第11話 月とスッポン

さっきよりも狭い部屋に、兵士の監視付きでオリオンは入れられた。ディアナはすぐに縛めを外されたのに、自分はまだ縛られたままである。あの時、ルスランが「残りの者は出て行ってくれ」と言ったのを聞いた時、自分が「残りの者」の一人に過ぎないという現実をまざまざと突きつけられた。


いや、ルスランが部屋に入って来た瞬間から、自分とは住む世界が違う人種だと悟った。生まれながらにして王であることを宿命づけられた存在、その運命を粛々と受け入れ、道なき道を切り開く姿は、確かに王の名に相応しい。まだ王太子の身分だが、彼が世界を統べることは、既に約束された未来だった。


それに比べ、己の存在の卑小さよ。たまたま魔力を持っていただけで、たまたま師匠に巡り会えただけで、何者かになれると勘違いしていたのだ。紛れもない「本物」と対峙すると、一気にメッキがはがれてしまう。ついさっきまで、ディアナの隣にいることが当然と思っていたことが恥ずかしい。ディアナはあちら側の人間だ、決してこちら側に来ることはない。


一人がっくりうなだれていると、部屋の扉が突然開いた。はっとして顔を上げると、ディアナの父、アントニオスが入って来るのが見えた。


「ご主人様! とんでもないことをしてしまい、申し訳ありません!」


オリオンは手を縛られたままの状態で、地面に伏せて謝った。もうどれだけ謝っても屋敷を追い出されるのは確実だろう。それでも、何かしないことには気が済まない。アントニオスは、オリオンに巻き付いた縄をほどいてやってから静かに口を開いた。


「頭を上げなさい。別に怒っちゃいない。さしずめ、娘にせがまれて付き合わされたんだろう? あの子はわがままだから」


「いいえ、自分から進んでしたことです。決してディアナ様の言いなりになっていたわけではありません。これは私の失態で——」


「本当に怒ってないから。もうそのことはいいんだ。それより言っておかなくてはならないことがある。ディアナがルスラン殿下の婚約者候補の一人に決まった」


オリオンは絶句した。いや、婚約の話は前からあったのだからそこまで驚くことではないはず。そういう前提があったから、こんな形を取ってまでルスランはディアナに会いに来たのだろう。だがなぜ急に?


「ルスラン殿下はディアナを大層気に入った様子だ。あんなじゃじゃ馬に目を付ける辺り、王子もなかなかの変わり者と見える。本来なら国内選考もまだなんだが、殿下の鶴の一声でディアナがルーデラス代表に決まった。この後タランリオ王国に行って、他国の代表と競い最終的に一人が選ばれる」


タランリオに行くということは、ディアナと離れ離れになるという意味だ。余りのことに頭が真っ白になる。


「お嬢様はそれで納得されているのですか?」


自分は何を聞いているのだと頭の片隅では分かっていたが、それでも尋ねずにはいられなかった。あんなに束縛を嫌っていたディアナがすんなり受け入れるとは思えない。


「この結論に至るまで時間がかかったが、最終的には彼女自身が決めた。ああそうだ、もう一つ大事なことがある。君のことなんだが」


オリオンは反射的に身をこわばらせた。どんな沙汰も覚悟している。もうこうなっては誤魔化しようがない。


「ルーデラスに唯一あるトポルディア魔法学校に行ってみないか?夢だったんだろう?」


「は? 何のことですか?」


余りの急展開に頭の処理が追い付かず、間抜けな声を出してしまう。まさかこんなところでその話題が出るとは思わなかった。


「これは、ディアナの希望でもあるんだ。君への恩義もあるのだろう。資金はうちが出す、君が負担することはない。悪い話ではないと思うがどうだね?」


オリオンは、驚きの余りしばらくその場から動けなかった。頭が真っ白になったままどうすることもできない。やっと徐々に脳に血が巡り出してから、ある可能性に気付いた。


「それはもしかして……お嬢様がタランリオに行くことと交換条件とか?」


オリオンが恐る恐る言った言葉にアントニオスは何も反応しなかった。皮肉にもこれが肯定のサインだと気づいてしまう。オリオンは急に興奮して声を上げた。


「嫌です、そんなの! 確かに学校に行きたかったけど、誰かが犠牲になってまで叶えたいわけじゃない! お願いします! 俺はどうなってもいいからお嬢様のことは許してください! 何でもしますから!」


「君にできることは何もないんだよ」


アントニオスは厳かに告げてから話を続けた。


「娘のことを思ってくれているのは分かるが、子供の希望でどうにかなる次元ではないのだ。これは国や政治家の思惑が複雑に絡み合って決まったことで、私さえおいそれと口出しできない領域だ。どうか分かってくれ。ディアナは理解した上で君を我々に託したんだよ。その思いをくみ取って欲しい」


最後の方はアントニオスも辛そうな声になっていた。父として葛藤する部分があるのだろう。それでも到底納得できることではない。オリオンがなおも反論しようとしたその時、部屋の扉が開いて新たな人物が入って来た。


「殿下……なぜここに」


「ディアナが心揺さぶられる男がどんなものか見に来たんだ。どんなすごい色男なのかと思ってね」


ルスランが余裕綽々といった様子で歩みを進め、オリオンに目を止めた。彼と真正面から目が合う。どう考えても自分に勝ち目はない。オリオンは背を丸め顔を逸らしたが、相手は意外そうに目を細めた。


「なるほど。平民ながらに魔力を持っていて、流しの魔法使いに師事して魔術を会得したのか。その魔法使いはただ者ではないかもな。君も相当な腕前と聞くが」


「別にそんなことありません。他人と比べたことがないので、自分がどれほどかも分からないし」


オリオンは、ルスランがまぶしく思えてずっと直視することができなかった。路地裏で身をすり減らすように生きてきた自分と大国の王太子では格が違い過ぎる。しかし、ルスランはオリオンに対する興味が尽きないようだった。


「ディアナはずっと君のことを庇っていたぞ。自分が誘っただけで君は何も悪くはないと。君は君で彼女を庇ったんだろうが」


それを聞いたオリオンはさっと顔が熱くなった。何も庇ったつもりはない、本当のことを言ったまでのことだ。しかし、相手は全てお見通しのようだ。


「魔法学校のことも必死で訴えていた。自分がタランリオに行くから、君を魔法学校に入れてくれって。もう泣きだしそうな勢いで頼んでいたよ。彼女をそこまで突き動かす色男を見たくなってね」


オリオンは、色んな感情がごっちゃになって顔から火を噴き出さんばかりに熱くなった。すっかりルスランにからかわれているが、それどころではない。


「ディアナは、俺に負い目があるんだと思います。今日のことも俺は反対したから。でも自分を責めるなと伝えてください。俺は自分から楽しんでやっていただけだからって。もう会うこともないと思うので……」


脇で聞いていたアントニオスがコホンと咳払いをしてから言った。


「今タランリオの王太子殿下に言伝を頼んでいたの気付いてる? すごく不敬なことしてるんだけど?」


「えっ、いや、そんな意味では! ひいい、すいません!! どうか命だけは助けてください」


平謝りするオリオンに対し、ルスランは心から愉快そうにアハハハハと声を上げて笑った。


「いや、大丈夫だよ。私は心の広い王子様だからね! いや本当に、別に気にしてないって。ただちょっと妬いてしまったな。十分早く来たつもりなのに既に先客がいたなんて。でもその方が燃えるからいいか。じゃ気が済んだし、これでお暇するよ」


オリオンは何のことを言っているのか分からなかった。先客ってどういう意味だ? 呆気に取られながら首をひねるオリオンの横で、アントニオスは肩をすくめてから大きなため息を一つ吐いた。

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