首を傾けた。


「“悪いこと”しましたよね?」

「お前には迷惑かけてねぇだろ! なんなんだよ、警察でもねぇ癖に!!」

「ほむほむ、確かに? でもでも──」


 少女は、笑顔で告げる。


「──それって、わたしに関係ないですよね?」



「よっこいせっ、と」


 少女、斑目まだらめ めじろは元気よく立ち上がった。肩に担いだ鉄パイプの先端に着いた、まだ新しい血が月明かりに反射して輝いている。


「ぅ、ぉ、ぇ……あ」


 地面を這いずる男にはもう何も見えていない。額から流れる血は目を潰し、腫れた肌が視界を塞いでいるからだ。だから、もうどこに逃げればいいのか分からないし、恐れている対象がどこにいるのかすら分からない。行方もなく彷徨う手は何もつかめない──そこらに転がった自身の歯を除いてもう、なにも。


「あっ、ダメですって動いちゃあ」


 めじろは、鉄パイプを振りかぶった。



「あー……ちょっと使いすぎちゃいましたかねー」


 めじろは担いでいた鉄パイプの先端にべったりとついた血を、面倒くさそうに見つめた。

 本当ならそこらへんに捨てる。でよかったものの、ここまで露骨に血がついていてはそういうわけにもいかない。


「まーいっか! この人に全部被ってもらっちゃお」


 動かなくなった男を、鉄パイプと一緒に川に捨てる。

 気分は上々、るんるん気分だった。


 夜の巡回も、もう慣れたものだ。はじめてからかれこれ5年になるが、ここら一帯の街並みはもう把握しきってしまった。だというのに、“悪”は死体にたかるハエのように沸き続ける。


「う~ん、結構潰したと思ったんですけどね~?」


 首を左右に振ってみても、答えは出ない。人がよほど愚かなのか、それとも悪が栄えるのが早いだけか。恐らくはその両方なのだろう。

 もっとも、めじろの目的は悪を撲滅することではない。湧いてくれるなら湧いてくれるだけ、潰せる分が増える。


「らんららんらら~ん」


 悪を滅多打ちにするのは楽しい。楽しいし、正義だ。だからめじろはこの巡回を今まで辞めなかったし、もちろん辞める気もしない。


「ららららんらら~……およ」


 と、めじろは足を止めた。静寂に包まれているはずの夜の住宅街に乾いた音が響いたのだ。金属と金属がぶつかるような音──住宅街に似つかわしくない音だ。


「……なんだろ、これ~?」


 ここ5年間で聞いたこともない音。それはめじろの興味を掻き立てた。

 スマートフォンを見れば夜の九時、就寝時間まではまだ余裕がある。



 住宅地の外れ、山との境で音は消えた。残されたのは少し遠目に見える閑静な住宅地と、黒い影だけを抱く山の斜面のみ。


 落胆を隠せないめじろが山の中まで探索網を伸ばそうとしたそのとき、木々に囲まれた山道の奥から誰かが姿を現した。ちょうど影の中にいるためその全貌は掴めないが、恐らく男。左腕を庇っているようで、足元もおぼつかない。


「あのー、そこの人ー? もしかしてケガしてます? ますよね?」


 めじろが声をかけると、男は枝葉の影から身を月光の元へと晒す。

 男は、明らかに怪我をしていた。シャツは破れ、血が滲み、土と蔓で汚れていた。


「……クソッ」


 めじろに気づいているのかいないのか、男はその場で膝をつく。呼吸は乱れきっており、もはや一歩だって歩けはしない。


「あのあの、聞こえてますー? 見えてますー?」


 男は、そこで初めてめじろの姿を認識した。その目は見開かれ、口からは乾いた声が漏れ出す。


「──にっ」


 男が口を開き、何事かを喋ろうとした。だが、その怪我ゆえか台詞は詰まり、その場で荒い咳を繰り返す。


「に? に──なんです? ニシン、煮物、ニカラグア、にらめっこ……あ、ニット帽!」

「逃げろっ!!」

「……ありゃ、ハズレ」

「いいから早く、街の灯が届くところまで逃げろ! でないと──」

「でないと?」


「──でないと、ワタシが来る。そう言いたいんですよ、彼は」


「およ」


 ガチャン。という機械音にも似た足音と共に、山の斜面から“それ”は現れた。

 黒鉄色の装甲は独特の稼働音を立て、三角の集合で形作られたような鋭利なデザインの頭部はその深紅の、恐らく目であろう部位を光らせる。


 騎士とも機械ともつかない存在が、めじろの背後に立っていた。くぐもった声は機会音声とも肉声とも取れるものであり、どちらかの見分けはつきそうにない。


「……人、ですです?」

「ああ、そうですよ。ワタシはれっきとした人間です」

「ほほ~ん。するってーとそれは鎧ですか~」


 じろじろと舐めまわすようにその鎧を見回すめじろ。


「クッソ……遅かった……」


 男は茫然と、絶望したかのように両手を地面についた。


「所詮はこんなものです。あなたは正しくあろうとした。しかし、ワタシはそんな正しさを喰らう側だった。それだけのこと」

「あのあの、置いてけぼりにしないでくださいよっ!」

「おっと、これは失礼」


 鎧は、二人から一歩引くと、


「それでは、ええ、後腐れなく──」

「……あ、これ、ヤバめですです?」


 それは、予感。猛烈な“死”の予感。


「──殺して、さしあげます」


 咄嗟に、蹲る男を抱え上げて退いためじろの目の前に、巨大な手のひらが着弾する。

 機械とも鉱物ともとれないその手のひらは、ある程度は固いはずの地面にめり込み、粉塵をまき散らした。


「もう一発……来るぞっ!」


 抱え上げられている男が叫ぶ。めじろが頭上を見上げれば、そこには二つ目の手のひらが、宙に浮きながらこちらを見下げていた。

 手のひらの中央には大きな瞳のような部位があり、鎧と同様に深紅の光がめじろを照らす。


「……わお」

「逃げろ早く! 山のほうだ!」


 手のひらが地面に向けて猛スピードで激突する。既にそれを避けていためじろはそのままの勢いで走り出した。


「なーんで追われてるんです? わたしたち」

「俺はアイツに喧嘩を売ったから、お前はそこに居合わせたからだ」

「あちゃ~、藪蛇だったかー」

「……落ち着いてるな、お前」

「まあ、落ち着かないとにっちもさっちも、ですからねぇ」


 夜の山道、明かりはなく、虫のさざめきのみが聞こえる。

 前日の雨で地面はぬかるんでおり、満足に走ることは難しいし、前方の闇は、いつ足を踏み外して山肌を転げ落ちるか分からないリスクを孕んでいた。


「どうしよっかなー」


 未だ男を抱えつつ、めじろは呟く。なにが起こってるのかは知らないが、今自分がするべきは逃げること。しかし、どこまで逃げればいいのやら。


「……おい」

「はいはーい? どうしました?」


 抱えている男が小声で言う。


「これを耳に」


 男が差し出してきたのは、インカムだった。男を後ろ向きに背負っているので少々手間取ったが、めじろはそれを受け取る。


「なんです? これ」

「話したいんだとよ」

「誰が、ですです?」

「俺の……ボスだ」


 インカムを一通り眺めためじろは、それを躊躇せずに右耳にはめ込んだ。途端、聞こえてきたのは──


『やあ、どうやらウチの子がお世話になったらしいね』


 中世的な声。一般的には“鼻につく”という分類に入る言い回しをもって通話越しに現れたその人物は、余裕たっぷりな台詞を伴っていた。


「どもども~、えっと、どなたで?」

『そんなことはどうだっていいんだ。問題はキミが、そして彼が生き残るかどうか、だろう?』


 自身が抱える男へとめじろが目線を向けると、男は力なく手をひらひらと振った。


『時間がない。本題に入ろう。キミたちの逃走をわたくしがナビゲートする。心苦しくはあるが、今のわたくしにはこれくらいしかできないものでね』

「なーるほど! 面白そうじゃあないですか」

『では早速だが──そろそろ、来るぞ』


 風を切る音、木々が押しのけられて折れる音。正面の鬱蒼とした森を割り、自立飛行する巨大な手のひらが現れた。深紅の瞳から発せられる光がサーチライトの如くめじろの顔を染め上げる。


『道なき道へ入ることはオススメできない。追いつかれるどころか、追い込み漁にかけられるだろうね』

「ほぉ~、それは八方塞がりな」

『だからキミたちは上へ向かうべきだ』

「上っていうと……山頂ですか」

『ああ、山頂に存在するローラー滑り台なら下まで一気に降りることができる。撹乱にはもってこいだからね』

「滑り台で逃走って……できるんですです?」


 通話先の声の代わりに、抱えられている男が答える。


「あのクソッタレな手は直線的な動きは得意だが、その逆は苦手。ここの滑り台なら上手いことぐねっているからな」



 山道を駆けあがる。ときおり巨大な手のひらが上から横から突撃してくるが、その軌道は実に単純。直線で進んでくるのだからその場でちょっと立ち止まって見たり、くねくね蛇行してみたりすれば難なく避けることができた。


「お前……随分と肝が据わっているな」

「そーですかね?」


 立ち止まってみたり、蛇行してみたりすれば避けるのは容易い。だが、それらを行動に移すためには多大なる勇気と決断力が必要となる。ワンミスがイコールで死と結びつくのだ。目的地である頂上に一刻も早く向かいたくなるのが人心というもののはず。だというのに、この少女は。


「でもでもっ、わたし今わりと楽しいですー!」

『頼もしくもあり恐ろしくもあるね。キミ、名前は?』

「斑目 めじろっ、ただいま高校二年生!」

『斑目 めじろ……よく憶えておくことにしよう』


 会話する余裕すら生まれてきたころ、手のひらたちが行動を変えた。むやみやたらな突撃オンリーから、一つ目で追い込んで二つ目で捕まえる。つまりは追い込み漁方式に。


「おいしょっ……とぉ!」


 それでも、余裕をもってめじろはそれを乗り越えていく。それを支えるのは彼女の経験に裏打ちされた身体能力である。跳んで、跳ねて、あらゆる方法で巨大な手のひらの間を縫って進む、進む。


「れれれ、わりと楽勝かもですね」

『ああ、そうだね。問題は──』


 山道の先に、人影が降り立った。


『奴が直接、手を下そうとした場合だ』


 鎧とも機械ともとれないソイツは再び目の前に降り立つ。そんな奴の両側に手のひらが滞空した。兵が王に仕えるかのように。


「……通しては、くれなさそうですよねー?」

「獲物が“死にたくない”と言うから猟銃を下げる猟師はそうそういないでしょう?」

「ならっ、押し通りますっ!」


 駆けだす。手のひらの軌道を読み、その合間をすり抜けて──


「おわっ」


 回転する視界。どうやら自分の足は手のひらに掴まれているらしい。めじろがそう気づくのに数秒の時間も必要なかった。


「──三つ目の瞳」


 鎧がくぐもった声でおごそかに、確かな殺意を滞空させたまま声を発した。


「ワタシが三つ目の位置観測基準になることで、ワタシの狩りは完璧なものとなる。ワタシは嫌がらせが得意でしてね」


 めじろは男と共に泥の上に投げ捨てられた。インカムも泥の上に落ち、沈黙する。


「いたた……」

「残念ながらここまでです」


 ガチャン、と鎧が音を立てて近づいてくる。めじろの前に立ち塞がろうと、男がその足に力を入れるが、未だ負傷が重く重く響いているせいでろくに立ち上がれない。


「おい、逃げろ! ここは俺が……ぐっ」

「いやぁ、無理ですって。インカム先の人が言ってたみたいに、ほら」


 既に二人は山道から外れた辺りに投げ捨てられている。ここからでは逃げるにしても枝葉を掻き分けながらになる。とても手のひらの軌道を想定しながら、なんてことはできない。


「この……俺がお前に出会ったばっかりに……」

「いいんですって。ほら、見てくださいよ~」


 ぱたん、とその場に倒れ、めじろは頭上を見上げた。

 山の中にまでくると街の灯りは随分と薄くなり、満天とはいかないまでも、随分と綺麗な星空が広がっている。


「最後に見る光景にしては……悪く無さげじゃないですか」

「お前……」

「あっ、ほら流れ星ですよ」

「……」

「おお……随分と変わった光と色ですね」

「……どこに流れ星が──おい、待て、お前、まさか──」


 流星。それは、空を墜ちる一筋の星だった。天蓋のスパンコール。名も無いそれのうちの一つが墜ちてくる。

 それは彼女にとって、自身の正義への祝福とも思えるものだった。星はきらりと輝いて、地平線に消える──までの一瞬。めじろの意識は急速にそれに吸い込まれていく。


 視界が、染まった。



 金色の天秤、幕の下りた劇場。席に観客はおらず、かわりに金色の頭蓋骨がうず高い山を形作っている。

 そのてっぺんにがいた。こちらに一切の注意を払うことなく、関心もない。けれど、見ている。こちらを、見ている。


「誰ですかー?」


 めじろの声は虚空に吸い込まれて消えた。返答はなく、代わりに現れたのは、眼前の立体。

 それは一見すると、ルービックキューブに似ていた。形もサイズもそのまんま。だが、その全面は均等にクリーム色の区画で埋め尽くされており、何本かの鎖がぐるぐると巻き付いていた。


「ほほぅ……これはまた随分と奇抜な」


 ちょん、と突いてみればキューブは瞬く間にめじろの周りを一回りし、そのまま身体の内に溶けて消えた。


「……ああ、そういう」


 デジャヴに似た感覚。しかしそれはどちらかといえば後天的に移植されたような類のもので、というほうが近いのかもしれない。


 唐突に、意識が戻った。元の場所、元の時間、元の視点。ただ違うのは、眼前に浮かぶ先ほどのキューブ。


「お前……そうか、お前も──」

「……ああ、まさかとは思ったんですが」


 がちゃん、と鎧が歩みを止め、空を見上げる。


「感化されたんですか? それともちょっかいをかけたいと? まったく、我々の観客はよほど劇的な展開が好きと見えますね」

「うーん、二人ともこれがなにか知っているみたいですねー?」

「……それは、あなたもでしょう?」

「妙なんですよ~、勝手に、なんか、ほら」

「……言わんとすることは分かります。ワタシも通った道ですので」


 一言で説明するなら、“割り込み”。記憶の隙間に無理やり知識を詰め込まれた感覚。それは心底気味の悪いことではあったけれど、今の状況では、逆に。


「──これであなたに対抗できる、ですです?」


 立ち上がっためじろは、キューブをそっと手に取った。脈動するような光を放つそれは彼女の心臓の鼓動とリンクして明滅する。


「……そうなる前に──処理します」


 鎧が指を鳴らす。手のひらが一斉に殺到する。しかし、めじろにはもう分かっていた。どうすればいいのか、すべてが。


「そんじゃまあ」


 キューブを指の上で一度回し、なにもない空間へ差し出す。差し込む。そうすれば、受け止めてくれる。


──To: Ariel > CONTACTアリエル・コンタクト


 どこかでが呟いた。


 それは、文字通りの交信コンタクトであり、文字通りの──


「──“転神”」


 ""CALLING""


 呼び出しのベルが鳴る。誰かがそれを煩わしそうに取った。



 キューブは回転し、そして分割する。それらはその勢いのまま薄いガラスのようなケースの中で回り続ける。

 文字通り、変わる。神へと、その身を転ずる。



 これが、始まり。

 いいや、とっくに始まっていた。


 斑目 めじろという一人の少女が信じる“正義”がもたらす不可逆と、それによって救われ、落とされた者たちの道程。

 これは、そういう物語だ。

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ゴッド・ブレス・ユー 五芒星 @Gobousei_pentagram

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