本と君とそれから秘密と
友真也
第1話
県立三坂高校の一年生である、僕、
僕は今、勇気が出るのを待っている。
教室の中からは集合体のようなカリカリとペンと机が擦り合う音と、落雷のような先生の声が聞こえてくる。
でも、授業中にもかかわらず僕の席には誰にも人が座っていない。
なにしろ、僕は不登校なのだから。
正しく僕の状況を整理すると、この県立城東高校の敷地内にはいるのだから不登校というよりも保健室登校と表した方が近しいことは確かだろう。
しかし、クラスの中から見たらそんなのはどっちも一緒だ。
そこにいないのには変わりない。
そこにいないならどこにもいない。
僕は多分教室で、最初からなかったかのように扱われているだろう。
機械の歯車が一つ止まったら全てが狂い出すが、人は一人が消えても当然の如く回っていく。
自分の価値というのはこんな物だったのかと嘆いたことが今は昔。
「なんでこうなったんだろうな」
空虚に向かって教室に届かないようボソリとささやく。
僕は頭を掻きむしった。
白い粉のついた学ランはまるで僕の心のようだった。
真っ黒だった制服が真っ白になってしまうのも時間の問題かな。
僕は今日も教室に入ることは出来なかった。
十二月の晴れた日。
弱々しい太陽が僕を照らしながら強い北風を吹かせると、イチョウの枯葉が目の前にポトリと落ちた。
ほとんどはげきってしまったその木が落涙しながら僕を出迎える。
僕は放課後、この学校から自転車で三十分ほどの図書館で多くの時間を過ごす。
わざわざここまで来るのは、同じ学校の生徒に会わないようにする為だ。
もちろん読書をすることもあるが、足りない勉強時間をここで補うことが主目的だ。
家では集中することが少し難しい。
そこの居心地は決して良いものではない。
自転車を置いて館内に向かうと、いつもの通り自動ドアが無機質に僕を出迎えて、中へと誘った。
借りた本を返したあと、最初に新たな一冊を借りるのは、僕のルーティン。
僕は目的が無ければおそらく外に出ることはないだろうが、本を返すためには必ず図書館に行かなければいけない。
つまり、それ自体が好きと言うこともあるが、一番大きなものは引きこもりにならないために僕は本を借りていると言うことだ。
一冊手に取ると、僕はいつも通り見知った仲の司書さん、読好さんに貸出をお願いした。
「一月四日だよ」
僕は本を両手で受け取ると、ありがとうございますと頭を下げ日の当たらない窓際の一番端の席で勉強を進める。
僕は早速その席に参考書と教科書を広げて数学の問題、指数関数を解き始めた。
「……きて、……起きて、起きて」
どうやら勉強の途中で寝てしまっていたらしい僕はバッと顔を上げた。
そして目の前にいた声の主を見た。
(僕の学校の制服……)
ただ、見知らぬ顔ではあった。
「閉館時間だから、外に出ないと怒られちゃうよ?」
僕は瞬発的に、ポケットに突っ込まれていた携帯電話を取り出した。
親からのラインの通知も目に入ったし、時計には七時十五分と書いていたので、閉館まではあと少ししかない。
僕は下を向きながら、急いで荷物をまとめて走り出していった。
慌てて駆け出た自動ドアの外。
逃げ出すように駐輪場へと向かう僕。
「お礼、言えなかったな……」
駐輪場についてすぐに、極寒の中白いため息を吐きながら僕はボソリと呟いた。
僕は自責の念にさいなまれていた。
他人とコミュニケーションを取ることがずっとなかった僕は、感謝を伝えるべきとわかっているのに声を出せなかった。
それに加えて不登校だと知られたくないというおかしなプライドも僕の邪魔をしていた。
同じ学校の人だから。
僕は母親に「いまから帰る」と返信し、極寒の中、自転車の鍵を開けてサドルに跨ると真っ暗な道をゆっくりと安全運転で走る。
なんでいつもこうなんだろう。
一言、言葉を交わすだけなのに。
お腹から、喉から、唇から、空気を震わせるだけなのに。
なんでこんなに難しいんだろう。
あの時もきっと最初に言葉を交わせていたら、笑顔で教室に入れていたはずなのに。
でももうきっと、僕はこの図書館に向かうことは無くなるだろう。
ここはもう、教室と一緒。
僕は借りたばかりの本を横目にそう思った。
僕の心と重なるように冷たい向かい風が僕を痛めつける。
強い風は僕を押し戻した。
僕は仕方なく自転車を押しながら歩いて帰ることにした、長くて、重い帰り道。
永遠に続くような長い直線と、月が世界を照らしているほど明るいにもかかわらず雪に車輪を取られているような感覚が全身から感じられた。
まるで世界に一人しかいないような、理想的な世界でもあった。
ただ、理想というものはすぐに崩れるから理想。
すぐに現実が、僕に向かって覆い被さってくる。
しかし、時に現実は理想を超えてくる。
「ねぇ!
忘れ物、してるよ」
僕は声に驚き、ばっと後ろを振り向いた。
僕より一回りくらい小さいシルエットが、そこにはあった。
さっき、図書館で起こされた時と同じ少し高い声だった。
しかし耳をつんざくような不快な音ではない、むしろ安心するような高さだ。
僕が下を向いていて見えなかった顔は、暗闇に映えた街灯に照らされ、大きく際立っている目に、小さな鼻が添えられていたその顔が見えていた。
ショートボブを揺らしながら追いかけてきたのか、息はかなりきれていた。
そして彼女の冷えて紅潮した手には確かに僕のシャープペンシルが大事そうに握られていた。
一歩一歩僕に近づいてくる彼女は、薄く赤いマフラーを首にかけていた。
アンバランスに上着は着ていないのに。
「はい、次は忘れないでね」
彼女は真っ白な息と共に声を出しながら、ペンを落とさないようにそっと僕の手のひらの上に差し出した。
少し触れた彼女の細い指先は冷たいのに、暖かかった。
なんでわざわざこんなお礼も言えなかった僕のために来たのだろう。
なんでペンを司書の人に「忘れ物です」とか言って渡さなかったんだろう。
学生服のスカートを履いているのだから足だってきっと冷えているはずなのに。
でも、これだけは言わなきゃ。
僕はなんとか振り絞って心の底から音を発した。
「あ、ありがとうございます」
彼女はくるりと振り返ると首をこっちに傾け「じゃあね」と言って、夜の闇に消えていこうとする。
今ここで何もせずに離れたら、たとえ僕は次に会う機会があっても声をかけることはできない気がした。
「待って‼︎」
だから僕は彼女を精一杯の勇気で止めた。
「名前は?」
主語も述語もないような短い、精一杯で単純な言葉は、寒空によく響いた。
彼女は、体の向きをくるりと変えて、口を開く。
「
君は?」
優しい声に僕は返事をした。
「僕は、僕は光野 風斗……っていいます」
暗闇でよく見えないが、彼女は多分きっと、紛い物じゃない笑顔だと思う。
あくまでそう願っているだけだが。
……
この言葉の続きを全く考えていなかった僕は、黙った。
どうしたらいいのか、気まずいだけの沈黙が僕たちの間を駆け抜けていった。
長く感じた短い時間のあと、彼女は体を反転させ、「じゃあ、またね‼︎」の声。
彼女は走り去っていった。
何も会話らしい会話なんてしていないのに、嬉しかった。
最後、僕が言葉に詰まったことが、どういう印象を与えたのかわからない。
でも僕は、家に帰ると、「またね」の言葉を信じ本を一日で読み切り、眠ることにした。
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