第9話 絶対的王者

 ディアナとの秘密の冒険は数日おきではあるが、一日の仕事が終わった後に行うので、体力的にきつく感じることはあった。周りに気取られないようにする気苦労も絶えない。こういった配慮は全てオリオンがするもので、ディアナは一向に気にする気配がないのが少し癪だったりもする。それでも未知の領域に足を踏み入れる好奇心には勝てない。彼女と行動を共にすることが次第に日常の一コマになってきた。


もちろん、日中の仕事に穴をあけるわけにはいかない。怪しまれないためにも普段の仕事はソツなくこなす必要がある。上司のニコラスは、オリオンがディアナへの夜食を作りたいという名目で、ちょくちょく調理場を借りるのを気にしていたが、彼の働きぶりに不満はなかったので、敢えて何も言わなかった。それでも、特別に米を取り寄せて欲しいと言われた時は、流石に疑問を呈してきた。


「炊いた米を固く握って丸めたものです。旅先に持っていくのに便利なんですよ」


試食用にとオリオンに渡されたおにぎりは、殊の外おいしかったので、その時は不問になった。ニコラスの気を反らすのに成功したオリオンはほっと胸をなでおろす。


「お前も大変だな、お嬢様のリクエストとは言え色々作らされて。魔法学校に行きたいと言っていたが、貯金の方はたまったのか?」


「はい、お陰様で順調です。夜食を作る分、お給金に色をつけていただいているので」


ディアナの父、アントニオスも彼の作る料理には興味津々のようで、彼らのために作る機会も増え、少し給料を上げてもらった。お陰で予定より早くたまりそうだ。ここで働くようになって半年近く経ったが、この分だと2年もせず目標額に達せそうだ。しかし、当の本人は、ディアナと夜毎行く冒険の方に夢中になっていた。


「いつもあなたに調べさせるのは悪いからね。今回は私がよさげな案件を見つけてきたわ」


ディアナがふふんと得意気に言って来たのはそんな時だった。


「一体何の風の吹き回しだ? そんな簡単に見つかるとも思えないが?」


「父の知り合いの人がぽろっと漏らしてたの。出所は確かよ」


「ヤバい案件ならお断りだぞ。藪蛇になるからな」


「聞きかじっただけじゃなくて、自分でもちゃんと裏取りしたから大丈夫よ、信じられないって言うの?」


世間知らずのディアナの調査など当てにならないに決まってるだろと言いそうになったが、ぐっと我慢した。実際に口にしたら、逆上されるのは必至だからだ。


「で、どんな内容なの?」


「隣国のタランリオ王国から使者が来て、古代神殿でレセプションが開かれるんですって。そこですごく高価な宝石の授与があるんだけど、それを狙う輩がいるとか。警備を増やして対策はしてるみたいだけど、私たちで悪い奴らを先に懲らしめちゃいましょう」


「おいっ! それはやめた方がいいよ! 国絡みの案件だろう? 規模がでかすぎて俺たちの手には負えないって」


「私とあなたならできないことなんてないわ? 大丈夫、神殿の中まで入らなくてもその手前で捕まえれば大ごとにならないって」


ディアナはどうも楽観的すぎるところがある。今までもそのせいでひやっとした場面は数知れなかったが、なぜかどれも運よく切り抜けられた。そのせいで、彼女はますます自信をつけたようだ。だが、オリオンは嫌な予感がした。今までは市井で起きた事件ばかりを扱って来た。しかし、国が主催する行事にいっちょかみするのは危険度が何段階も上がる気がする。失敗したら、子供の悪戯で許してくれるだろうか?


しかも、会場は古代神殿だ。古代神殿とは、遥か昔にこの地で栄えた古代文明を象徴する歴史的建造物で、今なお美しい姿を保つことから、国を挙げた大型行事に利用されている。当時の信仰や霊的な力は衰えたと言われているが、一方でオリオンが操る魔術の類とは相性が悪いとされている。もっとも、信仰が途絶えた今では恐るるに足りないと主張する意見もあり、はっきりしたことは分からない。しかし、慎重な性格のオリオンは、できれば避けておきたかった。


「どうしたの? 難しい顔しちゃって」


「やっぱりやめた方がいいよ。何か嫌な予感がする。古代神殿で魔法は余り使いたくないんだ」


「そんなの迷信に決まってるじゃない! あなた変なところで信心深いわよねえ? ジンクスなんてないってこと証明しましょうよ! そうと決まったら早速準備するわよ!」


結局、ディアナを思いとどまらせることは、オリオンにはできなかった。こうして、決行の日は刻一刻と近づいていた。


**********


古代神殿は、カリンシュアの旧市街地にある。現在栄えている中心街とは少し離れており、落ち着いた雰囲気で夜になると静寂に包まれる。酒を提供する飲食店も点々と存在するが、お祭りのような喧騒はここにはない。


ディアナとオリオンは、いつもより少し早めに家を出て旧市街地までやって来た。アントニオスもこの日は家を空けていたため、夕食は部屋で食べますと言ってうまく誤魔化せた。犯行が行われるならレセプションの前だろう。こちらも前もって準備しておく必要がある。


「ねえ、いつものお願い」


古代神殿が近づいたところで、ディアナは付与術をかけるようにオリオンに言った。毎度のやり取りである。オリオンは通常通りに術をかけた。


「ほらね。別にいつもと変わりないじゃない。やっぱり迷信は迷信なのよ」


ディアナは何にも気にしていなかったが、オリオンは、心のわだかまりが残っていた。古代の霊的な力に跳ね返されるとまでは思ってないが、かつての聖地で異教の術を使うのが何となく憚られる。これは信仰心と関係するものだから、迷信と言われればその通りなのだろうが。


二人は、そろそろと古代神殿に近づいた。怪しい人影は見当たらない。本当に賊なんて現れるのか? 高価な宝石というのはどこに保管されているのだろう? おまけに、警備を厳重にしていると言っていたが、兵士の姿はどこにも見当たらない。二人がここまで接近できるというのが何だか変な気がする。オリオンは、心の中に芽生えた違和感がむくむくと頭をもたげるのを止めることができなかった。


「ねえ、ディアナ。様子がおかしい。一旦戻ろう」


「ここまで来て何を言ってるの? レセプションはこれからよ? 今が一番危ない時じゃないの。戻るとか——」


しかし、彼女は最後まで言い終えることができなかった。背後から聞こえた鋭い声に遮られたからだ。


「お前たちここで何をしている? 中に侵入しようと言うのか?」


相手はカリンシュアの街を守る兵士だ。ここを警備するためにいるのだろう。まずい。逃げなければ。付与術が利いているから簡単に逃げられるはずだ。しかし、走り出して術が切れていることに気付いた。いつもより体が重い。早く走れない。なぜ? 普通はこんなに早く効果が切れることはないのに。いつ切れたかすら分からなかった。


焦ったオリオンは咄嗟に強い光を出して、相手の目をくらませようとした。しかし魔法が無効化されているらしく何もできない。やっとここに来て窮地に陥ったことを認めざるを得なかった。


「オリオン、これどうなっているの!?」


混乱しているのはディアナも同様だ。たちまち二人は複数の兵士に取り囲まれ、あっさり捕縛された。後ろ手に縛られたディアナは大声で喚き散らす。


「私たちは怪しい者じゃないわよ! ここに賊が入るという情報を入手して先に捕まえようとしただけ! 怪しい者じゃない! 私はディアナ・ドゥーカス! 家に連絡すればすぐに分かるから!」


「賊? そんな話は聞いてないぞ」


兵士の一言に二人は青ざめた。一体どういうことだ? そして、更に追い打ちをかけられることを言われた。


「ドゥーカスと言えば、ここにアントニオス・ドゥーカスが来ているはずだ。パーティーに出席すると聞いている」


「何ですって……お父様が?」


ディアナは言葉を失った。これで万事休すだ。青ざめて黙りこくるディアナの横で、オリオンがぼそっと呟いた。


「罠だ。嵌められたんだよ。俺たちは偽の情報を掴まされ、泳がされてまんまと捕らわれた」


「うそ……まさか……これで終わりなの?」


ディアナはうつむいたまま震える声で答えた。とても現実を受け止められる状態ではない。そんな彼女を見るのが辛くて、オリオンは顔を背けて目をぎゅっとつぶった。


二人は、古代神殿の建物の中の控室のようなところに連れて来られた。これから誰がやって来るのだろうか。待ってる間、二人とも一言も会話を交わさず重い沈黙だけが流れる。やがて、扉が開いて誰かが部屋に入って来た。


アントニオスかと思ったら違った。初めて見る人物だ。サラサラした金髪を後ろにまとめ、日焼けした肌は色つやが良く、中空海の色を写したような青い目がこちらを見つめる。ぱっと見、20歳そこそこと若いのに既に王者の風格を備え、彼が入って来た途端部屋の雰囲気が一変した。誰かは知らぬがただ者ではないのは一瞬にして分かった。


「初めまして。ディアナ・ドゥーカスだね? 君の噂は聞いていたよ。ずっと会いたいと思っていた。けど、こんな形で初対面を迎えるとはな。私は、タランリオ王国のルスラン王太子。心当たりがあるのでは?」


ディアナははっと息を飲んだ。灰色の目が驚愕で大きく開かれる。まさかここに隣国の王太子が来ていたとは。こんなところで、手を後ろに縛られた状態で会う羽目になるなんて。


オリオンは、唇をかんだまま事の成り行きを見守るしかなかった。タランリオ王国絡みのレセプションと聞いた時点で察するべきだったのだ。これは、てこでも動かないディアナをおびき寄せるための罠。こうしてルスラン王太子とディアナが会うのも計算通り——。その考えに至った時、背筋が凍る思いがした。


タランリオ王国と言えば、この地域一帯を束ねる大国である。ルーデラス公国とは歴史も文化も異なるが、古くから交流は盛んで人や物資の行き来が絶えない。また、婚姻関係により結束を深めることで、歴史はあるが小国のルーデラスの後ろ盾になってもらっている背景がある。タランリオは、1000年以上もの歴史があるが、その浮き沈みの中で、今が第二の黄金期と言われている。その繁栄を築いたのが当代のゾルダン国王と、若いうちから頭角を表し将来の名君として誉れ高いルスラン王太子だ。


今、二人は、飛ぶ鳥を落とす勢いのルスランと対峙している。ルスランは、抜けるような青い目でディアナをまっすぐ捉えて言った。


「君と二人で話がしたい。残りの者はここから出て行ってくれ」


ルスランはディアナの縛めだけ解くと、兵士に命じてオリオンを別室へと移動させた。こうしてオリオンはディアナと離れ離れになった。

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