第5話 無邪気なたくらみ

それからというもの、オリオンは毎日ドゥーカス家の調理場で働くようになった。ニコラスにも料理の腕を認められ、何かと頼りにしてくれる。ルーチンワークは難なくこなせるが、彼を悩ませたのは、ディアナからの突発的な注文だった。


「ああ! 今日もいっぱい練習して疲れたわ! ねえ、またあれ作って! ほら、卵液を蒸した甘いお菓子!」


「プリンのことか? よほど好きなんだな?」


オリオンは、ディアナのリクエストに応え、卵と牛乳と砂糖を用意してプリンを作り始めた。小さな容器に卵液を入れ蒸している間に、砂糖を焦がしてキャラメルを作る。その様子をディアナはわくわくしながら、調理場にある椅子に座って眺めていた。


「毎日体を動かしてるらしいが、何をやってるんだ?」


オリオンは、蒸し器から勢いよく吹き上げる湯気を眺めながら、細身のパンツスタイルのディアナに尋ねた。


「気になるなら中庭に来て見てみなさいよ。別に秘密にしてるわけじゃないから」


次の日、仕事の手が空いた時に、オリオンは言われた通り中庭に顔を出した。この頃になると、大分仕事も慣れて来て、屋敷の中を自由に移動するのも抵抗がなくなっている。この時のディアナは、いつものドレス姿ではなく昨日調理室に来た時と同じパンツスタイルで、剣の稽古を付けてもらっていた。


(は……女なのに剣の稽古をしているのか? 王太子の婚約者になるには、武芸に秀でないといけないのか?)


オリオンはぽかんとしたままその様子を眺めていた。普通の剣では女性だと重いのか、細身のものを使用している。武芸の師匠と剣を合わせる様子は様になっていたが、明らかに力負けしており、だんだんと追い詰められていった。最終的には師匠が一本取った形になった。


「ああもう! どうしても勝てないわ! 反射速度も上げているのに力で押し切られてしまう……」


「女性でここまでできる人はいないですよ。十分誇ってください」


「『女にしては』のカッコつきでしょ。そんなの慰めにもならないわ」


これには、武芸の師匠も苦笑するしかない。見たところ、師匠の息は全く切れてないが、ディアナは汗びっしょりだ。師匠が手加減しているのは明らかだった。


「女の中で一番でも意味ないのよ! 実戦では男も女も関係ないし! なのに、手加減したあなたにも勝てないんじゃ駄目だわ! 元々の体格が違うとここまで歯が立たないなんて」


ディアナは悔しそうに唇をかんだ。師匠のがっちりした体躯を見れば、ここまで健闘すれば十分だとオリオンは思ってしまうのだが、彼女はそうではないらしい。オリオンくらいの軟弱な男性が相手なら楽に勝てそうだが、それでは満足しないのだろう。やがて剣の稽古が終わったが、このタイミングで姿を現わしてもいいのだろうかと迷ってしまった。


「さっきからずっと見ていたんでしょ? いいから出て来なさいよ」


オリオンは気まずそうにすごすごと出てきた。手には盆を抱えている。


「プリンならいくらでも食べると思って今日も作って来た。たくさんあるよ」


昨日と同じと文句を言われやしないかと一瞬不安になったが、不機嫌だったディアナがぱっと顔を輝かせるのを見て、それは杞憂だと分かった。


「おいしい……プリンなら毎日でもいいくらいだわ。このふるふるプルンとした食感が何とも言えない。ほろ苦甘いキャラメルソースとの相性も最高だし、この組み合わせ考えた人は天才ね! あら、私ばかり食べてしまってごめんなさい。師匠もお一つどうぞ」


中庭の隅にあるベンチに座り、既にいくつも平らげてから、ディアナは剣の師匠にも一つあげた。師匠は呆気に取られながら容器とスプーンを受け取り、すくってそっと口に運ぶ。


「おお……確かに。興味深い味ですね」


師匠が去った後も、ディアナは中庭でプリンを食べ続ける。オリオンはその隣に盆を抱えたまま立っていた。


「なあ……そう言えば、うちに来た時、何を依頼しに来たんだ?」


オリオンは、ディアナが魔道具屋に来た時のことをふと思い出した。あの時何がしたかったのか、さっき見た光景がヒントになる気がする。


「ああ、あれ? 筋力を増強する魔道具があると聞いて、作ってもらおうとしたのよ。それがあれば家を出ても一人で生活できると思ったんだけど、そんなに甘くなかった。あなたに断られてから考えたんだけど、それがあってもなくても、結局時期尚早だなと判断したってわけ」


やはり。それだとアントニオスとの会話の意味が通じる。男女の体力差を嘆くディアナを見て予想したことが当たった。彼女が持って来たザクロ石は、その魔道具の材料である。具体的にはネックレスのようにアクセサリーの形にして身に着けるのが一般的な使い方だ。ただし、ただのザクロ石を数珠つなぎにしても効果がないので、魔道具師に加工してもらうというわけだ。


「なんだ、それなら別に魔道具じゃなくても、呪文をかけることで同じ効果は出るぞ。その都度かける必要があるけどな」


「え? そうなの? あなたはその呪文使える?」


ディアナは驚いて、スプーンをくわえたまま、オリオンの方を向いた。


「まあ、一応は師匠に教えてもらったから。付与術の一種なんだけど、術をかけた相手のポテンシャルを高める効果があって……魔術師が使う魔法の中で、これだけ教えてもらったんだ」


「付与術だけ? どうして?」


「一つは、魔法の体系を学んでないから。魔道具の作り方は教えてくれたけど、それより高度な魔法は、魔法学校で専門的な体系を学んでからでないと駄目だって。もう一つは、攻撃魔法は教えたくなかったらしい……治癒魔法は更に高度になるから、治癒を覚えるならまずは攻撃が先なんだけど」


ディアナは、プリンを口に運びながら黙って聞いていた。


「多分、人を害する人間にはなって欲しくなかったんだと思う。魔道具作りだけでもかなり生活は楽になるからそれで十分だったけど。でも、もっと知りたいとしつこくせがんだら、これぐらいならと付与術だけは教えてもらえた。これも突き詰めると複雑な体系なんだけど、通り一遍なら、まあ」


そう言いながら、警察から逃げる時魔術を使って逃げ足を早くすればよかったと気付く。今頃分かっても後の祭りだが、あの時は余りに急すぎてそんな発想が出てこなかった。今の会話で付与術を教わったことを思い出したくらいだ。


「いいお師匠さんでよかったね。きっとオリオンの将来を心配してくれたんだよ」


ディアナがぽつりと言った。


「そうかな? かなり人使いが荒かったし、料理だけじゃなく掃除洗濯も任されたから大変だったんだけど」


それでも、何の断りもなく師匠が姿を消した時はひどく狼狽した。困窮していたところを拾われ、二年も一緒に暮らし家族のようなものだと自分は思っていたのに、相手はそんなことはなかったのだと知った時は心が空っぽになった。そこから立ち上がるのは並大抵の努力ではなかったが、師匠から教わった知識を頼りに魔道具屋を開いたのだ。


「もう師匠は戻って来ない気がするんだけど、いつ戻って来てもいいように、店の合言葉を考えたんだ。ほら、低く暗きユフテルの流れ、ってあっただろ?」


「ああ、合言葉を知らなければ店に入れないと聞いて、私も必死になって覚えたわ。何だったっけ? 『すべて我らと共にあり、脈々と流れる命のふきだまり』だっけ?」


「そう。あれは、魔術の教則本に書かれている巻頭言の一節で、呪文の詠唱にも使われているんだ。これが全ての基本になっている。一口に魔術と言っても様々な流派があって、師匠の流派は今では傍流らしいんだけど。でも、これを店の合言葉にしておけば、いつ戻っても分かってもらえるかなって」


「戻って来るわよ、いつか」


そう答えるディアナの表情は、今までに見たことがないくらい柔らかで、オリオンは思わずどきりとした。いつも勝気でお転婆なところしか見てこなかったから、不意打ちを食らって面食らってしまう。


「俺ばかり身の上話をして損した気分になった。ディアナも教えてよ」


「え、何。別に教えることなんてないわよ」


ディアナは口をとがらせて反論しながら、気まずそうに身じろぎを正した。


「隣国の王太子妃候補の一人なんだろ? ニコラスさんから聞いたよ。食いしん坊でお転婆なお前が選ばれるとは思わないけどな。おまけに武芸の稽古なんか何考えてるんだ? お嬢様は絵画に音楽に裁縫だろ?」


「だからその決めつけがムカつくのよ! 武芸に秀でた女がいたって構わないでしょ!」


ディアナはムキになって反論した。もしかしたら、彼女の弱い部分をつついてしまったかもしれない。


「戦う姿がカッコいいから真似したいだけよ! それに戦の神様だって女神じゃない! 別に変なことじゃないわ! 隣国の王子様だか知らないけど、絶対お嫁になんか行かないから! だってまだ16よ! そんなの考える年じゃないわ!」


「え? ディアナ年上だったの?」


オリオンは間抜けな声を出した。


「え? あなたいくつよ?」


「15……えええ、一つとは言え年上だったなんて何かショックだなあ。ちょっと悔しい」


本気で悔しがるオリオンを見ていたら、ディアナの怒りも鎮まって来た。そんな些細なことを気にする彼が面白い。


「ふふっ、私が一つお姉さんなんだから言うこと聞きなさいね? そうだ! いいこと思いついた!」


ディアナはそう言うと、急に立ち上がって手をぽんと叩いた。さっきまで怒っていたのが嘘のようだ。そして、生き生きとした様子でオリオンに何やら耳打ちする。オリオンは思わず「えっ!」と大声を上げるが、「しっ! 静かにしなさいよ!」と注意された。


「そんなのうまくいくはずないよ……何を考えてるの?」


「あなただって、この国の警察がいい加減だって知ってるでしょ? それなら私たちが警察の代わりをすればいいのよ。二人で力を合わせればきっとうまく行くわ。それとも何? ご主人様の言うことが聞けないって言うの?」


ディアナの自信満々の笑顔を見て、オリオンはがっくりと肩を落とした。とんだことに巻き込まれてしまったと嘆きながら。

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