第2話

 運良く残業で親がいない家に帰ってからは、眠れなかった。

 自分が受けた言葉はなんの変哲もない、社交辞令のような言葉、「またね」なのにその一言が嬉しかった。

 食べることさえ忘れかけるほどの衝撃だった。

 そんな言葉をここ最近、受け取ったことがなかったから。

 春に咲く花のような顔を思い出す。

 光を失ったプラネタリウムのような意味のない人生に、太陽が生まれた瞬間だった。

 しかし、僕は不登校である。

 そう知られたら果たしてどんな反応をされてしまうのだろう。

 失望か、哀れみか、あるいは狂喜か。

 まあ、三つ目の選択肢は無いだろう。

 しかしまだ、カップラーメンが出来上がるよりも短い時間しか、彼女と言葉を交わしていないので、僕はそれについて考えることを後回しにして、自室の電気を消した。


 翌日、僕は借りた本と勉強道具を背負って図書館にやってきた。

 何を期待しているのかと自分の行動に吐き気を催しつつ、昨日僕の目の前に現れた太陽を待つ。


 どれほどたっただろうか、待っている間に古典の単語帳は100語以上進み、照っていたお日様は居眠りを始めた。

 心なしか雲が増えてきたような気のする空を見上げる。

 いまだに影も形も見えない彼女は、きっと土曜日だし予定でもあるのだろう。

 勝手に期待して、上がりきっていたテンションが落ち着くと、僕は思った。

 今日会うなんて約束は一切していないし、そもそも毎日彼女がここに来ているなんて保証はないし、きっと僕みたいに予定が白紙というわけではないはず。

 ショートボブだからバスケ部か、バレーボール部か、何か部活動だってしているかもしれないし、友達とスターバックスにカフェオレを飲みに行っているかもしれない。

 ゲーセンで友人と笑顔でプリクラを撮っているかもしれないし、なんなら彼氏だっているかも。

 いや、きっとそうだろう。

 彼女にはなにか暖炉のような暖かさがあった。

 人が周りに集まってくるような……

 僕は儚い希望と勉強道具をカバンに詰め、帰る支度をした。

 小説の世界なら、ここで後ろからひょっこり現れたりするんだけどな。

 嘆きながら極寒への扉に近づく。

「風斗くん」

 突然後方から僕を呼ぶ声が聞こえてきた。

 その声は彼女の声と比べれば、一回りほど低いものであったので、僕が望む人ではないということはすぐに分かった。

「君はのぞみちゃんに合わない方がベターだよ。」

 くるりと後ろを振り向いた僕は、視界にこの図書館の司書である読好よみすきさんを捉えた。

 昨日、僕と彼女が会話しているのを見たからなのか、少しバツの悪そうな顔をしながら、こめかみに一筋の汗を垂らしている、少し色の抜けたポニーテイルで一回り上の年齢のお姉さんはは僕に向かって警鐘を鳴らしてきた。

「どうしてですか?

確かに僕はあまり褒められた人間じゃないですけど……」

 僕は当然の疑問を発した。

 僕と読好さんは僕が図書館に来るたびに喋るというわけではないが、彼女は僕が普段学校に行っていないことは知っているし、そのことに関して糾弾されることは今までなかった。

 逆に僕も読好さんが司書になったきっかけとか、好きな本、性格なども知っている。

 ちなみに、お気に入りは「《物語》シリーズ」だとか。

 つまり、それなりに会話をする機会はあるものの、これほどまでに厳しい言葉をぶつけられたのは初めてだったということだ。

「ショックに思うかもしれないし、あんまりディープなことは言えないんだけどね、あの子、不登校というのを心底軽蔑してるんだよ。」

 僕は黙った。

 空気は凍った。

 あまりの衝撃で声も出なかったのと同時に、悪いのは、絶対的に僕だからだ。

 僕は、いるだけで邪魔になるような人間だ。

 担任の先生は僕みたいな人間がいるせいで、いちいち家庭訪問したり、連絡したりと仕事が増える。

 親にとっては無駄に金を浪費している存在。

 例えばもし僕が母に勘当されたとしたら、こんな僕に引き取り手なんか現れないだろう。

「決して君をアンハッピーにしようとしているわけじゃあないよ。

 確かに今は元気がなくなっているかもしれないけど、仲良くなってからこのことを知られたらもっと辛いよ。

「いっそ最初から出会わなかったら良かったのに」なんて言葉は聞きたくないんだよ」

 僕は司書さんが、嫌がらせをするような人ではないと知っていた。

 話す顔は真剣で、一つも冗談の色が見えなかった。

 僕は少しの間、バッテリーを取り外されたロボットのように固まっていた。


 なんで?

 僕が固まっていたのはおおよそ十秒ほどだっただろうか、ぎこちない動きのまま自動ドアを出て自転車庫について、さっきの読好さんが言ったことを反芻しながら感じた。

 

 確かに僕みたいな人間は煙たがられるかもしれないが、実際、ここまで厳しい言われようをするだろうか。

 親とかならまだしも、見知らぬ人にとって不登校というのは、どうでもいいとか思われるような存在なのに。

 特定の人間ならまだしも、それ全体が嫌いだなんてよく分からなかった。

 つまるところ、僕は彼女のことを諦めなかったのである。

 絶対に隠しきろう。

 僕は今日、そう決心した。

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